鑛物趣味の博物館館長の鉱物日記
 館長の「石漬け」の日々をご紹介して参ります。鉱物採集に行ったこと、ミネラルショーや即売会に行ったこと、同好会の例会に参加したこと、館長の財産である石友の皆さんとの交流、普段の生活での何気ない鉱物との出会い、そして石にまつわるニュース的なことを書き綴って参ります。
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2006年12月23日(土・祝)
我ら鉱物探検隊・・・
 いよいよ2006年最後(・・・の予定だが)の鉱物イベントの日だ。
応用物理学会結晶工学分科会主催の年末講演会である。
なぜ、館長が出席したかというと内容が鉱物だからである。
テーマは「我ら鉱物探検隊・天然結晶に学ぶ」である。
講師は国立科博の松原聡先生と鉱物科学研究所の堀秀道所長という錚々たるメンバーだ。これは行かない訳には行かないなぁ。
 会場へ行くと、無名会のKさんも居られ、久しぶりにお話が出来た。それとびっくりしたのは大阪石友会のMtさんが居られたことだ。
まさか東京でお会いするとは思わなかったが、こちらもお久しぶりだ。
 さて、まず、松原先生の講演(写真上)。
普段、人工結晶を扱っておられる方々を対象に天然結晶である鉱物の話をされるので、基本的な話が中心であった。鉱物の出来方やダイヤモンドと石墨を例にとった鉱物種の定義の話、鉱物はどのような場所で採れるのか(ひすい産地やズリのお話)、鉱物の命名方法、そして東京で鉱物が観察出来る場所(白丸鉱山、伊豆大島、小笠原諸島)の解説をされた。小笠原の産地は無人島(無人岩中に出るのでよく出来た話だ)で出るらしいのでちょっと無理としても伊豆大島は一度行ってみたいなぁ。
 堀先生のお話はこちらも肩のこらない話で、館長も以前出演した「開運!なんでも鑑定団」のお話(写真中)。石鑑定大会は13年前に始まったそうだが、まず、本物が無いのが「隕石」だそうだ。「夜中に屋根で音がして、見たら”隕石”が落ちていた・・・」というストーリーであるが、案外、関係の無い大きな石に気をとられて、本物の小さな隕石を見逃しているのでは・・・というお話だ。
また水晶球の見分け方などのお話やモーツァルト生誕250年に因んだモーツァルト石のお話もあったが、特に館長の印象に強く残ったのが、ラピスの表紙にも使われている世界最大の結晶の話だ。
巨大なビルの柱のような結晶が縦横に折り重なった隙間に人がいる写真だが、果たしてこの結晶は何だろう?
館長がこの話を聞くまでは世界で一番大きい結晶は長石と思っていたが、実は「石膏」だそうだ。更にもっとスケールの大きな話もあった。 もう一つは「鉱物のちょっと変わった応用」という事で、地震の前兆現象に関する大阪大学の山中千博先生の講演だ。岩石(石英)に圧力がかかると圧電効果によって電磁波が発生し、発光現象など様々な前兆現象が発生するというものだ。鉱物を趣味とし、電気関係を職業(卒業研究は磁気誘電体素子であったが)とする館長にとっても興味深いテーマであった。圧力により岩石が分極し帯電しているが周囲の自由電子によりキャンセルされているという事実はナルホドと思った。良い勉強になった。
 お三方の講演が終わった後、「相談コーナー」と銘打たれた質疑応答のコーナーが設けられた。鉱物関連では黒曜石に関する質疑応答の後、「水晶」の鑑定依頼があって、臨時の「鑑定団?」が行なわれた。大きなものであったが残念ながら結晶面が研磨され評価はイマイチだったようだ。(写真下)

2006年12月17日(日)
今日も池袋ショー三昧!
 本日も池袋ショーである。もう新規で購入するものはないが午前中はあるアポイントがあった(後日報告予定)。午後は益富地学会館でお手伝いである。会館のFtさんとNa嬢が鉱物鑑定士試験の為、その間、ブースの留守番である。標本を買う人よりも書籍やルーペを購入する人が多かった。バタバタと忙しかったが、隣の大江理工社のFoさんやミネラルマーケットの方々とのオシャベリで結構面白かった。
 今日は何も買う予定はなかったが、結局昨日から迷っていた宮崎県尾小八重産のデカイ
灰鉄輝石を買った。お世辞にも綺麗とは言えないがスケールはすごい。結晶塊で産したそうで、有名になった紫色の斧石とは別の産地だそうである。写真は益富地学会館のブースから見た会場風景。

2006年12月16日(土)
2006年のミネラルフェアを締める!池袋ショー
 あっという間に12月も中盤になった。この前、正月かと思ったのにもう12月か・・・1年は実に早いなぁ。池袋ショーはまさに歳の暮れの風物詩だ。昨日から発症した持病のギックリ腰が痛い。しかし、痛い!などとは言ってられない。
 会場へ入るとまずクリスタルワールドさんへ直行。予告されていたある鉱物を探す為だ。ブースの横に夥しい標本箱が積まれており、そこから探すのだ。運良く3箱目くらいで見つかった。それは愛媛県野村鉱山の
高根鉱だ。何の変哲もない真っ黒いマンガン鉱だが、案外入手が難しい。
 その後、お馴染みのMさんのブースへ向かう。ブースにはTyさん、Thさん、Igさんのお三方がいらっしゃった。お三方と話しながら標本を物色する。今回は九州の某コレクターの標本が多数出品されているとの事。乙ケ淵のフォイト電気石や二ノ岳の水色方解石、三ノ岳の灰重石、満越のLa弘三石、尾平の斧石、喜和田の灰重石結晶など多数あったが、館長は尾平・
センスジ谷の鉄電気石を買った。これは相当以前から出回っていたが、当時はあまり興味が無かった。やがて、モノは市場から消えいつの間にか良品は貴重品になっていた。今回の標本は小結晶の集合体であるが、なかなかテリが良く見栄えのする標本だ。
 Mさんの隣には今回から参加の益富地学会館のブースがあり、学芸員のNa嬢が居られた。会館の即売標本を眺めていると意外なものが眼に入った。
明延鉱山のモルデン沸石である。これは結構珍品で、地元では「じゅうたん(絨毯)石」と呼ばれていたものだ。小品ではあったが、前から探していたものであったので購入した。
 続いて、石友Tkさんのお店へ。ここで面白いものを見つけた。50年くらい前に山梨の水晶業者のM氏によって製作され昇仙峡などで土産として売られていた伝説の「
人造トッコ」だ。話には聞いていたが、実物を見るのは初めてだ。珍しいものなので購入した。
 もう一人の石友Kyさんのお店は日本産鉱物専門で大いに賑わっていた。尾平鉱山ハジカミ谷の珍しい水晶群晶や電気石の上に水晶が乗ったもの、ヘデンベルグ輝石の巨晶などコレクター心理をくすぐる品が多い。
 今日の目的の一つは加藤先生の特別講座だ。テーマは「鉱物の系統分類と細分」。特に興味深かったのは斜長石の細分だ。斜長石は端成分が灰長石と曹長石だが、ご存知の通り、6種に分けられている。この理由を説明頂いた。


 
写真上: 会場の様子。大阪から群晶さんと眞鍋鉱物研究所
       さん。
 写真中: クリスタルワールドさんの日本産鉱物標本。
       ここで掘り出し物を探す。
 写真下: 加藤昭先生のご講演。

2006年12月9日(土)
今日は講師だ!益富地学会館展示標本解説
 先週の生野鉱山巡検に続いての関西帰省である。今回の帰省の目的は益富地学会館で行われるアマチュアコレクター展示の展示説明である。なんと館長がプレゼンテーションを行うのである。仕事上の得意先に対するプレゼンテーションは何度もあるが、鉱物趣味ではなんと44年の鉱物人生で始めてである。「大阪府の鉱物」という"超"地味なテーマだけに、心配なのは果たして聴きに来てくれる人がいるのか・・・。誰も来なかったらカッコ悪いなぁ。
 さて、当日はあいにくの小雨である。これでは更に来場者が少なくなるやん・・・。不安が益々増してくる。
益富地学会館へ入ると顔なじみの滋賀県のAsさんともう一方が来られていた。少なくとも"観衆"ゼロはなくなった。やがて、京都のTkさんやマンガン鉱物の専門家Tmさんらベテランのお顔も見え、続々と来られた出席者は16人に達した。後で会館のFtさんに聞くと展示説明では"過去最高"の人数らしいとの事で準備に時間をかけてきた甲斐があった。
 プレゼンテーションは定刻の14時からスタート、大阪府の鉱物概要に始まり、展示品の中から館長の思い出の標本数点を説明、更に館長のホームページでも紹介している大阪府の鉱物産地についてパワーポイントを用いて約1時間プレゼンを行った。昔であればスライドやOHPを使って説明したが、パワーポイントは流石に楽で使いやすい。約1時間のプレゼンテーションが終わった後は、実際に標本の前で説明を行い、質疑応答を行った。
 最後まで熱心に聴いて頂いた皆さん、色々お世話になった会館の主任研究員Ftさん、学芸員のNa嬢に心からお礼を申し上げたい。テレビ出演同様、一回やってしまうと癖になりそうで怖いなぁ。
 
帰りは河原町三条のクリスタルワールドさんを訪問した。
Y社長がいらっしゃったので久しぶりにお話が出来た。丁度、間近に迫った「池袋ショー」の準備で忙しそうであった。
今年の池袋ではブースを従来の2倍にするとの事でたいへん力が入っている。楽しみである。
先日、息子が学校の授業で出てきた「ストロマトライト」について質問してきたので、絶好のチャンスとばかりにサンプルを購入した。
帰って息子に実物を元に解説してやろう。きっとウザがられるやろうなぁ。でも、即、実物を手にとって見られるのは親がコレクターの子供の特権やでぇ。
 さて、京の冬といえばなんといっても「千枚漬」だ。
帰りに千枚漬とこれも京の名品「五建ういろう」を買って家路についた。

2006年12月3日(日)
但馬採修行と和田コレクション再び
 今日は益富地学会館の採修会である。恐らく本年の締めの採集となるであろう。今回は兵庫県朝来市生野銀山旧坑ズリでの採集、生野鉱物館での和田標本との久々の再会、新井鉱山での20年ぶりの採集と盛り沢山である。早朝、参加者総勢47名が京都駅に集合。館長も午前4時起床で参加した。
岡山巡検でもご一緒した京都のTkさんや滋賀のAsさん、永年の付き合いの大阪のTaさんや石友会のHさんなど顔見知りは数人いらっしゃったが初めて見る人も多い。初心者の方の参加も多いようだ。
 観光バスは定刻に京都駅を出発、中国道を一路、生野銀山方面へ向かう。今日は絶好の採集日和だ。雨男の館長にとっては久々の好天だ。バスは2時間程で生野町の「史蹟・生野銀山」の駐車場に到着した。
 ヘルメットを被ったり、ハンマーをぶら下げた一般の観光客と全く風体の異なる極めて怪しい一団は資料館や観光坑道のような観光施設には目もくれず一直線に旧坑が多く眠る山あいへ向かう。
 鉱山関係者の方に先導され、怪しい一団は広い旧坑のズリに到着した。兵庫の鉱山に詳しいAさんによるとここは「青草鉱床」の古いズリだそうだ。ズリで見られる鉱物は黄銅鉱、黄鉄鉱、閃亜鉛鉱、方鉛鉱、蛍石など基本的な鉱物が多い。あまり珍しい鉱物は無さそうだ。Tkさんは紅色のコバルト華を採集された。鉄重石を採集した人も居たようだ。館長はというと一番下の写真のような見事?な鉱脈標本を採集した。外側から黄鉄鉱→閃亜鉛鉱→黄銅鉱→蛍石とバンドを形成している。大きさといい形といい厚さといい、珍しい鉱物ではないが実に良い標本だと思っている。
 昼過ぎまでズリで採集し、その後、館長の今回の目的の一つ「生野鉱物館」へ向かう。生野鉱物館へは今回で4回目の見学となるが、良い標本は何回見ても飽きない。市之川の輝安鉱や乙女の日本式双晶、和田先生の愛したトパーズの素晴らしさは当然として、尾平鉱山産ピンク色の蛍石、高木勘兵衛翁が採集した伝説の金緑石、木浦鉱山の真紅のスピネル、藤屋の紫水晶、ペイチャンの塊金、日三市の巨大な三角銅、小尾八幡の燐灰石大結晶、石亭珍蔵二十一種、藤原寅勝氏のコレクション(特に中瀬鉱山の輝安鉱群晶は超垂涎モノ)など枚挙に暇が無い。良い眼の保養をさせてもらった。
 生野銀山での採修&見学を終えた後、近隣の新井(にい)鉱山跡へ向かう。この鉱山への館長の訪山は2回目で20年ぶりだ。各種の2次鉱物の産出で知られ、館長は前回の訪山時は緑鉛鉱を採集した。Tkさんからアルミ箔のような自然銀を採集した人がいるとの話を聞いて期待が高まる。当時の産地の記憶も殆ど無いのだが、現地を訪れてちょっとビックリした。バスを降りて平坦な道を少し歩くと、まばらな人家の中にズリがあった。まぁ、ここが鉱山のズリだと知らなかったら、どうみても宅地の工事現場であろう。たいへんユニークな産地だ。細かな二次鉱物が多く、ルーペが大活躍だ。館長は白色針状の鉱物を採集した。白鉛鉱かと思ったが、Ftさんによると硫酸鉛鉱かまたは白色の緑鉛鉱ではないかとのご意見であった。他にはレモンイエローの皮膜状の鉱物を採集した。これは恐らく緑鉛鉱であろう。残念ながら自然銀は採集出来なかった。
 初冬のこの時期、日が傾くのが早い。採修が終りバスに戻って再び中国道へ。途中でトイレ休憩があり、売店でお土産に、丹波の味、「黒豆」や「栃の実煎餅」を買った。館長は途中のサービスエリアで降車し、一足先に帰宅させてもらった。

1番目:特別の許可を頂いて生野鉱山旧坑のズリで採集。
2番目左:慶寿ひ露天掘り跡。自然銀を多産したそうだ。
2番目右:金香瀬坑跡に作られた観光坑道。金香瀬坑は多くの珍しい鉱物を産出した。
3番目:和田標本の展示されている生野鉱物館。
4番目:生野鉱物館の内部。
5番目:新井鉱山跡のズリ。間近に沢山の家があり、正に町内にある鉱山だ。意外な場所に鉱山があるものだ。
6番目(右):館長が今回、生野鉱山のズリで採集した鉱脈標本。珍しい鉱物は無いが、お気に入りだ。鉱脈が形成されていく様子が窺い知れる。

2006年11月28日(火)
久々の九州出張。さて、鉱物との出会いは・・・
 昨日から九州出張だ。雨が降り続いて本当に仕事がやりにくい。昨日は筑後から福岡市周辺のお客様を訪問したが、今日は北九州から京築地方である。午前中の仕事も終り、今夜東京へ向けて出発することになる新しく開港した新北九州空港へ立ち寄った。海上空港である。海の向う、門司方面に目をやると恒見の石灰石鉱山が見えた。一度は採集に訪れたいものだ。

2006年11月25日(土)
小室宝飾さんの即売会に参戦!果たして成果は?
 今日は前回惨敗した小室宝飾さんの日本産鉱物の即売会である。今回もお目当ての標本があるのだ。とりわけ欲しいのは宮田又鉱山の紫水晶群晶だ。黄銅鉱の上に雨塚山タイプの紫水晶が多数群生している好標本である。鉱山モノの本鉱としては透明度も高くかなりの上物のようだ。
 前回1時間前に行って、遅れをとったので今回は1時間半以上前に行ったが、やはり先客は何人も居た。我が従兄のFm君も遥々大阪から参戦だ。聞けば一番先頭の人は午前4時から、次の人は5時から並んでいるそうな・・・。その時間じゃ館長はまだ寝ているよ・・・こりゃ勝ち目は無いなぁ。
 そして10時にオープン。最初のポジショニングで勝負はほぼ決まる。始めに行った場所にはあの紫水晶は無い。ポジショニングの失敗だ。「ヤバイ!また負けた・・・」と思いながら、即座に別の場所へ移る。
あった!まだ買われていない。すぐにキープした。残念ながら紫水晶以降に狙っていたいくつかの標本は買えなかった。
プロ野球で言えばドラフト1位は指名出来たが、2位、3位、4位には振られた格好だ。
他には
小坂鉱山の巨大な黄銅鉱の単結晶を入手した。これも狙っていた標本だ。多少の欠けはあるが致命的ではない。
それと
豊羽鉱山の美しいバラの花弁状の白鉄鉱群晶を購入。白鉄鉱なので保存が難しいと思い多少躊躇したがたいへん綺麗なものなので買っておくこととした。それとティール鉱の母岩付きを買って本日は終了。
評価としては65点くらいかなぁ。まぁ、最大目的の宮田又鉱山の紫水晶を確保できたので最低限の仕事は出来た。
 帰りに思い通りの標本を入手して上機嫌のFm君にランチをご馳走になり”激動の”一日は終わった。

