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館長の「石漬け」の日々をご紹介して参ります。鉱物採集に行ったこと、ミネラルショーや即売会に行ったこと、同好会の例会に参加したこと、館長の一生の財産である石友の皆さんとの交流、普段の生活での何気ない鉱物との出会い、そして石にまつわるニュース的なことを書き綴って参ります。 |
館長について・・・幼少の頃(小学校低学年)より石集めを始め、鉱物趣味歴60年超。日本産鉱物標本の収集と鉱物趣味史・大阪府産鉱物研究がライフワーク。「夢」は鉱物博物館。現在、益富地学会館運営委員、日本鉱物科学会・福岡石の会・鉱物同志会・地質学史懇話会・奈良鉱物研究会・吹田地学会各会員などいろんなジャンルの所に顔を出しています。詳しくはプロフィールのページへ。 |
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2008年12月21日(日)
2008年 買い納め
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今年の標本会の〆はOaさんの「石の花」である。
今回は「山口県の鉱物」と「京都市周辺の鉱物」がメインとの事だ。
山口県といえば長登、喜多平、大和、喜和田など鉱物マニアにとって憧れのヤマが多い。
今日もオープン前から多くのマニアがスタンバイしていた。夫々にお目当てのものがあるようだが、館長は行き当たりばったりである。
オープンと同時にドッと会場へ押し寄せる。殆どの人が目玉標本のコーナーへ。いつも通りの光景である。
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喜多平鉱山のコニカルコ石は流石に素晴らしい。サイズも大きく、色も実に綺麗だ。元々、島津の標本との事でガラスケースに鎮座していたそうだ。欲しかったが、フトコロ具合と相談の結果、見送りとした。他に喜多平の毒鉄鉱や斜開銅鉱、”幻”の鉱物である長登のスマルト鉱は人気があった。
館長は一般標本のコーナーへ廻り、珍品を探すこととした。
そこで於福町産のサフロ鉱を見つけた。これは本邦ではなかなかの珍品で野田玉川(岩手)で出るのは知っていたが、山口県でも出るとは知らなかった。やはり種類集めからはなかなか卒業出来そうにない。
帰宅して「山口県鉱物誌」をみたら他にも産地があるようだ。もうひとつ喜多平鉱山の手頃なコニカルコ石を入手した。
年末の挨拶を兼ねてであろうか、会館にはいつもより多くの同好が来ていた。
館長はお昼過ぎまで遊ばせて頂いて、今日は早めの帰宅とした。
2日レンチャンだけに流石に手ぶらでは気がひけるので、お土産として、帰りに錦市場で家族に好評の「出し巻き玉子」を買った。それとヨメのお気に入りであるアンドリューのエッグタルトを買って帰り事なきを得た。 |
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12月20日(土)
2008年 採り納め
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早いもので今年もあと10日余りだ。今年最後?の鉱物採集を行った。同好の情報を元に、某所でペグマタイトの調査を行った。ハンマーは全くあたっておらず、誰も来た気配が無い。
しかし、結晶していない石英と長石ばかりのペグマタイトで、それ以外の鉱物が全く見当たらず、標本になるようなものは無かった。昔から館長はペグマタイトにはさっぱり縁が無い。
・・・ということで2008年の採集はボウズで〆た。来年こそ大ヒットを期待して・・・ |
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12月18日(木)
「勝手に関西 世界遺産」
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会社の忘年会から戻るとヨメが一言。「夕刊見てみぃー」
「なんやろ?どうせ、あんまりエーことではないやろうなぁ」と思いながら、パラパラと夕刊をめくると眼に飛び込んだのは見たことのある写真。「桜石や!」
そう。京都府亀岡市産の「桜石」の写真だ。
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記事は以前にもこの日記で紹介した朝日新聞夕刊「勝手に関西 世界遺産」のコーナーで「益富地学会館」が紹介されていたのだ。
内容は益富地学会館と益富寿之助先生の紹介記事である。主任研究員の藤原さんのコメントも載っている。もっと会館の一般的な認知度を高めていかないといけないので、これで皆さんが益富地学会館や石に興味をもってくれて、入館者が増えればたいへん嬉しい。 ところで、この桜石産地は館長とヨメが今を去る30年程前に2回目のデートで行った場所なのだ。今もその時の写真を見ると若かった頃のことが思い出される |
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12月14日(日)
今日も池袋ショー 生れて初めての試験官?だ。
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今日はいよいよ関西へ帰る日だ。午後は館長の重要なイベントが控えている。
三日目ともなれば、もう大した石は無いだろうと会場をぶらぶらしていると某標本店のブースに置かれた標本に釘付けになった。
高温スカルンで知られる岡山県布賀のゲーレン石仮晶(中身は備中石やベスブ石、グロッシュラーなどの混合物)であるが、マッチ箱より大きい巨大なゲーレン石の結晶(仮晶)の集合体だ。まさに「博物館」級の標本だ。最初は「外国産かな?」って思ったくらいだ。
そのゲーレン石から1個おいてその隣の大隅石は本邦二番目の産地である鹿児島県隼人町清水のもので、10p強の母岩の表面いっぱいに細かな大隅石がビッシリと無数に付いている。
館長も大昔、清水の産地(採石場跡)へ行ったが、当時でも握り拳大の母岩に大隅石がせいぜい数個付いたものが取れれば上々であった。
なんでこんな立派な博物館級の標本が三日目まで売れずに残っていたのか実に不思議だ。値段もこのグレードからみれば格安だ。
2点とも地味な石ではあるが、今回のショーでは出色の存在であろう。まだまだ国産標本の掘出物もありそうだ。
さて、午後はいよいよ7級及び8・9級鉱物鑑定士試験だ。
・・・と云っても館長が受験する訳ではない。今回はスタッフとしての参加だ。今回は講師を務める益富地学会館のFtさん、Oaさんに加えて、京都のKmさん、関東からTyさん、Syさん、Ytさん、Nkさん、信州からItさん。しかもKa先生も加わってのオールスター級の豪華メンバーだ。館長にはちょっとプレッシャーやなぁ。
館長は7級の担当となったが、両方とも講習会と試験がセットになっている。まず、講習会を受けた後、試験を受けるのだ。
館長は受付をさせてもらったが、受験者は7級と8・9級併せて100人を越える盛況ぶりだった。講習会は5〜6人が1グループとなって一組の標本セットを観察しながら講師の話を聴くようになっている。スタッフは標本セットから目的の標本を探すお手伝いをしたり、個別の質問を受けたりする。
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鉱物鑑定士講習会場 |
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最終日に見つけたトラピッチェエメラルド
面白い産状だ。 |
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講習会が終わると受験者の皆さんには一旦会場の外へ出てもらい、我々スタッフが素早く、試験会場の設営を行う。今度は受験者一人一人に一組の標本が配られ試験を受ける。館長生れて初めての”試験官”だ。8・9級試験の方は早く終わったようだが、流石に7級はそうは行かない。16時過ぎまで試験が行われた。何とか全員合格してほしいものだ。とにかく、益富地学会館の運営委員としては関東地区でも鉱物鑑定士をドンドン増やして、そして鉱物趣味の裾野を広げたいと思う。
18時頃になり出発の時間が近づいてきたので、皆さんにお別れをして空路、神戸へと出発した。羽田で飛行機が遅れ、帰宅したのはもうチョットで日付が変わる寸前であった。大忙しの三日間であったが、たいへん充実した時を過ごすことが出来た。 |
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12月13日(土)
今日も池袋ショー 加藤先生の講演会他
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2日目も開場前から長蛇の列。巷では不景気風が吹きまくっているが(館長も他人事ではなくなった!)趣味の世界は違うのかなぁ。しかし、業者さんに聞くとお客さんの財布に紐はたいへん堅いようだ。館長も昨日、店の留守番をして感じた。
今日はある外国の業者のブースで国産の里帰り標本を見つけた。秩父鉱山の磁硫鉄鉱の結晶(流石、里帰り標本だ。変質していない。ずっと日本にあったらこうはいかないだろう)、同 菱鉄鉱(表面が虹のように輝いて見えた。さしずめレインボーシデライト?かな)、山梨県宮本村産水晶のトッコ(柱面の短い山入りのトッコ。宮本村という産地名が時代を感じさせる)、足尾鉱山産燐灰石(標本一面に微細な結晶が群生したもの)等々。いずれも小型標本であるが、時代を感じさせる良いものであった。このような古典的な里帰り標本も随分少なくなったものだ。
今日も会社の同僚、Htさんが遠路熊谷から駆けつけてくれた。昼メシをご一緒しながら四方山話で大いに盛り上がった。
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里帰り標本の秩父鉱山産磁硫鉄鉱 |
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加藤昭先生のご講演 |
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午後は加藤昭先生(国立科学博物館名誉研究員)のご講演を拝聴した。テーマは「同系鉱物の化学組成の違い」だ。
特に興味深かったのは花崗岩の成因だ。「花崗岩は深成岩でマグマが地下深くでゆっくりと冷えて固まったもの」と小学生の頃から教えられてきた。しかし、花崗岩は実は砂岩のような岩石が再生して出来たもので、「再生岩」という第四のジャンルが存在するというものだ。これは50年前からある考え方だそうだ。以前の地質学会のオープンセミナーで聴いた「付加帯」同様、岩石も勉強しておかないといけないな、と思った。 |
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12月12日(金)
今日から池袋ショー 驚愕の標本に唖然!
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今日から池袋ショーだ。最近利用している大阪発の格安の高速バスで新宿に降り立ち池袋へ。今回もマクドナルドで時間をつぶした後、サンシャイン文化会館2Fの会場へ向かう。
開場30分前に着くともう長蛇の列。金曜日だというのに。
まぁ、館長も有休休暇をもらっているだけに偉そうには言えないが。10時のオープンの時間となり会場へ入る。まず、業者さんや関東在住の石友にご挨拶しながら会場を一巡。日本産鉱物専門業者さんのブースへ。ここでいきなりトパーズと遭遇。しかも山梨県黒平産だ。
頭が無いがそこそこの大きさがある上、母岩付きである。しかも安い!当地のトパーズは持っていないので「参考品」として購入した。
ミネラルマーケットさんや益富地学会館など日本産鉱物を多く扱っている所を廻る。ミネラルマーケットさんでは尾太の大きな菱マンが印象的。
そして今回の超目玉は何といってもコムロさんの輝安鉱巨晶だろう。まさに「博物館級」標本とはこのような標本の為にある。
他には蛭川産のトパーズも凄かった。残念ながら触像となっているが、大きさは今まで売りに出たのを見た中では最も大きい。
午後も眞鍋鉱物研究所さんをベースに会場をウロウロしていた。
夕刻からHkさん、Tkさん、Hさん無名会メンバーと忘年会。
初めて、台湾ラーメンを食したが、沖縄そばに似ていてなかなかいける味であった。話の方は明治期の鉱物趣味の話や水石の話、果ては新幹線の話などとても酒席の話と思えない楽しい話題であった。 |
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12月7日(日)
石友会納会 恒例の採集&鍋パーティー
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2日続けての鉱物採集だ。本日は大阪石友会年末恒例の納会である。本当に1年は早いもんだ。
今年の納会場所は大阪府能勢の長谷(ながたに)である。
ここの正長石は小型ながら有名な標本だ。能勢といえば大阪府の最北部で館長が大阪の小学生の頃は「寒天(かんてん)」の産地で有名であった。それほど寒い場所なのだ。昨日も極寒の中での採集であっただけに2日続けてはチョットなー・・・と思ったが、幸い昨日ほどではなさそうだ。助かった!
集合場所のJR川西池田駅に集まった会員は総勢なんと29人。
今回も多人数の納会だ。Nm名誉会長やIkさん、Ftさん、Mtaさん、Mtoさん、Ynさん、Niさん、Htさんなど顔馴染みのメンバーが揃った。特に、ThさんとWyさんとは昨日も一緒で、全く同じスタイルだ。
ここでクルマ6台に分乗して長谷へ向う。途中で休憩を挟み、約1時間で現地に到着した。クルマを下り、採集用具以外に鍋や食材をもって山に入る。今回はKh会長とNkさんが開拓された新ルートだ。緩い登りの踏み分け道を約15分程歩いて、採集ポイント近くに到達した。ポイントといっても造岩鉱物がターゲットなのでエリアは広い。Kh会長の説明の後、個々に散らばって採集を行う。Kh会長は早速”宴”の準備を始められた。この心配りにはいつも有り難く思う。
さて、正長石は贅沢を言わなければ無尽蔵にあるが、それだけに館長としては目標スペックがある。『手のひらサイズで表面に5〜10個程度の正長石のカルルスバッド式双晶が立体的に付いているもの』という恐ろしい目標を自分に課した。正長石はクリベージがあるので、岩を割ろうとすると簡単に割れてしまう。やはりここは館長の定番、「表面採集」だ。・・・となると長石の風化が進んでカオリン化しているものが多くなるし標本の表面も汚い。ちょっと悩ましい。
これというものが採集できないうちに”宴”の時間となり、全員集まって「寄せ鍋」、「餅入りうどんすき」、「手作りおでん」などが振舞われた。材料は各種野菜類、豆腐、ソーセージ、豚肉、鴨肉、海老、イカなど実に盛り沢山である。あちらこちらで石談や世間話が始まり、普段はまず人が入らない山奥がパーティー会場になった。館長も普段はあまりお話することがない方々ともいろんなお話が出来て楽しませてもらった。
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大阪石友会ホームページへもどうぞ! 会員募集中!
http://osaka.cool.ne.jp/sekiyuukai/ |
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正長石・高温石英を探す |
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楽しい鍋パーティー |
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恒例!万華鏡頒布 |
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石友会謹製!「石友会どら焼き」 |
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楽しい”宴”もお開きになり、解散まで残り1時間、最後の力を振り絞っての採集となった。この時点で館長は1p級の高温石英の母岩付きが1個だけ採集出来たが、最後の最後でようやく2個の長石が飛び出した大きめサイズの標本を拾った。当初の目標スペックには遠く及ばないが、今日はこれでヨシとしよう。
名残惜しいが、いよいよ下山時間となり、最後に長谷の入口で恒例の「万華鏡」頒布が行われ、会員提供の標本が多数皆さんに配られた。本日の一等賞は遠路姫路から参加のYm嬢であった。
おめでとうございます!
館長はFtさんご提供の船岡鉱山産のペントランド鉱とThさんから採りたての奈良県引水鉱山産のパイマンを頂戴した。
そして本日特筆すべきはNkさんが作られた「石友会どら焼き」であろう。日本の鉱物同好会数多あるなかで、会のマーク入り「どら焼き」を作った会はそう無いであろう。鉱物趣味歴46年の館長も聞いたことが無い。有り難く頂戴した。食べるのがちょっと勿体無いくらいだ。商品化したら売れるかも・・・。
帰りはクルマの中で同乗頂いたStさんから九州の三池炭坑で昔、採炭夫として勤務されていた時の貴重なお話を伺うことが出来た。
このような実体験に基づくお話は是非、書き物にして頂きたいなぁ。50年記念誌にお願いしよう。今日もお願いしたが、次回お会いした時に再度お願いしてみよう。
そうこうする内に出発地のJR川西池田駅に帰着。ここで皆さんとお別れした。帰りに、昨日も採集にご一緒した”似た境遇”(ヨメが怖い!)のWyさんと川西阪急百貨店で”罪滅ぼし”のケーキを買って帰った。(別に悪いことはしてないんやけどな・・・) |
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12月6日(土)
寒ッ! ダム湖底の採集
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奈良鉱物研究会の今年最後の例会が行われた。場所は滋賀県東近江市の佐目子谷だ。ここでは先日、益富地学会館の巡検も行われた。
今日の参加者は15名とのこと。京阪の宇治駅でTh1さんやMamaちゃん達と合流し、一路冬の近江路へ向う。途中のJR近江八幡駅でYh嬢や初鉱物採集の姉妹をピックして紅葉の名所、名刹永源寺を横に見て程なく産地に到着。しかし、今日はメッチャ寒い!まぁ、12月だし、山の中だから仕方がないか・・・。現地で理事のTh2さんや石友会のWyさん達と合流し産地に向う。
産地はダム湖に注ぐ谷(佐目子谷)だ。普段はこの谷もダム湖と共に満々と水を湛えているそうだが、冬季は湖の水位が下がり、湖底に注ぐ谷が現れる。採集ポイントは谷の転石と谷のサイドに現れている露頭である。主な産出鉱物は方沸石等の沸石類や斧石、柘榴石などで緑色岩から産する。
現地は谷に下りる時にちょっと注意を要するくらいで比較的楽な産地といえる。ただ、谷の流木の多さにはちょっと驚いた。形の良いものは商品になるのではという人も居たくらいだ。
Th2さんから説明を受けた後、各自散らばって採集を始めた。館長もサンプルを探すが、なかなかコレというものが出てこない。元々、細かいものが多いようだ。
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奈良鉱物研究会ホームページ
http://www.geocities.jp/mama2331/ |
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普段は水没している谷での採集 |
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紅葉を見るだけでも価値有り |
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今日はメッチャ寒いものの、お天気はたいへん良く、湖岸の紅葉が実に美しい。結局、採集は殆ど行わず、参加者の皆さんとお喋りばかりしていた。最近、どうもハンマーを持つ手が動かず、口ばかり動く。
2時半頃で採集は終り、帰路に着いた。明日は石友会の納会だ。今日一緒に参加したTh1さん、Wyさん、Ym嬢とは明日もまた顔を合わせるのだ。 |
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11月30日(日)
祝! 無名会75周年
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今日は無名会の75周年記念式典参加の為上京した。東京へ来るのは6月の新宿ショー以来だ。館長は無名会には20年前の最初の東京転勤の時に入会し、九州転勤の為一旦退会し4年前の2度目の東京転勤で再入会させて頂いて今日に至る。特に最初の入会は櫻井欽一先生直々のお誘いで入会させて頂いたのが館長の誇りでもあるのだ。
いつも通り高速バスでの上京となり、東京駅周辺で時間を潰した後、ちょっとコムロさん(旧小室宝飾)へ立ち寄った。コムロさんの前回の即売会には都合で来られなかったので、前から見たかった神岡鉱山の閃亜鉛鉱巨晶や蛭川・岩畔のトパーズ巨晶(蝕像)、乙女鉱山のツイン付きの大きなトッコを見せて頂いた。丁度、コムロさんには同じく式典出席の為に上京されていたMh先生がいらっしゃったので会場までご一緒させて頂いた。
パーティー会場は永田町の星陵会館だ。(写真上)
4Fの会場へ行くと既に多くの出席者が居られ、Si先生やKa先生など現会員、OB会員の重鎮の方々がズラリ。流石に歴史のある会は違うなぁ。会場では約1年ぶりで石友のY2さん親子やHkさんなど多くの石友の方々と再会した。本日の参加人数は77名とのことであった。
式典は正午からK2さんの司会で進められた。Si先生や京都のFtさん、福岡のIsさんの祝辞の後、乾杯が行われ、なごやかな雰囲気の中で進められた。
途中、櫻井先生の肉声が収録されたテープも披露された。館長も久しぶりにお会いする方々とお話する一方、今までメールでしかコミュニケーションの無かった方ともお会いすることが出来た。2時間のパーティーの後、全員で記念写真を撮り解散となった。
引出物で75周年記念誌と加藤昭先生の「日本産鉱物分類別一覧」を頂戴した。この75周年記念事業を少しでも石友会50周年記念事業に活かしたいと思う。
新幹線の時間までまだ2時間以上あるので、新宿で行われているホリミネラロジーさんの「ミネラルコレクティングAutumn’08」を見にいくことにした。(写真下)
会場ではすっかり有名になったタンザニアのスペッサーチンやアホー石入り水晶群晶など美しい標本が多数出品されており、眼の保養をさせて頂いた。
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11月22日(土)
但馬路採集行 はじめての朝日金山へ
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今日のメンバーはKhさん、Ynさん、Nkさんの兵庫県グループだ。早朝、Nkさん宅に集結し一路但馬へ向う。途中、ある鉱山跡で採集後、和田山に入る。本日の目的地は朝日金山である。
朝日鉱山といえば有名な自然金の産地で、国立科博にある同地の自然金はまるで「黄金の霜柱」を思わせる素晴らしいものだ。勿論ルーペ不要で、老眼の館長でも見える。まぁ、そのようなものは到底不可能としても有名産地なので一度はこの眼で見ておきたい。また山金だけでなく砂金も有名だ。
山中に入ったクルマを少し広くなった場所に停め、渓流沿いの山道を登る。数年前の大型台風の影響で倒木があり、また道も荒れておりたいへん歩きにくい。この産地がホームグラウンドでもあるKhさんからレクチャーを受けながら登っていく。道沿いの細い渓流が砂金の有名産地である堀場(ほっぱ)だそうだ。川を想像していただけに少々驚いた。ここには夫々お三方のポイントがあるそうだ。こんな狭い渓流でも1mは掘らないと岩盤には達しないそうである。Nkさんはウエットスーツで採集するとの事、一寸館長には真似が出来ない。
今日は砂金採集の用意をしていないので、横目でみながら鉱山跡に向う。途中で鉱山の関連と思われる石垣がいくつも見られ、わりと大きな規模の鉱山であったことが想像できる。
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堀場(ほっぱ)の砂金産地
思ってたよりも小さな川だ。 |
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朝日鉱山のズリ
