鑛物趣味の博物館館長の鉱物日記
 館長の「石漬け」の日々をご紹介して参ります。鉱物採集に行ったこと、ミネラルショーや即売会に行ったこと、同好会の例会に参加したこと、館長の一生の財産である石友の皆さんとの交流、普段の生活での何気ない鉱物との出会い、そして石にまつわるニュース的なことを書き綴って参ります。
館長について・・・幼少の頃(小学校低学年)より石集めを始め、鉱物趣味歴60年超。日本産鉱物標本の収集と鉱物趣味史・大阪府産鉱物研究がライフワーク。「夢」は鉱物博物館。現在、益富地学会館(運営委員)、日本鉱物科学会・大阪石友会・福岡石の会・鉱物同志会・地質学史懇話会・奈良鉱物研究会・吹田地学会、石川県鉱物同好会各会員など石に関するいろんなジャンルの所に顔を出しています。
詳しくはプロフィールのページへ。
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2015年12月23日(水・
今年最後の「石の花」へ
 今年最後の石のイベントとなるであろうOaさんの「石の花」に行った。
 今年は館長にとっては二年続きの不幸もあって、プライベートでは良い年ではなかった。
せめて、石くらいは楽しく締めたい・・・そんな期待をもって「石の花」に臨んだ。今回は、遂にOaさんの秘蔵の逸品が出るのだ。
それは蛭川の見事な「ねじれ水晶」である。
水晶は鉱物コレクターにとっては馴染み深いアイテムではあるが、館長の主たる収集ターゲットではないので冷静に見られた。
水晶マニアであれば、「喉から手が・・・」という逸品であろう。館長もこのように見事にツイストしたものは他に見たことがない。黒水晶の透明度、テリも抜群だ。
結局、館長の昔からの石友が見事落札。
おめでとうございます。
館長は蛭川の黒水晶と長石の結晶と蛍石は合わさった標本を購入した。
 さて、これで今年の「館長の鉱物日記」は終了です。この一年間、お付き合い頂き誠に有難うございました。
多くの石友からは更新の頻度が低い・・・とのご意見もよく頂戴致します。
 確かにその通りです。これは採集に行くことも極端に少なくなり、後々自慢できるほどの標本に巡り合うことも少なくなっているのが一つの要因です。
勿論、仕事が多忙で(これは幸せな事だと、この歳になって思いますが)、寄る年波・・・というのもございます。
以前ほどの頻度での更新は難しいですが、来る2016年も「館長の鉱物日記」は続けて参ります。
宜しくお付き合いの程お願い致します。
 末筆ではございますが、「鉱物趣味の博物館」のお客様とご家族、関係者の皆様方、石友、同好の皆様とそのご家族の皆様方のご多幸をお祈り致します。

2015年12月20日(日)
ゆめほたる
 兵庫県川西市の国崎クリーンセンターにある啓発施設「ゆめほたる」を石友会会員有志と共に訪れた。
「ゆめほたる」周辺には多数の旧坑(間歩)があり、かつては珍しい鉱物が見つかり、一時期、鉱物マニアが訪れた。
 当時、館長は産地情報が入手出来ず(教えてもらえなかった)、指をくわえて見ているだけであった。ここには悔しい思い出がある。
 今回、この旧坑群や動植物が川西市の文化財に認定され、「鉱物・間歩・コウモリセミナー」が開催された。
 今回の認定で旧坑群の調査や整備が行われ、我が大阪石友会はパンフレット作成に協力することとなった。
 現地は厳重に保護され勝手には入れない。今回、パンフレット作製の為、特別にご案内頂いた。スケールは随分違うが、佐渡金山の「道遊の割戸」や生野銀山の「慶寿の割戸」を彷彿させる見事な露天掘り跡がみられた。
採集は出来なくても、これらを見るだけでも価値は十分だ。
更なる整備と一般公開の日が待ち遠しく思った館長であった。

2015年12月13日(日)〜14日(月)
再会
 少々、石とは離れるが、今年の大阪ショーに来てくれた高校時代の同級生たちと淡路島にあるK君の会社の保養施設でミニ同窓会を行った。フグのフルコースであった。紅顔?の美少年達も厚顔の62〜63歳になり、それなりに経年劣化はしているものの50年近く経っても、ほぼ昔のイメージ通り。名前はあだ名か呼び捨て。タメ口が飛び交う、縦社会(家庭も?)に生きてきたものとしては、普段あり得ないシーンである。。