2006年11月23日(木・祝)
無名会採集会・ハンマーは動かず口ばっかり。コバンザメ採集の一日でした。
 今回の目的地は福島県の長久木だ。長久木は塙(はなわ)という産地名でも知られるスカルンの産地である。有名産地だけに以前から見ておきたかった産地である。集合場所の秋葉原には一番乗りのようだ。まだ辺りは暗い。暫くして、HさんやYさん、Tyさん、Tさん、Tkさん、Hkさんなど無名会のメンバーが続々来られた。
 今回は神奈川県博の櫻井鉱物標本観察会のメンバーも参加され初めてお顔を拝見する方もチラホラ。恒例の櫻井家からの差し入れ(バナナと煎餅)を頂き、バスは定刻に出発。途中2ヶ所で休憩を取りながら、目的地近くに到着した。採集ポイントは道路のスグ近くで「クルマ横付け」に近い。産地はズリの斜面のような所で、まず表面採集した後、ズリを掘り返す訳であるが、ズリの上部に露頭を掘り込んだ部分があり、人が入れるくらいの坑道みたいな感じになっている。よくここまで掘ったものだ。ここでの産出鉱物は
緑簾石ザクロ石灰重石と割合単純である。元々珪石を掘った山だそうである。ザクロ石も研磨剤として掘られたようだ。
 20人程の参加者がズリのあっちこっちで掘り始め、歓声が聞こえ出した。館長はウッカリ「熊手」を忘れてしまったので、たいへん能率が悪い。そう云えば、以前の国立科博の観察会でもルーペを忘れ慌てふためいた。どうも最近このような「ポカミス」が多い。
 今日は知り合いが多いせいか喋ってばかりだ。口ばかり動いて手が動かない。
案内人のベテランコレクターSyさんがズリを掘りかえしてくれて、それをこっちが頂く感じで、まさに「コバンザメ採集法」だ。
結局、やや大きめザクロ石結晶や灰重石の付いたザクロ石の大きな塊や余り綺麗でない緑簾石の結晶集合体など採集したが、皆さんの歓声とは裏腹に成果はイマイチである。まぁその分、存分に喋ったからいいか。
 帰りのバスの中では恒例の宴が始まった。次々、ツマミが廻ってきて、無くなるまで廻り続けるようだ。
酒に余り強くない館長は缶ビール1本飲んでお休みモードに入った。眼が覚めたら、もう上野であった。
渋滞にもあわず予定よりだいぶ早く秋葉原に着いた。石友との語らいもあり、また幸い天候に恵まれた楽しい一日であった。

2006年11月19日(土)
無名会例会に出席
 今日は無名会の例会である。加藤昭先生のご講演があった。テーマは「鉱物の化学式をどう読むか」。館長は化学式がイマイチ苦手なので、化学式からどのような成分が含まれているかという程度の情報しか得ていないが、読み方によってその鉱物の出来方や他の鉱物との関係など色々なストーリーが読めるのだ。鉱物趣味には化学の知識は不可欠やなぁ。奥が深い。
もっと勉強しよう。
 そして今回の標本会のテーマは「孔雀石」だ。館長は今回、標本会に初出品した。一つは九州の先輩コレクターから頂いた昔の呼野のもの。大きめの母岩に放射状の結晶が美しい。九州に居られた事のある館長と同じ福岡石の会の会員でもあるTyさんからは呼野に採集に行かれた時の苦労話をお聞きした。かなり採集に勇気の要る場所のようだ。もう一つはブック型標本コレクションからピックアップした阿仁鉱山の孔雀石だ。
加藤昭先生のご講演
「鉱物の化学式をどう読むか」
 Hkさんからは孔雀石に関連した多くの文献・図書の紹介があった。
特に昔、櫻井標本の展示会が行なわれた時のパンフレットを見せて頂いた。
表紙にはかの有名な荒川鉱山産鉱物(孔雀石、自然銅、毛赤銅鉱、三角銅)によって出来た松竹梅の絵が使われていた。
残念ながらモノクロであったが、実物はカラfyルでさぞ素晴らしいものであろう。是非実物を拝見したいものだ。
因みにこのパンフレットを執筆されたのは加藤先生との事であった。
他にはフランスの孔雀石の鍾乳石の写真には度肝を抜かれた。恒例の標本頒布はシャモス石など18点程の提供があった。

2006年11月12日(日)
伊豆半島へ鉱物の観察。秋晴れだが前日の雨がうらめしい。
 神奈川県立生命の星・地球博物館の観察会に参加した。
今回は伊豆半島の火山岩(玄武岩、安山岩、流紋岩)中の色々な鉱物を観察するのであるが、鉱物ファンにとって興味深いのはマンガン鉱物であるランシー鉱と岩塩だ。特に後者は海水から生成するものであり、晴天が続かないと採れない厄介なモノだ。本邦では稀産鉱物なのだ。管理人は北海道上国鉱山の坑内泉から生成したものは持っているが、海水から生成したものは無いので。是非コレクションに加えたいところだ。
 従って一週間前位から天気予報が気になりだした。前日11日に「曇り」マークが・・・。なんとか「曇り」で持ちこたえてほしいと願ったが、遂に直前には「雨」マークとなって、実際に11日は強い雨となった。そして打って変わって今日12日は素晴らしい秋晴れとなったが、昨日の雨で、どうもイマイチ気が晴れない。「岩塩は幻かぁ・・・」
 小田急とJRを乗り継いで約2時間かけて、集合場所の伊東線・宇佐美駅に着いた。顔見知りの無名会のTさんやNさんのお顔もみえる。博物館の観察会ということで、採集会のような鉱物マニアは少なく、初心者や子供連れの方も沢山居られた。
 加藤昭先生の先導で宇佐美港近くの海岸へ向かう。天気も良いので景色も抜群である。釣りやダイビングに来ている人も多いようだ。
 現場の海岸には玄武岩と安山岩の礫が沢山あり、その中の鉱物を観察するのである。ここの玄武岩は白っぽく、玄武岩は黒いというイメージとだいぶ違う。玄武岩中で一番目に付く鉱物はは
灰長石の自形結晶である。加藤先生によると最大3pのものがあるそうだが、1p程度のものが多い。他には玄武岩の石基中の苦土橄欖石、六角板状の鱗珪石、安山岩中の輝石など採集出来た。
 Nさんが海岸の先にある露頭から
ランシー鉱を採集して来られ、皆に配られた。満潮近くなり大急ぎで採集されたとの事。有り難く1個頂戴した。岩石の表面に黒い泥を筆でサッと塗った感じでお世辞にも綺麗と言えないが、本邦では産地が限られる貴重な鉱物だ。
やはり
岩塩は無かったようだ。ちょっと東京からは遠いが天気をみながら再挑戦してみたいね。
 
上から写真1枚目:大崎の産地。遠くに見えるのは「初島」。 2枚目 大崎での採集風景。 3・4枚目 上多賀の産地と採集風景。岩が大きくて動きにくい産地だ。
大崎での1時間程の観察を終え、再び宇佐美駅に戻って次は伊豆多賀駅で下車、上多賀へ向かう。駅から急坂を下りて海岸へ向かう。帰りは重い荷物を抱えて逆に登らなければならない。いつもと逆のパターンだ。ちょっと頭がイタイな。
 この上多賀の目的物は
鉄橄欖石だ。ここの標本は昔、某標本店で買ったものを持っているが、どんな所で出たのか是非見ておきたい。上多賀の産地も大崎同様、海岸ではあるが、先程の大崎に比べると転石が圧倒的に大きく正に岩塊の中での採集である。浮石もあって用心しながらの採集である。ここの岩石は殆ど流紋岩で空隙がたいへん多い。その中に「黒ゴマ」のような細かい鉄橄欖石の結晶が散在している。ライフン石に変化しているのもあるそうだが、肉眼での区別は出来ない。結構良い鉄橄欖石の標本が採集出来た。空隙が詰まったような球顆流紋岩も見られ、こちらはクリストバル石だ。比較的大きなクリストバル石も見られる。決して堅い岩石ではないが、とにかく岩が大きいので容易に取り出せない。14時過ぎに採集を終え、現地解散となり家路についた。

2006年11月4日(土)
益富地学会館 アマチュア展示「大阪府の鉱物」
 10月から行なわれている益富地学会館のアマチュア展示「大阪府の鉱物」を見に行った。・・・と言っても私のコレクション展示なのである。綺麗にディスプレイされており、館長の地味なコレクションが数十倍よく見える。隣では田上山のトパーズや水晶が展示されており、皆さんの関心はそっちに向かうようで、どうもこっちは分が悪い。私のコレクションは色彩も暗く、綺麗な結晶も少なく、かなりマニアックな産地の標本だけに関心もイマイチのようである。しかし、地味ではあるが、殆どが絶産という標本が多いので、是非ご覧頂きたい。
 12月には今回の展示に因んだ館長のプレゼンテーションが行なわれる予定である。(予定といっても確定なのだが)これからプレゼン資料の作成に忙殺されそうである。会社のプレゼンは結構経験しているのだが、鉱物のプレゼンは初めてなのでどうなりますことやら・・・。それよりも来てくれる人がいるのかが大いに心配である。
 3Fの展示室で標本を見た後、2Fの図書室へ向かう。図書室で大阪府の鉱物関連の資料を閲覧し、会館を後にした。

2006年11月3日(金)
今日は「文化の日」、文化祭に立ち寄った。
 息子がかつて通っていた中学校の文化祭に立ち寄った。
息子の在学中、文化祭を見に行った時、校舎の廊下に標本箱が重ねて置かれているのが眼に入った。中を拝見すると岩石や鉱物の標本で、ラベルには見慣れた字が・・・。大阪鉱物界の重鎮、故眞鍋鶴松先生のラベルであった。昔は学校が標本店のお得意先で眞鍋鉱物研究所で製作された組標本も多くの学校に多数納品された筈だ。
 そう云えば館長の卒業した大阪の中学にも結構充実した鉱物岩石標本があって、館長が整理を手伝ったこともあった。あの時、先生から標本整理のご褒美にもらった余剰標本の一部が未だ館長のコレクションに納まっているほどであった。あの標本はどうなったのかなぁ・・・活用されているのならいいのだが・・・。最近は学校でもあまり鉱物を教えないそうなので実に寂しいね。鉱物は私達の生活に欠かす事のできないスゴク重要なものなんだけどね。
 ところで、その眞鍋先生の組標本を見たのはその時だけだ。やはり今回もその標本は無かった。理科室に収納されてしまったのだろうか。その代わりといっては何だが、理科室前に展示ケースがあって、理科に関連した生物とか、いろんな種類の標本が展示してあった。僅かだが鉱物や化石があった。その中で興味深かったのはドイツのゼンケンベルグ自然史博物館と書かれた標本があったことだ。館長もゼンケンベルグ自然史博物館の旧蔵品を所有しているが、どのような経路でこの中学校にあるのだろうか?機会があれば理科の先生に標本の由縁を聞いてみたいと思う。
※ゼンケンベルグ自然史博物館・・・鉱物コレクターとしても著名な文豪・ゲーテの提唱により出来たというドイツ最大規模の自然史博物館。

2006年10月23日(月)
新鉱物・上田石
 帰宅すると「国立科学博物館ニュース」が届いていた。鉱物関連は無いかいな・・・と眺めていると、あった。新鉱物・上田石のニュースであった。小豆島の花崗岩中から見つかった新鉱物で褐簾石のCaをMnで置換したものに相当するそうだ。上田石という名称は1955年世界で初めて褐簾石の結晶構造を明らかにした京都大学の故上田健夫博士に因むとの事。

2006年10月22日(日)
鉱物標本観察会に参加した。懐かしい標本との再会もあり・・・
 神奈川県立生命の星・地球博物館(神奈川県博)で行なわれた櫻井鉱物標本観察会に参加した。館長は以前の櫻井標本の観察会には参加していなかったので今日が初参加である。
 今回から横浜市青少年センターから神奈川県博へ移管された標本の観察会であり約500点のうち、約100点が対象になる。館長にとって興味深いのが、それらの標本の供給元が関西出身の館長にも馴染みの深い京都のニチカ(日本地科学社)であったという事である。昭和30年代に納入された標本だけに絶産品のオンパレードであろう。期待が高まる。
 さて、会場に入ると既に観察用の標本が用意されていた。いずれもスモールキャビネットからキャビネットサイズのやや大きめの標本が多い。加藤先生の執筆された詳しい資料を基に夫々の標本を各自で観察し、写真を撮ったり、加藤先生に質問するという流れである。

 特に館長が興味をもった標本を挙げると・・・
 ・大屋鉱山の
針ニッケル鉱(2〜3p程の母岩表面の一面に針状結晶が生成している。ルーペ不要。こんな標本を見たのは初めてだ。館長が選ぶ今回のイチオシ標本だ。) ・縄地鉱山産自然金(母岩は2p程だがルーペサイズの金が沢山付いていた。そういえば昔、ニチカに縄地の金があったなぁ。) ・金岩鉱山の硫カドミウム鉱(如何にも関西の標本屋さんらしいマニアックな選択だ。関西の鉱物マニアでも知る人は少ないだろうね。)
・五十島鉱山産
蛍石(淡紫色立方体の大きい結晶はgood!。) ・奈良県逢坂産金紅石(いわゆる二上山の『ニグリン』(含鉄ルチル)だ。管ビンサイズだが、本産地のニグリンとしては大きくて立派な標本である。大阪府側でも見つけたいものだ。)
 ・佛性寺鉱山産
輝水鉛鉱(鉱脈の両盤に晶出した独特の産状。名産地・平瀬鉱山ではなく佛性寺鉱山を選んだのは京都の標本屋さんならではの選択だ。) ・銭原産チタン鉄鉱(今回唯一の大阪府の鉱物。流石『櫻井鉱物標本』に選ばれた全国区の銭原産だ。) ・大乗鉱山産 針銀鉱(縞模様も鮮やかな大型の見事な銀黒だ。しかもアフライトが付いている。) ・斑銅鉱(キースラガー鉱床中の立派な塊。こんなんも出たんですなぁ。) 
 また、観察に伴って加藤先生にこれらの鉱物に纏わる、普段疑問に思っていることを色々ご教示頂く事が出来た。
写真 上から
1枚目:鉱物標本の観察中。中央の青いケースに標本が入っている。
2枚目:ケースに入った標本。ここから各自が夫々手元へ持ち出して自由に観察する。
3枚目:館長イチオシの針ニッケル鉱。表面の黒っぽい所は全て本鉱の針状結晶だ。ルーペで見たら金色の芝生のようだった。
4枚目:神奈川県博の鉱物展示。見易く展示されている。
5枚目:Hyコレクションの尾平鉱山産硫砒鉄鉱。Hyコレクションの中でもバラ輝石と並ぶ逸品であろう。
 そして今回のもう一つの楽しみが神奈川県博の鉱物標本の見学である。20年近く前に館長と交流のあった神奈川のHy氏のコレクションが当館へ渡ったものである。館長が一流のコレクションに出会ったのは日本三大コレクションを除けば、南部標本とHy標本である。この二つのコレクションを見たが故、他人がスゴイというどんな標本を見ても大して驚かなくなったといっても過言ではない。特に館長がショックを受けた黒平のトパーズとアクアマリン、尾去沢の菱マンガン鉱、横根山のバラ輝石、平瀬の輝水鉛鉱に久々に再会した。話だけ聞いていた尾平の硫砒鉄鉱は噂通りの逸品だ。
 Hy氏の元からは館長にも標本が多数来ている。いずれもグレード的には県博のものよりかなり落ちるものの、個人所有としては一級品と自認している。

2006年10月15日(日)
トパーズ勘兵衛&長島先生の「ブック型標本」
 金石舎標本部のブック型標本が手に入った。金石舎のものは輸出用のOEM版はもっていたが、かなり時代が浅そうだったし、OEM版なので「金石舎」の名前が無かった。
 今回入手したのは金石舎の名前が入っており、「生徒用鑛物界標本」として神保小虎先生の「普通教育鑛物界教科書」適用と記されている。当該教科書は明治35年に初版が発行されているので、この標本も凡そ、その時代のものであろう。
標本箱の外観は書物の様になっており、正しく「ブック型標本」という名前が相応しい。
 店主の高木勘兵衛翁は岐阜県中津川市出身者で「トパーズ勘兵衛」と称されただけに流石にトパーズが良かった。「川ズレ」しているがC軸方向にやや長く、姿がなかなか良い。
 金石舎と言えば高木勘兵衛翁とともに長島乙吉先生の存在は忘れることが出来ない。長島先生は1899年(明治32年)から金石舎に勤め1913年(大正2年)に独立されているので、明治35年といえば在職中であろう。長島先生がブック型標本を考案したとされているのでこの標本も長島先生の手によるものであろうか。

2006年10月14日(土)
鉱物同志会・観察会 小浅間山にて菫青石を”霧(夢)”中で探す
 昔から欲しかった鉱物の一つに「セラミサイト中の菫青石」があった。セラミサイト(ブッカイト)という瀬戸物のような白い岩石の中に紫色の菫青石が点々と入っているということでそのコントラストが如何にも美しそうで大いに興味をそそられた。「菫青石」とはこの石の為にある言葉だろう。草下英明氏の「鉱物採集フィールドガイド」にも載っているのでご存知の方も多いと思う。
 この菫青石はその後、ネットオークションで入手したが標本サイズが余りにも小さい。もっと大きなものが欲しいと思っていたことと、一度は産地を見ておきたいということ、そして雄大な浅間山も見たいなぁ・・・という事で参加することとした。
 さて、当日の天気予報は「晴れ」、絶好の採集日和になりそうだ。集合場所の目白駅前から堀会長はじめ総勢46名の参加者を乗せたバスは練馬を経て関越道から一路、軽井沢町へ。バスの中では幹事の方や堀会長から浅間山の地質、産出場所や産出鉱物の解説、標本の回覧が行なわれた。
 ところが途中から予報に反して、天気がドンドン悪くなっていく。遂には小雨まで降り出した。やっぱり「雨男」健在かぁ・・・。
”峰の茶屋”の小浅間山登山口に着いた時は雨はやんでいたものの霧で視界が極めて悪い。30分程登った後、採集ポイント近くで幹事のNkさんから採集上の注意点の説明があったが、もし、晴れていたらたいへん景色が良いこと、こんな天気は初めてだ・・・とのお話があった。
 確かに視界は悪く、登山道から外れると自分の位置が判らなくなる可能性がある。従って、病的なほど「超方向オンチ」の館長は安全策をとり、登山道が常に見える位置で且つ、他の参加者が常に視界に入る位置でおとなしく「石拾い」をすることとした。
産地では大きな岩塊は少なく、小石程度の火山礫や火山灰が多い。黒っぽいのは安山岩、白っぽいのは軽石だ。セラミサイトはそのような礫の中にあるのだが、これがなかなか見つからない。あっても表面が汚れているのでちょっと見ただけでは見分けがつかない。それでも昼食をはさんでの2時間程の採集で菫青石を含む指の爪大の小片を5個程採集出来た。また、菫青石をあまり含まないものの子供の握り拳大のセラミサイトを採集出来た。案内の方によると大きなセラミサイトにはあまり菫青石は含まれず、小さなもの程多くまた菫青石もキレイとの事。これでなぜ、菫青石の標本が小さいか納得出来た気がする。あのオークションの菫青石は決して小さくなかったわけだ。大事にしよう。
 また、このセラミサイト中にはムル石が含まれているそうだ。
但し、X線でピークが認められてもムル石だけを分離できないそうで、非肉眼的鉱物によく用いられる「ラベルへの信仰心」の世界である。昔は「矢印の標本」なんて揶揄したものだが、近頃の新産鉱物は矢印も打てない。他には大隈石も見つかっているらしいが館長には無理だ。
 あっと云う間に集合時間となり、予定通り全員無事に下山し、再びバスに乗り帰途につく。
途中、横川サービスエリアでトイレ休憩。そーだ!”横川”といえば何といっても「峠の釜飯」だ。これを買わずして今回の観察会は終わらない。晩メシにはまだ少し早いので土産に買ってかえることとした。
 帰途、独特の山容を現す「妙義山」に感動したりで、都内で渋滞に巻き込まれ、少し遅くなったが無事帰宅、10月2回目の採集は完了した。
 帰宅してから採集品をチェックした。黒っぽい石の中に白い石(セラミサイトと思っていた)が入ったものを面白そうだと拾っていた。大きなセラミサイトを拾ったので現地で捨てようかと思ったが、白い石の中に微細な黒い鉱物が入っており、念の為持ち帰った。実は黒い石は大量の菫青石を含んでいたのだ。大きさも約5cmあり大満足。捨てなくてよかった・・・。上から
1枚目:”峰の茶屋”で。いよいよこれから山登りだ。
2枚目:霧の中での採集。
3枚目:記念写真を撮ったが、背景はおろか顔もよく判らない。
4枚目:かろうじて見えた小浅間山。晴れてたら綺麗なんだろうな。
5枚目:今日の観察会の締めはやはり「峠の釜飯」だ。容器は「益子焼」だ。


