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館長の「石漬け」の日々をご紹介して参ります。鉱物採集に行ったこと、ミネラルショーや即売会に行ったこと、同好会の例会に参加したこと、館長の一生の財産である石友の皆さんとの交流、普段の生活での何気ない鉱物との出会い、そして石にまつわるニュース的なことを書き綴って参ります。 |
館長について・・・幼少の頃(小学校低学年)より石集めを始め、鉱物趣味歴約60年超。日本産鉱物標本の収集と鉱物趣味史・大阪府産鉱物研究がライフワーク。「夢」は鉱物博物館。現在、益富地学会館(運営委員)、日本鉱物科学会・大阪石友会・福岡石の会・鉱物同志会・地質学史懇話会・奈良鉱物研究会・吹田地学会各会員など石に関するいろんなジャンルの所に顔を出しています。詳しくはプロフィールのページへ。 |
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2010年12月31日(木)
2010年を終えるにあたって
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いよいよ2010年も本日がラストです。この一年間、「鑛物趣味の博物館」をご愛顧頂きありがとう有難うございました。
この一年間で延べ約20,000人の方にご来場頂きました。来年も「鑛物趣味の博物館」は、この鉱物日記と日本産銘柄・古典標本を中心に、本格的伝統的鉱物趣味家(・・・を目指す人も含めて)の為のサイトとして運営していく所存です。
一層の応援を宜しくお願い致します。それでは、良い年をお迎え下さい。 |
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12月25日(土)
祝・ホームページ開設
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慌しい一週間を終えて自宅でくつろいでいると、個人携帯に着信が入った・・・。電話の向こう側は石友であり、京都府亀岡市でミネラルショップ「たんくら」を経営しているMtさんだ。
聞けばお店のホームページをリリースしたとの連絡であった。(試験運用は既に始まっていたが今回は正式リリース)
まだ出来立てホヤホヤのサイトなのでYahooで検索してもすぐに出てこないが、URLから入るとなかなか見事な出来栄えであった。日本の鉱物標本店、数多あるなかで、店主自らの採集品をメインにするお店(ネットショップではなく実店舗)は、館長は他では知らない。店主のMtさんは鉱物に精通しており、「採集力」はピカイチだ。
http://www.tankura.com/
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12月23日(木・祝)
2010年石納め?は大阪石友会納会
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いよいよ2010年最後の採集(・・・の筈)、大阪石友会の納会である。
今年の納会は多田銀山跡での採集会&忘年会で総勢17名の参加だ。
場所は代官所跡近くの「十六人間歩」でここは館長も二回目の訪山である。
十六人間歩は古い坑道であるが、現在のズリは近年(と言っても数十年前)、鉱山会社によって試掘された時のものらしい。
ここは蛍石を多く見られる場所だが、蛍石は石英の中に淡紫色の細脈で入るもので、あまりパッとしない。また他にはコレという鉱物は出ないので、収穫としては期待しにくい。
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以前来た時は一面にズリが広がっていたが、今は落ち葉が多く、表面には石があまり見えない。館長は今日はあまり採集をするつもりは無く、もし蛍石の結晶が採れたら持ち帰ろう・・・程度の考えであった。結局、黄銅鉱の自形結晶(・・・らしきもの。多田で自形は珍品)を得ただけであった。まぁ、エエか。さて、忘年会の方は名鍋奉行のKh会長とNkさんに準備頂いた。いつもながらご両人の用意周到な準備、手際の良さと料理の上手さには脱帽である。
帰りに「多田銀銅山・悠久の館」を見学した。ここには銀山関連の古文書や鉱山で使われた道具等の資料、鉱石標本(石友会が寄贈したものもある)が多数陳列されている。今日は館長達のような石マニアだけでなく、ハイカーで賑わっていた。 |
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12月19日(日)
今年最後の「石の花」 幻の鉱物に遭遇!