2015年12月4日(金)
東京ミネラルショー(池袋)へ
 久々の鉱物日記の更新だ。
同好の方からも「更新が無いですねぇ」と云われるのだが、11月は全くといっていいほど館長にとっての石のイベントがなかった。そこで、久々の更新は2015年の最後を飾る「東京ミネラルショー」である。
 今回は4日の早朝について、同じ日の夜に東京を立つ弾丸ツアーである。
 オープンと同時に会場へ入る。平日というのに相変わらず人が多い。
早速、里帰り標本を狙って海外の業者二社のテーブルへ行くも成果無し。
ここ何年も里帰り標本のヒットが無い。
結局、館長の目的とする国産古典標本には巡り合えず。
 但し、同好の方より新産地の「毛鉄鉱」を戴いた。
毛鉄鉱は何の変哲もない鉄の硫酸塩鉱物であるが、産地が今まで、鳥取県内の一ヶ所だけ(ここの標本も現物を見たことのある趣味家は殆ど居らず、文字通りの「幻の鉱物」。館長は所有している)という超稀産鉱物であった。かなり特殊な産状のようだ。
 もう一点は近年話題になった和歌山県のキュマンジュ石など銅・鉛の二次鉱物を含む標本であった。
種類集めはしない方針ではあるが、何故か欲しくなって購入した。結局、入手はこの二点のみ。
・・・ということで、館長の池袋ショー見物も終了。

2015年10月10日(土)〜12日(月・祝)
石ふしぎ大発見展・京都ショー
 早いもので、この前大阪ショーが終わったと思ったら、もう京都ショーだ。館長は今回もスタッフとしての参加である。益富地学会館コーナー(会館コーナー)をいつものように担当。
 会館コーナーには人気の委託標本が出品されるので、初日の午前中は大忙しだ。
 今回の出品標本には多田鉱山の輝銀銅鉱に伴うマッキンストリ鉱や新鉱物・田野畑石、銘柄標本の大和鉱山産毛赤銅鉱など興味深い鉱物があったが、これらは早々と完売。
 午前中は顧客対応で出品物を見る時間は全く無かったが、ようやくお昼休みの休憩時間に各ブースの出品物(国産)を足早にチェックした。
 今回、館長を驚かさせたのは日本産ではないが、台湾・金瓜石鉱山の30kg以上ある巨大な硫砒銅鉱だった。戦前の標本(日本鉱業時代)だが、その迫力に圧倒される。まさに「博物館級標本」だ。
人気の手稲鉱山の手稲石もオークションの出品物として登場した。
あまり市場に出ない標本なので、館長も入札しようか迷ったが、高値になりそうなので、懐具合の厳しい館長はパス。少々、悔いが残った。
 今回の館長のヒットは石友から頂いた分析済みの大阪府産のカレドニア石。見つかったことは知っていたが、現物は初見だった。
 他に秋田県阿仁鉱山産を思わせるような大阪府産の塊状の孔雀石。これは良いものだった。また、別の石友から福岡県産のバリシア石の良品を頂いた。石友に感謝。
三日間はアッという間に終わった。次は池袋ショーだ。
館長の日本産鉱物を求める果てしない旅は続く・・・。