2006年10月7日(土)〜10月8日(日)
秋の恒例!石ふしぎ大発見展・京都ショー
 東京から乗った夜行の高速バスはほぼ定刻に京都駅に着いた。昨晩、東京を出る時はかなりの雨であった。京都も東京ほどではないが時折、小雨が降ってくる。やっぱり、雨男やなぁ。
 さて、会場の「みやこメッセ」に着くと既に相当長い行列が出来ていた。並ぶのも面倒なので、座って開場を待つ。並んでいた人々の入場が終わってからゆっくりと会場へ入る。
 まず、挨拶がてら眞鍋鉱物研究所と隣の福岡石の会のブースへ向かう。福岡石の会のブースには会員有志ご提供の九州産を中心とした鉱物がズラリと並んでいる。山口県産のデカイ方解石群晶や尾平の斧石、戸根のホランド鉱など多数の標本が所狭しとならんでいる。眞鍋鉱物研究所のブースには我が大阪鉱物研究会のThご意見番、福岡石の会ブースには紅二点のOy嬢とAt嬢、そして事務局長のHkさんがスタンバイ。皆さんと久々の挨拶を交わす。その時、Thご意見番から「Mhさんの所にスゴイのんがあるでー!」という耳寄り情報。
「なんやろ?スゴイのんて・・・」と思いながらMhさんのブースに急ぐ。経験豊富なThさんの言葉だけに説得力がある。
そしてそこにあったものは・・・。一目みて土呂久鉱山のものと判る「
斧石」だった。「デ、デカイ・・・」。大きさは10pはありそうだ。(後で計ったら10.5pあった)ちょっとアタマに欠けはあるものの(これだけデカイと多少の欠けは止む無し)、テリもまぁまぁ・・・。値段を聞くと、確かにイイ値段だ。頭の中でソロバンの音がする。出した答えは「ペンディング」であった。私の持っているモノより格段に立派だが、どうしても決断が出来ない。
 考え込みながら、その次に小室宝飾さんのブースへ向かう。東北地方の見事な金属鉱物と共に、エッと思うものがあった。比較的母岩の大きな「
神岡鉱」だ。分離品しか持っていなかったので1個購入した。それと小坂鉱山内の岱の重晶石群晶があったが、珍しいことに空隙に硫砒銅鉱やルソン銅鉱結晶を伴っているのだ。当然これも購入。その後、会場を廻りながら九州の鉱物に詳しい人達から例の土呂久の斧石の情報を収集する。
 さて、今年は出展業者が増えた事もあって、第二会場が出来た。人気の益富地学会館のアマチュアコーナーや特別展示は第二会場で行なわれた。ちょっと遅めに会場へ入ったが、アマチュアコーナーはたいへんな盛況である。人だかりでなかなかジックリと見ることが出来ない。木浦鉱山の割とキレイな
スコロド石があったので購入した。淡色でブルーに近いし、結晶面もよく見える。
 この日も多くの同好の方々と久々にお会い出来た。まず、従兄のFm君。最近よく会うなぁ。大阪石友会のKhさん、Wyさん、Ftさんらの面々。無名会でお世話になっているTyさんやTKさん、大阪鉱物研究会のOm研究員、トップコレクターのYsさんやTkさん、Imさん、Ihさん、Ik嬢、滋賀県のAsさんなど沢山の方々とお会いできた。
 初日はヨメさんとデート?の約束があったので未練を残しながらも早々に会場を後にした。我が夫婦も今年は銀婚式を迎えたのである。この素晴らしい道楽を黙認してくれた妻に一応感謝。
 翌日はもう一回、例の斧石を拝みにいった。「あっ、まだあるわ!」。売れていなかった。これもこの斧石と館長の縁かもしれない。Hmさんによると興味を示す人もいるようだが値段が値段だけになかなか購入までには至らないようだ。
 熟慮の結果、その日のショー終了直前に、またまた清水の舞台から飛び降りてしまった。もう何回飛び降りたかなぁ。フトコロは空っぽになったが、まぁ久々にえー買い物かな。
 二日目も多くの同好の方々とお会い出来た。大阪時代からの古い付き合いの大阪の同好Taさん、大阪石友会のMtさん、京都の超ベテランKsさん、鉱物同人誌編集長のTmさん等々。年々お知り合いが増えていくのは鉱物コレクションが増えていく以上に嬉しい。
 さて、今回の特別展示の一つは館長も興味のある「雲根志」であった。雲根志の現物や雲根志に記載された石の展示などなかなか興味深い内容であった。それと益富地学会館の藤原さんから10月中旬から始まるアマチュア展示「大阪府の鉱物」のプレゼンを、というご依頼があった。12月の予定であるが、これからプレゼンの資料を作らねば・・・

2006年10月4日(水)
仕事で鉱物を見る
 先月のM社に引き続き、今日も鉱山関係のお客様である。埼玉県A市にあるMK社だ。総合研究所のロビーには陳列ケースがあり、同社の主力鉱山であった神岡鉱山の鉱石や関連する外国の鉱山の鉱石があった。魚眼石の群晶や閃亜鉛鉱の結晶、串木野鉱山の銀鉱物を期待したが、神岡鉱山の白地鉱や杢地鉱、北海道の鉱山(名前を忘れた)の大きな鉛・亜鉛鉱(結晶は認められず)などの鉱石であった。また、陳列ケースには愛媛県市之川鉱山の20p(目測)程の輝安鉱結晶が展示されていた。

2006年9月30日(土)〜10月1日(日)
初秋の蔵王に火山起源の鉱物を求めて(国立科学博物館・鉱物観察会)
 9月30日(土)観察会初日 朝、眼が覚めると雨が降っていない!やったー、天は味方してくれそうだ。
 仙台駅の待合せ場所へ行くと、既に先客が数名居られた。バスに乗り込むと無名会や同志会で見かける方が3〜4名程居られたが、あとは初めて見る方ばかり。(お見かけしているかもしれないが覚えていない場合もあります)。聞くと科博の観察会常連の方が多いようである。なんとこの一泊の観察会の初参加者は館長だけのようだ。いつもの鉱物マニアの採集会とは違う世界のようだ。
 総勢26名(だったかな?23名+松原・宮脇両先生+館長と同郷のSトラベルの添乗員のIさん)を乗せた観光バスは一路、最初の観察地である宮城県の安達へ向かう。ここの菫青石はマニアには有名で館長も参考品程度のものは持っているが、かねてから是非産地を見ておきたいとの希望があった。その希望が漸くかなったわけである。安達では軽石を採石しているが、その中に捕獲岩的に存在するトナール岩から菫青石などを産するのだ。また、共出するカミントン閃石も立派なものだ。
 最初訪れた採掘場は小規模でなかなかトナール岩が見つからない。ここでは館長は殆どボウズであった。次に行った採掘場は現在も稼動中でたいへん広い。トナール岩も割と多く見られ、参考品程度の菫青石であれば結構見つかる。無名会のNさんは菫青石の良品をゲットされた。館長も終り間際にズリ中に結構大きなトナール岩塊を見つけた。殆ど石英粒よりなる塊でたいへん脆い。大いに期待を持たせたものの、ちょっと大きめの菫青石はあったが、結晶がルーズでハッキリせずイマイチだ。
この日の鉱物観察はここまで。バスは本日の宿、蔵王温泉へと向かう。ホテルに着き、早速一風呂浴びる。蔵王温泉はかなりPHが低い酸性泉で色が青みを帯びて別府温泉の「海地獄」を思わせる。それにしても温泉は久しぶりである。露天風呂もあって実に気持ちがいいなぁ。夕食もかなりボリュームがあり大いに結構であった。夕食会場から場所を移しての石談義と凡そいつものパターンだが、ベテラン鉱物マニア(コレクター)が少ないためかどうも勝手が少々違う。松原・宮脇両先生のお話を聞きながら夜は更けていく。
 10月1日(日)観察会最終日 翌日も天気に恵まれた。今日は刈田岳(1758m)登山道脇での輝石採集である。ここの輝石は分離品であるが、ちょっと違うのは輝石そのものが火山の噴出物という点である。いわば三宅島の結晶火山弾(灰長石)の輝石版といった所だ。ここでは松原先生が3cmのものを採集されたとのことで、そこまでは無理としても2cmくらいのものはゲットしたい。1時間程地面に這いつくばって探したが1pくらいのものがやっとであった。とりあえず、丸箱一杯分は採集出来た。質より量だ・・・と自分を慰める。
 採集後は山登りである。山登りと言っても登山道が整備されており快適だ。刈田岳の頂上まで景色を眺めながら登って行く。この山登りのハイライトは「お釜」と言われる火口湖であるが、ガスが濃く残念ながら見えなかった。刈田岳山頂は神社があったり大きな売店があったり、人もたいへん多く1758mの山頂と思えない。
 山頂近くの露頭のある駐車場から再びバスに乗り込み最後の観察地である酢川(すかわ)の石膏産地へ向かう。酢川はその名の通り強酸性の川で魚が住まないそうだ。その流域の一部に変質作用を受け粘土化した場所があり、露頭から石膏の比較的大きな結晶を産する。最長7cmに及ぶものが出たそうだ。石膏を産する露頭は多くの?採集者によってちょっとした坑道掘りになっている。まぁ、一種の「ひ押し坑道」だ。採集はその露頭を掘った残土からの採集となった。粘土や土の表面にキラッとした結晶を探すのである。結局最大径3cm程度のものが1,2個採れただけであるが、産状が観察出来たのは収穫であった。観察が一通り終り、バスは解散地点の「かみのやま温泉駅」に到着、解散となった。
 今回の採集行では驚く程の標本は採れなかったが、火山起源の鉱物のいろいろな産状を観察出来たのは成果であった。次回の観察会が楽しみである。

写真の説明(一番上から)
安達の福原商会採掘現場の軽石露頭前で松原先生の説明を聴く。
安達の阿光工業採掘現場での観察風景。菫青石やカミントン閃石を含むトナール岩が多く見られた。とにかく広い。
・大黒天での輝石(結晶火山弾)の採集。なかなか大きなものが見つからない。
刈田岳登山道からの眺め。一瞬のガスの晴れ間から火山地帯の風景が見られた。残念ながら「お釜」は見られなかった。
刈田岳の頂上。
刈田岳駐車場の露頭。
酢川の石膏を含む粘土の露頭。
館長と同郷の添乗員Iさん。鉱物採集ツアーでは史上最強?の添乗員さんだと思う。二日間お疲れ様でした。

2006年9月29日(金)
仙台へ行く前に「国際ミネラルアート&ジェム展」を見学。
 さぁ、明日からいよいよ科博の鉱物観察会だ。念には念を入れて一日前に仙台へ入ることとした。とは言え予算にも限りがあるので、高速バスと4,500円のホテルという緊縮型である。
 昼から休みをもらったが、折角新宿まで行くのであるからスペースセブンで開催されている「国際ミネラルアート&ジェム展「をちょこっと見学することとした。
 流石に日本産鉱物は皆無である。顔なじみのタケダ鉱物標本さんと鉱物科学研究所さん、クリスタルワールドにちょっと挨拶して足早に新宿南口のバスセンターへ向かう。政宗号といういかにも仙台行きに相応しい名前のバスは東北道を一路仙台へ向かう。流石にウィークデーの昼間に移動する人は少ないようで空席が目立ったが、コッチとしては2席分を占有でき快適であった。仙台に近づくにつれて雨が降り出し更に強くなってきた。「ヤバイ!また雨男の本領発揮や!」。そういえば以前の仙台出張も雨やったなぁ。不安・・・。
 仙台に着いて「牛たん」を食べようと思ったが、着いた時間が遅く店はどこも「準備中」だ。止む無くカネも無いので立ち食いソバで我慢した。

2006年9月23日(土)
いよいよ来週は採集だ!科博の観察会説明会+骨董祭り
 9月30日〜10月1日の国立科学博物館(科博)の鉱物観察会に参加することとした。宮城県から山形県へ抜ける東北巡検である。東北地方へは全て仕事で行っているのでプライベートは初めてだ。そして、今日は新宿分館で事前の説明会である。しかし、折角、都内に出るのであるから勿体無いので、まず、東京・平和島で行なわれている「全国古民具骨董祭り」を見学することとした。アンティークや骨董は好きだが収集しないので見るだけ。鉱山モノやブック型標本が有れば、と探すが特に無し。「石」といえば菊花石や古谷石など水石は何点かあった。
 2時間程「骨董祭り」を見学した後、新大久保駅から科博分館へ。結構参加人数は多いようだ。松原先生による説明が始まった。説明によると今回の訪問地は鉱物マニアには御馴染みの安達のトナール岩中の鉱物と蔵王の火山噴出物、酢川の変質帯の鉱物である。従って、今回のテーマは火山活動に関連した鉱物である。標本が回覧されたが、特に菫青石とカミントン閃石が立派であるが、後者はかなりの大きさのものも見つかっているそうだ。石膏や輝石も美しさはともかく結構大きい。レポートは後日、鉱物日記でご報告したい。お楽しみに・・・。

2006年9月17日(日)
みたび、「石の花」 in 益富地学会館
京都のベテランコレクターOaさんによるコレクションの即売会「石の花」も今回で3回目である。これは単なる即売会ではなくOaさんから採集した時のエピソードを伺ったり、標本の見方を教わるなど鉱物の勉強の場でもある。
 今回の館長のお目当ては大阪府坂口鉱山の
フェルグソン石である。
坂口鉱山は大阪府と奈良県の府県境付近にあった珪長石の鉱山で塊状のペグマタイトから種々の稀元素鉱物を産した。館長が小学生の頃、大阪府の鉱物産地として行った初めての地であり、当時はまだ稼行中で白い長石と黒い雲母のコントラストが眩しかったのを覚えている。
放射能鉱物は本来集めない方針であるが、大阪府産だけ特例である。
米粒程の小さなものだが結晶がなかなかしっかりしている。
放射能が強いそうで閃ウラン鉱のインクルージョンであろうとの事であった。会場には館長の師匠格ともいえる京都のYsさんも来られた。
YsさんやOaさんから昔の坂口鉱山の話をいろいろお聞きできた。
福島県水晶山の盛んな時期の話、人形峠鉱山に入坑された時の話など40年以上前の今では信じられない古き佳き時代の話しなど伺うことが出来た。
 さて、本日の成果であるが、三重県紀州鉱山の車骨鉱の母岩の大きめのものや亀山盛鉱山のプランヘ石、崎浜のリチア電気石(緑色種だが、色が濃すぎて光を通さず鉄電気石みたい)を入手した。その後、京都のベテランコレクター陣ImさんやIhさんが来られ石の話に花が咲いた。
 帰りに新京極のクリスタルワールドさんへ寄って日本産鉱物を物色した。運良く大阪府豊能郡草原産の桃簾石(斜灰簾石)を見つけ購入した。お土産は定番の林万昌堂の「あまぐり」と京で一番古いといわれる西尾の「生八つ橋」である。今日は大型台風13号が接近しており天候に不安はあったが、なんとか帰りまで持ってくれた。

2006年9月15日(金)
人間ドックの帰りに眞鍋鉱物研究所へ立ち寄る
 人間ドック受診の為、帰省した。ずっと大阪のY病院で受診してきたので関東在住の今も受診の度に関西へ帰ってくるのだ。人間ドックが終わった後、折角来たのであるから近くにある眞鍋鉱物研究所を久しぶりに訪れた。運良く眞鍋鶴松氏のご長男が居られたのでしばし歓談した。眞鍋さん宅は館長が中学生の頃と殆ど変わらず、今は作業場として使われているが、昔は大阪石友会の活動拠点であり大阪の鉱物ファンなら一度は訪れた大阪鉱物趣味の原点といえる場所だ。暫し、昔にタイムスリップしたみたいだ。
 眞鍋さん宅から最寄り駅までの途中に古書店があり、冷やかし半分で覗いてみると、久野久先生の火山岩の本があり、300円と安かったので購入した。岩石はたいへん弱いのでちょっと勉強してみようと思う。