石は沢山あるが、金は少ない。 |
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山道を登りきって小石ばかりで極めて登りにくい急斜面をなんとか登るとズリに達する。現場に着くと既に先客があった。
声のする方向に向うと何と東京時代からの石友である「金」のスペシャリスト、Ihさんご夫妻であった。これにはちょっとビックリ。
年賀状のやりとりだけで、10年以上お会いしていなかったが、思いもかけない所で会うものだ。他にも京都からのパーティーも1組居られた。
さて、当地の自然金は殆どが微細な水晶の表面にくっ付いた産状とのことで、それを目当てに探す。Khさんにここでの採集方法を聞くとM氏式採集法が良いとのこと。M氏式採集法で割ることに労力を費やさず、ひたすら先客の割り残しを探す。そうこうしている内に割った断面にキラっと光る微細な点を見つけた。KhさんやIhに見て頂くと自然金とのこと。疲れが一気に吹っ飛んだが、後で無念の結末が待っていようとは・・・。
この季節は日が傾くのが早い。だいぶ日が陰ってきたので、午後3時頃には下山を始めた。
久々にお会いしたIhさんと再会を約しここでお別れ。我々4人は家路についた。次回は砂金採集にチャレンジしたいものだ。 |
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11月15日(土)
生駒山地で鉱物採集
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今日はリベンジ採集である。ターゲットは大阪・奈良府県境に聳える生駒山中の沸石だ。前回、館長は無謀にも真夏の単独行をやって、あわや熱中症でぶっ倒れ寸前までいった産地だ。
しかし、今回は強力な猛者のパートナーが2名いる。Th1さんとTh2さんだ。(ご両人共Thさんなので今回は失礼ながら1、2と付けさせて頂く)
生駒山麓にある電車の駅で待ち合わせ一路生駒山に向う。ここからとにかくひたすら登りである。平坦な部分が殆ど無い。ハイキングコースでもあるので暫くは急坂ながらもちゃんとした道を登る、その内、ハイキングコースから外れ、道なき道を更に一山越えた後、谷の遡上と約1時間ちょっとの行程ながら、かなりきつい。こんな所が大阪府にもあるんやなぁ。
現場は谷間で大きな石がゴロゴロしており、巨大なものは小屋くらいの大きさがある。一人ではなかなか来られない薄気味の悪い場所だ。ここはもう生駒山頂に近いようで花崗岩はあまり無く、山頂部分を形成する斑レイ岩が殆どだ。ここの沸石はあまり立派なものはなく岩石の表面に貼り付いたようなものが多い。しかし大阪府産としては貴重な標本である。
転石に見られる沸石は菱沸石が殆どであるが、Th1さんが大きな岩の一部に沸石脈らしいものを見つけられた。「おぉ、ついに発見!これが幻の露頭か!」と思ったが、どうやらこれも巨大な転石のようだ。しかし、こんな大きな岩を山のテッペンから持ってくるとは自然のパワーはすごいな。すごい勢いで転がってきたんやろうな。
ここの沸石はどうやらソーダ沸石のようだ。一部にはキラキラ輝く輝沸石も伴っている。脈の肥大部を3人で代わる代わる掘って、各自厚みのある満足の出来るサンプルが採集出来た。
また、Th2さんは金属鉱物らしきものも見つけられた。ひょっとして、これと生駒山頂にあったという幻の旧坑となんらかの関係があるのだろうか。
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生駒山中の沸石産地
大きな岩がゴロゴロ。歩きにくい。 |
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Th1さん発見のソーダ沸石脈
ハンマーの周囲の白い部分 |
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生駒山を望む |
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それと館長にはもう一つ狙いがあった。それは斑レイ岩中の大きな斑晶だ。恐らく角閃石だと思うが、やたらデカイものがある。中には斑レイ岩というよりは「角閃岩」といった方が良いものもある。結局、デカイ劈開片の集まったものと空隙にある自形結晶を採集出来た。ほぼ満足。
また、少ないながら安山岩礫もあった。Th1さんによると生駒山の宝山寺には安山岩が広く露出しており、これが大阪府側にも突き抜けているとのこと。恐らくその一部だろう。斜長石と思われるあまり輪郭のはっきりしない斑晶が含まれており、これもサンプルとして採集した。
十分な成果が得られ下山。帰りにTh1さんに無理を言って、子供の頃(45年前)初めて採集に行った大阪−奈良府県境にあった珪長石鉱山跡を見に行った。今は鉱山とは全く別の工場が操業中で鉱山跡は自然に帰り、当時を偲ぶものは皆無のようだ。寂しいが外から現在の姿だけを写真に収めた。豊中の待兼山同様、子供時代の思い出は遠い夢の世界へと旅立った。(感傷・・・) |
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11月8日(土)
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今、益富地学会館3F展示室で館長の「組標本コレクション」のアマチュア展示を行っているが、今日はその展示説明会の日だ。
しかし、生憎の雨模様。今回はテーマがテーマだけに大入りは期待出来ないが、更に天気がこれでは来てくれる人はいるのかなぁ・・・。
1時間程前に会館に入りプレゼンの用意を始めた。石友会のMtさんやOmさんが来て下さった。結局、参加者は6名にとどまった。やはり採集ネタでないと人が集まらないようだ。残念ながら・・・。
今回の館長の話は展示の組標本だけでなく、それを作った標本業界、更には関係した鉱物学者や鉱物コレクターなど、どちらかと言えば「鉱物趣味史」の話である。これはまとまった資料があるわけではなく、遥か昔からの文献資料、先輩コレクターや標本業界の方々から聞いたお話、館長の見聞きしたことをまとめたものである。
従って、今日聴いて頂いた皆さんは、まず他では聞くことの出来ない話を聴いて頂けたという自負がある。昔からのコレクターは標本だけでなく、このようなことにも詳しかったのだが・・・・・・。
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丁度、会館には永く標本業界にお勤めであったKさんが居られ、いろいろ貴重なお話を伺えた。それによると組標本は昭和40年頃まで盛んに作られたこと、組標本サイズに石を割ることが難しく(特に結晶片岩)手間がかかりコストが合わなくなったこと、サンプルは専ら採集していたことなどお話頂いた。
帰りにクリスタルワールドさんにおじゃました。Yh社長とお話をしていると、偶々同窓会で上洛されたTkさんが来られた。しばし談笑。 |
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11月2日(日)
久しぶりの秦野鉱山。益富地学会館鑑定士研修会にて。
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久々の秦野鉱山(池田市畑)だ。手元の記録では最後に行ったのが2004年8月の大阪石友会野外例会(この時はついでに行った大萱原鉱山で不覚にも転倒して腕を切り流血して戦意喪失した厭な痛い思い出がある)以来なので約4年ぶりだ。
但し今日は個人的な採集ではなく益富地学会館主催の鑑定士研修会のスタッフとしてのお手伝いである。
阪急電車の箕面(みのお)駅前に集合時間の45分前に行くと既に数人の方が来られていた。今日は指導員として会館のFtさんの他Oさんら鉱物鑑定士3名、運営委員の館長を加えて5名が引率することとなった。今日の参加者はなんと55名。スタッフも入れると60名の大集団だ。子供連れのファミリーも多く参加されている。石友会期待の若手会員、Kt嬢とAk君の顔も見える。天気もよくたいへん清清しい。
60名の集団は定刻に駅前を出発。大阪府道9号線に沿って、一路西へ池田市方面に向かう。箕面と池田の市境を越えて国道9号から別れ、いよいよ山間部に入る。坂道の住宅街を抜けると急に未舗装の山道になり、道は人1人分くらいの細さとなる。あまり人の通行は無いようだ。山道の下には石澄川が流れているが、水量は極めて少ない。周囲に山が迫り深山幽谷の感があり、とてもここが大阪府とは思えない風情だ。
目印の白竜大社(無残にも壊れていた)から石澄川に注ぐ支谷に入るのだが、橋が危ない状態なので安全策をとって一旦、石澄川の河原に降り、迂回して再び支谷に入るルートをとった。
急な斜面をロープや木につかまりながら支谷の前方に聳える大きな堰堤の上に登る。ここからいよいよ谷の遡上だ。
堰堤の上には鉱山から流れてきたズリとおぼしき石がゴロゴロしている。ここでも採集は出来るのだが更に道なき道をひたすら上流に登る。ゆっくり歩いてきたこともあって、結局、箕面駅を出発して1時間15分かかって鉱山跡に到着した。 |
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阪急・箕面駅前に集合 |
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まず、鉱物の見つけ方や割り方、標本の包み方などのレクチャーを受ける。 |
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採集ポイントに全員が揃ったのでFtさんによる説明が始まる。
今回は参加者の大半が鉱物採集初めてという事でことで、かなり丁寧に石の見つけ方、割り方、包み方などを説明された。
説明の後、各自三々五々採集を行う。館長の仕事は皆さんが採集した鉱物を鑑定したり、女性や子供さんの為に石を割ってあげたりと結構忙しい。また、単に鑑定だけでなく鉱物の出来方や標本の見方、採集後のケアなどの解説も加えなければならないし、何よりも一番の仕事は皆さんの安全確保である。
さて、採集会のサポートの合間に自分の採集もやらせてもらった。特にここは大阪府であるだけに大阪府新産鉱物も見つけたい。
そのような中で恐らく秦野鉱山初産の桃簾石(チューライト)を見つけた。他に岩石の表面に貼り付いた石膏、結晶ではないがかなり良品(秦野としては・・・)の灰重石を採集出来た。また、濁沸石様の鉱物も採集した。それと中学生の少年が牡蠣殻状方解石(アフライト)の良品を採集していた。他に硫カドミウム鉱も少量見られた。
とにかく、皆さん鉱物の勉強をしながら楽しく採集されたようで、また怪我や事故も無くなによりであった。館長も採集のサポートは初体験でたいへん新鮮であった。また機会があればやらせてもらいたいと思う。
今日参加された多くの子供達が大きくなってもこのまま鉱物趣味を続けてくれることを願ってやまない。 |
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11月1日(土)
明治時代の組標本を入手
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早いもので、もう11月だ。益富地学会館の運営委員会で上洛した。。いつもは委員会の終了後も会館でウロウロしているのだが、今日は「結婚記念日」である為、終了後すぐに自宅へ戻る。
自宅へ帰ると宅急便が届いていた。先日オークションで苦労して落札した組標本2式である。一つは北海道の鉱石ばかりを集めたもので製造元や販売元は判らない。残念ながら2点ばかり欠品していた。
もう一点もかなり古そうなので落札したが、「生雲堂片桐本店」という聞いたことも無い会社だ。只、「金石舎」のOEMというのは一見して判った。しかも標本の体裁から察すると明治時代の製品のようだ。状態は良くないがこの年代の組標本は貴重である。思いもかけない高値の落札となったが、まぁ稀品だと思うので、落札しておいて良かったかな・・・。
いよいよ来週土曜日は益富地学会館でのプレゼンである。果たしてこのテーマ(昔の組標本)で人が集まるか・・・一抹の不安はあるが、とにかく全力投球である。 |
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10月25日(土)
秋の但馬路へ コウノトリ見物?
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夫婦の会話・・・
館長:明日、石友会や!
ヨメ:また石か!(怒)
館長:いや!コウノトリ見に行くねん!
ヨメ:なんで、石友会がコウノトリ見物やねん!?ウソやろ!
いや、ウソではない。今日の目的の一つがコウノトリ見物である。
いつも通り川西に集合。本日の参加者はいつもより少なめの16名。4台のクルマに分乗して、一路秋の但馬路へ。天気もまずまず、やや涼しい感じでフィールドワークには最適だ。
出発して1時間ちょっと、10時近くになって館長は時計が気になりだした。今日は10時から東京のコムロさんの即売会なのだ。
今回は石友会の行事と重なった為、電話での参戦と相成った。会場オープンの時間となり電話をする。今回の館長のターゲットは秋田県釈迦内鉱山のブース石だった。詳しい説明は省くとしてブース石は緑礬の仲間で成分はタンバンに近い。案外稀産で館長も国産で出会ったのは初めてだ。一点限りで、もう売れてしまったかなと思ったが、幸いまだ売れておらず無事ゲットできた。これでまずは一安心。これで採集に専念出来る。
まず、最初の訪問地は円山川畔の玄武岩の露頭であったが、露頭は見つからず、ポイントが違ったか、露頭が無くなったのかは判らない。
ここはすぐに切り上げ、最初の訪問地である「コウノトリの郷公園」へ到着した。コウノトリが日本の空から姿を消して30年、ここ豊岡で再びコウノトリを大空に羽ばたかせる事業が進められている。生れてはじめてコウノトリの実物を見たが、鶴とよく似ている。昔の人が鶴とコウノトリを誤認したのも頷けるなぁ。ここで昼食をとり、今日のメインである神鍋山(かんなべやま)へ向う。
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コウノトリの郷公園 |
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神鍋山で火山弾を探す |
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美しい神鍋山の火口 |
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神鍋山は関西ではスキー場で知られるが、約2万年前に出来た火山(噴石丘)なのだ。ゴツゴツした溶岩の山ではなくスコリアや火山弾や礫で出来ているなだらかな山だ。山頂には綺麗な火口もあり、クルマで山頂近くまで登れる。さて、ここでの目的は火山の観察と火山弾の採集だ。火山弾ということであれば、いくらでも落ちているが、ターゲットは所謂「レインドロップ」と言われる「紡錘型」や「砲弾型」をしたものだ。
採集に先駆けて、Kh会長からご自身で採集された見事な砲弾型の火山弾が披露された。全員がそれぞれ思い思いの場所に散らばって採集を始めた。大物は結構あるのだが、綺麗なレインドロップはなかなか見つからない。館長はまずまずのものを大中小の3個採集出来たので、火口やスコリアの崖などを見学した。スコリアの空隙に何か面白い鉱物はないかとルーペで覗いてみたが、残念ながら無かった。
15時頃まで採集した後、全員で記念写真を撮って、恒例の「万華鏡」配布を行う。館長は愛媛県五良津山の鉄礬柘榴石を頂く。小品であるが、母岩に1p程の結晶がのぞいている愛らしい標本だ。不思議とここの柘榴石は持っていなかったので丁度良かった。
15時半頃下山し、途中で休憩したり、土産を仕入れたりで集合場所に戻ったのは19時前であった。長時間運転して頂いたNkさんに感謝。石友会の次回例会は一年を締めくくる「納会」である。
もう「納会」の時期か・・・一年は早いなぁ・・・と実感した。 |
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10月19日(日)
若林標本の三角銅
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某石人の虎の子のコレクションである「荒川の三角銅」を無理を云って譲ってもらった。この標本はただの三角銅ではない。日本三大鉱物コレクションの一つである若林弥一郎先生のコレクションであったのだ。但し、若林先生の直筆ラベルが無いので、云わば「伝・若林標本」ではあるが・・・。(若林標本から到来した旨の添書きはある)
三角銅と言えば、荒川以外には宮田又(秋田)や舟打(青森)が昔から有名で、尾去沢(秋田)や尾太(青森)からも出るそうだ。本邦特産と思っていたらメキシコあたりからも出るらしい。でも、やはり三角銅は荒川に限るなぁ・・・と館長は思う。
黄銅鉱は保存が難しく、この標本も光沢は失われているものの黒化はしていない。特に欠けもなく板状の実に三角銅らしい三角銅だ。
大きさも底辺で4.1pある。このような標本は市場で入手することは殆ど不可能に近い今日この頃である。 |
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10月12日(日)
実質、今日から京都ショー
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昨日あれほどドタバタしたので、館長にとって実質今日が京都ショーの初日だ。まず、眞鍋鉱物研究所と福岡石の会のブースへ。今日から福岡石の会のAt嬢やWt先生も来られ、九州で一緒に採集に行ったSさんも来られた。九州勢が勢揃いした。例の「宗像石」は昨日売れたそうだ。
その後、国産結晶鉱物の充実しているコムロさんへ。尾去沢や小坂の鉱山モノは流石だ。神岡鉱山の方鉛鉱は迫力があったなぁ。一番すごかったのは市之川鉱山の大きな輝安鉱。ドイツからの里帰り品ということで、テリも強く保存状態は見事であった。
昨日は急用の為、横山先生の大阪層群に関するご講演が聴けなかったのはたいへん心残りであった。今日は山岡理事長のご講演「益富寿之助先生と正倉院」を拝聴することとした。石の勉強というよりは歴史の勉強であった。石薬と歴史の関りはたいへん興味深かった。(写真上)
今日も日本産の鉱物を探したが、触手の伸びるようなものはなかなか見つからない。その中でTさんご出品の稲目鉱山(振草)の硫砒鉄鉱を購入した。今の館長のサイフではちょっとキツイがこのような標本はこの先入手が難しいと判断。2cmオーバーの菱餅状の結晶が多数集まっている佳品で、特に金属鉱物の命である光輝が素晴らしい。館長も訪山したことがあるが、こんなのは見たことがない。
会場では豊中のTaさん親子、三田のHtさんなどのお顔を拝見したが、例年に比べて石友の数が少ないような気がする。
次に隣の会場に移る。ここでは各社のブースの他、特別展示やイベントコーナー、益富地学会館のコーナーなどがある。丁度、イベントの真っ最中で皆さん、きらら(雲母)の栞を作っていた。(写真下)
特別展示は益富先生所縁の「正倉院の宝物になった石 石薬と石製宝物」であった。館長は特に益富先生の作られた「組標本」に注目。流石、サンプルの美しさは他の組標本に比べて素晴らしい。また、貴重な写真も多く展示されていた。 |
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10月11日(土)
今日から京都ショー!但し、僅か30分!
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今日から京都ショーだ。さぁ!石を楽しむぞ・・・と意気込んだのだが、直前になって当日午後から会社関連の行事(仕事ではない)が入ってしまった。
お昼までに大阪市内某所に行かねばならない。逆算すると会場を10時30分までに出なければならない。10時開場なので滞在時間は僅か30分しかない。
朝5時起きで会場へ向う。開場時間となり会場へ入る。
まず、なにはともあれ、眞鍋鉱物研究所さんと福岡石の会のブースへ向う。大阪鉱物研究会のThご意見番や福岡石の会のHkさん、Oy嬢、Tkさんにご挨拶して早速出品物を拝見。これか!今回の目玉は・・・。
今回の目玉はなんと「宗像石」だ。出てくるとは思わなかった。恐らく売りに出るのは初めてだろう。ちょっとお値段は高目だ。写真だけ撮らせてもらって、今回は指をくわえて眺める。他には長垂の大きめのペタル石やポルクス石があった。その中で、鹿児島県鹿屋市栂平鉱山の自然金+自然蒼鉛の標本を見つけた。自然金そのものは微細で、館長の好みとちょっと外れるが産地の有名度で購入した。(館長は原則的に肉眼で見えないものは自然金とは認めず、「金鉱」だと考えている)
もう時間がないので、コムロさんや大江理工社さん、タケダ鉱物標本さん、マクニールさんなどにご挨拶だけして会場を後にした。とにかく慌しい一日の始まりであった。 |
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10月5日(日)
吹田地学会へ
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吹田地学会の総会に出席した。吹田駅で降りるのは何十年ぶりやろ・・・。雨の中、駅前から国道沿いにある商店街をブラブラ歩きながら会場へ向かう。ここは大阪の下町の風情が残っている。途中で売っていた鶏の唐揚げが美味そうだったが(行列が出来ていた)、時間の関係でここはぐっと我慢した。
吹田地学会には石を通じての古くからの知り合いである副会長のArさんのご紹介で入会させて頂いた。本会はまだ設立して日が浅いが吹田市(大阪万博で知られる)を中心とする大阪層群の研究が主なテーマである。今では貴重になった大阪層群中の火山灰層や海成粘土層の保存活動や地学の普及に尽力されている。館長の守備範囲である鉱物とは直接の関係は少ないが、古くから(万博前)大阪層群中の高師小僧と多少の関りがあったので、趣味の幅を広げる意味からも参加させて頂いた。会場には会員の約半数にあたる10名以上の参加者があった。メンバーもArさんと以前のセミナーでお顔を拝見した役員のH先生とA先生以外は皆さん初めての方ばかりで、ある意味新鮮であった。
総会の前に大阪市立大の三田村先生の「大阪平野をつくる地層と上町断層」のご講演があった。大阪平野の地下の構造や地震の液状化のメカニズムなど興味深い内容であったが、地質学におけるCGの威力はすごいなぁ。
11月に大阪市内で巡検があるとのことで今から楽しみだ。因みに館長は吹田市の鉱物は持っていない。豊中同様、あるとしたら高師小僧か鬼板、海成粘土層から吹き出した硫黄か石膏くらいだろう。 |
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10月4日(土)
アマチュア展示 公開初日
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今日から館長のアマチュア展示「昔の組標本」の公開である。
さぁ、皆さんに関心をもっていただけるか、ちょっと不安ではある。館長としては自信の展示なのであるが・・・。ややマニアックなので。
会館の図書室でようやく「南部鉱物標本」を見つけた。これは後に茨城県博などで刊行されたものではなく、南部さん自身が昔出されたもので、いわゆる「青焼」である。それにしても流石、見事なスケッチだ。これから毎回、見るのが楽しみだな。 |
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9月28日(日)
楽しい地学教室
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京都2日目は益富地学会館で行われる「楽しい地学教室」である。本日のテーマは「花崗岩に産出する鉱物を考える」。講師はこのたび「櫻井賞」を受賞された、大阪鉱物研究会会員でもあるOmさんである。約2時間、花崗岩の様々なアプローチによる分類や花崗岩中の鉱物共生、花崗岩中の含Al鉱物などについて解説された。会場は満席の盛況であった。参加者にはお土産の標本も頂いた。
セミナー終了後、来週から始まる館長のアマチュア展示「昔の組標本」のセッティングを行った。 |
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9月27日(土)
久々に”ニチカ”へ行ってきました!