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標本即売会も2010年度はこの「石の花」で終り(・・・の筈)。
今回の「石の花」の目玉は何といっても河津鉱山のスピロフ石だ。
この鉱物はたいへんな珍品で櫻井鉱物標本にあるピンク色の結晶は印象的だ。
国産の確実なものをもっている人は極めて少数だろう。Oaさんのスピロフ石は原産地(メキシコ ソノラ)のものに酷似しているとの事で、櫻井欽一先生お墨付きの標本だ。
他に河津鉱山の手稲石や欽一石、たいへんチャーミングな菱マンも出品された。皆が欲しい石だけに今回はオークション形式となった。館長は勿論欲しいのだが、諸般の事情で泣く泣くパスした。
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オークションで盛り上がっている人たちを尻目に館長は一般標本へ。
最初に見つけたのが喜和田鉱山の灰礬柘榴石の群晶で24cmという館長大好きのミュージアムサイズだ。スチルプノメレンも伴っており、値段も手頃なので、今回はこれに決めた! 河津鉱山産では他にはゼーマン石やゴールドフィールド鉱、ソノラ石などの珍しいテルル鉱物からブロシャン銅鉱、孔雀石、ヨハンセン輝石、イネス石など多数の出品があった。また、入手困難な雪入の燐酸塩ペグマタイトの鉱物セット11種は特筆ものだった。
会場にはYs師匠、Ihさん、Wyさん、Asさん、Yk君、Mtさんなど多数の石人が来られ、あちらこちらで石談義に花が咲いていた。
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12月10日(金)〜12日(日)
石漬けの三日間 東京ミネラルショー
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早いもので東京ミネラルショー(池袋ショー)の時期になった。
ホンマに一年は早いわ。・・・ということでまたまた高速バスと激安ホテルを使ったケチケチ旅行である。いつも通り、池袋のマクドで時間を潰して会場のサンシャンシティーへ向う。ショーのオープンまでまだ時間がかなりあるというのに会場前はすごい人数の行列だ。今回のショーの出展者は国内外合わせて300社という規模だ。
10時になりいよいよオープン。今回は益富地学会館の手伝いとO社のサポートもしなければならない。特にO社では今回、コレクターの放出品があったので凄い人気であった。京都府白石山の河辺石(原産地標本)やトルトベイト石、田上山の傘状ジルコンやイットロタンタル石、洞戸鉱山の透輝石や紫水晶のツイン、
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五代松鉱山の黄色のツイン、小尾八重の大きなツイン、朝日鉱山の自然金など多彩な一級品標本が目白押しであった。一日目の午前中は殆どサポート(標本説明)がメインとなった。 午後になって客足も少し落ち着いたので挨拶を兼ねて、会場を急ぎ足で見て廻る。日本産鉱物を多く出しているブースは残念ながら今回も少ない。
そんな中、コムロさんでは東北地方の金属鉱物が今回も素晴らしい。阿仁や尾去沢などの東北の鉱山の閃亜鉛鉱や方鉛鉱、黄銅鉱など光り物が立派であるが、館長の注目はやはり尾去沢の菱マンだ。他に一つ、どうしても欲しいものがあったが、池袋ショーの前に(館長としては)かなりデカい出費があったので泣く泣く見送った。来年、もし、まだ残っていたら買おう・・・。
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日本産鉱物一筋のJMさんには近江の石友Kyさんが居られた。ここでは桃井柘榴石が目に止まった。館長が小学生時代からお世話になっている業者さんには20cm近いホタル石の結晶集合があった。豊栄鉱山産で結晶はルーズであったが、最大結晶は一辺7cmというその博物館級の迫力に押されて、めでたく館長のコレクションに収まることとなった。また、長さ42cmという巨大な山梨産の水晶を出品しているブースがあり、度肝を抜かれた。 二日目は午前中、会社の友人のHさんが今回も来てくれたので、四方山話に花が咲く。Hさんと一緒に東京で営業していた頃が懐かしい。