2006年9月13日(水)
仕事も楽し!意外な展開にサプライズ!
 一見、鉱山と全く関りの無いような私の仕事上で、稀に鉱山関係の方と接点を持つこともある。例えば私のお客様でもあった北九州のNj社のMsさんは鉱物趣味の世界では著名な方で、営業マンと顧客という立場で名刺交換を行なった後、同好という事が判ってお互いビックリした思い出がある。勿論、今でもお付き合い願っており、大先輩としてご指導頂いている。また、旧坑のズリで初めてお会いした方と仕事上のお付き合いが始まったこともあるから判らないものだ。同好として名刺交換したらお客様(ご担当という訳ではない)だったというのはそんなに珍しくない。
 さて、今日は埼玉県にあるMM社の研究所へ仕事で訪問した。何度も申し上げるが純粋に仕事である。建物は古き佳き時代を感じさせるたいへん立派なものである。いやがおうにも期待が高まる。建物の中に入ると、製品展示があり、現在の主力製品である素材関連製品の他に・・・あった!あった!時代を感じさせる陳列ケースに大型の鉱石標本がずらっと並べられており圧巻である。生野、明延、細倉、尾去沢、高取、千歳他の同社の主力鉱山の鉱石である。マニア好みの結晶は少ないが迫力に圧倒される。特に千歳鉱山の鉱石は一抱え以上ある大きなもので真ん中に太い銀黒が走っているたいへん立派なものだ。鉱山事務所で持って帰っていいよ!と言われてもどうしようもない大きさだ。
 応接室に通されると壁に見慣れた風景の絵が架かっている。応対頂いた方に「佐渡鉱山の道遊の割戸ですね」と申し上げると随分驚かれた。
 もう一つのサプライズは20年以上前に同社系の有名な鉱山を訪れた時に応対して頂いた技師の方が研究所に居られることが判ったのだ。無理を言ってお会い頂いたが先方は随分驚かれていた。勿論、仕事のPRもシッカリとさせて頂いた。今日ほど仕事が楽しいと思った日はそう無いな・・・。毎日こんなのだったらいいのに・・・。

2006年9月10日(日)
櫻井家(ぼたん)で無名会例会
 今日は無名会の例会である。場所はいつもの湯島の会場と違い故櫻井欽一先生のご自宅である神田須田町の「ぼたん」だ。毎年1回、櫻井先生のご命日近くの例会を櫻井先生宅で行なうのが恒例になっている。今日も30名以上の会員が集まった。
 まず、故櫻井先生に黙祷を捧げた後、これも恒例の「夏休みの採集談」の披露である。配布された資料に基づいて7名の方から夏休みの報告があった。昨年は館長も報告したが、今年の夏は何もないので報告はパス。しかし結局、昨年同様全員が何らかの報告を行なった。それから、例会恒例の有志提供の標本頒布が行なわれた。今日は若干少なめであったが、妙法鉱山の
鉄サポー石や五ノ坪の藍閃石(かつては”クロス閃石”と称されたが中間成分の為抹消)など興味深い標本があったが、綾部市施福寺のダトー石も頒布された。この産地は思いで深い産地で往復11時間かけて行ったことが思い出される。
 また、加藤先生の出題で鉱物の鑑定コンテスト?があり、運良く的中した。ちょっと変わったペグマタイト中の淡青色粒状の鉱物であった。答えは亜鉛スピネルであった。カナダ産ということもあり、余り見たことのない感じで、自形でなかったので最後まで迷った。
 そして今日は運良く帰りの電車で加藤昭先生とご一緒になり途中までお話が出来た。普段疑問に思っていたことをいろいろご教示頂くことが出来たのは今回の成果であった。
(写真上:櫻井家のお店である老舗の鳥料理店「ぼたん」 写真下:例会の様子)

2006年9月6日(水)
訃報
 大阪石友会の前会長、宮本淳一さん(58歳)が急逝された。コレクターとしては館長の先輩格であり、昔から同じ大阪の石友としてお付き合いさせて頂いた。今は少なくなった鉱物と化石両方に精通されていた本格派の趣味家であり、館長の尊敬する故丸本龍二先生からもその鉱物採集に対する熱意やフィールドワーク能力を高く評価されていた。日本で最も美しいといわれる苦土スピネルを見つけた方でもある。
 第一回大阪自然史フェスティバルに館長が大阪府の鉱物を展示した時に宮本さんから高い評価を頂いたのが懐かしく思い出される。
 宮本さんを失ったことは大阪石友会だけでなく関西鉱物趣味界のたいへんな痛手であり、古き佳き鉱物趣味の時代を語れる仲間を失ったことは実に残念であり寂しい。
謹んでご冥福をお祈り致します。
(上の写真 手前:宮本淳一さん 後:故・那須孝悌大阪市立自然史博物館館長(当時) 大阪石友会例会時における同館への標本寄贈の記念写真 2004年2月20日
下の写真 大阪石友会野外例会(和歌山)での宮本さん 最前列中央)

2006年9月5日(火)
数十年ぶりに河口湖へ
 今日は仕事で久しぶりに山梨へ営業に行った。天気が抜群に良く、富士山もくっきり見えたが、雪が全く無いのが残念。でも残暑は厳しいなぁ。
 富士五湖近くのお客様へ訪問した後、河口湖でトイレ休憩した。河口湖は大昔、旅行に来て以来だ。中学校の修学旅行で行った富士急ハイランドも懐かしいなあ。
 その頃は河口湖周辺の土産物屋には水晶が沢山売られていた。日本産の水晶もあって、乙女鉱山産と思われる水晶を購入した思い出がある。
 ひょっとしたら今でも・・・と思い、土産物屋をのぞいてみたが、あったものは外国産のシトリン(黄水晶)、ペルー産と思われる黄鉄鉱結晶やブラジル産らしいアメジストなどごく僅か。もしや水晶峠や八幡山のトッコが並んでたりして・・・はかない夢であった。

2006年9月3日(日)
またまたテレビ出演のオファー
 今日で夏休みも終りだ。メールを開けるとまたまたテレビ出演依頼のオファーが来ていた。ある地方のローカル番組であるが、諸般の事情で今回は辞退させて頂いた。
 番組の内容は趣味に没頭して家庭をあまり省みない夫が妻に慣れない手料理を振舞ってご機嫌をとる・・・という番組のようだ。料理番組の一種である。私の周りには鉱物趣味に何十年も熱中している人は多いが、皆さん仕事と家庭を上手に両立しておられる。私も基本的には「マイホーム亭主」である(・・・と思っている)
どうも趣味人はそのような眼で見られているのかなぁ。番組的には仕事と趣味を両立させたマイホーム亭主は面白くないかも。

2006年9月2日(土)
久々の鉱物採集?。大阪府の幻の鉱物産地を探せ!あわや熱中症に・・・
折角関西へ帰省したのだから鉱物採集でもと思ったがなかなか良い場所が思い浮かばない。そこで、かねてから気になっていた場所へ行くこととした。1950年に白神正夫先生が書かれた「大阪府の鑛物」に柘榴石の産地として枚岡市(現・東大阪市)上六万寺が記載されている。
 「ヨシ、ここへ行くか!」、50年以上前の産地なので、かなり変貌していると思われ、ボウズの可能性が高いが、まぁ、産地の現状を把握しておくのも大阪鉱物研究会の務めである。それじゃぁ、ついでにこちらも行きたい産地である生駒山中の興法寺の沸石産地も行くかァ・・・。
これが実は大失敗というか考えがたいへん甘かった。
 JR大阪環状線の鶴橋駅から近鉄電車に乗り換えて「瓢箪山(ひょうたん山)」駅で下車する。
商店街の途中から道をそれ、ひたすら生駒山の方向に向かう。
そろそろ上六万寺なのだが、どっちを見ても民家ばっかりだ。確か、白神先生の御著書には「ペグマタイト中」と書いていた筈だ。
 まず、花崗岩の露頭を探さねばと思うのだが、一向に露頭どころか自然の崖やカット面もない。暫く六万寺周辺を彷徨い歩いて、そろそろ諦めようかなと思った時、脇道に気が付いた。とりあえず山手の方に進んでいくと、ついに風化した花崗岩の露頭に遭遇した。しかし、ペグマタイトらしきものは全く無く、薄暗くて気持ち良い場所ではないので引き揚げることとした。 瓢箪山駅に戻り更に近鉄電車に乗って石切(いしきり)駅で下車。大阪では「石切さん」で親しまれている石切神社の最寄り駅だ。
ここから石切さんと反対方向にひたすら生駒山頂へ向かって登るのだが、酷暑の中を平坦な道の殆ど無い延々2km強の急坂の登りだ。先程の六万寺で相当体力を使っていたのでホンマにキツイ。途中で給水やら休みながら登っていく。
つい、熱中症と脱水症状でぶっ倒れている自分を想像してしまう。やっとこさ興法寺へ着いた時は採集どころではなかった。
大阪鉱物研究会のOm会員からは谷の転石を割るようにとのアドバイスもあったが、精も根も尽き果てた上に、マムシも恐いので山道の転石を割った。結局何も見つからず、骨折り損のくたびれ儲けの1日であった。
まぁ、ハイキングと思えばいい運動にはなったが。帰りは石切神社(石切さん)の参道で名物の「十三焼き餅」をお土産に買った。アーしんど!!
写真 上:やっと見つけた上六万寺の風化した花崗岩露頭でも何も無し。 中:名刹・興法寺の落ち着いた佇まい 下:興法寺周辺の谷。ここに沸石があるのか?

2006年8月29日(火)
久々、我が標本室へお客様来る
 遅めの夏休みも中間地点に差し掛かった本日、久々に当標本室にお客様が来られた。益富地学会館主任研究員の藤原卓さんである。当標本室にお客様を迎えるのは数年ぶりである。(今まで見た人は3〜4人)
 実は10月中旬から益富地学会館の3Fでアマチュア展示として館長の標本を展示していただくこととなり、その引渡しである。テーマはズバリ!「大阪府の鉱物」。以前、「日本鑛物誌の鉱物」というテーマで展示を行ったことがあり2回目の展示である。「大阪府の鉱物」は館長のライフワークであり、今回の展示はまぁその中間報告的なものである。約40点の館長自慢の標本を並べたが、実に地味である。原色が全く無い。とは言え、館長のライフワークであるので、益富地学会館へお越しの方はこの機会にぜひご覧頂きたい。

2006年8月26日(土)
帰省途中に名古屋ミネラルショーに立ち寄る
 今年は世間が夏休みの時に出社となってしまった。お盆に休む筈がこの時期に仕事が次々に入りずれ込んだ挙句 遂に8月最終週の帰省となってしまった。しかし悪いことばかりでなく丁度都合良く、移動日が名古屋ミネラルショー初日(今年から2日間の開催)と重なった為、ショーに立ち寄って帰ることとなった。
 名古屋ショーは名古屋鉱物同好会の主催で、伝統的にアマチュアの出展が多く、日本産鉱物ファンには見逃せないショーだ。名古屋駅で偶然、関東鉱物同好会(関鉱同)のOさんとお会いした。30分前に会場に着くと既に先客が相当数居られたが、昨年よりかなり少ない気がする。
昔の会場を知っているものにとっては会場が広くなった分見るのが楽になったが お目当ての鉱物を探すのがたいへんだ。私の所属している益富地学会館と無名会、福岡石の会も昨年から出展を始めた。益富地学会館ではFtさん、Naさん、無名会のTyさん、福岡のTさんに久々にお会いした。関鉱同のブースでItさんと話をしていると見知らぬ人から 「モンド21を見ました!」と声を掛けられた。他にもそのような話を聞いた。結構、皆さん見ているものだ。本人は見ていないのだが・・・。関鉱同ブースの傍らにブック型標本が一個置いてあった。特に販売元は書いていないが、どういう訳か鉱物名や産地が英語で書いてあった。Tyさんに聞くと、「金石舎」の標本で海外への輸出用だったそうだ。どうやらデッドストック?で金石舎に残っていたもののようで、ブック型標本としてはかなりコンディションが良い。丁度、金石舎のブック型標本を探していたので購入した。Igさんからは御自身のマイコレであった柿崎の
灰十字沸石を勧められ購入した。貫入双晶で名前通りの十字架のようになっている。
信州のItさんからは豊羽鉱山の亜鉛インジウム鉱を購入した。閃亜鉛鉱と累帯構造をなしているもので分析しないと判らないもののようだ。今回のものは某大学で分析したものとか。
但し、IMAに未申請の為、独立種にはならない。そういえば同じく独立種になっていなかった豊羽のインジウム銀鉱はどうなったのだろうか?
滋賀県のKyさんからは御自身で見つけられたオシガハエ産の
斧石群晶に草入り水晶を一本伴うものを買った。
小品ではあるが、なかなか綺麗で標本らしい見栄えのするものであった。
ところで余談だが「オシガハエ」は”尾小八重”と書くらしい。よく言われる「上八重」は 「オシガハエ」ではなく別の場所らしい。
どっちにしても難読地名だ。
 全体的には出品の方はやはり国産のものが多いが残念ながらビックリするようなモノは無かった。帰りに好物の「麩まんじゅう」を買って帰った。

2006年8月19日(土)
石友のお店へ陣中見舞いに!
 私の長年の石友Tkさんが石のお店を茨城で開店したので陣中見舞いがてらおじゃますることとした。東京駅八重洲口のハイウェイバス乗り場から水海道行に乗って1時間弱、目的のお店は美しく整然とした新興住宅街のバス停の前というアクセスの良さだ。
 まだ、開店間もない為、商品はやや少なめだが、鉱物コレクターとしてのキャリアが長いオーナーらしいセンスの良い鉱物標本が多く見られた。特にオーナーが韓国で仕入れてきた「紫水晶」は昔からの銘柄標本で、これだけ沢山見られる処は国内ではたいへん少ないのではないか。マニア向けの本格的な鉱物標本店が少なくなってきた現在、なんとしても成功して頂きたいと願ってやまない。
 因みにお店のホームページは以下の通り。アクセスしてみて頂きたい。
http://www17.plala.or.jp/takeda-mineral/

2006年8月16日(水)
ついにオンエア!スカパーの山田五郎アワーに館長が登場!
 7月18日に収録された「山田五郎アワー 新マニア解体新書」が遂に本日からオンエアされた。詳しい内容は7月18日の日記をご覧頂きたい。但し、スカパー(スカイパーフェクTV)なので出た本人が見ることが出来ないのでなんとも言えない。只、観たという知り合いの話によると。私の「夢」が博物館からちょっと別のものに変ってしまっているようだ。それは収録の時に感じていたのだが・・・。
 あくまでも私の夢は「
鉱物コレクターが集えるサロン的機能を有する『鉱物博物館』を作る」こと」で、決して『鉱物喫茶』を作ることではないので、念のため。番組ホームページはこちらから 

2006年8月6日(日)
休んでなんかおられへんヮ!石探横町と大江戸骨董市
 ずっと外回りの仕事をしているので、土日のどっちかは体を休めたいところだがそうもいかない。有楽町の東京国際フォーラムで「石探横町」という石の催しがあるのだ。しかも同じ場所で一度は行きたかった「大江戸骨董市」もある。これは行かなしゃーないな。
 東京国際フォーラムは地下鉄・有楽町駅直結でアクセスがたいへん良い。会場は広い中庭のようなオープンスペースだ。日本産鉱物を扱っているところは少なく、懇意にしてもらっているTmさんとOkさんくらいだった。外国産やパワーストーン系には興味が無いので殆どこのお二方と喋っていたか、骨董市を探索していた。結局、Okさんの所で神岡鉱山の6kgはある
閃亜鉛鉱の大型標本を買った。神岡独特の三角形の面をもったテリの良い閃亜鉛鉱であるが、惜しむらくは表面が「針鉄鉱?」に覆われている。まぁ、神岡も閉山になり、こんな大きなモノは市場にあまり出なくなるだろう・・・と思って買った。骨董市の方も残念ながら触手をのばすものは無かった。

2006年8月5日(土)
鉱物同志会例会 時代の変化を感じた一日だった。
 久々の鉱物同志会例会である。開会前、無名会でもお世話になっているKさんからフィンランド・オートクンプのウバロバイトを頂いた。感謝。
 例会の方は、まず、堀会長の挨拶の後、大串 融先生の「これだけは知りたい結晶の知識」の講演があった。続いて、「お披露目鉱物展」である。これは会員ご自慢?の標本を公開し、投票で金・銀・銅賞・会長賞を決める年1回のイベントである。実は館長は昨年初出場でいきなり金賞をとったのだ。特に強敵の鉛沢の紫水晶の良品2本(長いものと両錐のもの)を抑えての勝利であった。因みに館長の出品物は大阪府柏原市の緑簾石巨晶であった。
 そして今回は満を持しての「東京石」の出品である。この標本は松原先生の「鉱物ウォーキングガイド」にも載った由緒?ある標本で、電子顕微鏡とEPMAで決定したものだ。しかも相方は国立科博の所蔵標本に出世した。確実な東京石の標本は殆ど無く、しかも今まで知られていたものはブラウン鉱中の赤い粒でしかも顕微鏡サイズなので全く目立たないが、こっちはハイアロフェン中なので実によく目立つ。松原先生も驚かれたそうだ。さて結果はというと何と3票しか入らなかった。まず、3名の方に感謝。別の方が出品された見事な「阿仁鉱結晶」も4票だった。これは館長も喉から手が出るほど欲しい標本だ。館長は間違いなくこの「阿仁鉱」が金賞と思っていた。残念というより阿仁鉱と東京石というコレクター垂涎(の筈の)の鉱物に関心が薄いことに驚いた。まぁ、これも時代の移り変わりかなぁ。
(写真上:大串先生のご講演 下:お披露目鉱物展)