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今日から2日間京都である。・・・といっても最近は月3回は京都へ来ている。本日は久々のニチカ(旧日本地科学社)訪問だ。同社は土曜日は休業日であるが、今週は祝日がある週なので土曜日も営業日である。ニチカへ来るのはホントに久しぶりだ。十年ぶりどころではないなぁ。館長のコレクションの小箱はいわゆる「ニチカサイズ」を使用している。その箱の調達が目的である。
ついでにニチカ三階のショールームを見せて頂いた。昔に比べて外国産鉱物が増えたものの、中には国産では考えられないようなビックリするような標本が何気なく置かれているのは流石、ニチカだ。
また、ショールームの隅っこに写真が置いてあるのに気が付いた。益富先生が昔作られた「鑛物陳列所」の写真だ。たいへんな貴重品だと思う。
十分眼の保養をさせて頂いて30分程ショールームを見せて頂き、そのまま帰ろうかなと思ったが、丁度同社のSt会長がいらっしゃるとのことで急遽、ご挨拶することとした。ご挨拶のついでに昔の標本業界のことや理振法のことなど貴重なお話を色々お聞きすることが出来た。
ニチカをあとにして、まだ時間があるので、本邦標本業界の先駆者の一つである島津製作所の「島津創業記念資料館」を訪ねた。島津製作所標本部当時のブック型標本でもないかなぁと思ったが、残念ながら地学標本の展示はなかった。それでも初期のX線写真撮影装置(レントゲン)など昔の貴重な理化学機器が多数展示されており、十分見ごたえのある内容だ。また、時間のある時にゆっくりと拝見したいと思う。 |
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9月23日(水)
珍品!? 小坂鉱山の硫黄結晶?
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またまた、ブック標本を入手した。最近はメインの鉱物標本の入手が不振であるが、ブック標本の方は好調だ。
さて、今日入手したのは大阪の吉田泰三商店標本部とある。これは初見だ。恐らく昭和10年代であろうが、いろんな所から出ているものだ。大阪府産の岩石標本が3点入っている以外は特に変わった点は無いが、小坂鉱山産?の硫黄が入っているのは特筆ものだ。しかも「鷹の目硫黄」の結晶である。硫黄が出てもそんなに不思議ではないのだが、小坂鉱山産でこんな結晶は見たことも聞いたこともない。産地的には疑問だが・・・。ホントに小坂鉱山産ならば超珍品だろうな。 |
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9月21日(日)
石の花へ
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今日はOaさんの「石の花」である。今回は福島県石川の鉱物が目玉とのこと。益富地学会館へは開場30分前に着いたが、2名の先客があった。やはり雨の影響かいつもに比べて出足が鈍い感じだ。それでも定刻にはいつものメンバーがほぼ揃った。会場に入ると全員が一点に集中するのはいつもの景色だ。皆さん、思い思いの標本を購入されている。小樽松倉鉱山のミメット鉱や石川山の柘榴石美晶や緑柱石、電気石の両頭結晶、コルンブ石の美晶、土呂久鉱山のレグランド石、尾平の硫砒鉄鉱などが目に付いた。
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館長は今回、奈良市北椿尾の亜鉛スピネルと奈良県生駒郡芋山の鉄リチア雲母を入手した。前者は館長も採集に2回行ったが採れなかった。Oaさんも採集用の見本として購入されたが、現地では採集出来なかったとのことで、なかなかの難物のようだ。関西では有名標本である。後者は丁度、坂口鉱山の反対側(奈良県側)になる産地で、関西では珍しい標本だ。Oaさん自らの採集品だそうだ。
会館は昼すぎに切り上げて、丁度21日(弘法大師の命日)であるので東寺で行われている”弘法市”に向うこととした。”弘法市”は十年以上ぶりだが、今日は雨模様なのでちょっと心配である。しかし、ひょっとしたら石関係の出物があるかもしれない。近鉄・東寺駅に着くと既に雨は止んでおり、東寺には多くの客が詰め掛けていた。
但し、天気の関係か前回より骨董関係のお店が少なくなっているような気がした。そのような中、一店だけ石を主に売っている店があった。殆どがいわゆる「美石」であったが、中に中瀬鉱山の輝安鉱に酷似している石があった。今回は特に買うものが無かった。 |
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9月18日(木)
日本鑛物資源標本
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組標本の名品に「日本鑛物資源標本」という120種のものがある。益富寿之助先生が日本砿物趣味の会から出されたもので、昔の「我等の鑛物」にも広告が載っているし個々の標本の大きさもやや大きめである。館長も持っているのだが残念ながらリストが欠けているのだ。これでは価値は半減だ。
偶々同じ物を石友会のHtさんが持っているのを知り、お願いした所、快くコピーを提供頂いた。リストには120種以上リストアップされている。どうやら益富先生が個々の”製品”毎に中身をチョイスする仕組みのようで同じ120種でも中身が違うようだ。従って、突合せ作業もかなり面倒であった。
また、大阪の「前川」の組標本を入手した。2段のもので個々の標本サイズも大きめだ。箱に破損や時代からくる劣化はあるものの中身はほぼ完品だった。ただ、この「前川」については殆ど判っておらず、標本業界の重鎮の方々に聞いてみよう。 |
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9月14日(日)
木津川の河原で緑柱石探し!
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久々の地学巡検である。今日は京都府木津川の河原の石の観察だ。木津川は昨年末に大阪石友会の納会にて更に下流の八幡市で高師小僧を採集したが、上流側では様々な岩石や鉱物が見られる。木津川は三重県・滋賀県を通り、京都府で三川合流して淀川となって大阪府を流れるのだが、その間のいろいろな種類の岩石を運んできている。ここ加茂の河原では、丹波帯の中生代〜古生代の堆積岩、領家帯の変成岩や花崗岩、室生火山岩、そして鉱物としてはホルンフェルス中の紅柱石や桜石、ペグマタイト中の電気石などがターゲットだ。
さて、集合場所のJR加茂駅には少し早目に着いたが、既に会館のFtさん他数名の方が来ておられた。Thさんら石友会のメンバーのお顔も見える。Ftさんのお話では今日は何と約60名の参加だそうだ。盛況である。ファミリーの参加もかなり多いようだ。
定刻の10:15には全員が揃い、一路木津川の河原へ向う。ほぼ平坦な道の15分程の行程なので楽なのだが、この時間でもかなり暑い。
自宅(兵庫)を出る時は雨模様だっただけに信じられない天気の良さだ。Ftさんによると事前情報では現地は2年前と比べて草が生い茂りかなり採集場所がかなり狭くなっているとのことだ。
河原へ着くと既に地元にお住まいの案内役のお一人、Tkさんがサンプルなど用意して到着を待っておられた。この場所は鉱物コレクターとしては少々物足らなく思うかもしれないが、なかなかあなどれない産地なのだ。・・・というのはこの地の転石から意外にも緑柱石が見つかっているのだ。Tkさんはそれをもとに上流へ辿り、苦労の末、緑柱石を含む露頭を発見されたのである。・・・ということで本日の館長のターゲットは「緑柱石」。転石には前述の岩石が多いが、緑柱石を含む石英なかなか見つからない。まぁ、Ftさんによればこの地では最初に見つかったものを含めて3個体くらいしか見つかっていない「稀産鉱物」なのである。そんな簡単に見つかる筈がない。
一方、木津川の下流に眼をやると山肌に樹木の無い場所が見える。これがマンガン鉱物で有名な法花寺野の砕石場だ。この関西の超有名産地も残念ながら現在は稼行していないとのこと。この砕石場を20年以上前にアポ無しで単独訪問し、作業員の方々から親切にして頂いたことが思い出される。1pオーバーのかなり赤みに強いマンガン柘榴石のほぼ完全な結晶が母岩に埋まった標本を頂き、なんと帰りは加茂駅までトラックで送って頂いたのだ。懐かしいなぁ・・・。
さて、時間の経過とともにグングン気温が上がってゆく。館長もだんだんとヘバッてきた。Ftさんがテントを用意して下さったのでそこで休むことが多くなった。リュックの中のミネラルウォーターはいつのまにか”ぬるま湯”になっていた。その時、Tkさんが「あったで!」と云って石を数個持ってこられた。見せていただくと何と石英に埋没した緑柱石であった。誰かが割った後の石にあったとか。割ったご本人は気づかなかったようだ。流石、Tkさんである。館長も一個、有り難く頂戴した。館長定番の「表面採集」に続く「コバンザメ採集」である。結局、猛暑もあって予定を30分早めて14:00に解散となった。
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加茂駅から木津川の河原へ向う参加者。平坦な道を15分は楽だが暑い! |
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草木の茂ってないところが採集ポイント。以前は草木も無く一面が採集ポイントだったそうだ。遠くの山の斜面の樹木の無い所が法花寺野の砕石場跡。 |
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採集風景 |
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説明を熱心に聞く参加者の皆さん |
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Tkさんからご自宅へお招き頂いたので帰りに立ち寄らせていただくことにした。ご自宅は南山城の自然に囲まれた素晴らしい環境の中にある。自然をうまく取り込んだお宅で、ウッドデッキも広く、パーティーが出来るように設えてある。外観はモダンだが自然環境にうまく溶け込んでいる感じだ。流石、芸術家のお宅は違うなぁ・・・。
「渡辺篤史の建物探訪」に出てくるようなお家である。このような家の好きなヨメには見せられないなぁ。絶対「建てて!」というに決まっている。
鉱物と化石コレクション用の広いスペースがとってありなかなか見ごたえがある。Tkさんのコレクションはご自身で採集されたものが多く、水晶やザクロ石、大好きなアナテーズなど随所にこだわりが見える。化石も金生山と淡路島、一時居られた英国の化石が実に見事。こだわりながらも鉱物や化石、日本産と外国産などに捉われないコレクションのスタイルは素晴らしいと思う。
暫くしてFtさんと今日は指導員で参加されたマンガン鉱物で有名なTmさんも到着され、石談義をしながらのコレクション拝見となった。楽しいひと時を与えて下さったTkさん、Ftさん、Tmさんに心から感謝したい。 |
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9月13日(土)
ブック型標本を推理する その2
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久々にブック型標本を入手した。欠品も何個かあり、中の仕切りも無くコンディションは良くないが、ちょっと面白そうなので手に入れた。
岩石と化石も入った42種の一見ごく普通の組標本であるが、一番特筆すべきは「石川石」が入っていることだ。いろいろ組標本を見てきたが、稀元素鉱物が入っているのは初めてだし、何と言っても日本産新鉱物だ。ただ、「新鉱物」と言っても決して新しい訳ではなく、記載されたのは1922年だ。また石川町のコルンブ石も入っている。年代を推定してみる。「鑛物資源の研究」という商品タイトルで、「鑛」の字を使っているので一見古そうに見える。しかし、「高・中・小地下学教材」と書かれていることから、戦後のものだろう。戦前のものであれば「尋常」とか「国民学校」とか書かれている筈だ。
発売元は「日本MINERAL研究所」とのこと。初めて聞く名だし、住所の記載も無い。この標本は中学一年で使われていたようだ。中学で「石川石」が出てくるなど夢のような話だ。 |
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9月6日(土)
京都ショーへ向けて発進!
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早いものでもう京都ショーの季節だ。本日の運営委員会は京都ショーに向けての最終確認となった。今回の京都ショーは20周年記念であり、益富先生に因んで「正倉院の宝物となった石」がテーマだ。イベントは「きらら(雲母)のしおり作り」が行われる。Kさんが尽力された素晴らしい出来で、館長もやってみたい・・・と思う。多数のご来場を一同お待ちしております。
また、委員会の中で館長のアマチュア展示計画が報告され10月から3ヶ月間展示させて頂く。内容は「昔の組標本」である。明治時代から戦前までの組標本(ブック型標本)を皆さんに観ていただく。
お時間のある方は是非ご来館頂きたい。尚、11月には館長の展示説明会もセットされている。たいへんマニアックなテーマであるので人が集まるのかたいへん不安である。こちらも宜しく・・・。
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9月1日(月)
遅い夏休みC出雲にて ”沸石岩”露頭見学と世界遺産を訪ねて |
朝早くに眼が覚め、朝風呂を済ませたが朝食までまだ1時間程ある。そこで、昨日のジャスパー産地近くの沸石岩の露頭を訪ねることにした。実は昨日も露頭のすぐ横を通っているのだが、夕刻であり時間の都合で行かなかった。「もうえーかー」と思ったが、ここにはもう来ないかもしれないので禍根を残さない為にも、露頭の見学をすることにした。許される時間は行って帰って30分内外、サッと行ってサッと帰って来なければならない。流石に昨日で懲りたのかヨメは行くとは言わない。
昨日と同じ道を辿り、メノウ旧坑上り口手前の田んぼの奥にある白い露頭前に到達した。・・・とその時、館長の真横を茶色っぽい光沢のある長いものがクネクネしながらスーっと走って行った。「ヘビや!」一瞬、体が固まった。ヘビ嫌いは父親譲りだ。暫くジッとしていたが、気を取り直して草むらをガサガサやりながら恐々露頭に向う。露頭は何の変哲も無い白い壁だった。写真を撮った後、ハンマーを持っていないので、とりあえずサンプルとして転石を一個表面採集した。沸石の正体は判らないがモルデン沸石だろうか、斜プチロル沸石だろうか?とにかく目標の時間内には宿に戻れた。
定刻に旅館を出た観光バスは一路、今回の旅行の目的地である石見銀山を目指す。今回のツアーの観光客の97.5%(40人中39人)は世界遺産の観光目的であろうが、ここに只一人、「福石」の現物確認を目的とする異質な観光客が一人いることを他の皆さんは知らんやろうなぁ。しかもバッグにはハンマーこそ無いが、もう一つの”武士の魂”であるルーペを忍ばせている客が・・・。
出雲大社などを巡りながら約3時間程走り、観光バスは正午過ぎに銀山観光の出発点である銀山公園に到着。ここで地元のガイドのおじさんに付いて、この観光の目的の龍源寺間歩(りゅうげんじまぶ)へ向う。片道2.3Kmの行程だ。途中、銀山奉行であった大久保長安のお墓や精錬所跡、古い間歩や古寺を見ながらほぼ平坦な山道を歩いて行く。涼しければ爽快なコースであるが、今日はとにかく暑い!
1時間程して、ようやく間歩に着いた。当然ながら坑内はメッチャ涼しい。たいへん快適だ。間歩に入ると坑道の左右に穴があいている。これは脈の方向に垂直に坑道を掘り、着脈したら今度は左右に”ひ押し”する”横相”という坑法だそうだ。確かに脈の方向が判れば一般的な”ひ押し坑道”に比べてずっと効率的な採掘法だよな。・・・ということは、さしづめこの坑口は「通洞」といった所か。
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↑玉造温泉近くの沸石岩露頭 |
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↑石見銀山の間歩 |
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↑清水谷精錬所跡(明治時代) |
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↑石見銀山資料館(大森代官所跡) |
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間歩の見学を済ませ、大急ぎで30分に1本のバスに飛び乗った。残念ながらこのバスは廃止されるそうだ。そして終点の大森代官所跡のバス停に到着。集合時間まであまり時間が無いので、「石見銀山資料館」へ急いで向う。資料館には銀山にまつわる様々な資料が展示されていたが、ここで遂に「福石」に遭遇した。そこで眼にしたものは、名古屋で入手したような何の変哲も無い岩石だった。見た目には石英や方解石などの所謂、脈石鉱物のカケラもない全くの岩石だ。そうか、やはりアレが「福石」かぁ。それにしても見た目にも品位は悪そうだ。恐らく凝灰角礫岩の中に鉱染状に自然銀などが入っているのだろう。でも知らなかったら、まずヤマから持って帰らないだろうなぁ。先日入手した「福石」は二酸化マンガンで覆われていたが、福石にマンガンの含有量が多いという説明も頷ける。
この資料館には福石以外にも多数の鉱石が展示してあった。残念ながら時間の都合でジックリと見られなかったが、島根県の松代鉱山の霰石と小馬木鉱山の輝水鉛鉱は立派だった。特に後者は平瀬鉱山産と遜色無い程のものであった。塊ではあったが、石見銀山に縁の深い笹ケ谷鉱山の硫砒鉄鉱も展示してあった。また鉱石ではないが「灰吹銀」はたいへん貴重なもので一見の価値はある。もし、鉱物ファンの方で石見銀山へ行かれる方がいらっしゃれば、間歩や街並みだけでなく、この資料館は必見だと思う。
今年の夏休みは大阪→東京→名古屋→神戸→鳥取・島根と忙しい四日間であったが、たいへん楽しく充実していた。
さぁ、またしばらく仕事だ。頑張ろっと! |
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8月31日(日)
遅い夏休みB 館長初めての出雲路へ |
館長が日本の都道府県の中でまだ足を踏み入れたことのない県が3県」ある。そのうちの一つが島根県だ。今日からその島根県への旅行なのだ。夏休み第二幕の始まりである。因みに目的は石では無く純粋な家族旅行(・・・といってもヨメとの二人旅だが)である。一応・・・。 しかしこの石の日記に書く理由があるのだ。今回はH交通社の一泊バス旅行だ。旅行のタイトルは「世界遺産 石見銀山遺跡と出雲路・玉造温泉」だ。石の判る人には、このタイトルで二ヶ所の鉱物産地が頭に浮かぶだろう。従って、普通の観光旅行だが、決して石に無関係ではないのだ。
朝、神戸・三宮で観光バスに拾ってもらう。バスは中国道から米子道へ入り、蒜山高原を通って一路松江へ向う。天気にも恵まれ、さほど暑くもなく、大山もよく見えた。松江では時間は短かったが、船に乗って堀川めぐりや小泉八雲の旧居を訪ねた。堀川めぐりの船着場近くに石材として著名な松江特産の来待石(凝灰質砂岩)があったので記念にパチリ。(写真上)
宍道湖の湖畔で休憩をとったりしながら、今夜の宿泊地である玉造温泉へ着いた。まだ16時30分だったので日も高い。・・・であれば玉造で鉱物マニアのやることは決まっている。
玉造はその名の通り、大昔から有名なメノウやジャスパーの産地で勾玉なども作られたそうで、その工房跡も残っているそうだ。晩メシまで時間があるし、旅館から割りと近そうなのでメノウ採掘坑跡へ行くことにした。今回は観光旅行でもあるし、採集は期待していないので「武士の魂」の一つであるハンマーは流石にもってこなかった。
メノウ採掘坑跡へなんとヨメも一緒に行くという。これはちょっと意外だった。後で聞いたらまさか山を登るとは思っていなかったそうな。ちょっと近所の公園へ行くくらいの気持ちだったようだ。そんな訳ないやろう!