2015年10月4日(日)
それでも石は増える・・・最近入手した鉱物。
 年齢的にもコレクションの減量を進めている筈の館長ではあるが、その気持ちとは裏腹に石は増える。
今月も縁あって「古典標本」(館長は「絶産標本」とともにこの言葉にたいへん弱い)を何点か入手した。 
 まずは台湾・瑞芳鉱山の自然金。近傍の金爪石鉱山と共に国産標本しか集めない筈の館長の唯一の例外といっても良い産地だ。瑞芳鉱山の自然金は銘柄標本で、昭和40年当時、小学生の館長は木下亀城先生の「原色鉱石図鑑」に載っている瑞芳鉱山の驚愕の自然金に衝撃を受けて以来の憧れの鉱物であった。
 また、瑞芳鉱山といえば「黄金入り水晶」や石炭層からも自然金が見つかったことは有名で、出来れば両方とも欲しいが、超・幻の鉱物だ。鉱物の大先輩Kyさんによると、もの凄い大きさの自然金があったそうだ。
恐らく自然金(山金)の大きさでは歴史上五本の指に入るだろう・・・とも云われている。
今回入手した標本は瑞芳鉱山産ではごく普通の自然金ではあるが珍品であることには間違いはない。
また、標本には細かな水晶が沢山付いていたので幻の「黄金入り水晶」を探したが見つからなかった。
併せて、瑞芳鉱山近傍の金爪石鉱山の辰砂も入手。これも館長初見の超珍品である。
 それと以前入手し損なった中瀬鉱山の「天ぷら輝安鉱」もようやく入手。
これは輝安鉱の柱状結晶の表面に「天麩羅のころも」のように細かな苦灰石の結晶が覆ったもので、独特の美しさがある。
まさに「中瀬鉱山名物」だ。
 後は、尾平鉱山の閃亜鉛鉱の表面を黄錫鉱がメッキした著名な標本(かつては黄錫鉱の結晶と云われた)や静岡県高根山鉱山の美しい藍銅鉱など。
 入手困難な標本を一挙に入手できたが、コレクションを減量せねば・・・という気持ちとは裏腹に「それでも石と体重は増える」館長であった。

2015年9月20日(日)
大阪石友会50周年記念号
 久々の大阪石友会の集まりである。館長が数年にわたり執筆・編集していた石友会50周年記念誌が漸く完成したので、そのお披露目と頒布を行った。
 執筆にあたり、あらためて石友会の50年を振り返ることができた。
つくづく昔は良かったなぁと思う。
稼行中の鉱山や産地も多く、世間も鉱物趣味に対して寛容であったし、趣味家も熱心であった。
 特に石友会は鉱物のみに拘らず、地質や化石、特に珪藻の専門家が居たり、マチカネワニを発見したり、特定の地域に絞って会を挙げて研究したりと活躍のフィールドは広かった。博物学的な会といえるだろう。
石友会の発展を願って止まない館長であった。

2015年9月13日(日)
秋の「石の花」
 Oaさんの石の花に参戦した。
今回は岡山県の鉱物がメインであった。
原産地・都茂鉱山の都茂鉱、鵜峠鉱山の天青石、東郷鉱山のカルノー石、扇平鉱山のレグランド石やケティヒ石、そして岡山の鉱物というば布賀の鉱物などが出品された。
本日は館長は買い物は無く、参加者との情報交歓の一日であった。

2015年8月29日(土)
名古屋ショー参戦
 今年も名古屋ショーに参戦した。
名古屋ミネラルショーは今年で37回目を迎え、本邦の鉱物のメジャーなショーでは最も古い歴史を誇る。アマチュア出展が多いので掘り出し物の期待も大きい。また地理的に北海道から九州といった広範囲の同好が集まり、交流も幅も広い。鉱物標本を探す・・・というより、喋っている時間が圧倒的に多い。
 館長は昨年の名古屋ショーで思いもかけない成果があったので、昨年と同じMMさんのテーブルで柳の下の二匹目のドジョウを狙った。
そして見つけたのが本邦産のガロン沸石?だ。
これはなかなかの難物で、確実なものが一産地しかないという珍品である。今回の成果は結局、このガロン沸石一個だけ。しかも500円。

2015年8月4日(火)
館長、50年前にタイムスリップする
 近所のドラッグストアのご招待で滋賀と岐阜へ日帰りバス旅行に行った。
滋賀では近江八幡市内を散策した後、、親孝行伝説で有名な岐阜の「養老の滝」(写真左)を訪れた。バスの駐車場から養老の滝までは、ひたすら登りで、しかも猛暑である。
 かなりバテたが、何とか滝まで辿り着いた。そこは天然のミストで気持ちが良い。到着するまでがたいへんだったが、ここは極楽だ。