2006年7月25日(火)
福岡市立青少年科学館を駆け足見学した。
 三ヶ月ぶりの九州出張である。今期も早いものであっと言う間に第二クォーターに入ってしまった。商売もすこしずつ手ごたえを感じつつあるが、なかなか思うように結果が出ない。ジレンマを感じる今日この頃だ。
 さて、午前中の商談も無事終り、丁度昼休みの時間となった。昼メシもさっと終え、コーヒーでも飲んで午後の商談に備えようと思ったが、思い立って近くの「福岡市立青少年科学館」へ行くこととした。時間は30分ほどしかないが、入場料はタダだし、福岡石の会のベテラン会員の方が標本を寄贈したとの話を耳にしたのでどうしても見たくなった。残念ながら相当以前(10年以上前の福岡勤務の時代)に見たものが多く、新味はなかったが、今後に期待かな。 標本はこれはスゴイ!というものは余り無いが、迫力のある大型の標本が多い。日之影町のザクロ石や尾平の斧石、馬谷鉱山の巨大水晶、槙ノ川の沸石などミュージアムサイズだ。結局10分程で見学を切り上げ、気分も新たに午後の商談に向かった。
青少年科学館の鉱物の展示。中央は島根県馬谷鉱山の巨大な水晶。

2006年7月22日(土)
鉱物科学研究所のミネラルコレクティングへ
標本の価値は管理で決まる。

 鉱物科学研究所(ホリミネラロジー)のミネラルコレクティングの最終日に行った。今回の目玉は秋田県尾去沢鉱山産を中心とした100点余りの鉱物コレクションだ。昔勤務されていた方の遺品で一括のオークションである。館長は資金が逼迫している為、今回は指をくわえて見るだけとなった。たいへん透明度の高いベッコウ亜鉛や立派な耳付き双晶、淡褐色の緑鉛鉱、菱マンガン鉱の結晶、立派な自然銅はコレクターとしては是非コレクションに加えたい逸品である。標本は升目に仕切られた木箱に入っており、サイズは何種類かに揃えられていた。元の所有者の方の標本に対する並々ならない愛情が感じられる「美しいコレクション」だ。コレクションの管理(整理)方法もコレクションの価値を上げる要素である、という好い例であろう。
 さて、今回は有楽町の交通会館であるが、いつもより広い場所で、最終日ということもありゆっくりと落ち着いて標本を見られた。堀さんの鉱物図鑑シリーズに掲載されている鉱物標本の実物展示もあった。図鑑の写真もたいへん綺麗だが、やはり実物は見事だ。
 一方、メインの即売会の方であるが、フランスのサンマリオミネラルショーの新着品である。館長の印象に残ったものとしてイタリアのたいへん変わった産状の黒水晶(柱面がたいへん短く、一見、高温タイプに見えた)、インドのペンタゴン石(残念ながら☆型のものは売れてしまったようで見られなかった)、チェコの名品・紅安鉱、タンザニアのツァボライト、南アフリカのマンガンダイアスポア、産地は忘れたが亜鉛ヘルバイトはたいへん立派な標本だった。外国産鉱物は集めていないので購入はしなかったが、いつものように一点一点ルーペで見せて頂いた。いつかは日本で見つかることもあるかもしれないので外国産鉱物もチェックしておく必要があるのだ。
 さて、丁度、堀さんがいらっしゃったので不明鉱物の鑑定をしていただいた。前から気になっていた大阪府の某鉱山で採集した黒い鉱物だ。表面に銅の二次鉱物がふいていたので銅の鉱物かとは思ったが、堀さんの肉眼鑑定では「黒銅鉱では?」ということだった。もし、確定できたら、晴れて大阪府初産だ。満足の一日であった。(写真 上:展示スペース。右側の木箱が尾去沢鉱山産鉱物のコレクション 中:楽しい鉱物図鑑シリーズの実物展示 下:新着標本の即売会風景)

2006年7月18日(火)
なんでも鑑定団以来のテレビ出演へ
 先日、仕事の為、折角のオファーを断ったテレビ番組から再度のオファーがあった。今度は顧客とのアポが入っていない・・・と言うか元々有給休暇の予定だったので問題なくOK!。番組はスカイパーフェクTVの「山田五郎アワー 新マニア解体新書」という番組だ。評論家の山田五郎さんとのトーク番組で、色々なマニアに迫るという番組である。館長は鉱物マニアという事でオファーがあった。特に山田さんには以前、某大手新聞に我がホームページを紹介して頂いたことがあり、そのお礼も言いたかったので、ウエルカムである。そして今日がその収録の日である。
 収録は練馬区内のスタジオで行なわれた。スタジオといっても民家であった。生憎の雨の中、1時間前にそのスタジオへ入ると笑い声と共に聞きなれた山田五郎さんの声が聞こえた。館長の前の方の収録中であった。
 控え室に通され、スタッフと打ち合わせを行なっていると、館長の前の方の収録が終わったようで控え室に戻ってこられた。マンホールマニアのKyさんという方で、名刺交換をさせて頂いた。Kyさんにお会いして以来、私も何故かマンホールの蓋が気になるようになった。
 さていよいよ私の番だ。山田五郎さんと色羽紫さんに挨拶を行なった後、収録が始まった。山田五郎さんは営業マンもビックリする程の頭の低い方だ。また、中学校から高校時代を大阪で過ごされたのでたいへん親近感が感じられる。アドマチック天国などでブラウン管越しに見ている人が目の前に居る。ちょっと不思議な感じである。
上の写真:右から山田五郎さん、館長、女優の色羽紫さん
下の写真:山田さんと色羽さんのサイン。ウチの家宝にしよう。
 番組の内容は鉱物趣味そのものより、コレクターである館長の趣味の歴史がテーマである。
小学校低学年の頃の空き地での石拾いから始まって、従兄のFm君による本格的な鉱物との出会い。
現存する最も古いコレクションである父の佐渡みやげの黄銅鉱、妻と2回目のデートで採集した桜石など年表に沿って話が進んで行く。
また、ルーペでないと判らない鉱物、館長自慢の和田標本、逸品の尾平鉱山の硫砒鉄鉱、阿仁鉱山の三角二十面体の黄鉄鉱、古い時代のブック型標本などを紹介していく。あらためて考えてみると館長のこの40年以上にも及ぶ趣味には多くのキーパーソンが居たことが判る。
 さて、山田五郎さんは鉱物好きとしても有名で、以前はよくミネラルショーにも来られていた。
収録の合間も鉱物談義に花が咲いた。あっという間に収録が終了し、お二人にサインを頂いて記念写真も撮らせて頂いた。
私の鉱物趣味史に残る一日であった。

2006年7月15日(土)
コンチキチン・・・今日は祇園祭宵々山 京の夏は暑いワ!
 三連休を利用して一ヶ月ぶりに京都の実家へ帰省した。折角、帰ったのだから、石を目当てに京都市内へ行った。丁度、祇園祭の宵々山の日だ。人が多いのも当然であるが、京の夏はメッチャ蒸し暑くしかも天気が悪い。最悪や・・・。
 さて、先ずは益富地学会館である。目的は前回見つけた「兼葭堂日本石譜」をコピーさせてもらう事だ。Ftさんに挨拶がてら3Fへ行くと先客が居られた。名刺交換をすると滋賀県の会員Asさんだった。Asさんは交流会などで時々お顔をお見受けしたことはあったが、お話をするのは初めてだ。大阪府の鉱物にも関心をもっておられた。大阪府の鉱物に関心を持っている方にお会いすると嬉しい。
 我が大阪鉱物研究会附属大阪鉱物博物館の主任研究員であるOm氏の石友とのこと、機会があれば採集にもご同行したいものだ。コピーも終り、会館を後に、次の目的地は久々のクリスタルワールドである。
河原町三条の本店の近く、京都有数の商店街である新京極にもう一つの店舗がある。
その2Fに沢山の日本産鉱物があり(写真)、それを物色することとしたが、また一雨きそうな天気だったので早々にお店を後にした。
 手ぶらでは帰り辛いのでお約束の「とり市」の京漬物と創業120年、「林万昌堂」の甘栗をお土産に買って帰った。

2006年7月8日(土)
バースデーは即売会!
 実は今日は館長の誕生日である。遂に四捨五入して50歳となる最後の歳となった。ひと昔前であれば来年定年退職なのだ。この記念すべき日が小室宝飾さんの即売会となった。
 ちょっと早いかなと思いながら一時間前に白山のお店へ行ったら、なんと既に10人以上の人が並んでいた。この段階で勝負有りか・・・。執念が足らなかったなぁ。
 その中に遥々大阪から来た我が従兄のFm君が居た。久しぶりやなぁ。館長はこのFm君に鉱物趣味の世界へ誘われたのだ。館長の鉱物趣味史上のキーパーソンであり「師匠」なのだ。
 まずお互いの親(お互いのオジサン・オバサン)の健康を確認したり、近況報告をしたり、親戚としてのよもやま話をした後、鉱物談義へ。
 そのFm君からKさんという方を紹介された。初めてお会いする方だが、なんとKさんはFm君の大阪のK中学の先輩で、Fm君を鉱物の世界に誘った方だそうだ。そういえば、昔、その先輩の話を聞いたことがあったな。まさに鉱物趣味の連鎖である。会場には関東鉱物同好会のUさんやDさん、鉱物同志会のTさんのお顔も見えた。
 さて、肝心の即売会の方だが、今回の目玉は前回同様やはり鉱山モノで、松代鉱山の霰石、荒川鉱山の大型の黄銅鉱や紫水晶、倉谷鉱山の毛鉱、石川山の鉱物など。館長は・・・と云うと遅れをとったこともあり、やや戦意喪失気味であったが、福島県石川町の大型の煙水晶(かなり淡色で形は良くないが両錐)と大きな緑柱石(残念ながら結晶面はあまりハッキリしないが大きい)、上佐野の大きなクロム透輝石、宮崎県ニクダキの葡萄石など質はともかく展示向けの大きな標本ばかりであった。最近、購入品もやたら「博物館」を意識し出した。しかし、今日は盛況であった。やはり夏のボーナスが概ね出揃った後だけに皆さんの懐具合もいいのかな?

2006年6月30日(金)
益富先生のブック型標本
 多忙を極めた6月も今日で終りだ。帰宅後先日購入した「ブック型標本」が届いた。昭和12年(1937年)に日本礦物趣味の會(現・日本地学研究会)が製作販売したものだ。「鑛物補習帖」なるマニュアルが付いており、編集兼発行人は益富寿之助先生である。標本は造岩鑛物、火成岩、水成岩(堆積岩)、變(変)成岩、有用鑛物(更に非金属鑛物と金属鑛物に分類)に分類されている。個々の標本はどこのブック型標本にも入ってそうな産地のもので、特に珍しいものは無い。しかし、その中でやたら目立つ鉱物が1個入っていた。
自然硫黄の単結晶である。他のブック型標本はだいたい塊状で透明感に乏しいものが入っているものだが、ここでは立派な透明感のある外国産のような単結晶が入っているのだ。大きさは何と2cmオーバーである。このようなブック型標本ではなく、丸箱に入って館長のメインコレクションに収まっても良い標本だ。これだけでモトはだいたい取ったようなものだ。産地は栃木県那須火山とある。同様のものは長島乙吉先生のコレクションにもあり、長島先生と益富先生の交流を考えると同じような供給ルートかもしれない。

2006年6月25日(日)
「青海苔」もとめて上州路に
 昔々ある石友から一つの石を見せられた。ピンクのバラ輝石の表面に青海苔みたいもなものが付いている。
 これが館長とロスコー雲母との出会いだ。それ以来、このややメタリックな「青海苔」は館長の記憶の中にへばり付いたままだ。
 今でも「ざるそば」の上に散らした「きざんだ青海苔」を見る度にあの時のロスコー雲母を思い出す?草下氏の鉱物採集フィールドガイドに載っている鈴木石も素晴らしい。
 今回、一つの「きっかけ(後日報告)」があって、念願の茂倉沢鉱山へ行けることとなった。案内していただくのは石友のYさんだ。Yさんともう一人Shさんという方と目白駅前で待ち合わせ、一路夏の上州路へ向かう。
途中、渋滞に合うこともなく順調に目的地へ到着した。茂倉沢鉱山はズリというような物が無く、谷筋の転石を叩いて遡上する。ところが探せど探せど、青海苔や鈴木石、長島石の入ってるバラ輝石そのものが殆ど無い。ブームから久しくもう採り尽くされたのだろうか?又は台風や出水で流されたのだろうか?バラ輝石が見つけられないのであれば、「予選落ち」ということである。
 結局、茂倉沢鉱山でのこれ以上の採集を諦め、相談の上、山の反対側にある同じくマンガン鉱山の黒川鉱山へ向かう。黒川鉱山は道の傍にズリの先端部があり、谷を登ってゆく。谷を遡上する途中にズリが落ちており、これを叩く。谷を上り詰めると坑口がポッカリ口をあけている。立っては入れないものの結構大きな坑道だ。
 ここではバナジウム鉱物は出ないものの、以前、Yさんが針ニッケル鉱や綺麗な緑マンガン鉱を採集されているとのことで採集意欲がかき立てられる。先程の茂倉沢鉱山に比べると割る石はかなり多い。マンガン焼けした黒い石を割るとピンクのバラ輝石?が現れる。ヤコブス鉱やハウスマン鉱もあるようだ。その内、Yさんが緑マンガン鉱を見つけられた。用意されていたマニキュア液を塗布し、保存をはかる。とにかく、この緑マンは保存が難しい。産出時の保存の難しさは藍鉄鉱とこの緑マンは横綱だろう。館長もおすそ分けを頂いた。茂倉沢と併せて機会があればもう一度訪山したい産地だ。
上:茂倉沢鉱山付近 下:黒川鉱山の旧坑

2006年6月24日(土)
無名会例会
 今日は無名会の例会である。先ずはKさんによるお話、「オウト・クンプ鉱山に行ってきました」である。オート・クンプ鉱山は北欧・フィンランドにある鉱山で世界一(・・・と館長は思っている)の灰クロム柘榴石(ウバロバイト)で余りにも有名な鉱山である。Kさんが奥様と北欧を旅された時に立ち寄られたとの事、実にうらやましいネ。ウバロバイトの方は有名なのでさておき、驚いたのはクロム透輝石の方で腕くらいの太さで1mに及ぶ結晶が沢山あったそうだ。また、一緒に出るキューバ鉱も素晴らしい。国産の黄銅鉱と区別がつかないような標本しか知らない館長にとってはオートクンプの本鉱はサプライズだ。
 恒例の標本頒布はこのフィンランドの鉱物を含めて行なわれた。フィンランドの鉱物は「あみだ籤」行なわれ、どういうわけか館長が一番籤であった。この「運」をサマージャンボまで残しておきたかったなぁ。館長はウバロバイト、クロム透輝石にキューバ鉱が組み合わさった標本をゲットした。標本頒布は他に古宮鉱山の紅簾石、つくばの束沸石、湯河原・不動の滝(原産地)の湯河原沸石など。
 そして、今回の標本会のテーマは「方鉛鉱」だ。会員自慢の方鉛鉱が出品された。Tyさんは神岡鉱山の立派な方鉛鉱分離結晶を出品された。骸晶をなしているが、TyさんによるとBiやAgを多く含むと骸晶や融けたような結晶となるそうだ。他には有名な秩父鉱山の板状の方鉛鉱も出品されていた。珍しかったのは秩父鉱山が製作・販売した「組標本」があった。例会は16時半に終了した。館長は帰りに神保町の古本屋街に石の本を探しにいったが、これといったものは見付からなかった。

2006年6月17日(土)
石の花、再び・・・
そして待ちに待ったものが!
 3月にあったOa氏のコレクション即売会「石の花」の続編が前回同様、益富地学会館で行われた。
 当日は無名会の河津鉱山での野外例会もあり、どっちにすべきか迷いに迷ったあげくの上洛であった。
 横浜発の高速バスは早朝6時過ぎに京都駅へ。「早いなぁ・・・」10時のオープンまで4時間近くある。
前回同様、京都駅周辺で時間をつぶして9時過ぎに会館へ。会館の事務室でFt主任研究員や遠路博多から来られた福岡石の会のHkさんたちと談笑しながら待つ。
そして定刻にオープン。入室していきなりの大ヒット。
入手まで十数年かかったが、遂に幻の大阪府柏原市亀の瀬産霰石を入手した。石川県恋路産にもひけをとらない上品な紫色の結晶集合体だ。館長も産地?まで行ったことがあるが、とても採れるような場所ではない。土木工事中に偶々産出したものらしい。
 他に尾平鉱山ハジカミ谷産のフォイト電気石と苦土電気石が累帯構造になったものである。これはHkさんに聞くとなかなか採れないとの事だ。Oaさんが昔、元坑夫から入手したとの事で、放射状の集合体で実に美しい。後は小樽松倉鉱山のミメット鉱上のイダルゴ石を入手。ミメット鉱は既に持っており、このサイトでも公開しているが、このタイプは初めてだ。それに蛭川村のヒンガン石結晶。微細だが、ちゃんと結晶している。先日閉山したばかりの豊羽鉱山の毛鉱を入手した。この標本は駐車場に落ちていたそうだ。 購入はしなかったが、写真のような見事なタンバンや自然銅、珍しい毛赤銅鉱、蛭川村のトパーズ、大路のトルトベイト石などが印象に残った。今回は館長の好きな「光り物」も多く、良い眼の保養をさせて頂いた。
 もう一つ嬉しいことがあった。同好の方に大阪府産の錫石を頂いたのだ。錫石は大阪府初産であり、その産出はかなり珍しい。

話には聞いていたが・・・
 「石の花」のついでに久しぶりに3F展示室へ行った。丁度滋賀県のKさんによる菩提寺周辺の晶洞から出た水晶や長石の特別展示を行なっていた。紫水晶はなかなか良かった。
 Ftさんといろいろ話しをしながら、標本販売の100円コーナーを見ていると、何と大阪府産の鉱物があるではないか。能勢鉱山の磁硫鉄鉱と高槻市岩戸坂鉱山の灰重石であった。いずれも話には聞いたことはあった標本であるが、見たのは初めて。大阪府産であるので当然購入した。
 2階の図書室へ「雲根志」の原本を見に行った処、意外なものを見つけた。木村兼葭堂の「日本石譜」のコピーがあった。話に聞いてはいたが実際にあるとは思わなかった。流石、益富先生である。時間が無かったので斜め読みになってしまったが、いろいろ興味深い点があった。今度会館へ来たらジックリと拝見しよう。兼葭堂の「後輩」にあたる石亭の雲根志と比較してみたい。