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↑松江市特産”来待石” |
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↑めのう採掘坑跡の説明板 |
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↑めのう採掘坑跡 |
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浴衣姿の人で賑わう温泉街を抜けて山に向って坂道を登り、メノウ産地のある花仙山の山裾に達する。観光地だけに山には案内板やメノウ旧坑へ通じる立派な?階段が付いている。頭上遥か高くには高速道路が走っている。急な階段と山道を使って、なんと、まさに天空に架かった様な高速道路の更に上へ上がる。ヨメはブツブツ云いながらも何とか付いてくる。そうしてようやくメノウ採掘坑跡に着いた。(写真下)
坑道はちゃんと整備されていて説明板(写真中)もあり中に入れるようだが、あいにく施錠されていた。中を覗いたが薄暗くて奥がよく見えない。しかし坑道は結構深そうだ。「残念・・・」と思いながら写真だけ撮って振り返ると山道に濃緑色のジャスパー(碧玉)が落ちていた。折角なのでいくつか拾って帰ることにした。あまり珍しいものではないが、お土産には丁度良い。
久々の温泉を堪能して、夜は本場の「どじょうすくい」も観ることができてまずは順調な滑り出しだ。 |
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8月30日(土)
遅い夏休みA 夏休み恒例の名古屋ミネラルショーへ |
さぁ、今日は名古屋ショーである。今回は館長の所属する無名会も出展するとあって、お手伝いをすることとなった。
今年から吹上ホール内の会場も更に広くなった。我が無名会のブースは会員提供の標本で100%邦産鉱物である。目玉は埼玉県小松鉱山のフィアネル石などの稀産鉱物、各地の自然金など。その中で真っ先に売れたのは尾太鉱山の紫水晶であった。小品ではあったが尾太鉱山産としては色も良く透明度が高かった。値段も手頃で買われた方はラッキーだったと思う。稀産鉱物は人気が高く、館長が店番をした初日で殆ど売れた。自然金などの金銀鉱物も人気があって相当量売れた。
結局夕方までに1/3程売れ、まずは上々の滑り出しであった。会場は広くなってブースも増えたように思うし、また動きやすい。
名古屋ショーは名古屋鉱物同好会の主催でもあるので、伝統的にアマチュアの出展がたいへん多い。一方、プロの業者も多数出展しており、海外の標本商やパワーストーンなどが少ない点を除けば、構成は新宿・池袋・京都・大阪ショーと飯田橋のミネラルマーケットの中間的な感じであろうか。また名古屋という東西の中間的位置の為、東京や京都・大阪の有力コレクターが揃うのも特徴だ。
一方、どこのショーでも云えることだが、残念ながら邦産標本の逸品クラスは殆ど見かけなくなっている。今回も水晶峠の大きめのトッコくらいだろうか。館長は今回も財布のヒモは堅かった。購入したのは富山県高清水鉱山の石墨。石墨の銘柄標本であるが館長のコレクションには小品しかなかったのでちょっと大きめのものを入手した。それとかなり結晶は細かいが今まで持っていなかった栃木県万珠鉱山の紫水晶を買った。
無名会のブースの真正面が館長のお馴染み、益富地学会館と大江理工社さんのブースであった。Ftさん、Oa嬢、Imさん、Nkさんなど知った顔が多い。会場では他に従兄のFm君や石友会のKh会長、役員のWyさん、若手会員のKt嬢、茨城の石友Uoさん、福岡の石友Tさん、長野のItさん達にお会いした。また無名会のブースにはMs先生やMh先生にもお立ち寄り頂いた。
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さて、休憩時間を利用して懇意にしている某標本店のブースへ行って、「何か無い?」と聞いたところ、「コレどう?」と云われたのが見かけはお世辞にも綺麗とは言えない岩石の塊、それも凝灰角礫岩らしい・・・。「なにコレ?」と館長。「『福石』や!」と予想もしない答え。「エッ!?ホンマ?『福石』?『福石』ゆうたら、あの石見銀山の『福石』?どこが『福石』なん?」。実は館長は「福石」が初見なのである。
「福石」は世界遺産・石見銀山を世界的な銀山にした有名な鉱石で自然銀を多量に含んでいることで知られる。ギラギラの鉱石を想像していた館長も予想が大きく外れてビックリ。ただ、聞いた限り、出所は割りとシッカリしているし、見せて頂いた資料通りの石だ。
「福石」は江戸時代には採り尽され、現在では見た人があまり居ないまさに「幻の鉱石」だそうだ。館長は続原色鉱石図鑑に載っていた櫻井標本の「福石」の印象が強い。
丁度、明日から石見銀山方面へ観光ツアーに行くので宿題としてもっていくこととした。館長としても興味のあった石であるので、将来の博物館構想?の展示品とすべく一番大きなモノを購入した。福石との意外な出会いであった。そうこうする内に関西へ帰る時間となり、ちょっと後ろ髪を引かれる思いで会場を後にした。さぁ、明日から夏休みの第二幕や。 |
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8月29日(金)
遅い夏休み@ 国立科博「金GOLD 黄金の国ジパングとエル・ドラード展」 |
世間では夏休みが終わっている所は多いが、館長の勤務先は各人が夫々の都合に合わせて休暇を取るシステムの為、今日からちょっと遅めの夏休みとなった。
まず、夏休みを使って上京することとした。お決まりの高速バスは東京駅に着いた。マクド(東京ではマックだが)で朝食と時間調整を行った後、上野の国立科学博物館へ向う。
目的は科博の特別展「黄金の国ジパングとエル・ドラード展」の見学であった。わざわざ東京まで出かけたのは訳があって、中瀬鉱山産の恐らく本邦一の”山金”を見たかったのである。
かつて標本業界で長く活躍されたKtさんが「まるで孔雀が羽を広げたような・・・」と形容された自然金である。会場に入館すると黄金の仏像や金の延べ棒など素晴らしいものがあったが、まずは自然金である。世界最大のウェルカムストレンジャー(レプリカ)や現存する世界第二位の塊金「ニューモント・ノルマンディー・ナゲット」(実物)に驚かされながら、日本産の自然金が展示してあるエリアに到達。「あった!これかぁ」写真では見たことがあるが実物は初めてだ。中瀬鉱山の標本は全部で4点あって、上記の「孔雀の羽金」の他に大きめの母岩から子供の小指サイズの葉片状の結晶がワカメの様にニョキっと延びたものや、母岩に埋没したもの、そして7〜8cm大の自然金を沢山含んだ二個の石が一枚の葉片状の自然金で連結された標本など流石に素晴らしい。日本離れした標本に暫し、ディスプレイの前で釘付けになった。
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↑ 国立科学博物館特別展入口 |
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↑ 館長垂涎の逸品。兵庫県中瀬鉱山産の見事な自然金結晶群(展示会のポスターより。実物は日本精鉱鰹椛) |
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他には以前見たことのある産総研(旧地調)の鹿折鉱山産モンスターや磯部鉱石資料館(合同資源産業梶jで見せて頂いた秩父の”紐金”と「再会」できた。また、館長初見の標本では宮城県女川鉱山の自然金は母岩も大きく立派であった。ひとつ残念であったのは日本各都道府県の砂金を集めたコーナーがあったが、大阪府産の砂金が無かったことである。自然金や金鉱石以外に館長がスゴイなと思ったのは大判、小判がズラッと並んでいたコーナーだ。大判は当然立派であるが、慶長小判から万延小判まで一堂に展示してあったが、やはり慶長小判が一番貫禄があるなぁ。特別展を見た後、日本館に展示されている櫻井標本を見学し、科博を後にした。
もう一ヶ所、今回の上京の目的である上野公園の東京都美術館で開催されている「フェルメール展(光の天才画家とデルフトの巨匠たち)」を見に行った。オランダ絵画の巨匠、フェルメールは「真珠の耳飾りの少女」や「牛乳を注ぐ女」で知られる画家であるが、遺した作品が少ないにも拘らず、これだけ多数のフェルメールの作品が一堂に会するのは極めて異例との事。館長はフェルメールの実物を観るのは初めてだが、流石に光の表現や使い方は抜群である。
今日は中部地区の大雨の影響で新幹線が運転を見合わせていたそうだが、館長が乗る頃に運良く運転再開となった。夕刻、名古屋へ到着。早速、Tyさん、Tkさん等東京の無名会の面々と会い、旨い焼肉で大いに盛り上がった。久しぶりに食べた好物の「ユッケ」は美味しかった。最後に韓国風冷麺で〆て終了。 |
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8月9日(土)
展示説明会で上洛
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今日も暑い!ヨメに「こんな暑い日にワザワザ出かけんでもエエのに・・・」と云われながらも真夏の京都へ向う。最近は運営委員会と展示説明会で月に2回は会館へ行くようになった。14時から益富地学会館で展示説明会があるが、1時間前に着いたので早速、資料漁りを行う。戦前の”岩石鉱物鉱床学会誌”を一通りチェックした後、偶々見つけた「地球」という雑誌の昭和7年の記事に大阪府豊中市(当時は豊能郡櫻井谷村)待兼山の高師小僧の記事を発見した。随分昔から知られていたんやなぁ。待兼山の高師小僧発見の経緯が判ってたいへん興味深い内容であったが、当時既に実体が針鉄鉱(ゲーサイト)と判っていたようだ。
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丁度Oaさんがいらっしゃったので鉱物鑑定をお願いする。先週、Oaさんから北海道豊羽鉱山のティール鉱の表面に付いている微細な赤い鉱物についてご教示頂いた。手持ちの標本に赤味を帯びた微細な結晶が付いていたので見てもらったが、結果は残念ながら閃亜鉛鉱であった。もし運が良ければ火閃銀鉱だったのだが・・・そうはうまくいかんなぁ。
さて、展示説明会のテーマはFtさんの「日本の鉱物“美晶・巨晶・希晶”」であった。会館の展示品の中から、会館の所有する一級品の標本について実物を見ながらお話が聴けるという内容だ。市之川の輝安鉱に始まり、会館ご自慢の日本式双晶、佐山の大型閃亜鉛鉱、田口のパイマン、馬上の輝安鉱、勝山の重晶石など説明があった。今日も帰りに京の台所、錦市場を散策して帰った。 |
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8月2日(土)
益富地学会館へ
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毎日暑い日が続いている。とても採集どころではないし、ミネラルショーも8月末の名古屋まで無し。今日は益富地学会館の運営委員会であるが、これが終われば当分の間、石の予定は無し。同好の方から、最近日記の更新が無いですね・・・と言われたが、日記の通りである。まぁ、シーズンオフということになる。
さて、運営委員会では久々に京都のIsさんにお会いした。年賀状のやりとりだけでもう10年以上はお会いしていなかったなぁ。昔、Isさんを始め石仲間5人で田口や津具、稲目、中宇利、吉川などを採集旅行したことが懐かしく思い出される。運営委員会では夏の催しの話や京都ショーの打ち合わせを行って散会。帰りは石友会のWyさんとクリスタルワールドさんへご一緒した。 |
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7月20日(日)
猛暑の中、タングステンの鐘打・和知鉱山跡を訪ねて
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ようやく梅雨があけたが、とにかく連日の猛暑である。外へ出るのが嫌になるのだが、鉱物採集は別である。・・・ということで恐らく今年の夏唯一の採集になるであろう石友会の野外例会である。目的地はタングステンの鐘打と和知両鉱山跡である。関西がフランチャイズの館長であるが、どういう訳か鐘打鉱山は初めてだ。場所が不便なこととあまり珍しい鉱物が出ないので行かなかったのか今となってはハッキリしない。只、現役の時に行っておくべきだと少々後悔はしている。
殆どのメンバーがJR川西池田駅に集合。本日も28名の参加で盛況である。数台のクルマに分乗して一路盛夏の丹波路へ。途中、道の駅で亀岡からのメンバーと合流して全員が揃った。
そして11時30分頃、現地へ到着した。採集ポイントは鐘打鉱山近傍にある道路カット面のタングステンを含む石英脈である。丹波帯の中生代の地層を幾筋もの石英脈が貫いている。この中に灰重石などの鉱石鉱物が含まれているそうだ。
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写真上:鐘打鉱山近傍の道路のカット面。幾筋もの石英脈が見える。
写真下:和知鉱山跡 |
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昼食を挟んで採集を行うが、とにかく暑い!石英脈を掘るのは諦めてひたすら転石を割るが、あまり良い灰重石は出ない。結局、早目に撤収してもう一ヶ所、和知鉱山跡へ向う。案内の方は道の分岐から4〜500mくらいですよ、と云われるが行けども行けども着かない。しかも緩いながらもこういった時の登り勾配は辛い。暑くなければそんなにたいした事はないんだろうが、距離が何倍にも感じられる。漸く現地へ着いても既に疲労はピーク。一旦腰を下ろすともう動けない。仕方無く手の届く範囲の石を割るもタングステンは出ない。他の参加者もあまり採れていない様子だ。結局採集品は細い苦土電気石が石英中に入ったような標本だけに終わったが、まぁ、採集だけが目的ではないのでこれいいか。帰途、街中に設置された温度計を見たら、なんと37℃であった。暑い筈や。 |
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7月12日(土)
今週も益富地学会館へ
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また、今週も益富地学会館である。明日から祇園祭だが京都はもう既にお祭りムードである。普段よりも心なしか外国人観光客が多い気がする。
さて、本日は京都府在住のMtさんによる展示説明会だ。Mtさんは前にも書いたが幻になった産地の発掘や誰も知らない鉱山跡の発見など実に精力的に活動している。今回は最近1年間に採集した産地の紹介があった。館長は大阪府の小和田鉱山の情報が聞きたかったのだが、しかしよく見つけたものだなぁと感心する。他に京都や兵庫、更には山口や徳島の産地まで標本を回覧し、地図を書きながら説明された。出席者は熱心にメモを取っていた。
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Mtさんの展示は9月まで行われ、いよいよその次は館長の番である。館長の展示は特に鉱物採集に直接関係無いし、マニアックなので皆さんが関心を示してくれるかたいへん心配ではある。
帰りに京都の台所「錦市場」をブラブラ。家の土産に田中鶏卵の”だし巻きたまご”と鳥清の”鳥ハム”を買って家路についた。 |
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7月6日(日)
今日も益富地学会館へ ”石の花”
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昨日に引き続き益富地学会館へ。今日はOaさんの”石の花”だ。
今回の目玉は田原の母岩付きトパーズだ。煙水晶と長石とのバランスが絶妙で、OaさんのコレクションでもTOP3に入る標本とのこと。他にも神岡鉱山の結晶鉱物を多数出品されるとのことで期待が高まる。
1時間近く前に行くと、既に先客が2名。開場までの間,、2階の図書室で時間を潰すこととした。今まで気が付かなかった、長島乙吉先生が主宰された礦物同好會の会誌”趣味の礦物”の合本があったので拝見した。若林弥一郎先生などの寄稿があり、昔の文章だけにスラスラとは読めないが内容は興味深い。しかもかなりのハイレベルだ。
開場時間が近くなったので一階に下りるとだいぶ人が増えていた。
石友のKyさんやAsさん、石友会の役員でもあるWyさんなど滋賀県の同好が数人いらっしゃった。最近の関西の鉱物趣味界では滋賀県勢がすごく元気だ。大阪勢や兵庫県勢も頑張らんとアカンなぁ。
オープンの時間になり一斉に即売会場へ。一級品標本は初めからパスして館長はまず大阪府の鉱物を探す。
早速館長が見つけたのは豆粕の緑簾石だ。これは館長も採集出来ていない。細かい束沸石を多数伴い、白っぽい母岩の中の鮮やかな緑色が美しい。なかなか良い標本だ。
次に眼が止まったのは大分県尾平鉱山の山コルク(グリューネル閃石)だ。朱で「銀鋪」と書かれた時代を感じさせる標本である。尾平鉱山へ行った時も採集できなかった。同行の福岡石の会のベテランメンバーも「採れなくなった」と言っていただけにこの有名標本も絶産のようだ。昔は採集の合間にこの山コルクで遊んでいたそうだ。
もう一つ、アフチタル石があった。本邦では昭和新山で知られている程度の珍しい鉱物だ。火山の噴気孔に産する硫酸塩鉱物である。また種類集めに走ってしまった。
結局、同好とお喋りしたり、資料漁りをしたりで昼過ぎまで遊ばせてもらった。帰りにはこれも定番のクリスタルワールドさんへもお邪魔した。 |
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7月5日(土)
益富地学会館へ
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とにかく暑い!電車賃を節約する為、四条烏丸から会館まで歩くのだが、今日に限って言えば”誤算”だった。しかし京都の夏本番はまだ先なのだがやっぱり京都の夏はハンパではない。
水分補給しながら汗だくになって会館へ向う。
会館では丁度、今月からアマチュア展示が入れ替わったのでとにかく三階へ見に行く。今回は関西周辺の新産地の発見や幻の産地の発掘に頑張っているMtさんの展示だ。
Mtさんは幻となっていた大阪府の小和田鉱山(マンガン)も再発見されたのだ。残念ながらロードン石ばっかりとの事。館長も機会があればぜひ行きたいものだ。しかしながらMtさんの熱意と行動力には脱帽だ。
序に会館標本の大分県の引き出しを見せてもらう。尾平鉱山の標本を見せてもらった。15時からは会館の運営委員会に出席し今日はこれでおしまい。明日はまた会館へ来るのだ。 |
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6月29日(日)
日本地質学会のシンポジウム(ひと博)へ
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先日色んな博物館の催しをチェックしていると”兵庫県立人と自然の博物館”(以降 ひと博)で日本地質学会の公開講演会とシンポジウムが行われるとの告知が眼に入った。
兵庫県中部の中生代は近年、丹波竜でたいへん注目されている。
今回は6人の研究者が「丹波層群」について色々な角度からお話をされるが、いつもお世話になっているSt先生も発表されるとのことで拝聴することとした。”ひと博”も最近ご無沙汰なので、久々に鉱物展示や話題の丹波竜も見たいと思っていたので丁度良い機会だ。
博物館に着くとまずポスターセッションの会場へ足を運んだ。テーマはいずれも館長にとってはあまり馴染みの無い難しいテーマだ。
結局シンポジウムは2時間半拝聴したが、館長にはチョット難しかった。
初めて聞いた単語も多かったので、帰宅後調べてみることにしよう。
ただ、古地磁気のお話やプレートテクトニクスによる日本列島の生成過程のお話は勉強になった。そして館長が住む地域の北にカルデラ(佐曽利カルデラ)があったなんて館長にとっては意外もいいところだ。その意味では知識も増えて、来てよかったと思う。
終了後、一般展示をちょっと覗いた。兵庫県の鉱物の展示コーナーがあり、中瀬鉱山の自然金や輝安鉱、明延鉱山や生野鉱山の鉱石が展示されていた。その中に多田鉱山の藍銅鉱があって、これは立派な標本であった。 |
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6月22日(日)
大阪石友会総会
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今日は大阪石友会の総会である。昨日からの雨で出足を心配したが、会場の大阪市立自然史博物館(大阪・長居公園)の集会室には29名の会員が集まった。
前年度の事業報告、会計の承認、役員人事の承認など総会議事の後、新入会員の自己紹介が行われた。それにしても最近の会員増加のペースがすごい。2000年頃に30名ちょっとであったが、なんと90名を超えてしまった。特に最近は大学生の人たちなど若手会員の入会も多く石友会の将来を考えると心強い。
会員数の急増もあって、世話人にあたる運営役員(5名)を新任して会員のフォローアップ体制の充実を図った。館長も引き続き役員としてお手伝いすることとなった。総会議事も終わって休憩を挟み、館長は今年1月から6月の個人活動記録を報告した。それから次回の野外例会の場所を検討し、京都府内の鉱山跡に決まった。有名鉱山であったが、館長は訪山したことのない産地だけに楽しみである。
総会の最後はお楽しみの標本無料頒布「万華鏡」である。会員有志が持ち寄った標本がテーブル一面に並べられた。(写真下)
流石に”石”であれば特定のジャンルに拘らない会だけに内容もバラエティーに富んでいる。今回は館長も何点か協力させてもらった。
まず、新入会員の方から優先的に標本選びを行い、後は順に標本を選んでいった。
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館長は狙っていた和歌山県広川町産の針ニッケル鉱を入手出来た。ドロマイトの空隙に微細ではあるが綺麗な細柱状結晶が散在している佳品だ。出品者の方によるとこれだけのものは現地ではなかなか採集困難との事。館長もこの産地には行ったことがあるが本鉱は採集できていない。
また、鉱物ではないが大阪府豊中市産の正珪岩(オーソコーツァイト)も入手した。この岩石は大陸から流れてきたという約10億年前の岩石であるが、現地はマンションなどが建ち、既に”幻の産地”である。ここの正珪岩は黒色の電気石を含むという特徴があるのだ。館長は電気石を多数包有した大きめのものを持っているが黄色タイプのもので、今回は小さいながら紫色タイプであったので有り難く頂戴した。総会は盛況のうちに16時頃散会した。 |
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6月20日(金)
ブック型標本を推理する
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会社の人たちと神戸市内の焼き鳥屋で一杯やって、ほろ酔い加減で帰って来ると、宅配便が1個届いていた。インターネットオークションで落とした組標本であった。今回の落札品は20種という組標本でもかなり種類の少ない部類であったが、個々の標本サイズはやや大きめだ。「尋常第四学年」とあり、尋常小学校そのものが昭和16年まで存在したので恐らく昭和初期のものだろう。蓋の裏にかすかに”13”という数字が読み取れる。昭和13年の意味だろうか?残念ながら製造販売元の記載はない。夫々の産地も山梨県宮本村の水晶や北海道利別のメノウなど定番のものが多いが、産地が極端に東日本に偏っている。恐らく東京の業者が作ったものだろう。・・・となると金石舎や寶光社あたりかな?と推理した。更にその中にアイスランド産の方解石が入っていたのは特筆できる。透明で文字通りの「アイスランドスパー」だ。これが入っている組標本を見たのは2回目だが、このアイスランドスパーと箱の表の字体で供給元と年代はある程度推測出来た。 |
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6月14日(土)
兵庫県の鉱物 益富地学会館展示説明会
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兵庫県在住の館長としては「兵庫県の鉱物」は生まれ故郷の「大阪府の鉱物」に次いで関心がある。