 さて、館長の鉱物趣味と養老の滝は関係が深い。別に養老の滝に鉱物採集をしに行った訳ではない。
 子供の頃、養老の滝へ行く途中にあった、当時は珍しかった石屋さん?のアメジストや水晶などの綺麗な石に眼を奪われ、何度か足を運んだ。
当時はこのような石屋さんは都会でも珍しかったのだ。
 あれから50年・・・。さすがに、その石屋さんはもう無いだろう・・・と思っていたのだが、なんと健在であった。

 猛暑の平日で観光客も少ない日。恐らく50年前とそんなに変わらないであろう時代を感じさせるガラス戸の向こうに、50年前と同じく、ひな壇にアメジストや水晶、黄鉄鉱などの「貴石」、「銘石」が鎮座している。
 昔のように多くの観光客で賑わい、所狭しと石が並んでいる訳でもないが、故郷に帰ったようで、すごく懐かしいし、嬉しい。
 この50年で、石の分野では館長もそれなりに大人に成長?したので、個々の石には少年時代のような感動は無いが、そこだけ時間が止まっているようなお店の佇まいに館長はS少年に戻っていた。

 来てよかった・・・50年前に想いを馳せ、井上陽水さんの「少年時代」のような気分になった館長であった。

2015年7月11日(土)
最近のお宝
 今月8日で遂に63歳となった。標本の「減量」が館長の喫緊の課題ではあるが、その気持ちとは裏腹に標本は増える。コレクターの性(さが)である。
そして、前回の中瀬鉱山の輝安鉱の後、また二点入手した。
 オークションで10人が参戦、延長に次ぐ延長で50件の応札という激戦の末、入手したのが市之川鉱山の輝安鉱母岩付。市之川の輝安鉱の母岩付は案外少なく貴重品。
 ネットで代金の決済をしていると、ヨメに「また、市之川の輝安鉱か!」と呆れられた。ヨメも「市之川の輝安鉱」は知っているのだ。
「何本(個)あってもエエんや!」と応戦。但し、20センチを優に超えるサイズは今の館長には一寸大きすぎるか。産状がよくわかる佳品であった。しかも母岩がほぼムクの輝安鉱・・・。実に重い。
 もう一点は希少性では横綱級、大阪府坂口鉱山のイットリア石である。
 イットリア石そのものがどこにでもあるという鉱物ではない。
それが大阪府で見つかった(昭和30年代だが・・・)のだから、これはすごい事だ。コレクターが持っているのは大抵、水晶山か房又のものだろう。
 恐らく、坂口鉱山のイットリア石を持っているコレクターは本邦でも5人いるかいないかだろう。
この貴重な標本をお譲り頂いた大先輩に感謝。

2015年6月14日(日)
夏の「石の花」。手に入るか?憧れの標本
 昨日の運営委員会に続いて、二日連続の益富地学会館。
本日はOaさんの「石の花」である。
 今回の目玉品は生野鉱山のホドルサ鉱結晶。かなり古い標本だが、個体数は極端に少ないであろう。
今回は結晶標本だけに人気が集中し、かなりの高値がついた。
 館長は以前、小さなものを入手していたので、本日は見物だけという軽い気持ちで来たのだったが、そうはいかなかった。
 オークション対象品の中に中瀬鉱山の輝安鉱があったのだ。
中瀬鉱山の輝安鉱といってもよく見られる石英中に柱状の輝安鉱が沢山含まれているという「鉱石」ではなく水晶の表面に槍のように先端の尖ったピカピカの結晶が晶出している逸品である。市之川鉱山のデカいものも良いが、これも味がある。
 この標本は益富先生の「鉱物−やさしい鉱物学−」(保育社カラー自然ガイド)という本に載っている標本の「兄弟分」であった。
鉱山稼行中(昭和30年代)にOaさんが鉱山で入手されたとの事。エエ時代やったんやなぁ。
 実は以前、東京の標本店でこのタイプの標本を逃した苦い経験があったのだ。それだけに今回は外せない・・・。
館長の闘争心に火が点いた。給料日前、ボーナス前の財布の中身が寂しい時期ではあるが、本年第一回目、館長恒例の「清水の舞台からの大ジャンプ」をすることとなった。
 ギリギリで落札する・・・という館長のポリシーに少々反するが、今回は絶対外せないので、ドカン!と多目に入札した為、余裕で落札。目出度く、館長コレクションに収まった。
 他に大阪のHさんから大阪府宿野のホタル石と柏原市青谷のザクロ石を頂戴した。特に前者は館長初見のもので、氷長石を伴った紫色の小結晶であった。Hさんのご厚意に感謝。
 それと、昨日、石友Mtさんから大阪府川浦鉱山の立派な藍銅鉱と白鉛鉱の絡んだ標本を頂いた。Mtさんにも感謝。
財布は軽くなったが、欲しかった標本が入手でき、ご満悦の館長であった。
  