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ブースのサポートもだいぶ余裕が出たので、更に会場の出品物を細かくチェックした。その中で新鉱物の単斜頑火輝石を見つけた。小笠原諸島で見つかったもので、有名な「無人岩」の中に斑晶として入っている。現地にはちょっと行けそうもないので購入した。やはり種類集めからは卒業出来そうにないな。
それと、これも持っていない種であるが、山口県宇部産の苦土カトフォラ閃石を見つけたので購入。あまりパッとした石ではないが、案外入手は難しいようだ。
さて、午後は加藤昭先生の特別講演だ。館長も拝聴させて頂く。この特別講演は池袋ショーの楽しみの一つだ。今回のテーマは「層状珪酸塩鉱物」と「化学成分と鉱物種」でたいへん盛況だった。 |
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久々に石友のY2さんとお会いできた。新宿ショー以来だな。今日は他にHkさんとも久々にお会いできた。 最終日は午後、益富地学会館の鉱物鑑定
7級と8級の講習会&検定が行われた。館長はその間、益富地学会館のブースを担当することとなった。益富地学会館ブースでは今回も会員の委託標本の販売や書籍、採集用品、収集用品の販売を行ったり、来客の質問に答えたりと結構忙しかった。
メインの会場は2Fであるが、3Fでは販売ブースの他、特別展示やイベントが行われていた。最終日になってようやく3Fに行った。
今回の特別展示は「メッセルの化石コレクション」。館長は化石は殆ど判らないがオイルシェール(含油頁岩)から出てくる化石で、哺乳類、鳥類、ワニやカエル、昆虫、植物など何でもありで、なんと霊長類の化石もある。その保存の良さは驚異的だ。しかも産地は「メッセル化石地域」として世界自然遺産に指定されているそうだ。
・・・ということで石漬けの三日間は終わった。今回も普段なかなかお会い出来ない関東の石友、コレクターの方々と再会したり、多くの鉱物で眼の保養をさせていただいたりと楽しい三日間であった。 |
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11月28日(日)
忘年会第一号!
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館長の今年の忘年会第一号が奈良鉱物研究会の採集会を兼ねた納会だ。
場所は京都府八幡市の木津川河川敷。ここは関西では川流れの高師小僧の産地として知られている。以前、大阪石友会でも納会をやったことがある場所だ。
まず、野外忘年会の前に広い河川敷で高師小僧採集を行う。以前来た時よりも綺麗で大きめのものが見つかる。今回はあまり欲張らずに採集は5、6本に留めたが、珍品は昔の「犬釘」の廻りに高師小僧が出来たものだ。
当地の高師小僧を含む粘土層からは土器や陶器の破片が見つかり、ここの高師小僧はせいぜい数百年といわれる新しいものだ。中にはどういうわけか土器や陶器の表面に出来た高師小僧も見られた。高師小僧は草の根の周りに出来るという「通説」はここではそうも言い切れないようだ。
一通り採集を終えて、バーベキューで今年一年を締めくくった。
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11月21日(日)
石のフリーマーケット |
秋になり京都は観光シーズン真っ盛り。とにかく人が多い。
益富地学会館の周辺でも京都御所や旧有栖川邸の公開などで観光客だらけだ。そのような観光客を横目に館長は益富地学会館へ。本日は「石のフリーマーケット」の日だ。
館長は出展者側で前回同様Wyさん、Hkさんとの共同出展である。
今回も8グループが出品したが、アマチュアの出品だけに夫々の好みが色濃く現れた内容だ。水晶類が多いブース、二次鉱物主体のブース、ペグマタイト鉱物を主としたブース、銘柄標本を多く並べたブース、館長のように古典標本(骨董品?)主体のブースなど様々。バラエティーに富んで面白い。 |