今日は益富地学会館の展示説明会であるが、テーマはその「兵庫県の鉱物」だ。1級鉱物鑑定士でもある超ベテランコレクターのOaさんの講演だ。約1時間のお話で鼈甲亜鉛の床尾、ニッケルの夏梅・大屋、翡翠とソーダ雲母の加保坂、中瀬・生野・明延のいわゆる「但馬三山」、銀の大身谷、多田、兵庫県下では珍しいペグマタイト産地の家島諸島、銅の二次鉱物でお馴染みの樺坂、燐酸塩鉱物の宝庫、西神地区など県下の主な産地についてご自身の豊富な体験談をまじえて解説された。館長は特に、中瀬・生野・明延のいわゆる「但馬三山」のお話を楽しみにしていたのだ。神棚に祀られていた板状の石英からワカメのように自然金が伸びた石(山神さんだろうか)のお話、坑内に自然金がいっぱいあった話、30cmに及ぶ”天ぷら状輝安鉱”の話、大きなドロマイト晶洞のお話など、もうちょっと早く生れていたら・・・という羨ましいお話が目白押しだった。生野鉱山は櫻井鉱や生野鉱、蒼鉛、ライタカリ鉱などたいへん魅力的な標本を産する反面、晶洞が極端に少なく結晶鉱物がたいへん珍しいとのこと。そう云えば市場では生野・明延の結晶鉱物はあまり見かけないなぁ。このように概観すると、兵庫県は面積が広いこともあるのだろうが、実に多種多様な鉱物が出るものだ。ただ、他ではそう珍しくないスカルンが殆どない(無いわけではないらしい)のも興味深い。
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写真上:お話をされるOaさん。
写真下:お話の後、実際に標本を観察しながら参加者の質問に答えられるOaさん。 |
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説明会終了後は夕刻までお約束の資料漁りである。今日は昔の岩石鉱物鉱床学会誌のチェックを行った。それと今日は嬉しいことが一つ。以前入手し損なった灰山のチャーチ石がひょんなことから手に入った。たいへんな珍品だけに嬉しさ一入(ひとしお)だ。それと、実物の「宗像石」を至近距離で見ることが出来た。「形の違う青鉛鉱」といわれてきたが、館長が見る限り、どう見ても青鉛鉱には見えない。「青針銅鉱に似ている」というほうが説得力がある。帰って以前の採集品をもう一回チェックし直そう。 |
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6月8日(日)
新宿ショー 3日目
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日曜日だが、もう三日目なのでそんなに並んでいないだろうと思ったら、大間違いだった。まるで初日と見間違える程の開場前の行列だ!これには驚いた。
今日で関西へ戻るので、最後に会場の標本をチェックしていると、あった!今年のツーソンの話題になったタンザニアのスペッサーチン(マンガン柘榴石)だ。(写真下)現物は初めて見たが、大きくて実に見事。我々がマンガン鉱山で見る同鉱とはスケールが全く違う。
今日は嬉しいサプライズがあった。以前、大阪鉱物研究会のNyさんやOm君と一緒に採集に行ったKy君が会場へ来てくれたのだ。
彼は当時、O大学で生物を専攻していた大学生でたいへん熱心な鉱物趣味家である。館長の大阪府産鉱物研究の中で彼の役割はたいへん大きく、青谷や川浦鉱山、豊能鉱山等随分お世話になった。今は東京に戻り、国家公務員として活躍中で来月からはUSAに留学である。数年後、帰国した暁には以前のように採集に行きたいものだ。暫し、昔話?に花が咲いた。
また、会場には今日も会社の後輩であったNr嬢が来場してくれた。毎日会社関連の人が訪ねてくれるのは嬉しいことだ。会場でNr嬢を案内した後、最後に会場をもう一回りして皆さんにご挨拶を済ませた後、東京駅に向った。今回は購入実績が予算を大幅に下回った為、駅弁や家族への土産は大奮発した。 |
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6月7日(土)
ミネラルマーケットから新宿ミーティングまで多忙な1日
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二日目はまず、飯田橋のミネラルマーケットから始まる。
ここも30分前に行ったらすでに50人位の人が並んでいた。その後も続々と来場者が増え、開場直前には100名位は居たのではないだろうか。10時30分の開場と共に一斉に開場へ。あっと云う間に会場が人で埋め尽くされ会場内を移動することも一苦労だ。ゆっくり標本を眺めることも難しい。なかなか買えずにいると、あるブースで新鉱物・田野畑石があった。とにかく一点確保した。この田野畑石はあっと云う間に完売したようだ。会場では久々に無名会のHkさんとお会い出来、プレゼン用にと昔の貴重な本(鑛山読本)を恵与頂いた。感謝。会場で特に目についた石は松代鉱山産霰石(もっているので買わなかったが安かった)、最近産出の富井鉱山の紫水晶、山の尾の大きなベリル、広島産キララ石などがあった。帰りがけに小さな組標本があるのに気付いた。比較的新しいもののようだが、蓋の裏の標本の一覧は手書きだ。安かったので買っておいた。
これから新宿ショーの会場へ移動するのであるが、飯田橋駅近くにここしかない有名な不二家の"ペコちゃん焼き"がある。土産に買って帰りたかったが、今日中に食べなければいけないとのことで断念。止む無く1個だけ買って行儀が悪いが、食べながら移動した。会場へ着くと休日を利用して会社の同僚であるHtさんが遠路、熊谷から来てくれた。半年ぶりの再会だが、ランチをしながら、一緒に営業した当時の思い出話に花が咲いた。標本は昨日から気になっていた河津鉱山のアヘイル石(トルコ石の仲間)を購入した。
夜は毎年お楽しみの新宿ミーティングだ。(写真3枚目)館長の石友Gaさん、京都からIhさん、福岡からHkさん、岡山からYさんなど遠方からの錚々たるメンバーも加え30人集結。館長は今日はお手伝いだ。まず、受付業務をHkさんとやった後、乾杯!ビュッフェスタイルのパーティーが始まった。
館長はここからまた忙しくなる。オークションのスタートだ。今回は東京石、荒川石、ホセ鉱A、大粒の砂金等・・・。出席者提供の標本が次々に落札されていく。館長は午前中のミネラルマーケットで見送ったYさん出品のキララ石に入札した。そして目出度く落札出来た。「キララ石か・・・」実に美しい名前だが、残念ながら極めて微細な鉱物で肉眼では見えない。出所はちゃんとしているので間違いないとの事。「種類集めは卒業だ!」と言いたいのだが、午前中の田野畑石といい、アヘイル石といい、持っていない種が出てくるとやっぱり買ってしまう。2時間はあっという間に過ぎて忙しくも楽しい一日は終わった。 |
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6月6日(金)
さぁ、いよいよ新宿ショー
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早いもので、もう新宿ショーの季節だ。今年は21回目だそうで、館長は第一回目からの参加である。昔は1時間以上前から列の前方で並んだが、最近は歳のせいか、物欲が薄れた?せいかちょっと遅めの参戦となった。
開場と同時にまず、なにはともあれ大阪の真鍋鉱物研究所さんへ挨拶。館長は第一回目以来、ここを起点にショーに参加している。
次にUSAの有名ディーラーK社へ。ここは毎年里帰り標本があり、館長の楽しみの一つだ。今回も市之川鉱山の輝安鉱が4点程出品されており、中でもトッコ(写真2枚目)は秀逸だ。残念ながら多くの結晶の先端に難があったが、もし、頭が完全であったらもう一桁上がるだろう、他には尾平のダンブリ石と斧石(斧石は土呂久のようだが・・・)や佐山の黄銅鉱群晶、三宅島の灰長石、苗木のトパーズ、孔雀石などがあった。次に益富地学会館のブースへ行ってFtさんにご挨拶。例年通り、日本産の鉱物を出品されていたが、目玉は大阪石と灰山のチャーチ石があった。それと最近の産出のようだが、木浦鉱山のスコロド石が出ていた。結晶は細かいが光沢が強く、キラキラして綺麗であった。三日目には大阪石は完売していた。こちらもお馴染み、鉱物同志会のノンプロコーナーにも趣味家の採集品が多数出品されていた。京都のクリスタルワールドさんは相変わらずの盛況ぶりであった。いろいろ見て廻ったが初日は残念ながら標本の購入は無かった。
今回の特別展示は始祖鳥で知られるドイツ・ゾルンフォーフェンの化石だ。魚類、エビ、亀、アンモナイト、カブトガニ、トンボなどその保存状態の素晴らしさに驚かされた。初めて見たカブトガニの這い跡化石は見事であった。(3枚目の写真)
昼休みには会社の同僚が会場に立ち寄ってくれた。
今回も多くの同好の方々と再会出来た。特にYaさんからは秩父鉱山産の黄鉄鉱が樹枝状に成長したたいへん珍しい標本を頂いた。感謝!また、近くのブースにノーベル社のT社長がいらっしゃったのでブック型標本に関することをお教え頂いた。これを秋からの益富地学会館の特別展示に活かしたい。 |
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5月23日(金)〜25(日)
0泊3日関東の旅
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厳密に言えば車中泊2泊である。23日の夜遅く大阪を高速バスで出発、東京駅には24日の朝の6時過ぎに着いた。バスの中で簡単に朝メシを済ませていたので、そのまま「白山」へ。
今日はコムロさん(旧小室宝飾さん)の即売会である。7時前に着いたが何と10人目だ。今回も古典標本のオンパレードであり、コレクターがずらっと勢揃いだ。先頭から7人までの方はなんと前日から並んでいるそうだ。脱帽である。これじゃぁ、館長のターゲットは厳しいかなぁ。館長のターゲットはイトムカ鉱山の”芋辰砂”だ。イトムカ鉱山発見の端緒となった歴史的鉱物である。実は以前、ある売立てで遭遇していたのだが、値段が合わず断念した経緯がある。今回も非結晶標本としては高価であるが、もう逃せないのだ。店の前では夫々に探りあいが始まる。神経戦である。暫くして、列の前方で「芋辰砂」という声が聞こえた。
「やられたぁ・・・」狙いがかぶってしまった。折角このために関西から来たのになぁ・・・。ショックではあるが、しかしガックリばかりしておられない。代わりのターゲットを決めないといけない。店に入ってから迷うようではダメなのだ。しかし、決まらない・・・止む無く出たとこ勝負や!
そして遂に開店だ。店に入ると同時に全員がある一角に集中した。ここが主戦場だ。ケースに目をやると、なんと”芋辰砂”が鎮座したままだ。「ラッキー!」さっと標本をキープ。横をみると何と第二希望も鎮座。これも素早くキープ。第二希望は新潟県葡萄鉱山の鼈甲亜鉛であった。結晶の角があたっているために皆さんの第一希望ではなかったようだが、葡萄鉱山産の標本はたいへん珍しいのだ。ブック型標本には多く採用されているのだが、不思議なことに単品の標本としては少ない。結晶にはやや難点があるものの(もし結晶が完璧だったら10万円でも買えないだろう)、産地の珍しさとカットできるくらいのジェムクオリティーが館長の琴線に触れた。
他の目玉標本は小尾八幡の母岩付き燐灰石や山形県日正鉱山の紫水晶、秩父鉱山の硫砒鉄鉱、イトムカの辰砂大型標本、花岡鉱山の安四面銅鉱、鴻の舞鉱山の特上金銀鉱などがあっと言う間に売れてしまった。館長もこれで余裕が出来たので従兄のFm君やUoさん、Otさん、今日初めてお会いしたYaさんなど同好の方々と石談に花を咲かせた。一応、第一希望と第二希望をゲットしたので、本日は90点としておこう。
今日は18:00から関東鉱物同好会(関鉱同)の総会があるが、それまで時間が十分あるので、ちょっと足をのばして、つくばの地質標本館へ行くこととした。丁度、青柳鉱物標本の特別展示をやっているので見学することとした。東京駅で昼メシを調達して高速バスに乗り込む。約1時間で地質標本館前のバス停に到着。そして、標本館に入る。ホールで特別展は行われていた。
青柳鉱物標本は教育者であり著名な鉱物コレクターであった故青柳隆二博士が地質標本館に寄贈された標本である。外国産の美しく立派な標本が多いが、博士が昔、福島県石川山の稀元素鉱物採掘に関係されていたこともあって、石川山の鉱物はなかなか充実している。石川山以外の国産鉱物では阿仁鉱山産の阿仁鉱母岩付きが出色だ。他には槙の川の束沸石、高取鉱山の錫石が表面にいっぱい付いた大型水晶、 |
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外国産ではインドのスコレス沸石やスリランカの苦土カンラン石は見事だ。一見の価値は十分にあると思う。ついでに常設展示も見学した。館長お気に入りの北海道大玖鉱山の緑鉛鉱や尾平鉱山のダンブリ石、ピンク蛍石と再会、眼の保養をさせていただいた。でも、大玖鉱山の緑鉛鉱は素晴らしいなぁ。あの若葉のような緑はなんとも言えない。コレクションを堪能してまた都内に戻る。我ながら元気だと思う。神保町の古本屋街をちょっと散策して関鉱同の総会会場に入る。その頃には天気予報通り、すっかり雨だ。やはり関東に来ても雨男健在だ。
総会にはH会長始め、Tyさん、Igさん、Tsさんら役員、コムロさんでお会いしたUoさんやDhさん、Oさんなど総勢11名の出席となった。総会議事や水晶峠の配布の後、Igさんのパリでの博物館見学のお話をパワーポイントを使って披露された。とにかく17世紀に建てられた建物を博物館として使っており外部や内部とも実に重厚だ。標本も立派で、フランスが旧宗主国であった国の標本が見事だそうだ。カメルーンの藍鉄鉱は1.2mあるとのこと。原産地の硫カドミウム鉱はなんと葡萄石中の単結晶とのこと。その他ペツォッタ石母岩付きなど多くの見事な標本の画像を見せて頂いた。日本産では市之川の輝安鉱と乙女(だったかな?)のツインがあったそうだ。2時間半楽しませて頂いてまた高速バスで東京を後にした。あー、しんどかった・・・。 |
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5月18日(日)
今日は何の日?
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正解は「国際博物館の日」だ。当サイトも「バーチャル博物館」を標榜しているだけに、これは書いておかないといけない。1977年に国際博物館会議(ICOM)が制定した日で、博物館の役割を 広く社会へ知ってもらうために、毎年テーマが設けられて、世界各地で行事が行われて いるそうだ。但し、なぜ5月18日なのかは判らない。
それと大事な日を書くのを失念していた。約一週間前、5月10日は「地質の日」だった。直前まで日記に書くつもりでいたのに失念した。
この5月10日は、明治9年(1876年)、お雇い外国人のライマンらによって日本で初めて広域的な地質図、200万分の1「日本蝦夷地質要略之図」が作成された日で、また、明治11年(1878)のこの日は、地質の調査を扱う組織(内務省地理局地質課)が定められた日との事だ。
さて、今回の土・日は珍しく石のイベントは無かった。標本の整理をしたり、標本のトリミングをしたり、以前採集していた砂のパンニングをやったりで1日が終わった。その中で、大阪府豆粕産の豆水晶が入ったペグマタイトを洗ったり、トリミングしていると水晶が「草入り水晶」であることに気が付いた。顕微鏡で見ると竹森産に劣らない美しさだ。 |
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5月14日(水)
石人からのプレゼント
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古くからの大阪の石人Mさんからお誘いを頂き石友と共にご自宅におじゃました。標本の整理をされていて、何点か頂けることとなった。流石に超ベテランの石人だけに今では採集はおろかお金を出してもちょっと手に入らないものが多い。
人頭大の滋賀県焼野産泥鉄鉱(不純な菱鉄鉱)を頂いた。既に絶産となっているようだが、こんなに大きなものは見たことがない。
もう一つ、北海道勝山鉱山の重晶石だ。たくさんの枡石(武石:褐鉄鉱の黄鉄鉱仮晶)を伴って単結晶(?)で10pオーバーの迫力ある標本だが、惜しむらくはあまり結晶が今ひとつはっきりしていない。
かつては弁当箱大の結晶があったとのこと、その当時の基準でいけばそんなに超大物ではないだろうが、重晶石の大産地、勝山鉱山も既にダムの底との事。絶産であることには違いないであろう。昔は標本市場にいくらでもあったが、最近はめっきり少なくなった。面白いのは木浦鉱山の豆鉄鉱だ。小豆サイズの丸みを帯びた褐色の粒で、鉱物としては針鉄鉱である。チョコレートでコーティングしたレーズンという感じだ。それと数pの小さいものだが、石川県大聖寺産の小型ながら透明感のある綺麗な重晶石結晶は初見の産地だ。このような素晴らしい標本を下さった石人Mさんに感謝、感謝。その後、Mさん、石友、館長で酒を酌み交わしながら石談に花が咲いた。 |
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5月11日(日)
万葉の山、二上山へ
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朝、目が覚めると、雨はあがっていた。すぐにPCに向う。降水確率は50%。微妙やなぁ・・・。実は今日は兵庫県立人と自然の博物館(ひと博)の地学ハイキングだ。降水確率60%以上で中止となる。50%では実施なのだが・・・。
阪急、JR、近鉄と乗り継いで1時間30分、ようやく近鉄南大阪線の当麻寺(たいまでら)駅に着いた。その頃にはすっかり雨となっていた。駅には続々と参加者が集まる。石友会のMさんのお顔が見えたが、後は存じ上げた方はいない。参加者は30人くらいは居そうだ。(写真上)
館長は雨合羽を着て、雨の中、一行は名刹当麻寺に向う。石めぐりハイキングなのに、なんでお寺参りするんやろう?当麻寺の名前は随分昔から知っていたが来たのは初めてだ。西暦612年創建という古いお寺で日本最古の鐘楼と日本最古の石灯籠(白鳳時代)があるのだ。ここではその石灯籠に使われている石や石垣の石、境内に撒かれている砂利を観察した。これらの石は二上山周辺の石なのだ。幸い、この頃には雨はあがった。
当麻寺境内の石を観察した後、いよいよ登山道に入る。途中で「鳥谷口古墳」で石棺に使われている凝灰岩を観察し、山中に入って最初に目にするのが基盤の花崗岩だ。花崗岩は風化がかなり進んでいる。大きな長石の斑晶を含むが、採集するほどのものではない。
その後、流紋岩質凝灰岩が現れる。この凝灰岩は火砕流によるもので、凝灰岩が火砕流によるものか、火山灰が降ったものか、水中で出来たものか、その見分け方を教わった。更に登ると黒曜石質の岩石が現れる。長石の斑晶を含んでおり完全な黒曜石とは言えないそうだ。更に登ると岩屋峠に達し、ここで昼食をとる。実はここが館長の目的の場所なのだ。このあたりに二上山周辺の金剛砂鉱床の源となる石切場安山岩が露出しており、それを観察する。ただ、残念ながらかなり風化が進んでいるのかたいへん脆くなっている。ここで初めてハンマーを使う。丁度ゼノリスの部分にあたったようだ。帰ってからチェックしよう。
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昼食と採集を済ませ、岩屋峠近くにある石窟寺院跡と凝灰岩の石切場跡に立ち寄る。後者からは前述の鳥谷口古墳の石棺や有名な高松塚古墳の石棺もここから切り出されたそうだ。(写真中)
再び登山道に戻り、雌岳と雄岳の間の”馬の背”に達する。ここへ至るまでに”自破砕溶岩”も観察出来た。(写真下)
更に進み、雄岳に至るとサヌキトイドが見られる。サヌキトイドはサヌカイトと同じような岩石であるが、角閃石の斑晶を含み、ちょっと違うとの事だ。雄岳の頂上附近には大津皇子のお墓もある。二上山は地質時代から古代までのロマンが詰まった宝石箱の様な山である。いつまでも大切にしたいものだ。
下山して当麻寺駅に向う途中に大和の国の名物、「柿の葉寿司」のお店があった。ここの柿の葉寿司は7種類の具がのっている。これは味にうるさい家族にも好評であった。 |
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5月10日(土)
益富地学会館へ
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益富地学会館の運営委員会で上洛。今日は14時から展示説明会があるので、早目に会館へ着いた。まず2F図書室で恒例の資料漁りだ。今回のターゲットは戦後すぐの鉱物学雑誌だ。鉱物の記載が多くたいへんタメになる。
展示説明会は但馬さんの「愛媛県五良津・保土野地域の鉱物」である。展示されている鉱物について、その産状や採集方法をたいへん判りやすく解説されていた。最近、即売会でよく見かける太い透緑閃石の結晶やオリビンの結晶、色の濃い文字通りの藍晶石などたいへん魅力的な鉱物を産する地域である。館長も一度行きたいのだが、なかなか叶わない。せめて関川の河原で思う存分ハンマーを振るいたいものだ。
運営委員会が済んで、帰途河原町三条のクリスタルワールドさんに立ち寄った。Yh社長や運営委員会帰りのWyさんもいらっしゃってしばし歓談。そこに黄色っぽい石があるのに気が付いた。ラベルには「ゴールデンダンビュライト」の文字が。つまり黄色のダンブリ石だ。タンザニア産でここでは結晶は無いそうだ。しかしなかなかの珍品である。
さぁ、明日は”ひと博”のイベントだ。今の天気は雨。こりゃ、明日は中止かなぁ・・・。やっぱり”雨男”や・・・。 |
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5月3日(土)
GWは北摂の旧坑めぐり
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今日からゴールデンウィーク、本日は連休中唯一の鉱物採集の日である。目的地は北摂の戦前に掘られたという旧坑二ヶ所だ。本日のメンバーは館長とIkさんを始めとする地元の自然愛好家のグループの方々、新婚ホヤホヤのOmさん Oaさん夫妻の総勢7名だ。
まず、今冬に雪中行軍となった旧坑へ向う。今日は前回と打って変わって好天だ。好天過ぎて異常に暑い。まるで夏みたいや。後で聞いたら今日は真夏日だったらしい。今年も思いやられるなぁ。
旧坑へ行く途中で地元の山仕事の方々から”ダニ”に気をつけるように注意を受ける。鹿や猪に付いているそうで足元から入り込んで太ももの辺りに喰いついて猛烈に血を吸うらしく、無理に取ると厄介なことになるらしい。とにかく”マムシ”や”山ヒル”、”ダニ”などに遭遇しないように祈って山へ入る。ここは長靴を持ってくるべきやったなぁ。
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山中に入り、ズリとおぼしき急斜面を息を切らせながら登りきると坑口が上下二段ある。その周辺で石を割る。スカルン鉱床と思ったが、全くスカルン鉱物らしきものが見られない。スカルンの主役である方解石すら無い。どうやら鉱脈型の鉱床らしいが、スカルンの秦野鉱山の石に酷似している。ミネラライトで照らすと秦野鉱山に比べて量は少ないものの微細な灰重石が点々と光る。この点は秦野鉱山と同じだ。他に黄鉄鉱や磁硫鉄鉱が見つかるが、黄銅鉱や方鉛鉱等の鉱石鉱物や二次鉱物らしきものは全く見つからない。母岩の表面に貧弱な石膏結晶が見られる程度だ。
旧坑周辺で採集後、以前、山仕事をされていた地元の老人に教えてもらったもう一つの旧坑を求めて谷を遡上するが、全く鉱山らしき気配がない。こちらは残念ながら今回も発見できず地元のMさんに調査の継続をお願いして下山する。廃坑があるのは間違いないのでMさんに期待。 |
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4月27日(日)
今日も大阪ショー
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今日も大阪ショーだ。ヨメさんから「よー遊ぶなぁ」というような顔で見送られ家を後にして会場へ。
先ずは昨日同様、大阪石友会のブースで販売のお手伝い。初日はかなり売れたので標本も補充した。館長のコレクションも一点放出するつもりで持ってきた。尾平鉱山産のホタル石の結晶だが、値段が値段だけに結局売れなかった。今や入手困難で、結構エーもんやと思うんやけどなぁ。貴重品でっせ!