2015年6月5日(金)〜6日(土)
東京国際ミネラルフェア(新宿ショー)
 新宿ショーで上京した。会場は今年もなかなかの盛況であったが、館長のターゲットである国産逸品鉱物はますます少なくなり、ザッと見た限り、国産鉱物を置いているお店は3〜4社くらいしかなっかた。
これも時代の流れかもしれないが一抹の淋しさを感じた館長であった。
お楽しみの里帰り標本も定番のものが殆どで、結局初日は標本は買わずに終わった。
 翌日は飯田橋でミネラルマーケットが開催された。(三番目の写真)
今年は会場が一ヶ所で広くなり見やすくなったが、熱心な鉱物ファンでごった返した。標本を見るのもたいへんだ。
 但し、ここでも館長の琴線に触れる標本は無く、新宿ショーは第一回目、ミネラルマーケットは第二回目から参加という歴史を誇る館長にして初めてのお買いもの(本は一冊買ったが)ゼロという結果に終わった。幸か不幸か軍資金も宙に浮いてしまった。
 土曜日の夜は恒例の新宿ミーティングで同好の皆さんと親交を深めた。
慌ただしく関西へ戻った館長であった。

2015年5月17日(日)
前回のリベンジへ 秦野鉱山再訪
 なんと前月に続いての秦野鉱山である。
本日は吹田地学会主催の採集会である。約20名の参加者が阪急石橋駅に集合。バスで最寄りのバス停まで向かい、そこから鉱山跡へ向かう。
今日は前回と打って変わって晴天である。やはり館長は「雨男」ではなかったのだ。逆に暑いくらいだった。
 館長はこれといって採集するものは無かったが、例の砒酸塩鉱物を石友への進呈用に採集した。
とにかくお天気の面でリベンジできてご満悦の館長であった。

2015年4月25日(土)〜27日(月)
石ふしぎ大発見展・大阪ショー
館長一世一代の大舞台とサプライズに大感激!
 遂に大阪ショーである。今年の大阪ショーは館長にとって例年とは全く違う。館長が特別展示と講演会の両方に協力することとなった。
特別展示は館長秘蔵?の大阪府産鉱物コレクション約50点を展示。
 二日目の午前中には講演を行った。館長としては初めての約1時間半の長丁場である。パワーポイントは150枚も用意した。いざ、やってみると後半は時間が足りなくなって駆け足となってしまった。
やはり長時間だと時間配分は難しい。
テーマは特別展示に関連して「大阪府の鉱物を訪ねて」。
会場はほぼ満席となり、館長の52年間のコレクター人生の話も交えて、大阪府産鉱物の全体像をお話しした。特に大きなミスも無く、なんとか終了。
 そして今回は館長にとって思いがけない感激のサプライズが二つあった。
まず、一つ目は高岡公昭先生に来て頂けたこと。高岡先生は白神正夫先生と共に大阪府産鉱物研究の先駆者とも言う方で、館長もお手紙でご指導頂いた。館長にとっては白神先生と共に神様のような方で、高岡先生とは初めてお会いして感激であった。
次の予定が無ければ、ご教授頂きたいことが一杯あっただけに少々残念。
 高岡先生とのご挨拶が終わり、傍らに目をやると数名の中年男性のグループが居ることに気付いた。誰かな?と思うと、その横には高校時代の恩師Ak先生が居られた。
 なんと、その中年男性(実は全員還暦をとっくに通過)のグループは高校時代の同級生達であったのだ。
Ak先生には大阪ショーのご案内を差し上げたのだが、同級生にも声をかけて下さったのだ。
全員、還暦を過ぎて、それなりに歳は重ねているが、昔とそう変わっていない。
名前と顔はすぐに一致した。こちらも感激の再会であった。
お陰様でたいへん思い出深い大阪ショーとなった。
両先生、本当に有難うございました。これからもご指導の程宜しくお願い致します。
 実はこれ以外にもサプライズがあったのだが、兎にも角にも楽しい三日間はアッという間に過ぎ去った。
さぁ、次は京都ショーだ。