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今回館長は明延鉱山産自然蒼鉛の良品、乙女鉱山産の灰重石の形をほぼ完全に残した結晶が2個付いたライン鉱母岩付きなど、所謂「マイコレクション」を数点出品した。いずれも今となっては入手の難しい標本ではあるが、価格設定がどうしても高くなり売れにくい標本であった。
それ以外はまずまずの売上で出品料や往復の交通費、昼メシ代などの原価、ヨメへの土産、多少のお小遣い程度は確保出来たかな。お買い求め頂いた皆さんに感謝、感謝。
他のブースを見て廻ると、国産のハーキマー風の水晶、メノウの中心に上品な淡紫色の水晶が晶出したもの、大型の算盤珠石、福岡県産藍銅鉱と孔雀石が絶妙のコントラストをなす見事な標本、大阪石やクテナス石などの超稀産鉱物などの他、国産のヒトデと花弁の付いたウミユリが共存した素晴しい標本があった。館長は平尾旧坑の菱亜鉛鉱が閃亜鉛鉱を包んだ標本、多田鉱山ジャリ池産青鉛鉱のミュージアムサイズの見事な標本(しかも格安!)が入手出来て大満足。
帰りにクリスタルワールドさんへちょっと立ち寄ったり、京の台所「錦市場」を散策した後、河原町から帰途についたが、電車は行楽帰りの客でまるで朝の通勤電車のようであった。 |
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11月14日(日)
晩秋の伊賀路へ 鉄の田螺(タニシ)を求めて
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約一ヶ月ぶりの更新である。決して更新をサボッていた訳ではない。公私共多忙を極め、とても石を愛でる余裕が無かったのだ。
採集は夏の猛暑も影響して8月末の高師原以外は行かず、また、これといった標本も手に入らず、とんとご無沙汰だった。
従って日記として書くことがなかった。仕事が多忙なのは相変わらずだが、ようやく一息ついて石を愛でる余裕が多少出てきた。 |
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そして今日は大阪石友会の野外例会だ。フィールドワークは本当に久しぶりだ。今回は益富地学会館の採集会(鳴滝鉱山)と重なってしまった。石友会の山田鉱山は以前から訪れたかった産地であったので石友会の方に参加した。
目的地は三重県の山田鉱山とそこから程近い服部川の河原だ。
前者は綺麗な満礬柘榴石やアラバンド鉱で知られている有名なマンガン鉱山。 一方の服部川は新生代の化石を多産する場所であるが、ここの田螺(タニシ)化石には一部褐鉄鉱化しているものがある。鉱物マニアにも楽しめる化石産地だ。
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今日は益富地学会館のイベントと重なったこともあったのだろう。いつもより少なめの17名の参加だ。多くの会員は川西市内の集合場所へ集まりここから一路、晩秋の伊賀路を目指す。途中のサービスエリアで他の会員と合流して全員揃い、まず最初の訪問地である山田鉱山へ向う。 山田鉱山は1974年閉山とのことだが、まだ往時の雰囲気を残している。崩れた廃屋、放置されたコンプレッサーやクラッシャー、時代ものの電気のブレーカーなどまだ操業時の雰囲気が感じられる。水没した大きな坑道も残っている。(写真右)
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ズリは大量にあり、割る石には事欠かない。館長は満礬柘榴石とアラバンド鉱を探す。満礬柘榴石は殆んどが1mm以下のもので、館長が以前見たような大きなものは出てこない。バラ輝石や塊状の柘榴石は沢山あったが採集意欲をそそるものではない。
結局、満礬柘榴石は半分欠けた5mm程度のものが1個だけ。アラバンド鉱はその片鱗すら見えず、敗戦に終わった。
しかし、朽ちた廃屋や錆びた鉱山機械など往時の面影を偲ばせるものが見られたことは良い思い出になった。 |
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次に一行は山田鉱山跡からそれほど遠くない服部川へ向う。