さて、今日も講演会に参加した。本日は同志社大学名誉教授の横山卓雄先生の「大阪層群最上部層,いわゆる満池谷累層研究の過去・現在」である。満池谷層は兵庫県西宮市の満池谷墓地に露出する大阪層群のメンバーで日本に氷河期があった証拠を有している。天然記念物となっており、比較的近くに居る館長も是非一度見ておきたいと思っている。今や、大阪層群が見られる場所はそう多くないのだ。末永く保存してもらいたいと思う。因みに、満池谷累層は横山先生の大学院時代の論文であったそうだ。
流石に特殊なテーマだけに昨日よりも参加者はやや少なかったが、それだけに関心の高い人が集まっているようだ。皆さん熱心に聞いて質問内容もなかなかのものだった。
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写真上から
・会場風景
・横山先生のご講演 |
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会場では吹田地学会の副会長でもある古くからの同好であるArさんから吹田地学会の会報を頂いた。ついでに吹田地学会へ入会させて頂くこととした。大阪で地学を志すものとしては大阪層群は欠かせないもんなぁ。
石友会のブースに戻ると、白い塊状の標本が売られていた。昨日は気づかなかったがダンブリ石の塊であった。個々の結晶ははっきりしないが、産地が尾平鉱山幣立岩のものだ。美しい斧石で知られる有名産地であるが、あまり標本も市場に出ない。産地の珍しさで参考品として購入した。
結局、最後まで会場に残り、今晩は昨日に続いてまた飲み会になった。メンバーは東京の無名会の人たちだ。特に本日はいつもお世話になっているK2さんが遥々東京から来られた。夕刻からK2さん、Tyさん、Tkさん親子、そして日本で鉱物商を営むスイス人のRwさん御夫妻という多彩なメンバーで話に花が咲いた。ここで関東の方はまず知らないであろう館長の好物「紅生姜の天ぷら」を食してもらった。前に全国ネットのテレビで紹介され、大阪以外の人はみんなビックリしていたが、さて感想や如何に・・・。 |
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4月26日(土)
今日から大阪ショー
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今日からゴールデンウィーク恒例の「石ふしぎ大発見展大阪ショー」だ。
10時のオープンであるが、大阪・天満橋のOMMビルへ1時間前に到着した。今年は出展者だ。といってもブースのお手伝いではなく、大阪石友会としての出展者だ。今年は我が大阪石友会のミネラルショーデビューである。会場横の集合場所に着くと既に会長のKhさんと元副会長のFtさんが出品物をもって待っていた。
開場1時間前になり出展者が続々と会場に入る。お客さんの行列もかなり長くなっている。館長達も石友会ブースに陣取り、販売の準備を始める。会員提供の京都府広野の水晶やすくも谷の水晶、灰山のベゼリ石、外国産のサメの歯の化石、イミテール鉱山の淡紅銀鉱、水晶ストラップなど多彩だ。館長も20点程出品したが、自分で言うのもなんだがマニアチックである。ちょっと売れる自信がないなぁ。
開会セレモニーの後、いよいよにオープン。続々とお客さんが来場される。暫くは売り子に徹して、その合間を縫って、同好の方や懇意にしている出展者の方にご挨拶。まず、何と言っても大阪鉱物研究会のThご意見番の元へ。そして先週会ったばかりの無名会のTyさんとTkさんの元へ行って出品物を見せて頂いたりした。
会場をサッと眺めたが、館長好みの日本産鉱物は少なかった。特に触手が伸びるものも無く、石友会のブースに戻る。あらためて出品物を眺めるとFtさん出品の島根県古浦ケ鼻のジュゴルド石があった。珍品であり、この種は持っていなかったのでゲット。館長出品のものをチェックしたがやはり売れていない。やっとのことでKtさんに妙見山の紅電気石を買って頂く。先ずは感謝。その内、京都の石人Imさんが来られて、珍しい産地の角閃石を頂いた。感謝!
再び、Tyさんのブースに行くと鹿児島県早崎鉱山産の錫石が目に止まった。大き目の母岩の表面に小粒だが、光輝ある結晶が散在している。母岩が大きく見栄えがするので購入。それからコムロさんのブースに行くと、古いコレクションの放出品が多数あった。稀元素鉱物が特に充実していたが、その中で館長が面白いと思ったのが人形峠鉱山の含ウラン砂岩だ。これは木下亀城先生の原色鉱石図鑑にも載っている。他に秩父鉱山のセムセイ鉱も沢山出品されていた。
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写真上から
・大阪石友会のブース
・特別展示「石の英雄・水晶」
・砂川先生のご講演 |
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さて、特別展示は昨年の京都ショー同様、「石の英雄・水晶」である。今回は大阪ショーということで、館長も大阪府産の水晶で出展協力させて頂いた。やはり水晶の人気は絶大だ。多くの方々が来場されていた。
午後からは講演会へ。今回は昨年の京都ショーに続いて、東北大学名誉教授の砂川一郎先生のご講演「結晶の成長と形,水晶を例にして」である。約3時間、たっぷりと先生の講演を拝聴した。
本日の会場には我が従兄のFm君、大阪鉱研のOmさん、芦屋の石友Kkさん、滋賀県の石友Asさん、古いお付き合いの大阪の石人Taさん、東京から関鉱同のTyさんとTsさん、大阪石友会のNm名誉会長やThさん、Ohさん、奈良鉱物のママちゃんなど多くの方々のお顔を拝見出来た。 |
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4月21日(月)
東の旅3日目 千葉へ 念願かなって磯部鑛石資料館へ
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”東の旅”最終日は千葉だ。目的は「日本金山誌」で知られる合同資源産業鰍フ創業者である故磯部清氏のコレクションを展示している「磯部鑛石資料館」の見学である。
磯部氏が生前収集された実に800の金山から出た1500点の金鉱石が収蔵されている。以前から是非来たかったのだが、資料館の公開が同社の営業日である為、我々の休みの日には見られないのだ。 そこで今回は代休をあてた次第である。総務で受付をした後、同社の課長Hさんのご案内で構内の資料館へ向う。後でお聞きしたのだがHさんは以前、北海道の珊瑠(サンル)鉱山で勤務されていたそうだ。館長が相当昔、まだ稼行中であった同社の旭日鉱山(兵庫県赤穂郡)へ訪山して当時のS所長さんにお世話になった話など懐かしかった。
資料館は平成6年に出来たそうで、鉱石単独の資料館としては実に重厚で立派である。建物は2階建てで県別に展示され、1Fが東日本、2Fが西日本である。とにかくすごい数の金鉱石に圧倒された。館長の知らない鉱山も多い。特に見事であったのは秩父鉱山の”糸金”(糸というより”紐”であったが)、山ケ野鉱山のトジ金、大谷鉱山の自然金であった。それと金鉱石ではないが、稲倉石の菱マンには思わずうなった。まるで尾去沢産を思わせる色が濃く、透明感のある逸品だ。館長が今まで見た稲倉石の菱マンの中では文句無くトップ標本だ。北海道産の巨大な硫黄にもビックリ。約1時間見学させて頂き、資料館を後にした。 |
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4月20日(日)
東の旅2日目 信濃〜甲州路 石の旅
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早朝、石友と待ち合わせて一路、信濃路へ。信濃の石人との用件が早く済んだのでちょっと観光気分で足を伸ばすこととした。
前から鉄道最高地点の野辺山駅を見たかったので野辺山へ。実にメルヘンチックな駅であった。野辺山の電波天文台も素晴らしい眺めだ。
折角ここまで来たのだから多少なりとも鉱物採集をやりたい。石友に相談した処、近くに輝石が拾える所があるそうでそこへ向う。
”獅子岩”と言われる所で八ヶ岳連峰は目の前だ。かつて鉱物情報で紹介された産地だそうだ。安山岩?が風化した砂の中に含まれるが、たいへん小さい大きくても2oあるかないかくらいだ。現地で輝石だけを拾うのは効率が悪いのでコンビニの袋に半分くらい砂を入れて家でパンニングすることとした。
まだ時間があるので、更に甲府の昇仙峡へと向った。昇仙峡は館長がかねてから是非行きたかった場所である。期待薄であるが、日本産の水晶を売っていないか探すことにした。昇仙峡へ着いてまず郷土料理"ほうとう"で腹ごしらえ。途中のお店で秘蔵の見事なトッコを見せてもらった。小ぶりであるがトッコを構成する水晶に欠けもなく、テリも素晴らしい。残念ながら非売品とのことで諦めた。結局、日本産の水晶は殆ど無かった。当然、売り物も無し。
折角ここまで来たのだから更に奥の黒平まで行こうか、ということになった。水晶掘りを止めて久しく、今では水晶は無いだろうが、かつての一大水晶集積地であった黒平は鉱物コレクターとしては是非見ておきたい。昇仙峡から更に30分ほど進んで、有名な金桜神社を過ぎ、黒平の集落に入った。集落のどこにも水晶のカケラも無く、ここが甲斐の水晶の一大集積地であった面影は殆ど無い。
ここで石友の計らいで元水晶掘りであった方のご自宅へおじゃますることとした。元々この地の水晶掘りはN老始め4名で始めたそうで、その内のお一人だ。現在国立科博にある恐らく日本一のツインを掘り出した方でその時のお話やら、押し入れ一杯分の大トッコの話(残念ながら空襲で焼失)など貴重なお話しを伺うことが出来た。
その元水晶掘りの方のお話では甲斐の水晶では”バッタリ”のものが最も良いとのことであった。水晶を掘る為に片道6時間登るそうで、寝袋や食料持参との事。水晶を見ればどこのものか判るとのことで、機会があれば館長が昔、山梨で買った水晶を見てもらおう。すっかり話し込んで日もだいぶ傾いてきたので山梨を後に一路、今夜の宿泊地である千葉に向う。途中で渋滞に巻き込まれ、千葉の宿に着いたときは夜9時をだいぶ回っていた。 |
写真上から
・野辺山での輝石採集。かなり細かい結晶だ。
・昇仙峡のシンボル、覚円峰。
・地元の方の秘蔵の逸品、バッタリのトッコ。小ぶりだが実に綺麗だ。
・黒平にて。かつては甲州名産、水晶の集積地として賑わったのであろう。 |
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4月19日(土)
久々に 東の旅 まず無名会へ
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館長には珍しく休日出勤したのでその代休を取ることとなった。
以前より信州の石人からご招待を受けていたことと、無名会の総会があったのでその代休を足して3日間の東の旅となった。
とは云え相変わらずの緊縮財政ゆえ、いつも通りの高速バスの旅だ。前夜22時に大阪駅前を出発したバスは6時前には東京駅に着いた。ちょっと早すぎるなぁ・・・。午前中はコムロさんに行くこととしたが、それにしても早すぎる。結局、お店には申し訳ないが某ファーストフード店で2時間以上粘ってしまった。日経を結局2回読んだ。
10時過ぎにコムロさんへ。標本を見せてもらったり、お話しをしたりで2時間つぶさせてもらった。小室社長以下スタッフの皆さんに感謝。 |
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そして、無名会の会場へ向ったが、ここでアクシデント。いつもの場所へ行ったが誰もいない・・・。会場を間違ってしまったのだ。大慌てで本来の会場に向うが場所の名前は判っていても位置が判らない。結局何人かの方に聞いて滑り込みセーフ。総会ということもあっていつもより出席者が多い。40人くらいの参加だそうだ。昨年11月以来の無名会への出席となる。Hkさんから益富地学会館のアマチュア展示に向けての貴重な資料をお借りできた。長島乙吉先生の「薬石の研究」には長島先生の半生が書かれており、たいへん興味深い。館長も知らなかったことが沢山記されていた。その他戦前の島津製作所標本部のカタログなどたいへん貴重だ。市之川の輝安鉱や松代の霰石などカタログ販売していたのだ。まさに古き良き時代である。
それから恒例の標本頒布や75周年記念事業について意見交換したりで一日が終わった。
総会終了後、TyさんやKkさん、Tkさんたちと酒を酌み交わしながら石談に華を咲かせて一日目は終り。
外は雨だ。明日が心配や。どこまで行っても雨男か・・・。 |
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4月5日(土)
益富地学会館へ
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益富地学会館の運営委員会で上洛した。今日は暖かく天気も良いので人出が多い。いつもは空いている昼間の阪急京都線は今日は梅田駅からイッパイだ。花見かなぁ。
会館に着いたらまず恒例の資料漁りだ。今日は昔の「鉱物学雑誌」をチェックした。嬉しいことに大阪府坂口鉱山のトロゴム石についての記載があった。櫻井先生や加藤先生が書かれたもので、イットリア石が原鉱物との説があり、なるほどと思う。
3Fでは丁度、新しいアマチュア展示が始まっており、Thさんの「愛媛県五良津・保土野地域の鉱物」であった。ルチルやカンラン石がなかなか良かった。
委員会は目前に迫った大阪ショーと野外例会の採集地選定が中心テーマであった。大阪ショーも昨年の京都ショーの続きで「水晶」がテーマだ。館長も大阪府産水晶で協力させて頂く。また砂川一郎先生のご講演「結晶の成長と形、水晶を例にして」があり、これは何としてでも拝聴したい。それと次の次、10月から12月のアマチュア展示は館長がやらせて頂く予定だ。あくまでも予定なので決定次第、益富地学会館のHP及び当日記にてリリース致します。内容は当然ながらマニア向け。
委員会終了後、閉館時間までタップリと遊ばせて頂いて、帰りにクリスタルワールドさんの本店へお邪魔する。丁度Yh社長がいらっしゃったのでツーソンの土産話をお聴きした。コーヒーをご馳走になって石も見せて頂く。帰りに京都高島屋で家族の土産に季節感たっぷりの「桜ロール(ケーキ)」を買って家路についた。 |
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3月30日(日)
雨の観音坂。雨男健在!
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石友会の野外例会だ。天気予報は生憎の”午後から雨”。
しかし、水晶パワーか、普段入れない砕石場での採集か、事前のPR効果か、石友会としては過去最高と思われる35人の参加となった。登録会員90名の凡そ4割が参加したことになる。
当初は奈良市柳生で水晶を採った後、京都府木屋で紅柱石採集の予定だった。しかし、参加希望者が多かった為、狭く急傾斜の柳生での多人数での採集は困難と判断し、木屋で採集した後、柳生へ行くコースと観音坂へ行くコースの二手に判れることとした。
館長はJR川西池田駅でKh会長やYnさん達と合流、JR木津駅へ向う。木津駅で他のグループやや遠路広島から参加のNさん親子、ごく最近入会された京大生Aさん、滋賀から参加のYh幹事と合流、更にR163のコンビニ駐車場で全員揃った。久々参加のYyさんも愛犬と共に居られた。ここから一路、木屋の砕石場へ向う。今日は、最近、大阪鉱物研究会へ入会されたThさん、そして奈良鉱研のママちゃんのご尽力で砕石場での採集が許された。館長は前回、紅柱石を採集したので、今日は緑柱石を探すこととした。この砕石場はホルンフェルスをバラスとして採掘しているが、たまにペグマタイト塊が混じっているのだ。徐々に雨が強くなってきた。前回は雪、今回は雨か・・・。どうもここでは天は味方しないなぁ。結局、握り拳大のペグマタイト塊に数センチの鉄電気石を伴うものを採集した。電気石の標本としてはイマイチだが、ここでは割と珍しいとの事。紅柱石は普通のものは一杯あるので、濃いピンクの太いものを探したが、雨もあって能率上がらず、ウロウロするだけであった。一通り採集した後、ここで例会恒例の万華鏡頒布を行った。今回はYさんご提供の柳生の水晶が目玉。Nさん親子提供の”もみじ饅頭”もあった。
昼食をはさんでの採集の後、ここから二手に別れての採集となる。館長は観音坂を選んだ。柳生の水晶も魅力があるのだが、観音坂にやはり行ってみたい。それには訳がある。今を去る40年前、従兄のFm君と観音坂へ行ったのだ。まだ、館長が中学生か高校生になってすぐの頃だと思う。その懐かしさもあったのだ。Ikさん運転のクルマは一路笠置町へ。木津川にかかる橋から風情のある温泉旅館が見える。このあたりは記憶にあるぞ。40年前の記憶が蘇る。
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現場近くの空き地でクルマを止めた。雨もきつくなったので、レインコートにゴム長と装備を整え、山に入る。山道には階段のように金属製のステップのようなものが埋め込んである。登り易くする筈のものだが、これが却って歩きにくいのだ。しかも急坂だ。たしかこんな急な山道ではなかった気がする。
登りつめると観音様が祀ってある所に出た。ここが観音坂だ。地面に電気石や石墨が散らばっている。元々、観音坂には石墨(黒鉛)を試掘した跡がある。電気石の結晶は小さい。石墨を掘った跡も残っており、たいへん珍しい石墨の露頭が観察出来る。昔は何に使ったのかなぁ?電池の電極か?鉛筆の芯か?雨が強くなってきたこともあり、早めに下山することとなった。結局館長の成果は石墨の標本と電気石花崗岩(ちょっと風化しているが)を採集して終り。ただ、記憶は薄くなったものの、どうも昔来た場所と違う気がするなぁ。また、天気の良い日に来たいものだが、登り勾配がちょっときついので夏は来れない。後で聞いた話では子供のマムシがいたそうだ。マムシと山ヒルには絶対会いたくないので、冬に来よう。帰りに途中のドライブインに併設しているお店で山城産のタケノコを土産に買い、家路についた。”タケノコご飯”が食べられるかな? |
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3月27日(木)
矢橋製ブック型標本を入手
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久々にブック型標本(組標本)を入手した。矢橋製のもので、一段のものは持っていたが、今回は二段の豪華版だ。箱などのコンディションは良好だが、中身はバラバラになっていた。番号の剥がれているものもかなりあり、この付き合せ作業が出来るのはやはり古典派鉱物コレクターの出番だ。結局一点”?”のものはあったが、無事付き合せ作業は完了した。
この標本は96種の鉱物と岩石の標本で、硬度計の鉱物も入っている。流石に矢橋製だけに方解石は金生山産だが、いわゆるアイスランドスパーだ。後は特筆すべき標本は入っていなかった。 |
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3月20日(木・祝)
明治44年 主要鑛山名鑑
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「主要鑛山名鑑」というものを入手した。丁度、相撲の番付表のような感じである。相撲は東西であるが、こちらは東日本と西日本に分かれている。
明治44年というから凡そ100年近く前のものだ。横綱とか大関とか前頭何枚目などの地位は無いが鉱山をその産額(金額)順に並べられている。
東のトップは小坂鉱山で以下、日立、足尾、釜石、夕張(炭坑)、椿(発盛)、神岡、荒川・・・と主に金属鉱山が続く。
一方西のトップは三池炭坑で産額では東の雄、小坂の約1.4倍、西の2位別子銅山の何と1.8倍。国内ではダントツである。西日本は以下、別子、大之浦、三井田川、明治、生野、豊国、目尾、鯰田・・・と続き、別子と生野、山ヶ野以外ベスト20迄殆どが九州の炭坑である。東日本では金属鉱山が、西日本では炭坑が優勢であったことが判り興味深い。また、日本三大銅山が上位に入っている。日本が銅鉱を輸出していた頃であろうか。 |
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3月15日(土)
13年ぶりに・・・。
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朝日新聞 3月15日(土)朝刊経済面より。13年ぶりに北海道で石炭の新しい鉱区が開発されるそうだ。いろいろな要因があるようだが、昨今の原油の値上がりや石炭価格の上昇、更には海外からの輸送コストの上昇で、国内炭の競争力が増したそうだ。石炭の価格がこの1年間で2.5倍になったのだ。それと館長は知らなかったのだが、北海道にはまだ炭坑が8ヶ所稼行中だそうである。これからも頑張ってほしいな。この勢いで国内の金属鉱山も復活すればいいのに。鉱量の枯渇ではなく、採算が合わない為に止む無く閉山した鉱山も相当数有る筈なので・・・。 |
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朝日新聞3月15日(土)朝刊経済面より |
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3月9日(日)
石の花
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3ヶ月毎に益富地学会館で行われるOaさんの「石の花」の日だ。
朝、会館へ着くと既に先客が1名。オープンの10時近くなると10名近くの人が集まった。今回は館長のお目当ての標本があった。先ずその標本を手にする事が出来たが、予算オーバーで残念ながら今回は断念した。目標を失ったので、会場をウロウロ。
1500円均一の小型標本コーナーに眼をやると何と大阪府坂口鉱山のフェルグソン石の母岩付きとジルコンの分離品があったので購入。いずれも産地が幻化した文字通りの絶産品で、Oaさんのお話では昭和35年頃の標本との事。まだ、館長が鉱物に出会う前の標本だ。また、前回熟慮の末、購入しなかった岩手県肘葛鉱山産のバラ輝石を買った。バラ輝石は別にどうでも良いのだが、標本の中央部に褐色の1.5p程の脈が1本入っている。Oaさんによると斜方エリクソン石?ではないかとのこと。確かに科博の「日本産鉱物型録」に載っている写真にチョット似ている。もしそうであれば珍品なのだが・・・。
もう一点、前回から気になっていた山口県喜和田鉱山産の錫石を遂に購入した。5cm程の小品だが、緑泥石と思われる薄いベースの上に無数の錫石の結晶が付いたものでなかなか見栄えのする標本だ。昔はこのようなタイプのものが結構あったそうだ。但し、値段も良かったので財布には堪えたなぁ。
会館で先日、豆粕へ同行頂いたAsさんから採集品を見せて頂く。花崗岩の豆晶洞に黒っぽい亜金属光沢の鉱物が付いていた。赤鉄鉱だとか、チタン鉄鉱だとか色んな説が出たが果たして何だろうか。それと斜方十二面体の緑色の鉱物を採集された。ザクロ石かな?またはひょっとして・・・。
帰途、所用で大阪へ行ったついでに久々に大阪市内の石友のTさん宅を訪問した。昔の資料を見せていただきながら石談に花を咲かせた。 |
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3月2日(日)
益富地学会館運営委員会で上洛。貴重な標本を入手。
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益富地学会館の運営委員会で上洛。何はともあれまず2階の図書室へ。今日は「兼葭堂日記」を調べるという目的があるのだ。
先日入手した古石標本の箱の側面に名前が書いてあったのだ。何とか読み取って、木村兼葭堂の交友関係を調べようと思った。残念ながら兼葭堂日記にはその人の名前は無かった。木内石亭の交友関係にも無いようなので、残念ながら迷宮入りの可能性が高くなった。しかし、所有者名の判る古石コレクションはたいへん貴重である・・・と思う。
さて、今日はちょっと嬉しいことがあった。石友から大阪府の某鉱山から産したアントレル鉱(Antlerite Cu3(SO4)(OH)4)を頂いた。全国的にもアントレル鉱はそんなに多産する鉱物ではないが、大阪府産ともなればこれはかなりの貴重品だ。個体数もたいへん少ない。感謝!感謝!