2006年6月10日(土)
地学史勉強会にて
 今日は無名会の浜崎さんのお取り計らいで青学会館で行なわれる「地学史勉強会」に出席させていただいた。
館長は2回目の参加となる。
 今回のテーマは榊原先生(東京学芸大学名誉教授)の「貝殻をつくる方解石の話」と無名会の浜崎さんの「トパーズは帝国の宝石」である。
 榊原先生の講演(本会では「話題提供」という)は霰石と方解石の関係を中心に解説された。霰石と方解石は同質異像の関係にあるが、高圧で出来る霰石がなんで生体鉱物として存在するか実に不思議である。貝殻も霰石と方解石が層になっているそうだ。
 浜崎さんはトパーズについて日本における発見から、多くの貴重な資料を元に解説された。トパーズには木内石亭や和田維四郎、ナウマン、杉村次郎、高木勘兵衛など鉱物趣味史上錚々たる多くの人々が登場する。日本の鉱物の中で最も歴史的に興味深い鉱物であろう。
 そして、今回の勉強会の最大の成果は大森昌衛先生のお顔を拝見できたことである。大森先生の著書は少年時代に買って今でももっており、お名前だけを存じている方だ。次回お会い出来る時にその本にサインを頂きたいなぁ。
 会の終了後、1Fのレストランで懇親会が催され、シーボルト研究の第一人者・大沢先生や「メアリー・アニングの冒険」の御著書で知られる矢島先生など多くの第一線の研究者の方々と親しくお話させて頂くことができた。実に有意義な一日であった。

2006年6月4日(日)
天気予報どおり曇り。絶好の採集日和だ!
常陸路にメノウと金を求めて・・・
 昨日の新宿ミーティングでもご一緒したOさんに採集に連れていただくこととなった。目的地は茨城県北部である。
池袋駅前で拾っていただいてクルマは一路茨城へ向かう。
 最初はよく知られた玉川のメノウである。玉川の「玉」はメノウに由来するのであろうか?興味のあるところである。
さて、この玉川であるが、とてもメノウを産するような場所に見えない。どうみても田舎の田園風景である。メノウはかなり少なくなっているそうで、あっても小さめのものが多い。一時間ほど探し回っていくつか採集することが出来た。
1個だけ赤味の強いものもあったが、大半は白いメノウが少し赤く染まった程度であった。

 更に北上し、ドンドン山間部へ入って行く。今回の目的地であるメノウの採掘現場跡へ向かった。現場は「立入禁止」になっているので残念ながら外からの観察にとどまった。しかしそれでもメノウの産状を観察することが出来、流れ落ちる神秘的な滝とポッカリ開いた坑口も見ることが出来る。ガケの上部と下部に坑口があり、坑道掘りをしていたようだ。 ここでの採集は諦めて、近くの山中にあるというズリに向かう。ズリには大量のメノウの破片が落ちている。商品にならなかったのだろうか。赤いものは殆ど無く、白いものばかりである。しかし、このメノウは一体何に使ったのだろうか。火打石に使ったという説もあるがよく判らない。佛頭状や珊瑚状のメノウ、そしてかつて産したと言われるアメジストを探すがなかなか見付からない。さんざん探してようやく佛頭状のものと微小な水晶(これはOさんが採集されたものを分けてもらった)を採集して下山した。

 さて、次は砂金採取である。今日、ご案内していただいているOさんは砂金採り名人でもある。実は今回の採集行の目的の一つがパンニング指導であった。Oさんはパンニング皿は勿論のこと、カッチャや揺り板も使いこなす名人である。川岸の土砂を岩盤まで掘り、指導を受けながらパンニングを行なう。殆ど砂鉄だけになるまで軽い石をとばしていくと「チカッ!」と砂金らしきものが光る。水を揺らして砂鉄を動かしても、重い金はゆっくりと動き出す。残念ながらナゲットと呼べるものは見つからなかったが、砂金採り超ビギナーとしてはまずまずのデビューであったと思う。

 次の目的地への途中に有名な「栃原金山」があるとのことで立ち寄っていただけることになった。残念ながら現在は閉山してしまったが、本州最後の金山として是非現役の時を見たかったなぁ。栃原金山は鉱山稼行中も観光金山として活躍していた。売店跡や案内所?跡、砂金採りイベントの場所など建物は残っているがかなり荒廃しており、人の居る気配は無い。広場の隅っこに「蓄電車」が放置されており記念写真をとる。案内の看板も放置されており「本州唯一現在も採掘中の・・・」の文字が物悲しく、イメージキャラクターの「きん太」くん(下・右)もどこか寂しそう。残ってほしかったなぁ。鉱山はいっぺん止めたら再開は極めて困難やから・・・。
右側の写真、上から「玉川」、「メノウ坑道」、「メノウ鉱山のズリ」、「砂金採取」、「栃原金山ゲート」、「塩沢鉱山のズリ」
 
 そして、最後に行ったのは大子町の塩沢鉱山である。
いわゆる「老脈型」の鉱床で銀黒ではなく、石英脈の中に微細な金粒が入っている。現地にはコンクリート製の構築物が広い範囲にあり、かなり大きな鉱山であったことが想像される。
ここで自然金を見つけるのは至難の業なので、金が入ってそうな石英を拾って持ち帰ることとした。
 今日は実に盛り沢山の採集行であった。Oさんは長時間の運転、産地の案内、砂金採取の指導などフル回転であった。
もつべきものは石友である。感謝に堪えない。
 これで新宿ショー、ミネラルマーケット、新宿ミーティング、採集行と恐らくこの1年間で最も充実した3日間は終わった。
【今回買った名物】
 帰りのサービスエリアで茨城県にしか売っていない「日本一甘い」という缶コーヒー(マックスコーヒー)を買った。まだ、飲んでいないが楽しみだ。また、水戸の梅、新梅も買った。

2006年6月3日(土)
ミネラルマーケットへ参戦
 今日は飯田橋でミネラルマーケットだ。秋葉原で行なわれていた第二回目から参加しているが、新宿や池袋、大阪、京都等の大型のショーで日本産鉱物の良品がドンドン少なくなっている中でマニア向けの標本が集まる貴重な催しである。
 10時30分のオープン直前には長い行列が出来ていた。オープンと同時にドッと会場へ皆が入った。参加者も心得たもので、素早くお目当てのコレクターの元へ向かう。館長も顔なじみの関西のKさんの元へ向かう。今年の目的は宮崎県オシガハエの斧石だ。ちょっと高価だが、欠けの少ない紫色かかった良品をゲットした。透過光線で透明度の高さが判る。傍らに蛭川村産のトパーズがあった。S石材で20年以上前に出た母岩付きの標本で小品であったが、珍しくC軸方向に長い標本であった。面白い標本であったのでこっちもゲット。この二つでほぼ予算を使い果たしたので、他のコレクターのコーナーを見て回る。自然金に特化した所、特定の地方産に特化した所など夫々のコレクターの特徴が出ていて興味深い。その中で京都のIさんのところに新鉱物「沼野石」があった。例外もあるが、このような標本は出ている時に手にいれておかないといけないので、これもゲットした。
 今回初参加は新潟・糸魚川のフォッサマグナミュージアムだ。ヒスイの標本と書籍の販売がメインであった。学芸員のMさんとお話をする機会が得られた。また、会場では有力鉱物コレクターのUさんや先週採集でご一緒したばかりの九州のTさん、水晶コレクターのTさん、無名会のYさんなどと親しく歓談させて頂いた。
会場を一通り見た後、新宿ショーの会場へ向かう。
今宵は趣味家の集い・新宿ミーティングへ
 新宿ショー開催中のお楽しみはミネラルマーケットだけではない。夜には鉱物趣味家の集いの場である「新宿ミーティング」がある。これは元々5年程前の新宿ショーの終了後に行ったTYさん、HKさん、TKさんそして今南米ペルーで鉱山開発で頑張っておられるGAさん、そして館長の5人の「飲み会」が発展したもので、今年で5回目である。参加者は約20人に達し、昨年同様、新宿ショー会場近くの高層ビルのレストランで行なわれた。パーティーは立食形式で創立メンバーで幹事のTYさんの乾杯の音頭でスタート。初参加の方の自己紹介、常連の自己紹介の後、会場のあちらこちらで鉱物談義が始まる。初対面の方々も居られ、人脈を作る絶好の場である。
 宴もたけなわとなった頃、昨年から始まったアトラクション?のオークションが始まった。(写真下)
 有志が持ち寄った標本がオークションにかけられる。今年は砂金、沸石、新鉱物・沼野石、鉛沢の紫水晶、湯股の方解石、人形石、コフィン石、キースラガー等の鉱物標本に加えて鉱物関連の書籍も登場し、落札されていった。
館長は佐賀県高島の苦土かんらん石を落札した。
新宿ミーティングの立食パーティーは和やかな雰囲気の中で約2時間で終り、会場を後にした。

2006年6月2日(金)
本日は晴天なり!
ついに新宿ショーの日だ!
 いよいよ今日から待ちに待った新宿ショーである。館長も例年通り休暇をとって参加した。館長にとって6月第一金曜日は私的祝日であり、祭日なのだ。館長は新宿ショーの華やかな雰囲気が大好きである。30分前に会場に着くと既に行列が出来ていた。まぁ、見慣れた風景ではあるが皆さん熱心だなぁ。
 さて、館長の目的である日本産鉱物を扱っているディーラーはそう多くない。館長が子供の頃からお世話になっている大阪のMK社、同じくお付き合いは30年を超える京都のOR社、懇意にしてもらっている鉱物のデパート・京都のCW社、ケースの販売も行っている東京のC社、後は御馴染みのノンプロコーナー、京都の益富地学会館くらいであろうか。目に付いた鉱物は京都府広野のカンポーグ石、産地は忘れたが変種ジルコンである”大山石”、前に書いたハント石、大和水銀鉱山の辰砂の真っ赤な上鉱、水晶山のフェルグソン石くらいだろうか。ハント石は上物であったが、懐具合の関係で見送りとした。新宿ショーで唯一買った鉱物は愛媛県鞍瀬鉱山の
ボーレライネン石である。これは以前から欲しかった標本だ。マンガンゴールドマン石も多数伴っており、これが1,000円とは安かった。また、ある業者の方に聞くと水晶とあのレインボーガーネットの人気が相変わらず高いそうだ。
 さて、特別展は「世界のハイグレード&古典鉱物標本即売会」である。USAのK社の協力とのことで、世界中のハイグレードな鉱物が地域別に綺麗にディスプレイされていた。日本産では市之川の輝安鉱の母岩付きの標本や単晶、尾太鉱山の菱マンガン鉱が出品されていた。欲を言えば、ここに乙女の立派なツイン、荒川の三角銅、尾平・ハジカミのホタル石や飴色の斧石、アセノなんかあればいいのだが、ちょっと無理か・・・。
 館長にとって新宿ショーはコレクションを増やすというより普段お会い出来ない石友の皆さん方との再会の場である。有力コレクターが一堂に会する新宿ショーは社交の場である。まず、最初にお会いしたのは福岡石の会のメンバーであり、鉱物趣味の大先輩のMさんだ。Mさんとは仕事上のお付き合いから始まった不思議なご縁がある。今回は新宿ミーティングにもご出席されるとの事で楽しみだ。
先日長崎の採集行でお世話になったHさんが所用でこられないのは残念であった。他に明日のミネラルマーケットの出品の為上京された京都のコレクターIさんや岡山のYさんともお会いした。関東鉱物同好会のTさんとも総会以来。あっ、そうそう大事な方を忘れていたよ。わが大阪鉱物研究会のTご意見番である。明日は飯田橋でミネラルマーケット、夜は新宿ミーティングと大忙しの一日となるなぁ。

2006年5月28日(日)
福岡石の会採集会
予報では曇り。確かに朝は雨は止んでいたが・・・
マンガン山に忘れ物を採りに行った
 今日はいよいよ、福岡石の会の例会だ。今朝も曇りだが雨は降っていない。集合場所は西海橋のたもとにある大きな土産物センターだ。私は見なかったが、活きた伊勢海老のUFOキャッチャーやスーパートイレでつとに有名である。集合場所には既に会員が来られていた。間もなく副会長のIさんも到着。昨年の豊栄・尾平採集会のメンバーのお顔もチラホラ見える。そして戸根鉱山へ向かう。悪いことに途中から雨が降ってきた。鉱山の入り口で合羽に着替えて山へ入る。マムシがいるかも・・・の大先輩の言葉にビクビクしながら谷を上がっていく。マムシと山ヒルには絶対会いたくないヨ。急斜面をヒーヒー言いながら登り、坑口前に到着。坑口の前でIさんから説明を受ける。(写真上)
 ところで、館長は戸根鉱山には2回目の訪山である。
今回、参加したのは忘れ物を採りに来たのである。前回訪れた時にブラウン鉱の結晶採集に夢中になって肝心なものを忘れたのである。それは「村松型マンガン鉱石」である。黒いブラウン鉱と赤い紅簾石、ピンクのマンガン白雲母が組み合わさった特殊な鉱石である。それを持って帰らなかったことがずっと心に引っ掛かっていたのである。今回は忘れないように早々に採集した。それから次の目標に移った。
 次の目標は「割り箸」大の紅簾石である。紅簾石はいっぱいあるが、大きなものはなかなか見つからない。結局「割り箸」ならぬ「爪楊枝」大に終わった。他に灰黒色の石英中に黒色針状の鉱物が含まれている。これはホランド鉱の結晶らしい。
 あっという間に採集の時間は終り下山の時間となった。次は今日のメインイベント、ハント石の採集だ。

稀産鉱物を探せ!
 以前、京都ショーの福岡石の会のブースにあまり見かけない鉱物が出品されていた。初めて聞く名前であったが、結晶もない、あまりパッとしない外観と数千円の金額にその時は触手が伸びなかった。
 後日、石友からその標本について聞かされ、俄然興味が沸いてきたが、時既に遅しで市場には姿を現さなくなってしまった。とは言うものの、後日、ちゃんと入手したが、最初に見たものに比べるとかなり貧弱であったし、値段はあまり変わらなかった。
 今回の福岡石の会の採集会のターゲットがその鉱物であった。その名は「
ハント石」(CaMg3(CO34 三方晶系 苦灰石と菱苦土鉱の中間成分)である。戸根鉱山での採集後、半島の反対側に位置する海岸へ向かった。天気はかなり回復し、雨の心配は無くなっていた。海岸には巨石がいっぱいあり(写真上)、それを注意深く越えながら採集ポイントへ進む。採集ポイントは赤茶けた玄武岩が露出した場所である。露出地の多くは普段海水の中であるが、干潮時に姿を現す。その玄武岩中に白っぽいノジュール(団塊)が含まれているのだ。そのノジュールは霰石や方解石で出来ているという奇妙なもの(写真下)で、割ると霰石と共にチョークの粉を固めたような白いハント石が出てくることがあるそうだ。かなりの数のノジュールを割ったが遂に発見出来なかった。・・・と言うか、当日の参加者約20名いたものの、1個も見つけられなかったのだ。たぶん20名もいるから単純計算で500個近いノジュールを割った筈だが、1個も出なかったという事はかなり確率が低いようだ。やはりハント石は稀産鉱物のようだ。午後3時頃、採集が終了。会員の方のご厚意で福岡空港まで送って頂き、空港売店で大好物の「串木野のさつま揚」と「バナナマフィン」を購入、帰京した。

2006年5月27日(土)
やっぱり私は雨男かなぁ。
♪長崎は今日雨だった・・・
 遂に今月4回目の鉱物採集となった。こんなに採集に行くのは鉱物趣味43年目にして初の怪?挙だ。
 さて、今回の目的地は「長崎」。翌日は福岡石の会の野外例会だが、会員のHさんのご厚意で一日前から鉱物採集に連れて行って頂けることとなった。
 朝4時に起きて羽田空港へ向かう。福岡空港から地下鉄〜JR筑肥線で西唐津へ。ここでHさん一行と合流した。Hさんの友人で福岡石の会会員のSさん、そして大阪石友会のKさんご夫妻も一緒だ。しかし、今日も雨だ。先週の秩父鉱山を除いて、週末は雨にたたられている。
 相談の結果、目的地は平戸の生月(いきつき)島と決定。生月島では番岳(写真上)西麓の海岸(写真下)の礫より沸石採集だ。沸石の出るポイントは限られているようだ。幸いに雨は止んでくれた。なんとかこのままもって欲しいとの願いが通じたか。
 礫には多数の沸石が白い斑点のように含まれており、それを割って沸石を探す。ここの特徴は灰十字沸石が多いことだ。他にコウルス沸石やレビ沸石、エリオン沸石などの比較的珍しい沸石が産出する。レビ沸石の表面にエリオン沸石がエピタキシャル成長した様子や球状の表面がイガイガのようになったコウルス沸石などルーペで見ると実にキレイだ。帰りにもう一ヶ所灰十字沸石を産する産地に立ち寄り、今晩の宿泊先の国民宿舎に到着。まるでホテルのように豪華な国民宿舎だ。メシを食って温泉につかって夜はお約束の鉱物談義。至福の夜は更けてゆく。