目的は350万年前の地層から出る「鉄のタニシ」だ。
川岸には締まった粘土層が露出している。これは「古琵琶湖層群」だそうで、昔の古琵琶湖の堆積物だ。その中に白いタニシの化石がこれでもか!と言わんばかりに大量に入っている。あまりに多すぎて有難味が無い。これはイガタニシ(Igapaludina
stricta)という種だそうだ。川に沿ってしばらく歩いて、広い河原に出る。(写真左)
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ここで化石を採集するのだが、表面に時々、褐色の塊が落ちている。これが目的物の「鉄のタニシ」を含む褐鉄鉱質の部分だ。
「鉄のタニシ」は沢山入っているが、崩れやすく割れやすく、完全なカタチではなかなか採れない。館長が偶々転がっていた褐鉄鉱を拾いあげるとうまい具合に小ぶりながら、ほぼ完全な形で鉄タニシが入っている。館長はこれで十分だ。他には材化石(木の化石)をKh会長から頂いた。これも褐鉄鉱化しているようだ。ここはタニシだけなので早目に切り上げ、最後に恒例の万華鏡頒布を行った。因みに本日の一等賞はMさんであった。次回は12月の納会だ。もう納会か・・・。一年は早いなぁ。 |
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10月17日(日)
石の歴史散歩・「芋掘り藤五郎」を訪ねて |
石と全く関係ない所用で石川県金沢市に来た。用事も早く終わったので金沢の「歴史散歩」をすることとした。
しかし、館長の行く所、「石」と無関係ということはあまり無い。
今回のテーマは「金沢」の名の発祥となった「芋掘り藤五郎」だ。
これが金沢の砂金と密接な関係があるのだ。
「芋掘り藤五郎」の話は極めて簡単に言うと・・・貧しいが正直者の藤五郎のもとへお金持ちの家から嫁に来た妻が、買い物の為に砂金の袋を渡した。砂金の価値を知らない藤五郎は途中で田圃の雁を見つけて、雁を取る為に砂金を投げつけた。 |
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砂金の袋は雁に当たらず、結局、藤五郎は手ぶらで帰ってきた。
当然、妻は怒るが、藤五郎はピンと来ない。藤五郎曰く、「そんなものいくらでもある」と・・・。
果たして、藤五郎が掘る山芋には砂金がいくらでも付いていたので、彼にとってはなんてことは無かったのである。そして豊かになった藤五郎夫婦は幸せに暮らしたとさ・・・という話で、実は似たような話は他にもある。
まず、最初に訪れたのは日本三名園の一つ「兼六園」だ。
兼六園には子供の時に来て以来、数十年ぶりだ。昔の記憶は全く残っていない。
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その兼六園に隣接して「金城霊沢」(きんじょうれいたく)という泉がある。(写真上)
この場所で藤五郎が山芋を洗って、砂金を見つけた・・・と伝わっている。
ここが「金洗い沢」と呼ばれ、そこから「金沢」という地名が出来たそうだ。
次に山手にある「芋掘り藤五郎神社」に向う。(写真左)
神社の近くには有名な砂金産地があるのだが、結構、道から川床まで深い。
これは覚悟して来ないといけないなぁ。当然今回は時間も装備もないのでパス。いつか必ず来たいが・・・。
神社はこじんまりしているが、綺麗に保たれている。藤五郎はこのあたりに住んでいたとのことだ。藤五郎が松の枝に鍬を掛けて一服したという松もあり、この地で山芋掘り作業の休息をとっていたのだろうか。
次回は是非、砂金採集に訪れたいと思う。 |
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10月9日(土)〜11日(月・祝)
京都ショー始まる |
秋恒例の京都ショーが始まった。館長は今回もスタッフとして三日間お手伝いすることとなった。担当は前回と同じく「益富地学会館」コーナー。標本、書籍、用具の販売や各種相談、申込み窓口だ。(写真下)