2015年4月12日(日)
滞在僅か4時間、「小京都」金沢弾丸ツアー! 石川県鉱物同好会総会へ
 石川県鉱物同好会の総会で金沢へ来た。最近、北陸出張が無くなったので久々の金沢だ。
北陸新幹線の開通の効果だろうか、観光客がかなり増えたように思う。
高速バスで金沢駅前に到着後、すぐに集合場所の鉱物標本店「石の華」へ向かう。
店主で事務局のMmさんとも久しぶりにお会いした。
総会はMmさんのご自宅のあるマンションのパーティールームで行われた。
 いつものように総会議事や採集地の選定、会員の標本のお披露目が行われた。標本頒布には館長も少し協力させて頂いた。
和気あいあいとした雰囲気の中、あっという間に時間が過ぎた。
滞在時間僅か4時間の金沢弾丸ツアーは終わった。

2015年4月5日(日)
雨男参上!雨の秦野鉱山
 本日は益富地学会館の野外例会で大阪府池田市の秦野鉱山へ来た。
館長の「雨男」もすっかり有名になって、運営委員会で野外例会の検討を行う際も、館長が来るかどうかが焦点となっている。
館長が野外例会に行かないとなると安堵の空気が広がる。
しかし、今回は大阪府の鉱物産地なので、参加することとなった。
当然ながら天候を危惧する声が上がった。そして、当日、やはり雨である。館長の威力は凄い。
 阪急電鉄箕面駅から小雨の中を約1時間歩いて現地へ向かう。
台風や出水の影響で谷筋にあった道は無くなり、沢登りとなる。
鉱山跡に着いたものの、スカルン鉱物はかなり少なくなり、質も相当落ちていた。
昔は普通にあった柱状のヘデンベルグ輝石も見られない。
それでも、Itさんが下見で発見した大阪府初産の砒酸塩鉱物が採集でき、館長の目的は達した。
雨も小雨程度で何とかおさまって、まずまずの採集であった。

2015年3月15日(日)
石の花、そして大阪石友会
 Oaさんの「石の花」である。前回の「石の花」で清水の舞台から大ジャンプをしたので、本日はおとなしくすることにした。今回は信越地方の鉱物で、青海町の鉱物が多数出品された。館長はもっぱらOaさんや参加者の皆さんと石談中心であった。一時間ほど「石の花」を楽しんだ後、大阪へ。

 今日は久々の大阪石友会の室内例会だ。なんとか例会のスタートに間に合ったが、「今日は『石の花』は欠席ですか?」と聞かれ、石の花の帰りですというと大いに驚かれた。
 会の活動は採集場所の問題等でここ暫く停滞気味である。
近年、特に鉱物採集に対する風当たりが強い。採集禁止どころか入山禁止も増えている。
館長は会の運営側からは離れたが、いろいろ課題は多い。

2015年1月18日(日)
新春交流会
 本日は益富地学会館の新春交流会である。館長は京都地学会の新春総会の時代からの参加である。このイベントから鉱物趣味の一年が始まる。
 今回も相棒のTyさんと共に出品者としての参加となった。
館長は手持ちのコレクションから何点か出品。お買い上げ頂いた方々に感謝。館長はコレクションから母岩付のティール鉱と千歳鉱山の淡紅銀鉱を目玉として出品した。
 他の出品者の標本を見て回る時間はあまり無かったが、今回の成果として兵庫県養父鉱山のルビーシルバー(濃紅銀鉱)のかなりの良品が入手出来た。
自宅に戻ってジックリと観察すると母岩の全面に妖しい光が・・・。
やはりルビーシルバーはいいなぁ。
驚いたのは、お値段なんと2,000円!お店で買えば一桁違うだろう。
 この一点で満足したが、もう一点、院内鉱山のアンドル鉱も入手。
元々某有名大学の標本であったそうで、これも珍品だ。