2006年5月21日(日)
昨日と打って変わって快晴
鉱物同志会採集会
埼玉県秩父鉱山赤岩鉱床へ
 今日は鉱物同志会の採集会だ。目的地は秩父鉱山の赤岩鉱床、スカルン鉱床である。鉱物同志会でもここでは初めての採集会だそうだ。昨日の大荒れの天気がウソのように快晴である。
 朝6時30分頃新宿の集合場所に到着したが、既に先客が何名かいらっしゃった。今回は余り顔見知りの方は居ないようだ。
 定刻の7時にマイクロバス2台で一路、秩父へ。約50名の参加である。車中、役員の方や堀会長から当日の説明を受ける。また、サンプル標本の回覧もあった。今日の目的物はミメット鉱と白鉛鉱とマンガン斧石だ。しかし細かいなぁ。老眼の館長にはかなりキツイ。
 途中2ヶ所で休憩を取りながら、バスは秩父鉱山へ着いた。秩父鉱山は金属鉱物の採掘は終えているが、今でも石灰を掘る現役の鉱山である。
 バスを降り装備を整えていよいよ山に入る。かなり道は荒れているが、コンクリート製の階段があったり、コンクリート製の建物の基礎があったりと往時がしのばれる。いつの間にか道らしきものが無くなり、足場の悪い急な斜面を木の根っこを頼りに登る。今回の最大の難所である。
 登りきった所が広い河原になっており、ズリを含む礫がいっぱい溜まっている。ここから上流に向かって石を叩きながら登っていく。ズリの本体は既に流されているようで、ここというポイントは無い。目標はミメット鉱などを含む褐鉄鉱だ。それを割ってはルーペで覗くことを繰り返す。結局、
異極鉱らしい結晶集合体とだれかが割った跡から細かな白鉛鉱を見つけた。転石にマンガン焼けしている部分があり、割ったところ、綺麗な縞状のヨハンセン輝石が出てきた。これは標本になりそうだ(下の写真)。他にピンク色繊維状のバスタム石が見つかった。また、案内役のOさんがマンガン斧石を見つけられ、居合わせた参加者に分けて頂いた。館長もコバンザメ採集法(?)でおこぼれにありついた。空隙には小さな結晶も見られる。しかし、結局、ミメット鉱は自分で見つけることが出来なかった。
 成果はイマイチだったものの、初夏(といっても暑かったが)の好天の中、森林浴をしながら食べる弁当の味は格別だ。また、同好の方々とお喋りをしながらの鉱物採集は楽しい。参加して良かったと思う。14時30分頃バスが待つ場所に戻った。全員で記念撮影の後、堀会長の誕生日をみんなで祝った。バスは来た時と同じく「道の駅みとみ」や談合坂SAで休憩をとりながら定刻より多少早めに新宿に到着、解散した。さぁ、来週はいよいよ九州遠征だ。

2006年5月20日(土)
一転にわかに掻き曇りスゴイ雨となった。
今日は関東鉱物同好会デビューの日
 この度、館長は関東鉱物同好会に入会させていただくこととなった。今日はその総会の日である。早めに東京へ着いたので、小室標本へ立ち寄って時間調整をさせていただいた。途中で突風を伴った土砂降りの雨に見舞われてしまった。小室宝飾に着くと既に顔なじみのUさんや、先日の伊豆採集会でお知り合いになったOさんなど会員の方々が既に居られた。どうやらここで時間調整がお約束のようだ。
 さて、本会の会場は文京区民ホールである。私は簡単に挨拶をさせて頂いた。総会の議事の後、来年は30周年にあたるとのことで記念の出版物や採集会の場所選定について意見交換があった。会誌「水晶峠」が配布され、各寄稿者による解説が行われた。これは他の会にはない。大阪石友会でやってもいいいかも・・・。その中で興味深かったのはTさんによる「組標本」の話で、特に「
パンフー自然金」のお話は面白かった。貴重な実物も拝見できた。
えっ![
パンフー自然金って何だ?」って!
知りたい方は「水晶峠126号」をご購入願いたい。

2006年5月13日
雨中の採集となりました。しかも寒い!
西伊豆・雲見へ沸石採集
 西伊豆の雲見といえば沸石特に剥沸石(Epistilbite)の産地として知られる。館長も当地の剥沸石は持っているが、自分で採集したものではない。どんな所で出るのか前々から関心があった。今回、無名会の野外例会が雲見で行われることとなったので喜び勇んで参加したのだが・・・。
 「あーぁ!やっぱり雨や!」。無情にも予報通りであった。それでも家を出た時は傘をささなくても駅まで行ける程度であったので、うまくいけば天気はもつかな?と思ったが、甘かった。現地へ近づくにつれて雨脚が強くなる。しかし、こればっかりはどうしようもない。
 さて、今回の例会は櫻井鉱物標本観察会さんとの合同採集会である。三島駅に集合し、チャーターしたバスに乗って現地へ向かう。バスの中で参加者の自己紹介があったが、、無名会の方が人数が少ないように感じた。どうりで今日は女性が多い。
 約2時間かけて西伊豆の雲見に到着。道路脇から急な斜面を降りる。天気が良ければ何と言うこともない斜面だが、雨中なので用心深く降りると上の写真のような浜に出る。丸くなった大きな岩がゴロゴロして歩きにくいが、これを割る訳だ。岩は大きく且つ堅く普通のハンマーでは簡単に跳ね返される。大ハンマーで割った人は良品を採集されていたようだ。割るのを諦めた館長はお得意の表面採集へ。ただ、このような場所では表面採集は通用しないし、雨中の採集はどうも能率が上がらない。結局、本日の成果は
菱沸石束沸石の参考品程度(下の写真)。
 Yさんによると、晴れた日にはこの浜の対面には見事な富士山が見えるそうだ。天気さえ良ければ、富士山を眺めながら、波の音とハンマーの音をBGMに石友と語らいながらランチが出来たのになぁ。残念!まぁしかし、雨天とはいえ、初夏の一日を伊豆旅行?できたのでまずは満足。早目に採集を切り上げ、途中でお土産など買い求めながら、16時頃三島駅に帰着し解散。家路に着いた。

2006年5月4日(木)
家へ帰ってメールを開けてみたら・・・
 ゴールデンウイークも後半戦に入り、今日は実家へ顔を出した。夜、自宅へ戻り、メールをチェックすると某テレビ番組の制作会社より、テレビ出演の依頼メールが来ていた。
 実は数ヶ月前も関西ローカルの番組からの出演依頼があったのだが、どうしても時間がとれず見送りになった経緯があった。まぁ、関東在住の館長が仕事のあるウィークデーに関西で収録、というのは元々相当の無理はあったが・・・。残念!
 結論から申し上げると、残念ながら今回も見送りである。収録がやはりウィークデーで、館長も仕事上の重要顧客とのアポが入っていたのである。すごく惜しいが、やはり私はサラリーマンだ。ここは涙を呑んで仕事優先である。制作会社さん、また声をかけてね・・・

2006年5月1日(月)
快晴でまことに結構だがメッチャ暑いワ!
大阪鉱物研究会第4回例会
宝塚市小幡鉱山と大阪府川浦鉱山の
調査に向かう
 久々の調査巡検であるが、本会のO会員とTご意見番が大阪ショー参加の為、今回も館長とN会員のみの参加となった。今回の目的は館長の地元、宝塚市北部の小幡鉱山跡の坑口確認とズリの探索。そして、川浦鉱山でもし見つかれば大阪府初産となるであろう自然銀探索である。川浦鉱山跡の訪山は3回目となるが、1回目は日没コールド負け、2回目は雨天コールド負けであったので今回はリベンジ採集ともいえる。それにしてもいい天気だが、ちょっと暑すぎるなぁ。30℃を超えた地域もあるそうだ。
 小幡鉱山跡では苦労?の末、坑口と思われる崩れた洞穴を発見。上部に人工的な石組みもあり、まず間違いなく坑口であろう。但し、周囲にズリは見当たらず、やはり以前見つけた場所がズリのようだ。今回の成果は
銅藍(コベリン)らしきものや白鉛鉱らしきものなどが確認出来た。まずまずの成果と云える。(1枚目・旧坑前の館長 2枚目・ズリ)
 小幡鉱山での調査後、大阪府内に入り、川浦鉱山跡へ。近頃、雨がたいへん少なかったせいか谷筋に水が殆ど無く、滑りにくく歩きやすい。前回は雨で滑って尻餅をついてかなり痛い想いをしたので、それでも用心して道なき道を進む。旧坑迄到達すると、普段は水流で見えにくい谷沿いの坑口も今日はハッキリと見える。
 天気に恵まれたのでお得意の表面採集もそこそこにズリを掘り返す。しかし、目標の珪孔雀石が少なく、残念ながら今回も自然銀は見つからない。とりあえず、珪孔雀石を含む石をいくつか持って帰りチェックすることとする。今日の成果としては(大阪府産としては)良品の
青鉛鉱(辻が瀬タイプ)を採集出来た。他に水亜鉛銅鉱らしきものも確認。他に前回も気になったのだが、黒光りする金属光沢の鉱物があった。一寸見は四面銅鉱似だ。もし、そうだとしたらこっちも大阪府初産の筈、一度分析する価値はありそうだ。こちらも最大の目的は果たせなかったもののまずは及第点。(3枚目・川浦鉱山旧坑 4枚目・ズリ)
 川浦鉱山での調査を終えた後、大阪ショーでTさんよりもたらされた情報を元に某所へ調査に向かう。事前に得ていた情報に近い場所も確認できたが、どうも気配が感じられなく、それ以上の進展は無し。Tさんも調査に向かうとの事でその結論待ちとなった。

2006年4月29日(土)
早いもので大阪鉱物研究会発足一周年
 昨年の大阪ショーで正式に発足した大阪鉱物研究会が一周年を迎えた。この1年間でホームページのリリース、例会3回、会誌発行2回と、なかなかの実績を残した。大阪府鉱物誌の編纂と「大阪に鉱物博物館を・・・」の夢を実現すべく、会員一同頑張って参ります。一層のご指導ご鞭撻の程宜しく。

2006年4月29日(土)&30日(日) ええ天気や!
ゴールデンウィークは大阪ショーだ!渾身?の大阪ショーレポート
 今日からいよいよゴールデンウィークである。今回は東名・名神高速道路の渋滞を考えて、いつもの高速バスを回避。贅沢にも新幹線での帰省となった。
 さて、ゴールデンウィークといえば、我々鉱物ファンにとっては何といっても「大阪ショー」である。日本のメジャーなミネラルショーはこの大阪ショーから1年が始まる。
 そしてその当日。オープン5分前に会場の天満橋OMMビル(大阪マーチャンダイズマートビル)2Fに着くと既に長蛇の行列。近年の石の人気は凄いですな。広い会場もこれだけ人が多いと手狭に感じる。
 早速、会場を一回りしてみる。どのミネラルショーについても言えることだが、年々マニア向けの鉱物、特に日本産鉱物が少なくなっている。
ルース(裸石)やアクセサリー等のジュエリーや美石の類が益々多くなっている気がする。今年は盆栽まであったのにはちょっとビックリしたが、まぁ愛石趣味のルーツの一つは盆栽の「根締石」であった訳であるから、これもよかろう。外国産の結晶鉱物も多い。一般の人たちにとってはルーペで「どれや?」と探さないといけない鉱物や「入っている筈や!」という矢印も打てない鉱物より、目にも鮮やかな透明感溢れる、綺麗な結晶鉱物が欲しくなるのも当然ではあるが・・・。館長が見た中では立派な母岩付の板チタン石やメキシコ・ベラクルスの紫水晶が印象に残った。
 さて、館長の目的である日本産鉱物をメインに置いている業者は3ヶ所だけであったと思う。普段、店へ行けば、日本産鉱物を置いている店も大阪ショーに限った事ではないが、外国産鉱物がメインである。これも已む無し。日本産鉱物では商売になりにくいという事であろう。
従って、館長はコレという成果は無かったが、唯一、国産のベリルの良品がゲット出来た。今回の鉱物標本の購入はコレだけ。残念ながら、出品物で特に記しておくものが無い。そこで標本は諦めて本の購入へ。国立科博の松原・宮脇両先生が執筆された「日本産鉱物型録」を購入した。松原先生の「日本産鉱物種」の豪華版という触れ込みであったが、なるほど納得出来る。
 また、もう一つの大阪ショーのお楽しみは石友の皆さんとの久々の交流だ。大阪ショーのスタッフとして活躍されていた大阪石友会のKさん、Wさんの他Fさん、Mさんは室内例会以来、福岡石の会のHさん、Tさんとは昨年末の尾平・豊栄の野外例会以来だ。我が大阪鉱物研究会のTご意見番、O附属博物館研究員とは臨時の例会?だ。久々に大阪府の鉱物に関する情報交換が出来た。Oさんとはいつもの事だがメッチャローカルな話題で大いに盛り上がった。余りのローカルな話に隣にいた人にもあきれられた。
 毎年ファミリーで来られている大阪府在住のTさんとはもう20年以上のお付き合いになる。当館のコレクションにも大阪府産の貴重な標本を提供頂いているが、今回驚くべき情報の提供があった。早速、会場から携帯で仕事中のN会員に迷惑にも緊急連絡し、明日の調査巡検計画に急遽組み込むこととなった。また、先月の岡山巡検でご一緒させて頂いた京都のTさんとは今回もマニアックな鉱物談義に花を咲かせた。
ところで今回は関東勢とはあまりお目にかかれなかった。その中で無名会のTさんとはMFA展以来今月2回目の顔合わせだ。流石、鉱物に関する知識はピカイチだ。いつも勉強になる。
 さて、特別展示にも触れておこう。特別展示は昨年の京都ショーに引き続いて、日本の宝石鉱物である。今回は北海道・東北から九州まで日本列島をいくつかのブロックに分けて地域別に展示されている。やはり宝石鉱物という事でガードマンも常駐する物々しさだ。
山ノ尾のベリル、宝坂や波佐見のオパール、田上山や蛭川村のトパーズ、雨塚山のアメジスト、天川村のレインボーガーネットなど定番標本の他、館長がかつて益富地学会館に寄贈した標本も展示されており、ちょっと嬉しかった。
さぁ、明日は久々の鉱物採集だ。

2006年4月23日(日)曇り
祝! 鉱物同志会20周年
 今日は鉱物同志会の総会と20周年記念パーティーである。私は初期の頃からの会員だが、20年かぁ・・・早いものだ。
 さて、会場は新宿にある東京厚生年金会館。別室での総会の後、12時からパーティーが始まった。
 堀会長の挨拶と乾杯の後、立食形式でパーティーが始まった。出席者は80人に達したとの事でたいへん盛況であった。途中で堀さんのご指名でスピーチをすることとなった。唯一の関西系ということだそうだが、なるほど言われてみればその通りであった。急なご指名で何を喋ったかあまり覚えていない。
 鉱物同志会も400人の会員を擁する大きな組織になった。日本の鉱物趣味の発展に対する貢献は極めて大きい。堀会長や事務局、歴代の役員の皆さんの献身的な努力に頭が下がる。そういえば、我が大阪鉱物研究会ももうすぐ創立1周年である。さぁ、いよいよゴールデンウィークだ。大阪ショー目前である。
挨拶をされる堀会長

2006年4月15日(土)晴れ
第1回 MFA展 in 東京 に行った。
 有楽町駅前の東京国際フォーラムで開催中のMFA展へ行った。
 MFAとは
ineral、Fossil、Accessoryの頭文字からとったそうだ。
 東京メトロ・有楽町線有楽町駅を降りると地下から会場へ直結。交通の利便性はどこのミネラルショーよりも良い。また会場となったホールは広く、採光に優れているのでたいへん心地よい。
 残念ながら、私のコレクション対象である日本産鉱物は出品が少なかった。昔からの石友Tさんのお店と話題のレインボーガーネットで一躍有名になった奈良のSさんのお店くらいか。他に関西で懇意にしているKさんの店もあったが、こちらの方は日本産の鉱物は今回出品されていなかった。
 日本産の鉱物で目に付いたものは足尾・庚申山の明治初期の一時期だけ掘られた紫水晶や珍しい雨塚山の母岩付き紫水晶くらいか。レインボーガーネットは写真(下)の様に多数売られていた。他には水石系やジュエリー系の店でスポット的に日本産鉱物があったが、一般的な石が多かった。
 会場では無名会のHKさんや関東鉱物同好会のTYさん、UOさんに久々にお会い出来た。毎度の事であるが、石を見るというよりも石友と喋っていることのほうが多かった一日であった。
 尚、MFA展は東京の他、仙台、福岡、大阪で開催されるとの事。鉱物関連で全国を巡回する催事はあまり例が無いように思うので、これからのご発展を期待したい。
 MFA展の詳細については下記のリンクからどうぞ。

MFA展ホームページ

2006年4月12日(水)
北九州の車窓から
 今日から久々の九州出張である。北九州市内の某社で営業活動の後、田川のお客様のもとへ向かう。国道322号を北九州から田川に向かって進むと左の山手に白く大きな崖のようなものが幾つか見えてくる。これが石灰岩を採掘する住友大阪セメント・小倉鉱山と三菱マテリアル・東谷鉱山だ。製鉄で知られる北九州はかつては炭坑や金属鉱山で栄えたが、今はこのような石灰石の鉱山が稼行中である。
 更に国道を進むと香春町へ入る直前の金辺トンネルの手前の国道横斜面に茶色く朽ち果てた建物が見えてくる。これこそ輝蒼鉛鉱やブーランジェ鉱などで知られた旧・吉原鉱山の選鉱所跡である。今は同じ敷地内にこの鉱山を稼行していた会社の作業中の工場がある。何かありそうな感じはするが、かつてこの鉱山に勤務していた方に聞いてみた所、既にズリも撤去されており、今では採集出来るものは無いそうである。
(下の写真左から住友・小倉鉱山、三菱・東谷鉱山、吉原鉱山選鉱所跡)

2006年4月1日(土)
やっとホームページをリニューアル
 ホームページリニューアル作業が一段落したので、リリースを実施。構想から約1年。7年前に初めてホームページを作った時のものがベースであった為、一大?決心をしてリニューアル。如何ですか?