京都ショーは大阪ショーと違って、アマチュアの委託品コーナーがあり、こちらの販売が中心となる。特に初日の午前中一杯から午後にかけては、この委託品を目当てに多くの鉱物ファンが押し寄せるので、ここを乗り切らねばならない。
さて、初日は生憎の雨模様。かなり客足に影響しそうだ。スタッフの集合時間は9時30分だが、4回も乗り換えないといけないこともあって、余裕をみて9時前に会場の「みやこメッセ」到着。やはり雨の影響か、例年に比べて行列が短い気がする。 |
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しかし、その後ドンドン行列が伸びて、結局600人程の人が並んだ。ある人の分析では、雨で運動会が流れて、それで増えたのでは・・・と。そうかもしれないなぁ。 オープニングイベントの後、いよいよ開場。会館コーナーには委託標本を求めて多くの人が押し寄せ、アッという間にコーナーは人で一杯になった。
今年はリーダーのAk君、ベテランのKmさん、Ohさん、Khさん、館長という昨年より多めの布陣で臨んだが、お客さんの対応をするのが精一杯で、何が売られているのか見る余裕もない。
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出品標本は館長の覚えている限りでは愛媛県五良津の苦土電気石美晶、市之川鉱山の輝安鉱の小さいが光輝ある母岩付き、桜石のピンクの綺麗なもの(これはすぐに完売)、木浦のラドロック石とスコロド石美晶、砒灰鉄鉱、新鉱物の桃井柘榴石や千葉石、大和鉱山の東京石、三重県の新産地のメッセル石や藍鉄鉱美晶、岡山の銅スクロドフスカ石、生野鉱山のインジウム銅鉱、和佐鉱山の辰砂、三原鉱山の布賀石、豊羽鉱山の菱マンガン鉱大型標本などがあった。 隣のイベントコーナー(写真右)はヒスイを使ったウィンドベル(風鈴)作りであったが、たいへん盛況で時間待ちが出るくらいであった。
とにかく午前中は各コーナー共超多忙であった。
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午後になり、少し客足も落ち着いたので、ここでようやく遅いランチタイムとなり、食事を簡単に済ませ、大急ぎで会場を見て廻る。 何はともあれまず、眞鍋鉱物研究所さんへ。石友会顧問でもあるThさんにご挨拶の後、隣りの福岡石の会ブースへ。やはりこの時間では良い標本は大体売れていた。尾平鉱山の斧石が沢山出品されていた。Hkさん、Tkさん、At嬢が参加されていた。その後、タケダ鉱物標本さん、ミネラル寺島さん、コムロさん、大江理工社さん、奈良鉱物研究会さん、ニチカさんを挨拶も兼ねて足早に見て廻る。
今回見て廻った中では、福島県石川山の母岩付き柘榴石はたいへん端正な結晶で館長も高評価。欲しかったが、値段もそれなりであった。 |
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そして今回の館長評価ナンバーワン標本は田原と高取鉱山のトパーズだ。
前者は5〜6cmのほぼ完全な結晶で母岩付き、バイカラーである。
高取鉱山のものはC軸に長いものでやや青味がかった一品である。これは欲しかったなぁ。
それと市之川鉱山の博物館級の輝安鉱の大きな群晶が出品されていた。価格は書かれていなかったが、ウン百万円するだろうな。良い眼の保養だ。
館長は前回、名古屋で見送ったツコ石をようやく購入した。
ツコ石はUやYを含むペグマタイトから出る有機鉱物という変り種で、今では記載されることも殆どなく、知っているコレクターは少ないだろう。
ようやく慌しい初日が終り、夜はコレクターが集まり、明日講演をされるフォッサマグナミュージアムの宮島宏先生を囲む懇親会が催された。懇親会にはいつものメンバーの他、東京からBm先生の他、遠路山口県や広島県からも参加され楽しい宴会となった。 |
翌日は予想通り、益富コーナーの客足も少し落ちたが、イベントコーナーは相変わらず盛況で100名を超す来場者があった。 会場もだいぶ落ち着き、こっちも少し余裕が出たので、特別展示(写真上)を拝見することとした。