また、Ftさんに先日北摂のある旧坑で採集したサンプルを見てもらったら灰重石が入っていた。これも収穫だ。以前のように日本産の銘柄標本が手に入らない分、最近ドンドン大阪府の鉱物にのめり込んでいってるなぁ。 |
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3月1日(土)
小学生以来、四十数年ぶりの待兼山へ。大阪大学総合学術博物館見学。
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今日は益富地学会館の博物館見学講座だ。向かう先は豊中市の大阪大学総合学術博物館である。その博物館のあるのが待兼山。
かの有名な”マチカネワニ”が見つかった場所であり、館長が小学生時代、高師小僧を採集に行った思い出の場所だ。懐かしさとひょっとしたら高師小僧が採集出来るかも・・・という淡い期待をもって参加した。
大阪モノレールの柴原駅で降りて、大阪大学へ向う。理学部棟で集合し、まず大阪大学教授の土山明先生のご講演を拝聴する。土山先生は元京都地学会の会員だそうである。さて、テーマは「宇宙鉱物学」だ。宇宙で一番多い鉱物は何か?というテーマから核融合、超新星爆発まで実に壮大なドラマである。因みに宇宙で一番多い鉱物はカンラン石だそうだ。確かにPallasiteなんかオリビンを沢山含んでいるもんなぁ。色々な元素が出来ていくプロセスも判って楽しかった。
土山先生のご講演を拝聴した後、先生のご案内で普段は見られない鉱物標本室を特別に見学させていただいた。大阪大学の旧大阪高等学校時代からの標本であり、流石に邦産古典標本が多い。
特に角閃石の標本は素晴らしかった。館長も初見の産地でC軸方向に5cmはある太い結晶が何個も集まっている様はスゴイ。テリも良い。恐らくかなりの古典標本なんだろうなぁ。館長の本日のイチオシ標本は間違いなくコレだ!他に蓮台寺(河津)のブロシャン銅鉱もスゴク良かった。母岩が見えないくらいリッチだ。今まで見た河津のブロシャン銅鉱では文句無くトップクラスだと思う。他に中瀬の輝安鉱群晶、尾去沢の自然銅、玄倉の塩素燐灰石、足尾の弗素燐灰石、乙女の大きなライン鉱はなかなか見事であった。岩石標本は実に綺麗に整形してあった。職人芸だね。
それと館長が関心のあったのが益富先生と鉱物の出会いを作った「沢田伊三郎氏」標本だ。沢田氏の標本は没後、島津製作所と大阪高等学校に二分されたと聞いている。後者が後の大阪大学だ。恐らく、旧大阪高等学校標本になっていると思われるが、ラベルがもし残っておれば見たいものだ。45分の見学時間があっという間に過ぎた。後ろ髪をひかれながら博物館を後にする。
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1枚目:土山明先生のご講演「宇宙鉱物学−宇宙で一番多い鉱物は?−」
2枚目:鉱物標本室の見学。館長の好物、古典標本がいっぱい。
3枚目:途中にあった露頭。残念ながら高師小僧の気配も無い。
4枚目:博物館のエントランス。壁面にはマチカネワニのレプリカがお出迎え。本物は3階に展示されている。 |
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さて、今回の目的の一つが高師小僧探しだ。大学の正門をくぐってからずっと注意してきたが、全く露頭が見えない。唯一、途中で見つけた露頭らしきものが3枚目の写真だが、高師小僧を含む粘土にみられる酸化鉄の気配が全く無い。後で土山先生に伺ったが、やはり高師小僧を含む露頭は残っていないとの事。館長の四十数年前の思い出は幻となった。しかし、この広大なキャンパスのどこかに高師小僧は眠っている筈だ。
10分程歩いて、大阪大学総合学術博物館へ到着した。エントランスにはマチカネワニのレプリカがお出迎え。土山先生のご説明の後、3階の展示室へ向う。3階中央には全長7mのマチカネワニが鎮座している。このマチカネワニを発見されたのは当時大阪石友会の会員であったHさんとOさんである。館長は初めて実物を見せてもらったが、想像に違わずデカイ。もし、こんなのと遭遇したらエライことやろうなぁ。昔はワニが死んだ後、どこからか流れてきたという説もあったが、今ではこのワニは地元に居たヤツらしい。そうすれが一匹(一頭?)という事は有り得ない。他にも居た筈だ。この待兼山のどこかに二頭目、三頭目が居るのかもしれない。そういえばキシワダワニも一頭だけやな。因みにマチカネワニが出た所はカスリ火山灰の層準であった。当時はカスリ火山灰も千里丘陵にあったんやなぁ。
3階には鉱物標本も少しあり、乙女鉱山のツインの良いものがあった。片方が松茸(セプター)になっていた。将来、先程の鉱物標本もコチラで見られるという事で待ち遠しいね。出来れば、待兼山の高師小僧も展示してほしいと思う。
当日は同じく運営委員で大阪鉱物研究会のOhさんも来ていたので、先日の北摂の旧坑の話やら、大阪府の鉱物の情報交換も出来てたいへん有意義な一日であった。 |
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2月24日(日)
光明池にて。大阪層群の美しい地層に感激!
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大阪府の鉱物を語る上で大阪層群は欠かせない・・・と常々館長は思っている。その大阪層群は12枚の海成粘土層や50枚に及ぶ様々な火山灰層を含んでいる。その多くの火山灰層の中でも館長が特に関心が高いのが「カスリ火山灰」だ。というのも、この火山灰には角閃石の結晶が含まれているそうだ。”いるそうだ”・・・とは実は館長はまだその火山灰層を見たことがないのだ。是非この火山灰を見たいと思ったがなかなか見る機会がなかった。それもそのはず、この火山灰層は今ではたいへん貴重で千里丘陵等では既に見られなくなっているそうだ。現在見ることの出来る場所は和泉市の光明池だけらしい。この話を”きしわだ自然資料館”のH先生にしたところ、”いずみの国の自然館クラブ”さんという和泉市のNPO法人が光明池で地層の観察会を計画されているとの情報を頂き、急遽無理をお願いして参加させて頂くこととなった。
さて、今日がその観察会だ。ところが、朝起きたら雪景色だ。こりゃマズイなぁ。ホント今年は雪にたたられるよなぁ。幸い大阪を南下するに従って雪はどんどん姿を消して岸和田駅へ着いた時には雪は殆ど無くなっていた。館長たちの集合場所であるきしわだ自然資料館には前館長の千地万造先生(大阪石友会名誉会員)が居られた。館長は初めてお目にかかるのでまずご挨拶をして、館の専門員Wさん達と共に一路、光明池へ。光明池の駐車場で今日の観察会の参加者と合流、光明池の畔へと向った。参加者は家族連れが多く、50名にのぼるそうだ。関心が高いなぁ。現地ではW先生以外に大阪市立自然史博物館のI先生、吹田地学会のH先生等大阪府の第四紀研究の錚々たる方々が揃った。
光明池へ降りると、対岸に今や大阪では殆ど見られなくなった大阪層群の地層が綺麗に出ており素晴らしい。久々に感動した。
I先生によると大阪層群は世界的に有名なそうだ。この素晴らしい自然遺産の永久保存を何とかしてほしいな。
池の畔には鬼板や高師小僧が落ちていた。粘土層や火山灰層を見ながら池の周囲を歩いていく。途中、ある露頭でI先生の解説が始まった。どうやらこのあたりが館長の目的の”カスリ火山灰”の露出している場所らしい。館長はI先生のご指導の下、火山灰採集を始めた。火山灰を採集する鉱物コレクターはそういないだろうな。カスリ火山灰は黒っぽい粘土中に数cmの白く薄い層で入っている。肉眼的には角閃石は見えない。かなり微細な結晶で1mmあるかないかくらいのようだ。白い火山灰の中にまさに絣(かすり)模様のように角閃石の結晶が入っている状態を想像していただけにちょっと期待外れではあったが、まぁ貴重品には違いない。とりあえず持って帰って家でパンニングすることとした。その後、池の回りを歩きながら、他の参加者の方々が地層や植物遺体を観察しているのを横目にひたすら鉱物(高師小僧)採集をしていた。参加者の方々は別の場所で午後の部があったが、館長は午前の部で失礼して岸和田へと戻った。
帰りに大阪・難波の高島屋へ久しぶりに立ち寄った。ミナミへ来るのはホンマ久しぶりや。高島屋の地下の食品売り場で館長の好物、大寺餅の「くるみ餅」を買って帰った。これはホンマに美味しいのだ。
※光明池は灌漑用の人口池で大阪府によって管理されており許可なく入れません。今回の観察会は特別の許可を頂いて入っています。 |
写真上から
・光明池にて説明を聞く参加者。地層がメッチャ綺麗。
・カスリ火山灰層(中央の白く薄い層)。人物はご指導頂いたI先生。
・粘土(第7海成粘土層)の表面にニョッキリ顔を出した高師小僧
・館長の大好物「くるみ餅」。メッチャ美味しい・・・と思う。
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2月23日(土)
豆粕へペグマタイト観察 またまた雪中行軍
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久々の豆粕(大阪府豊能郡)での採集である。朝から雪がチラチラ・・・ちょっと天気が心配だ。しかし、それにしても今年は雪が多いなぁ。昨年の暮れまでは暖冬かな、と思っていたが。
本日ご同行頂くメンバーは亀岡市のOhさんと滋賀県のAsさんだ。意外なことに個人、団体を含めてAsさんとは初めての採集である。 能勢町宿野のバス停でお二人と待ち合わせ、いざ現地へ。丁場跡まで上がったが、流石にマイナーな産地だけに人が来た形跡は無い。ここでは表面採集は難しいので、久しぶりに大型ハンマーを持ってきたがやっぱり重たいわ。当地は広野と似た花崗岩で、峠の向こうは広野なので地質的にも地続きかなと思うが、晶洞が広野に比べて小さく且つ少ない。3人は夫々思い思いに石探しを始めた。
ここでは薄い石英脈が花崗岩中に入っている。その石英脈から水晶が出るのだが、石英脈が薄いだけに殆どがミリサイズの米水晶だ。煙水晶は案外少なく無色〜白色の水晶が多い。余りに小さいので普通の鉱物マニアは欲しがらないだろうな。
結局、途中で雪が強くなり早めの下山となった為、昼食を挟んで3時間弱の採集となった。お二方ともサンプルを沢山採られたので、その成果が楽しみである。大阪府新産鉱物が見つかれば良いのだが。 館長の成果は結局、あまり状態の良くない米水晶のゲス板とペグマタイト中の微細な緑色透明柱状結晶集合体だった。これは恐らく緑簾石であろう。昨年採集した不明鉱物と同じサンプルは残念ながら採集できなかった。分析はお預けとなった。 |
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2月17日(日)
”なにわのレオナルド・ダ・ヴィンチ”邸宅跡散策と石友会例会
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本日は大阪石友会の室内例会であるが、その前に大阪・西長堀にある大阪市立中央図書館へ調べものをしにいくこととした。
この図書館の脇には石の長者・木内石亭翁の物産学の兄弟子(年齢は石亭の方がずっと上)である”なにわのレオナルド・ダ・ヴィンチ”木村兼葭堂翁の邸宅跡の碑がある。一度見たかったので記念にパチリ!。(上の写真)
さて、石友会例会は大阪・長居公園の大阪市立自然史博物館会議室で行われた。久しぶりの室内例会とあって19名の参加。
今年の大阪ショーで初めて石友会ブースを出すので、その説明やら会長選挙の事やら次回の採集会の場所選定などを行う。館長は50周年記念事業の進捗を報告した。採集会の場所は決まったが、館長は初めての場所なので行こうかと思う。
例会の最後はお楽しみ会員提供の恒例「万華鏡」配布である。
休憩時間に全員で下見を行うが、愛媛県関川の鉄礬柘榴石分離品や槙ノ川の輝沸石の他、長崎県天草のエクロジャイトなど珍しいものもある。
その中に高さ1.5pくらいのプラケース入りの小さな煙水晶があった。なにげなく産地をみるとなんと神戸市の六甲山だ。小品だがこれは珍しい産地である。珍しい産地大好きで、且つ兵庫県在住の館長としてはこれは是非欲しいナと思ったが、残念ながらジャンケンで決めた配布順序は逆回り。一番最後の方になった。こらアカンわ・・・、諦めた。その内、順番が廻ってきて残り少なくなったテーブルを見ると、まだあった!これぞ残り福や!珍品水晶は目出度く館長のコレクションに納まることとなった。
次は逆回転となり返す刀で、Nさんご提供の北九州八幡西区産の饅頭石(ハロイサイト)を入手した。熊本県産の同様のものはポケット図鑑「日本の鉱物」にも掲載されている。球状のハロイサイトの中心部にアンコの様に黒い鉱物(「日本の鉱物」によるとこれもハロイサイト)が詰まっており、まさに饅頭だ。実はこの産地、館長が北九州在住の時に行くつもりであったが、結局行けなかったので、今回入手出来たのは嬉しい。16時30頃散会した。 |
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2月10日(日)
奈良鉱物研究会新年会と紅柱石採集
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今日は昨年の京都ショーの時に入会させてもらった奈良鉱物研究会の新年会だ。挨拶も兼ねて出席させて頂いた。場所はJR加茂駅(京都府)近くのカラオケ喫茶である。
ここのママは会の事務局もされている有名な鉱物マニアで”石とアクセサリー”のお店も併設という嬉しいお店だ。こんなお店が会社の近くにあれば毎晩入り浸るやろうな・・・。新年会には20名近くの出席があり、Wyさん、Thさん、Ohさん、Hさんなど顔なじみの石友会会員の方も結構いらっしゃる。約2時間程食事と石談で楽しく過ごさせて頂いた。滋賀県のSさんから自ら採集された三重県産のイットリウムエシキン石を頂いた。感謝。また鉱物種が1種増えた。
そして楽しい新年会の後、いよいよ採集会だ。お店からクルマ数台に分乗して目的地へ向う。目的地は和束町の砕石場だ。現役の砕石場なので普段は採集は許されないが、今回は特別の許可を頂いての採集会だ。ここはホルンフェルスを砕石しているのだが立派な砕石プラントが絵になり素晴らしい。写真撮りまくりだ。
そのホルンフェルスから有名な紅柱石や桜石が見つかる。特に紅柱石はゼイタクを云わなければいくらでもある。Sさんからここの紅柱石のレコードが「太さ1p長さ10p」と聞かされる。これが今日の目安だが、出るものは殆どが直径5oくらいで長さは数cmだ。
しかし、そのような紅柱石がホルンフェルス中に沢山突き刺さったように入っている姿は実に見事だ。当地の紅柱石が「釘こぼれ石」と呼ばれるのも納得である。石を割っていると直径1.5p位の桜石(菫青石仮晶)が出てきた。ピニ雲母化した「緑の桜」だが、この砕石場は一足お先に桜満開である。紅柱石の方はちょっと大きめの母岩に小さいながら沢山の紅柱石が入ったものを採集した。残念ながらかなり雲母化している。ウロウロしているとWyさんが殆ど変質していない芯まで綺麗なピンク色の紅柱石を採集されていた。運良く館長もおすそ分けにあずかった。感謝。久々の”コバンザメ”採集法である。
結局、紅柱石2点と桜石1点計3点の採集で本日は終了。2時間程の採集後、お店に戻りまた石談が始まったが、館長は家まで2時間以上かかるので一足お先に帰らせて頂いた。
2日間も続けて遊んだので、家族への”罪ほろぼし”(別に悪いことをしている訳ではないのだが・・・)帰りに宝塚阪急でロールケーキ(お米ロール)を買って帰った。 |
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2月9日(土)
久しぶりの大雪にまた雪中行軍! 北摂の旧坑探索
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大阪鉱物研究会のNyさんと北摂の某鉱山跡の探索に出かけた。今回は地元の方々のご協力で事前に綿密に情報収集をやって頂いていたので場所はかなり絞られていた。我々だけではまずここまでは絞れない。ご厚意が有難い。
当日は早朝からかなりの雪が降り、積もりだした。この前の広野もそうだが、今年は雪によく降られるなぁ。まぁ、雨よりは多少マシかな。只、斜面で滑るのが怖い。相当以前に大分県の尾平鉱山で斜面の雪の上の枯葉を踏んで滑り、足の靭帯を痛めたことが思い出される。くれぐれも気をつけよう。
集合場所のコンビニの駐車場で待ち合わせ、簡単に自己紹介した後、現地へ向う。クルマを停め、山道を登ると丁度、山仕事をしている人に出会い、挨拶がてら鉱山跡の事を聞くと、なんと案内してやるとの嬉しいお言葉。雪が積もり足場の悪い斜面を注意深く登っていく。斜面はどう見てもズリだ。ズリまでならばそうきつくはないな。
登りきった所にポッカリと旧坑が口を開けていた。参加者から歓声があがった。かなりシッカリした坑口だ。鉱物採集の訪山者はいないようでズリにハンマーがあたった形跡が無い。案内頂いた方によると太平洋戦争前の昭和10年頃には既に閉山していたそうだ。数個石を割ってみたが、黄鉄鉱が殆どだ。もっと沢山割れば他に出てくるかもしれないが、雪が益々激しくなってきた為止む無く下山することとした。暑くならないうちに再度、攻略したい。さぁ、明日もフィールドだ。 |
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2月8日(金)
古石コレクション?