2015年1月11日(日)
東六甲 花崗岩巡り
 西宮在住の友人Tyさんのご自宅を訪問したついでに六甲花崗岩「御影石」を観察した。Tyさんのご自宅は六甲山地の東の端の高台にある。
 六甲山地であるから当然花崗岩であるが、建設工事の度に「六甲花崗岩」が顔を出す。いわゆる本家本元の「御影石」だ。
特にこの周辺には大阪城築城の為、花崗岩を切り出した「東六甲採石場」跡もあり、歴史的にも興味深い場所だ。
 まずはTyさんが御札を納めるという事で、越木岩(こしきいわ)神社へ向かう。
神社のご神体は高さ10mもある「甑岩」である。(写真一番目)
この辺りは大阪城築城の時に花崗岩が切り出された「採石場」跡で、ノミの跡の残った大きな石が残されている。(写真二番目))
折角なので、館長は越木岩神社で「石運」を祈って、御神籤を引いた。
なんと3年連続の「大吉」であった。
去年は「一番大吉」にも拘わらず、最悪の年であったので、今年はこの御神籤通りの1年になってもらいたいものだ。
 各所に露出した花崗岩を観察しながら、次にTyさんが見つけた花崗岩のガマを見にいく。途中、ミニペグマタイトは偶に見られるが、とても標本になるような代物ではない。(写真三番目)
 目的地に着いて、早速ガマを拝見した。
直径5cm程の小さいガマで中に1cm程の煙水晶や長石の結晶も見られたが、Tyさんのお知り合いのお宅の敷地内なので残念ながら観察だけ。(写真四番目)
 帰り道に丁度、住宅の工事現場の前を通った。見事な花崗岩の壁に遭遇した。
蛭川村の丁場を思い出させるような見るからに堅そうなシッカリした岩だ。
作業されている方に「水晶は有りますか?」と声をかけたが、「無いなぁ」という返事。残念・・・。
 ・・・という事で東六甲の半日御影石観察ツアーは終了。六甲花崗岩は元々ガマの少ない花崗岩だが、何時の日にか大きなガマに遭遇したいものだ。ご案内頂いたTyさんに感謝。

2015年1月3日(土)
今年もメノウ探しから
 寝正月というわけではないが、元旦、2日と少々運動不足であったので、今年も大阪千里丘陵のメノウ探しでスタートすることとした。
 初乗り90円という、かつては日本最安値の鉄道(今も安いが)、北大阪急行の千里中央駅で下車し、館長の採集ポイントに向かう。
千里ニュータウンの中の住宅や大きなマンション群が立ち並ぶ場所で、しかも人の往来が多く、クルマやバスも頻繁に行き交う場所だ。
そんな中で小さな露頭(表面は草で覆われているので知らないと露頭には見えない)で探し物をしている姿はかなり浮いてしまう。
そこでは、電気石を含むオーソクォーッアイト礫1個とグレー系の透明な玉髄を1個採集する。
 その後、石友が見つけた工事現場のポイントへ。
現場はかなり整地されているが、ここでもオーソクォーッアイト1個と赤茶色系の玉髄を1個採集。成果はまずまずであったが、ここも住宅が建つのは時間の問題で、早晩消滅するだろう。

島熊山礫層。堅く締まっている。

島熊山より北摂の山々をのぞむ
 折角ここまで来たので島熊山へ登山?を行う。
昔は島熊山礫層(・・・と呼ぶ人もいる)の大きな露頭があったが、巨大なマンション群が建って全く判らなくなった。
まだ、島熊山礫層の名残りは多少残ってはいるが、かなり堅く締まっており、礫層というよりは「礫岩」である。
20cm以上の巨礫も見られるが、この礫層から玉髄などの目的物を採集するのは不可能と言える。

2015年1月1日(
本年も宜しくお願い致します。
 旧年中は「鑛物趣味の博物館」をご愛顧頂き、また館長個人も多くの石友、同好の方々にたいへんお世話になりました。
厚く御礼申し上げます。 今年も何卒宜しくお願い申し上げます。
 2015年が石友の皆様、石を愛する同好・同志の皆様、「鑛物趣味の博物館」のお客様、そしてそのご家族、関係者の方々にとりまして素晴らしい年となりますことをお祈り申し上げます。
館長敬白