今回のテーマは「ヒスイの国・日本」でヒスイの名石「翠の雫」(写真右)や透明感ある見事なヒスイの他、ラベンダー、コバルト、黒などの各種のヒスイ、一抱えもあるコランダム結晶を沢山含む大型標本、糸魚川石、新潟石、コスモクロア、松原石など新鉱物、稀産鉱物のオンパレードであった。
館長の一押しはベニト石で結晶の輪郭の判る素晴しい標本だ。また、昭和14年に日本で初めてヒスイが見つかった歴史的な石も展示されていた。
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ここまで石は一個しか買ってこなかったが、最終日になって大江石の良品を発見。格安だったので迷わずゲット。結局、今回の成果はツコ石と大江石だけであった。 最終日も会館コーナーは例年と違い、客足が落ちなかった。隣りのイベントコーナーも連日の100人越えで新記録だったようだ。これは嬉しい誤算であった。
また、以前からお名前だけ存じ上げていた秋田在住のYyさんと初めてお話する機会があった。最終日には古くからの石友、大阪のTaさんが来られ、たいへん耳寄りな情報を頂いた。
・・・ということで今年の京都ショーは成功裡に終了。次は12月の池袋ショーだ。 |
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10月2日(土)
京都ショー、間近に迫る! |
本日は益富地学会館の運営委員会と京都ショーのスタッフミーティングで上洛した。
猛暑の夏もようやく終り、京都は秋の観光シーズン。外国人観光客も増えたような気がするし、修学旅行と思われる団体も目立ち、観光バスも多い。
さて、いよいよ京都ショーまであと一週間となった。
本日は運営委員会を多少早めに切り上げ、その後のスタッフミーティングが終わった頃には周囲は薄暗くなっていた。
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今回の特別展示は「ヒスイの国・日本」。見事なヒスイが出品される予定だ。好評の「イベント」は”ウィンドベル”(風鈴)作りである。それにしてもいつもながらイベント担当のKnさんのアイデア創出力と実行力はすごいな。京都ショーでも館長は三日間お手伝いすることとなった。
館長の担当はいつもの通りで是非多数のご来場をお願い致します。 益富地学会館の帰りに久々にクリスタルワールドさんに立ち寄る。
丁度、Yh社長がいらっしゃったので、四方山話に花を咲かせた。
今月、大阪府下に新店舗を出店されるとの事。全国で既に20店舗を超えたそうだ。すごい!!
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10/2の益富地学会館 |
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クリスタルワールドさんとは大阪・正雀の雑居ビルの三階で塾経営の傍ら標本屋さんをされていた当時からのお付き合いだ。その頃を知っているものとして、その後の事業の拡大には眼をみはるものがある。
Yh社長と支えてこられた奥様やご家族、スタッフのご努力には頭が下がる。益々のご発展を祈念して初秋の京都を後にした。
さぁ、明日はいよいよヨメの誕生日だ・・・。
自称29歳・・・!?。四半世紀、歳をとらないヨメが羨ましい。 |
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9月25日(土)
休養日。日本産鉱物コレクション更新。 |
昨日は午前11時に会社を出て岡山の総社まで出張し商談を済ませ、17時過ぎに会社へ戻って、それから遅くまで仕事・・・という強行軍であった。
総社から岡山へ戻る途中に山腹に採石場が見えた。地名を見ると「万成」。有名な「万成石:桜御影」の産地であったのだ。「きっとペグマタイトもあるんやろうな・・・」「せめて採石場の見学くらいしたいな・・・」と思ったが、さすがに今日は寄ることができない。うらめしそうに車窓から採石場を眺める。
バタバタの一週間であったので、その疲れがドッと出て動く気にならない。そこでPCに向ってホームページの更新を行った。かなり久しぶりになるが、日本産鉱物コレクションの更新を行った。自慢のコレクションを数点載せたのでご覧頂きたい。 |