2006年3月31日(金)
遂に豊羽鉱山(北海道)が閉山!
 前々から知られていたが、遂に札幌市の豊羽鉱山が閉山となった。鉱物趣味家としては実に残念なニュースだ。世界一のインジウムの鉱山として、我々趣味家にとっては見事な自然銀や輝銀鉱、そして稀産鉱物、ティール鉱、豊羽鉱で知られている。ネットのニュースによると亜鉛やインジウムの活況で20億円の黒字であったそうだが、鉱量が少ない為止む無く閉山となったとの事。遂に管理人は訪山の機会を得られなかったが実に寂しい・・・。

2006年3月25日(土)快晴
小室宝飾標本即売で目の保養
 小室宝飾さんから標本即売の案内を頂いたので午後から出かけた。今回はツーソンで仕入れた外国産の鉱物や化石が中心なので目の保養ということで・・・。やはり外国産はスケールが違いますなぁ。初めて名を聞く鉱物もあり、今後日本で出るかもしれないので一品一品ルーペでチェック。メキシコの針銀鉱の群晶や中国のマンガン柘榴石、チリのパラアタカマ石を伴う自然金、モロッコの輝安銅鉱などが印象に残ったが、特に燐酸塩鉱物の晶洞標本は初めて見るもので興味深かった。
 さて、ついでに日本産鉱物の抽斗を物色していると河津鉱山の自然金を見つけた。小室社長によると、昔、鉱山事務所にあったものをもらったそうだ。猿喰坑のもので顕微鏡でようやく見えるレベルであるが、珍しいのでゲットした。

2006年3月19日(日)
二日目
御津郡加茂鉱山でのビスマス採集と
三石鉱山で幻の”目玉石”を求めて
 翌日は晴れるだろうとの希望的観測は見事に外れた。やはり朝から雨であった。それでも、ここは県北なので南部へ行けば晴れているとの参加者の楽観的な言葉に一縷の望みを託した。観光バスは雨の湯原温泉を出発して南下する。何時の間にか雨もあがり雲間から青空が見え始め、絶好の採集日和になった。次の目的地は御津郡加茂川町の加茂鉱山である。加茂鉱山は鉱物マニアにはよく知られた産地で、自然蒼鉛や輝水鉛鉱が今でも僅かながら採集できる。特に蒼鉛とモリブデンの二次鉱物であるケヒリン石は国内に産地は少なく当地の目玉である。バスを降り、比較的歩き易い山道を淡々と進む。途中、人工的な石積みも見られここに鉱山があったことを偲ばせる。現地は鉱山のズリであるが、金属鉱石を採掘していた時と珪石(石英)を採掘していた時があったようで、両者のズリが混じっている。真っ白の珪石は殆どこれといった鉱物は伴っておらず不毛で対象外。車中で案内人のO氏からレクチャーを受けた灰色っぽい石英を探す。灰色っぽい石英にも数パターンあるようで、なかなかターゲットが把握出来ない。その内、あちこちで「あった!」との雄叫びを聞く度に焦りが出て来る。ようやくターゲットを掴み、第一号の貧弱な自然蒼鉛を見つけたのは採集も終盤に差し掛かった頃であった。その頃、Oさんが見事な自然蒼鉛を伴ったリッチなケヒリン石のキャビネットサイズの標本を採集した。友人の利点でその破片を頂いた。これを「コバンザメ採集法」というらしい。物欲だけで体力と気力と視力が減退した管理人にとって「表面採集法」と「コバンザメ採集法」は欠かせない。そうこうする内に土にまみれてタバコの銀紙が見えた。「だれやこんなとこにゴミを捨てたんは!」とタバコ大嫌い人間の管理人が怒り半分で眼をこらすと、なんと輝水鉛鉱の分離品(ルーズな単結晶)で5pの丸箱になんとか収まるサイズであった。まあ、往年の平瀬鉱山のものに比べれば全くたいしたことはないが、自分で採集した(拾った?)ことに意義がある。
 バスに戻り昼食をとりながら最後の採集地点へ向う。その場所は和気郡の三石鉱山である。三石鉱山といえば本邦有数のロウ石鉱床で、管理人も子供の頃行ったことがある。その時は名物・目玉石が採集できたが今は稀とのことだ。しかし、「三石といえば目玉石、目玉石といえば三石」だからなんとか採集したいものだ。 三石地区に入ると否が応でも採掘現場が見え、鉱山の街に来たのを実感する。バスは鉱山の事務所前で一旦停車。古い方の事務所は実に良い味があり古き良き雰囲気がある。ここで社長自ら出迎えられ車中で鉱床や鉱石について丁寧にご説明をしていただいた。ここからバスで採掘現場へ向い社長にご案内頂きながらの観察となった。露天掘りの採掘現場は実に雄大である。このような現役の鉱山を見る機会は今となっては貴重である。これだけで遥々来た甲斐があるというものだ。さて、鉱石は蝋石、珪石、陶石でそれぞれに産出地点が異なる。蝋石はパイロフィライト(葉蝋石)を主とし昔は坑道掘りだったとの事でその当時はダイアスポアを多産したそうだ。商品にならない硫化鉱の優勢な場所は焼けて茶色くなっており小結晶だが六面体の黄鉄鉱が採集出来た。また、球状の黄鉄鉱を採集した人も居たようだ。硫化が抜けて多孔質になった鉱石(珪石)があり、空隙に微細な鉱物を伴っている。TKさんによるとこれは鋭錐石で結構普遍的に存在するのでは・・・というお話である。私は同じく空隙からブルーのチカチカする微細な結晶を採集した。あまりにも微細すぎて実体顕微鏡でも結晶形が判らない。
 さて、ダイアスポアの結晶を採集した人は居たようだが、目的の目玉石はなかなか見つからない。結局、採集品は蝋石、珪石中の不明鉱物、黄鉄鉱であった。この2日間は多くの石友との交流や雨中の採集となったが楽しい採集、雄大な鉱山見学など実り多きものとなった。
加茂鉱山
三石鉱山

2006年3月18日(土)雨
一日目
なぎビカリヤミュージアム見学、化石採集と
津山市糘(すくも)谷の水晶採集
 朝8時に京都駅集合。大阪石友会のWY幹事やMさん、Hさんが居た。遥々関東から鉱物同志会のNさんの顔も見えた。案内役の一人は大阪鉱物研究会のメンバーでもあるOMさんだ。バスは定刻に出発、一路岡山へ向かう。私の隣の席はベテランコレクターのTKさんだ。斯界では著名なな方なのでお顔は以前から存じ上げていたがお話をさせて頂くのは初めてだ。いろいろなお話が聞けそう。
 さて、バスは中国道を経て、最初の目的地である勝田郡奈義町に到着した。「なぎビカリアミュージアム」でビデオを観たり、化石の展示を見る。圧巻は展示場内にある大きな露頭だ。ビカリアなどの化石がその産出状態のまま見られるのは素晴しい。鉱物博物館でこのようなものがあればいいのに・・・と思う。(1枚目の写真)
 ミュージアムの横に化石を含む土砂や岩塊が積まれており、そこで化石採集の体験をするという趣向だ。(2枚目の写真)
但し、持ち帰れる標本のサイズは握り拳大で一種につき一個までの制限付きである。管理人は化石には殆ど興味は無いが、置換化石という事で「おさがり」を探す。残念ながら小型の不完全なものが1個だけ。後、緑色を帯びた岩石を採取した。銅による緑とのことだが、一度チェックしてみようと思う。
 いよいよ雨が本降りになってきた。津山市糘谷での水晶採集は雨中の採集となってしまった。しかも現地へは急な斜面を登るとの事でタフな採集会になった。現地はかつての珪石鉱山のズリ?で表面の土砂の中から白色から無色透明の水晶を探すわけである。現地は急な斜面の上、雨でドロドロ。斜面に這いつくばって水晶を探す。大きさは最大で6cmとの事であるが1cmから2〜3cmのものが多い。この産地は水晶以外には殆ど出ず、硫化鉱物のインクルージョンと表面に緑鉛鉱があるそうだが、残念ながら普通の水晶しか採集出来なかった。パンニングの名手でもあるTKさんは砂を持ち帰られてパンニングし、緑鉛鉱を見出されたそうだ。
 その日は岡山を代表する名湯・湯原温泉に宿泊。そういえば温泉なんて久しぶりだなぁ。鉱物採集をして、温泉につかって、美味しい料理を食し、更に宿泊採集会では毎度のお楽しみであるが、夜遅くまでの鉱物談義に花を咲かす。私にとって贅沢な至福の一夜である。
 ※後日、採集した水晶をチェックしていると、緑鉛鉱かどうかは定かではないが、1本だけ表面に草緑色の鉱物が付着しているものがあった。
なぎビカリアミュージアム
すくも谷

益富地学会館主催岡山巡検に参加した
2006年3月17日(金)曇り
岡山巡検前日 京都へ旅立ち
 いよいよ明日から益富地学会館の岡山一泊巡検だ。京都地学会の山宝・布賀巡検以来の一泊巡検への参加である。天気予報は雨。そういえば山宝巡検の時もかなりの雨で苦労したなぁ。
 神奈川から高速バスで早朝立った。今日は移動だけで、特に鉱物は関係しないが、養老サービスエリアに近づく頃から遠くに二畳紀化石で有名な金生山が見えてきた。かつて私が化石少年だった頃はまだ小高い山の麓にいくつもの採石場があったのだが、今では山の中心部が無くなり御覧の様な状況である。山頂付近の化石が沢山置いてあった茶店や立派な黄銅鉱(子供であった管理人にはそう思えた)が置いてあった資料館はどうなったのだろうか?
名神高速道路から金生山を望む(左端)

2006年3月11日(土)雨
大阪自然史フェスティバル
 それから大阪へ移動。長居公園の大阪市立自然史博物館へ向った。大阪自然史フェスティバルも今回で3回目。「自然派市民の文化祭」のフレコミで、鉱物や化石以外にコウモリや魚、ハチ、ヘビ、変形菌、動物の骨格、花粉等本当に人の興味は十人十色で多彩だ。
 さて、今年の本会のテーマは「水晶」。会場には会長のKHさん始めKTさん、WYさん、FTさん、MJさん等大勢の会員がスタンバイしていた。展示は乙女鉱山の巨大な水晶やブラジルの透明度の高い巨晶など会員所蔵の沢山の水晶とMJさん所蔵の稀元素鉱物の展示であった。 一角に即売コーナーも設けられ、レインボーガーネットやルースも即売され、なかなかの売れ行きであった。他の化石同好会のブースでは淡路島のS字型アンモナイトであるプラビトセラスのオークションなど各ブース趣向を凝らしていた。自然に関するもの全般のイベントであり、残念ながら鉱物ファンはあまり居なかったようだが、当ブースの来場者には興味をもって見ていただけたようだ。因みに入場者数は2日間合計で18,500人との事。第一回は3日間で25,000人、第二回は2日間で15,000人であったので今年は前回に比べて20%強のアップだ。

2006年3月11日
石の花
 毎月送られてくる益富地学会館の館報をなにげなく見ていると「石の花」というタイトルが眼に入った。読むと標本即売会の事らしい。蛭川村の鉱物で知られる著名コレクターOさんのコレクションの販売だそうだ。同じ日に大阪自然史フェスティバルが開催され、我が大阪石友会も出展している。急遽の上洛となった。
 土曜日の夜であった為か、東京駅八重洲口の高速バス乗り場はたいへんな混雑であった。途中唯一の休憩場所であった足柄サービスエリアを過ぎた頃から熟睡モードに入り京都駅に着く直前のアナウンスで目が覚めた。すっかり高速バスに体が馴染んだようだ。6時半頃京都駅着。まだ3時間以上もあるので、マクド(関東ではマック)で腹ごしらえしたり、駅をうろついたり、駅のベンチで音楽を聴いたり本を読んだりとなんとか時間を潰して、京都御所近くの益富地学会館へ向った。着くと先客は1名だけ。会館の藤原さんや永富さんとお話をしながらオープン待ち。その内、遥々信州の地からITさん到着。あまり大々的に宣伝しなかった為か客は少なめだ。京都のTMさんやIHさん、IMさん、古くからの付き合いのYKさんなど殆ど地元の同好である。 
 ようやく10時になってオープン。やはり蛭川のものがかなり多い。他に大呂の標本もある。点数は少なめだが、コレクターのレベルの高さを感じさせる標本が多い。今月は翌週の岡山巡検の費用や息子の旅行の特別お小遣いでスッテンテンなので予算が無い。おカネがないのはホンマに辛い。結局、京都大呂の変種ジルコン(傘状の結晶が集合した上品)、白石山の黄チタン石(チタン鉄鉱仮晶。これを知っているのは相当のマニア)、蛭川村田原の脈性トパーズ(これは地味だが産地が珍しい)、緑柱石とベルトラン石が共生したもの(微細な標本だが実体顕微鏡で見ると実に綺麗だ)、菱鉄鉱に置き換わった巻貝化石(あまり私の趣味ではないがHP用)を買った。いずれHPでご覧に入れたい。

2006年2月26日
久々の大阪石友会
 所用で関西に帰ったが、丁度、大阪石友会の例会と重なり、久々の出席となった。一応、同会の副会長を拝命しており、ご無沙汰のお詫び方々の出席である。近年、会員も増加し、65名を数えるに至った。元々は鉱物・化石両方の会であったが、化石は近畿地学会が活発に活動していることもあり、近年は鉱物のウエイトが高くなった。東京では無名会や鉱物同志会、関東鉱物同好会等が活発に活動し鉱物趣味人口も層が厚くまた広く、情報も多い。どうみても東高西低で、生粋の関西鉱物人としてはちょっと寂しい。ここは大阪石友会が頑張らねば・・・と思う。
 さて、今回のテーマは3月の大阪自然史フェスティバル出展の打ち合わせ。同フェスティバルは3回目で、1回目には管理人の大阪府産鉱物コレクションを一堂に公開した思い出がある。今年のテーマはズバリ「水晶」。会員各位がどのような水晶を出品されるか楽しみである。
 右の写真は本邦初公開の大阪石友会室内例会の模様である。会のHPでは野外例会の模様は載せているが、室内は初めて!(たぶん・・・)
 会場は大阪・長居公園にある大阪市立自然史博物館の一室。上は大阪自然史フェスティバルの段取りの打ち合わせ風景である。下の写真は例会のお楽しみの標本頒布「万華鏡」。今回も有志から多くの標本が提供された。管理人も採集品の秩父鉱山石灰沢のスピネル、茨城県錫高野の鉄マンガン重石、福岡県磁石山の葉片状赤鉄鉱と柘榴石などを提供した。

2006年1月29日
石三昧の1月の締めくくりは無名会例会
 毎週鉱物を楽しめた1月の締めくくりは無名会の例会です。まず、恒例の標本頒布。上横田のパイロープ成分に富む鉄礬柘榴石、河合鉱山の最も端成分に近い鉄礬柘榴石と鉄雲母、産状の珍しい小沢鉱山の斑銅鉱など、今回は一見普通の鉱物だが、成分や産状として興味深い鉱物があった。今回も加藤昭先生の丁寧且つ詳細な解説付きだ。すごく勉強になる。また、水晶山の鉄雲母も頒布されたが、これはかつて「鉄リチア雲母」と称されたものであったが、リチウムが少なく、鉄雲母が相当との事。ラベルを書き換えねば・・・。頒布の後はちょっと遅めの昼食会。同好の方々と鉱物談義に花を咲かせる。

2006年1月22日
やっぱり新年は
益富地学会館の「石を楽しむ新春交流会」
 大雪を心配しつつ、本年最初の高速バス。関東地方で積雪はあったものの、一番心配した関が原周辺は雪も無く、ほぼ定刻で京都下車。この会は昔の「京都地学会新春総会」からずっと私の鉱物ライフの1年の始まりのイベントです。今のような新宿ショーや池袋ショー、京都ショー、大阪ショーも無い時代では数少ない石の即売会であった。ここで入手した一級品標本も多い。しかし、石や出品者は増えているが、昔の様なヨダレを垂らしそうな逸品はもう無い。かろうじて石友のT氏から鉛沢の紫水晶を購入。標本の成果は無いものの普段会えない人々に会うのが楽しみだ。大阪鉱物研究会のOさんや石友会のKTさん(九州でも一緒でしたね)、WYさん、MJさん。京都のベテランコレクターのYSさんやKSさん、古い付き合いの大阪のTSさん、福岡石の会のTさんなど多士済々。
 さて、即売会以外では加藤昭先生と松原聰先生の講演を拝聴。さらに今井さんの山梨県の水晶のお話を拝聴した。・・・という事で標本は兎も角石友との語らいは楽しかったですね。
国立科学博物館名誉研究員・加藤昭先生のご講演風景

2006年1月15日
鉱物同志会のバザーは凄い!
 新年のお楽しみは鉱物同志会のバザーだ。余裕をもって会場(上智大学)へ向かうも、ちょっとしたハプニングがあって10分程前に到着。やはり人気のバザーとあって出席者の数が凄い!既に席は満席で急ごしらえの補助席に座る。 さて、例会は堀秀道会長の挨拶で始まる。今年はモーツァルトの生誕250年との事でモーツァルト石に纏わるお話をされた。その後、いよいよバザーだ。出席者を4組に分けてジャンケンで順序を決める。オークション出品者の後、各組がそれぞれお気に入りの1個をゲット。管理人は最終組であった。折り返しであったので2個をゲット。奥戸鉱山の八面体黄鉄鉱の群晶と早田のトムソン沸石を入手。グレードはともかく価格が安い!他に茨城のメノウ、千葉山のダトー石の大型標本、朝日鉱山の繊維石膏、秩父のスカルン中の自然金を買った。何度も云うがグレードはともかく安い!

2006年1月8日
鉱物科学研究所の即売会に参戦
 鉱物科学研究所で菱刈鉱山の自然金を売り出すという事で出かけました。30分程前に行ったのですが、既に10人程の先客が。皆さん熱心ですなあ。今回の標本は菱刈鉱山の初期の標本で自然金の他、如何にも30万円以上するリッチな銀黒など。管理人はフトコロ具合が良くなかったので*,000円也の自然金を購入。金の部分は小さいのですが、母岩がやや大きめなので標本としてはまずまずかなぁ。

2006年1月1日
管理人(館長)雑誌に載る
 新年早々管理人にとって嬉しい事が。
講談社のアウトドア&クルマの雑誌「FENEK」に管理人が鉱物コレクターとして1ページに亘って紹介されました。この雑誌では今回で3回目の登場です。
 テーマは「アウトドアマンの大風呂敷」との事で今年のデカイ「夢」を書いてほしいとの依頼が編集部よりあったのです。結局、「なんでも鑑定団」でも表明した私の生涯の夢である「博物館」関連と六甲山中の幻の鉱山跡探索を載せました。後者は大風呂敷どころか今年は何としても見つけたいと思っとります。かなり近い所まで行ってると思うのですが、これからがたいへん難しい。
現場は50年以上の年月が経っており、人も余り立ち入った形跡が無く、昔の資料との差が大きい。神戸の金山同様、何とか粘って見つけたいものだ。