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インターネットのオークションで面白そうなものを見つけ、それが本日届いた。何故か感じるものがあり落札した。ちょっと高目の金額だったがあまり皆さん関心が無いようで、他に入札は無くスムーズに落札出来た。
梱包を解いてみると、16cm×10cmのやや小さめの木箱7個に入った所謂、”組標本”だ。箱には夫々仕切りがあって幾つかのの標本が入っているが、夫々に大きさは違う。中身は純粋な鉱物標本ではなく、珊瑚やコハク、水晶、辰砂、黄鉄鉱、雲母、鏃(やじり)、化石など玉石混交。石なのか何なのか全く判らないものまである。いわゆる「古石標本」のようだ。ラベルの様なものは無いが、紫石とか紫石英と記述されており、名称は「雲根志」とほぼ共通だ。内容的に恐らく江戸時代のものだと思うが確証がない。鑑定してくれる人が居れば頼みたいのだが、残念ながら館長の知る限り、今の日本では「古石標本」を鑑定出来る人が思い当たらない。鑑定出来たのは故益富寿之助先生くらいだろう。 |
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2月2日(土)
益富地学会館へ ”味”との出会いも。
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毎月定例の益富地学会館・運営委員会へ。阪急烏丸駅で下車、ブラブラと烏丸通りを北上。会館まで二駅分、丁度良い運動だ。
会館へ着くと丁度滋賀県のKyさんが来館。Kyさんは石亭翁と同郷だけに流石に奇石に造詣が深く、暫し、木内石亭の話を楽しむ。
何か面白い本は無いか?と図書室の書架を探していると岡本要八郎先生の幡豆郡鉱物誌があった。これは貴重な本である。委員会の方は先日の交流会のレビューと2〜3月の催し物、4月の大阪ショーについて意見交換を行い16時30分頃終了。もう大阪ショーか・・・1年は早いなぁ。序にPR。大阪ショーでは大阪石友会も出展しますのでお楽しみに・・・。
委員会が終わってから2Fで差し入れのバームクーヘンを頂く。
このバームクーヘン、近江八幡の”たねや”というお店のもので、阪神百貨店の地下でいつも行列が出来ているとのKさんのお話。
そうか!この間、石友会の役員会で梅田に行った時、阪神百貨店の地下で長い行列を見て、あれ何かいな?と思って見にいったらバームクーヘンだった。あれが”たねや”やったんか!今度、家族の土産に買って帰ろっと。帰りに新京極をブラブラ。クリスタルワールドさんへ立ち寄り、日本産鉱物をチェックした後、家路についた。 |
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1月27日(日)
恒例!益富地学会館 新春交流会
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今日は新年恒例の益富地学会館の「石を楽しむ新春交流会」だ。この会で館長の鉱物ライフの1年が始まるといっても良いだろう。
館長は今年はSTAFFとしての参加なので朝5時起きで自宅を出て、1時間前に会場の「みやこメッセ」に到着。会場設営のお手伝いをした後、開場を待つ。いよいよ10時開場。多くの参加者が入場され、アッと言う間に会場は参加者で一杯になった。例年より人の入りが多いような気がする。この交流会は大きく即売会と講演会の二本立てだ。これは昔の京都地学会新春総会から変わらない。
即売会は会員によるものだけに国産標本、とりわけ採集品が多い。マニア向けの標本が多いのも昔からの伝統だ。今年は我が大阪石友会のKh会長が出品されていたのでまず見せてもらった。目玉は朝日(堀場)の3.5oの砂金だ。その横では日立市のSyさんが舟子沢の南部石(原産地)や田野畑鉱山の標本を沢山販売されていた。 他に今年は秩父鉱山の大型標本もあった。鉄閃亜鉛鉱の群晶や黄鉄鉱の群晶、方解石の大きな結晶が魅力的だった。購入も考えたが、近年の収集方針と若干合わずPASS。他には無名会のTkさん、Tyさんが出品。最近大阪鉱物研究会に入会されたThさんと先日広野にご一緒頂いたOhさんが奈良鉱物研究会として出展、お馴染みのTyさん、Tsさん、Igさんの関鉱同メンバーも多数出品されていた。
館長は今回標本を2点だけ購入した。一点目は鹿児島県大和鉱山の原田石だ。眼にも鮮やかな原田石が多く付いている上品で値段も手頃だった。もう一つは茨城県大正鉱山の錫石だ。約10pの母岩のほぼ一面に3o程度の錫石結晶が無数に付いている。錫石の結晶そのものはあまりシャープとは言えないが錫石の量も多く、展示向けの標本だ。石友のAsさんからは大阪石を頂いた。感謝。更にThさんからは最近見つけられた大阪府産の輝沸石を頂いた。こちらも感謝。
また、会場で京都の古くからの石人Ksさんに久々にお会い出来た。お元気な様子で一安心。「きしわだ自然資料館」の特別展でお世話になったTsさんにもお会い出来た。図録の完成が楽しみだ。九州よりいつもお世話になっている福岡石の会のHkさんとTKさんのお顔もみえた。今回も沢山の石人にお会い出来た。
さて、昨年よりポスター発表会が行われている。今年は大阪鉱物研究会のOmさんの「大阪石」や滋賀県のAsさんの「灰山の今、昔」、Syさんによる「関東鉱物同好会の一泊採集会の風景」、無名会のTyさんによる「ミュンヘンショーとザクセンの鉱物採集の旅」等が発表された。
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昨年より始まった新鉱物の展示コーナーでは2007年最大の話題であった「邦産ダイヤモンドを含んでいるかもしれない?石」(写真2番目)や田野畑石、宗像石(写真3番目)等が展示されていた。
講演会は別会場となったが、加藤昭先生や松原聰先生他の講演が行われた。加藤先生は「鉱物の化学組成とその理解」を、松原先生は2007年度の日本産新鉱物・新産鉱物について講演された。
2007年は新鉱物が6種も報告された。その中には話題になった大阪石や福岡県初の新鉱物・宗像石もあった。宗像石は館長も採集に行って、それらしい標本を採集してきたが、お話を聴く限り宗像石ではないようだ。残念!。松原先生のお話では、実際には宗像石はかなり個体数が少ないそうだ。また、新鉱物と共に今回注目を浴びたのが本邦初産のダイヤモンドだ。玄武岩中にある単斜輝石中の炭酸ガス包有物中に1ミクロンという代物だ。
また、今回「特別鑑定士」の認定があり、加藤昭先生、堀秀道先生、松原聰先生が認定された。写真4は挨拶をされる堀先生。 |
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1月26日(土)
石友会役員幹事会 梅田へ
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石友会の役員会を大阪・梅田で行うこととなった。会長のKhさん、副会長のIkさん、幹事のWyさん、Nさん、そして館長が大阪駅に集合。JR大阪駅内にあるホテルグランビアの喫茶店で行った。会誌編集の分担や大阪ショーの出店、50周年記念事業等について討議した。館長も会誌の編集のお手伝いをすることとなったが、内容的にマニアックになると思う。1.5時間限定でコーヒー飲み放題はなかなかリーズナブルだと思う。全員で食事をした後、解散した。
館長は帰途、大阪駅の地下街にある老舗の古本屋のM屋書店に立ち寄った。ベテランコレクターKsさんが、昔ここで「本邦鑛物圖譜」4冊完を見た(買わなかったそうだが)という話が頭の隅っこに残っていたので、一応のぞいてみることとした。残念ながら鉱物関連は無かったが、本棚を眺めていると小野崎敏氏(足尾銅山御用写真師であった小野崎一徳氏のお孫さん)の「足尾銅山物語」があったので購入した。そういえば、昔、大阪球場(当時)の古書街に和田維四郎先生の「本邦鑛物標本」があったなぁ(こちらも結局買わなかったが、後々ずっと後悔した。何故買わなかったのか私自身謎だ)。誰が買ったんやろ・・・。 |
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2008年1月21日(月)
大都会の高師小僧
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最近、「高師小僧」と何かと縁がある。今日、オークションで落札した高師小僧が届いた。産地はなんと東京都板橋区。東京23区の鉱物標本である。館長の東京23区の鉱物標本は渋谷の菱鉄鉱以来だ。昭和30年代の標本との事で、まだ当時は自然の崖が東京都内にも残っていたんだね。産地に興味を持ったのでインターネットの航空写真で産地周辺を見た。確かに緑の多い地区ではあるが、沢山の建物が立て込んでいて、とっても高師小僧の採集は無理やなぁ。
そういえばかつて大阪市内でも高師小僧を産しているのだ。街の再開発でまた顔を出さないとも限らない。 |
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2008年1月20日(日)
雪中行軍とコレクション拝見
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関西の著名コレクターであるHtさんにコレクションを拝見したいとお願いしたら快諾を頂くと共に、採集に同行させていただけることとなった。リクエストを聞いて頂けることとなり、Htさんのホームグラウンドの一つである京都府亀岡市広野をお願いした。
【雪中行軍】
JR福知山線の新三田駅でHtさんとお会いし、一路亀岡へ。途中、長谷や豆粕などの大阪府の著名な鉱物産地を通過すると目前の山に大きな採石場跡が迫った。このあたりが今日の目的地である広野の採石場跡だ。古くから立派な水晶の産出で知られ、近年はカムファーグ石やゼントヘルバイト、バベノ石など稀産鉱物の産出で有名になった産地だ。館長は以前からこの広野を訪山したいと思っていたが、今回Htさんのご厚意で案内して頂けることとなった。
採石場を望むコンビにで本日のもうお一方の同行者である石友会会員でもある亀岡市在住のOhさんと合流した。Ohさんは行者山や広野をメインのフィールドにされているとの事で、3年前に広野でガマを開けられて採られた立派な煙水晶等をご披露頂いた。
2台のクルマは山を上がり、廃屋の近くで駐車。そこから山道をひたすら登る。冬だから良いが夏はかなり厳しいだろうな。途中から採石され放置された巨岩が積み重なり遠めで見るより遥かに大規模な採石場のようだ。
途中から雪がちらつき始め、山道には積雪もあるし、霜柱を踏みしめながら登っていく。累々と積み重なった巨岩には恐ろしさすら感じる。Htさんから各ポイントの産出鉱物説明を受けながら、今日の採集ポントに到着。ここは最近Htさんが注力している場所だそうだ。
大きな岩を割って晶洞を出すのだが、館長の持っているピックハンマーでは殆ど歯が立たない。手頃な石を割ってみるがこれと云ったものは出ない。また、結構「浮き石」が多く、ヒヤリとした。Htさんは大ハンマーを駆使され、小さな晶洞をいくつも開けられていた。微細な鉱物が多いので持ち帰ってチェックされるそうだ。
結局、雪が激しくなった為早めの下山となった。館長の本日の成果は以前来た人が残していった水晶付きのペグマタイト一塊のみ。
下山の途中、Ohさんが以前見つけられた晶洞の跡を見せてもらった。勿論、水晶などは採れなかったが、文象花崗岩にハロを生じた石を採集した。Htさんに見て頂くと恐らくジルコンであろうとの事。
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【コレクション拝見】
採集の後、兵庫県のHtさんのお宅へ向う。ご自宅に隣接した駐車場の上に標本室が増築されている。独立した標本室をもつのはコレクターの夢である。実にうらやましい・・・。標本室に入れて頂くと、壁面いっぱいに標本が入った数種類のレターケースが整然と並び館長と同じくニチカサイズ(9cm×6cm)の小箱にほぼ統一され入っている。標本は京都の益富地学会館と同様、都道府県別に並んでおり、更に各産地毎に標本が並んでいる。
Htさんの標本で感心したのは標本ラベルである。ラベルに事細かに解説が書かれているのだ。標本の解説や見所、入手の経緯などなど。読んで楽しいラベルはそうないであろう。
さて、鉱物標本の方であるが、流石50年超のキャリアをお持ちだけに、館長垂涎の標本も多い。崎浜のピーシー、日本鉱山の紅安鉱、豊栄のツイン、小樽松倉のミメット鉱、河津のイネス石など素晴らしい。館長の興味のある大阪府の鉱物では”幻”の坂口鉱山のイットリア石(一番下の写真)をお持ちであった。Ohさんと石談に花が咲いてたいへん楽しい一日であった。帰りはOhさんに新三田駅まで送って頂いた。感謝、感謝。帰りに駅の横のコンビニで丹波名物の「黒豆ロールケーキ」をお土産に買って帰った。 |
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2008年1月16日(水)
地球の鉱物
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今、盛んにテレビCMをやっているせいか、会社でも何人からか聞かれた。トレジャーストーンで一躍鉱物趣味界で有名になったディアゴスティーニ社が鉱物コレクションの第二弾を放った。正直言って本邦産鉱物専門蒐集家としては”おまけ”の鉱物もさることながら本の中身に興味があった。
買おうかどうしようか迷っていたが、丁度、会社の「改善提案」でご褒美の図書カード(1,000円)をもらったので、とりあえず第1号を買ってみた。
内容としては「日本の新鉱物」というコーナー(第一回は”手稲石”)があったり、小滝川の翡翠産地のガイドがあったりで、本邦産にしか興味のない館長も概ね満足であった。次回は”若林鉱”との事で、こりゃまた買う事になるんかなぁ。まぁ、いずれにせよこのような雑誌が出て多くの人たちが鉱物に関心をもってくれればたいへん嬉しいことだ。益々の発展を祈りたい。 |
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2008年1月14日(月・祝)
2008年初採集は生駒山地にて
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今日は大阪のThさんと採集だ。目的地は以前探索に失敗した東大阪市生駒山中の幻のザクロ石産地。地元東大阪市在住のThさんが努力の末、場所を再発見してくれた。
途中で少々アクシデントはあったが何とか定刻までに待ち合わせ場所の駅に着いた。この産地は大阪府産鉱物研究のパイオニアである白神正夫先生がかつて「大阪府の鑛物」に記載された産地で、大阪鉱物研究会内でも課題とされていた産地だった。
産地は小さな谷川の転石で殆どが生駒山地を形成する花崗岩礫だが、少量の片麻岩や斑れい岩も混じっている。しかし目的のペグマタイト礫はなかなか見つからない。また殆どの石が表面が黒や褐色に変色している為、割らないと中身が判らないので始末に悪い。
Thさんも前回、最初にペグマタイト礫を見つけられた後、2個目は出なかったとのことだ。もともとペグマタイトは細い脈であったのだろう。
2時間程探して見つからず諦めかけた時、対岸に10p程の白っぽい石がまるで「オイデ、オイデ」と言っているようにこっちを向いている。拾い上げてみると目的のペグマタイト塊で細かいザクロ石が鉢巻を巻いたように入っている。しかも館長好みの両盤の岩石付だ。これで何とか目的を達した。通常の産地では拾って帰らないような石だが、大阪府産では貴重品だ。
更に上流へ登り、Thさんが大きなペグマタイト塊を見つけられ、大きめの長石のへき開片を採集したりした。もっと上流へ上ると山は益々深くなり”深山幽谷”の感がある。支谷を見つけて登ると白っぽい岩石あり、キラッと光ったので割ってみると1〜2oと微細だが綺麗な黄鉄鉱が見つかった。これは意外な収穫であった。大阪府では微細とはいえ、このような金属鉱物の結晶は珍しい。大阪鉱物研究会の研究テーマとして生駒山地を採り上げてもよいかもしれない。
本日は天候にも恵まれ成果も得られて満足の1日であった。 |
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2008年1月12日(土)
今日から三連休!今年初の上洛
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嬉しい三連休だ。しかも連休の最終日が月曜日なので翌週の稼働日は4日だし、しかも給料日が日曜日にあたるので二日間前倒しになる。(まぁ、次の給料日までの期間が長くなるので喜ぶことではないが)この三連休は有効に使いたい・・・という事で初日は京都だ。
益富地学会館の運営委員会と新年会に出席の為上洛した。早めに会館に着いたので、2階の図書室へ。資料を物色していると自然史博物館(大阪)にある木村兼葭堂標本(京大号)の資料があった。
京大で戦前に戦災を逃れる為に持ち込まれたと思われる石の標本が益富先生のもとへ持ち込まれ、先生によって兼葭堂のコレクションと鑑定され、標本が益富地学会館を経て、大阪に戻るまでのストーリーが判って興味深かった。
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益富地学会館3階の「紫の石展} |
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丁度3階の展示室では「特別展 源氏物語千年紀 紫式部にちなんで・紫の石展」の展示説明会が行われていた。(写真)
15時30分から運営委員会が始まり、新春交流会、巡検、大阪ショーなど意見交換を行った。流石新年第一回だけあってOaさん、Tmさん、Ihさん、Nkさん、Imさん、Ohさん、Tkさんなど関西を代表する錚々たる石人がずらっと並んで壮観であった。議事終了後、場所を移して新年会が行われた。会場まで超ベテランコレクターのOaさんとご一緒させて頂いて有益なお話を聴かせて頂けた。寺町の会場には運営委員以外の多くの理事や委員の方々が加わり総勢30名近くになった。益富地学会館はこのように多くの方々に支えられているのだなぁと思った。帰りが遠いので少々早めに退席させて頂いたが、色々面白いお話が聴けて楽しい新年会であった。 |
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2008年1月6日(日)
石友訪問 2008年のミネラルライフのスタートだ。
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今日はミネラルショップを経営している石友Kkさんのお店へ遊びにいくこととした。Kkさんは本邦ピカイチの国際派だ。英語も堪能で、海外に多数の人脈をもつ「鉱物標本のグローバルスタンダード」の判る数少ない石屋さんで鉱物写真の腕前も本邦トップクラスだ。館長のように本邦産鉱物しかやっていない人間は特にグローバルスタンダードに疎いので、目の保養をさせていただくのも目的だ。
絶産品ツメブのスコロド石や毛赤銅鉱入り白鉛鉱、含銅菱亜鉛鉱、USAの滋賀石、南アフリカ産の10pに及ぶアホー石入り水晶(右の写真)、ボリビアのフォスフォフィライト双晶など世界的な標本の数々を見せて頂いた。また、世界の鉱物事情をいろいろ聴かせてもらった。1億円する鉱物標本の話だとか海外はスケールが違うなぁ。
標本を見せてもらった後、Kkさんといつも通りの「コレクターはかくあるべし・・・」という楽しくコレクター論議だ。
Kkさん曰く「コレクターと言うのは自分のために買うのじゃなくて、標本のために買うんです。人が標本を選ぶのではなく、標本が人を選ぶのです」。館長も同感である。
Kkさんは月末から恒例のツーソンショー(USA)へ行かれるそうだ。成果を楽しみにしたい。 |
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2008年1月5日(土) |
通院の日 |
昨日は年明け早々、勤務先での設備トラブルで危うく日付が変わるところだった。設備の自動化で大量の処理が確実に、短時間で済み、生産性は上がるのだが、このようなリスクはつきまとう。結局、最後は人間による「力技」でカバーすることとなった。
仕事の話はさておいて、今日は何もせずにゆっくりしようと思ったが、昨年11月頃からの右腕の痛みが一向によくならない。意を決して近所の整形外科へ行った。待つこと1時間半、診察結果はあっけなかった。「腱鞘炎(けんしょうえん)」の診断、俗に云う「テニス肘」だそうだ。しかし”超運動オンチ”の館長はテニスは出来ない。担当医と話した結果、原因は只一つ・・・ハンマーの振りすぎだった。それならいくらでも身に覚えはある。「ハンマー肘?」か・・・・。ただ、私は世間のマニアと比べて採集の頻度は少ない方(1回/月)なので不思議ではあるが。休み明けに会社でこの話をしたら、同僚に「Sさん(館長のこと)!それはトシのせいやで・・・!」とあっさり言われた。反論出来なかった・・・。 |
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2008年1月1日(祝・火) |
謹賀新年
本年も「鉱物趣味の博物館」をご愛顧下さい。読者の皆様・ご家族のご健康ご多幸そして石運をお祈り致します |
今年も石友から多くの年賀状を頂いた。年賀状を「鉱物関連」、「会社関係」、「石と会社以外」に分類すると鉱物関連が一番多くなった。これは嬉しいことだ。家族で新年を祝った後、歩いて20分程のお寺と神社へ運動を兼ねて夫々初詣に行った。願い事は「家族の健康と幸福」は当然として「株価の上昇」、「良い石に巡り会えるように・・・」もプラスした。ちょっと欲張りすぎたかなぁ。そのせいか”お御籤”は「凶」。「こんなん入れるなよなぁ!」と怒りつつも、昨年「大吉」であったにも拘らず近年最低の年であったので、気にしないようにしよう。暇なので鉱物関連のネットサーフィンをやったり、ちょっと迷惑だったかもしれないが石友に電話をしたりで一日が終わった。 |
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