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9月19日(日)
秋の「石の花」を楽しむ |
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Oaさんの「石の花」だ。ちょっと自宅からの移動時間を読み違えて、オープンぎりぎりの入館と相成った。数名の方が既にスタンバイしていた。
今回のメインはOaさんお得意の岐阜県田原の鉱物、特に水晶。
一級品の煙水晶というだけあって、大きなものはないが美品揃いで特に「テリ」は最高だ。単晶の他、ねじれ水晶、曲がり水晶、日本式双晶、まさに黒水晶という言葉がピッタリの真っ黒のもの、長石にくっ付いた透明感のあるもの、「カツオのたたき」のように煙水晶の上を白色の水晶が覆ったものなど多種多様のものが出品された。
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館長が面白いと思ったのは田原産の細かい無色の水晶(トッコ)だ。これはマサ(真砂)の中フローター状態で在ったそうだ。ペグマタイトというよりは花崗岩中の石英脈の産だそうだ。 沢山出品された煙水晶の中でも館長イチ押しは煙水晶のトッコだ。
煙水晶が何本もペグマタイトから生えているのはよく見る。
この場合、当然、水晶の間を長石やら雲母やらが咬んでいる。しかしこの煙水晶は水晶以外に何も咬まない純然たる「トッコ」である。
今までいっぱい石を見てきた館長も邦産ではあまり記憶にないタイプである。水晶コレクターであれば持っておきたい一品であろう。
右の写真は当日出品されていた一級品標本の数々だ。
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水晶以外では同じく田原の束沸石は館長好み、上国鉱山の濃紅銀鉱、荒川鉱山の三角銅、手稲鉱山の安四面銅鉱、土畑鉱山の自然銅、赤銅鉱は秀逸であった。赤銅鉱は細かいものであったが、ルーペで見ると八面体の結晶が繋がって実に美しかった。今回も田原産鉱物の千円均一のコーナーがあり、館長はそちらで掘り出し物を探すことにした。
その中にペグマタイトに鉄橄欖石が咬んだ標本があり、よく見ると繊維状のプロト鉄直閃石がみられた。福島県水晶山産の本鉱はもっているが、田原産のものは持っていなかったので、お買い得品でもあり購入した。Oaさんからは田原での数々の興味深いお話を伺った。特にトパーズのゲス板の晶洞の話は面白かった。
また、今日は館長の師匠であるYsさんも来られた。Ysさんから長島乙吉翁や石原忠正氏自筆のラベルを見せて頂いた。
石友会のWyさんも来られ、帰りにマクドナルドでお茶をしながら鉱物談義を楽しんだ。 |
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9月12日(日)〜13日(月)
伊豆半島へ。思い出話とともに。 |
少し遅めの夏休みだ。館長の勤務先はいわゆる「盆休み」が無い。各人が有休を使って好きな時に「夏休み」を取る仕組みだ。館長はここ数年、夏休みはヨメとのバス旅行が恒例化している。
昨年は合掌造りと上高地、一昨年は石見銀山であった。一応、石と全く関係ないツアーであるが、それなりに石との出会いはあったのだ。
さて今回の目的地は館長の大好きな伊豆半島だ。高校生の時(館長にもそんな時代があった)の河津鉱山訪山を皮切りに既に7回来ているが全て「石絡み」だ。関東の方からみれば、7回など大したことはないだろうが、館長の場合、その内5回は関西からの遠征である。
今回のような石抜きの純粋な?伊豆旅行は初めてだが、そこは「鉱物の宝庫・伊豆」。なんとか今回も石との接点を求めたいものだ。
大阪梅田を出発した観光バスは一路、東へ。バスはほぼ満席であったが、殆どが年配の方々であった。館長夫婦より明らかに若いかな?と思う方は数名だった。まぁ、世間では学生さんは夏休みが終り、社会人は仕事の真っ最中だから当然といえば当然だが・・・。途中、二ヶ所のサービスエリアで休憩を取りながら、沼津ICから、いよいよ伊豆半島に入る。
まず、最初に飛び込んだのが「大仁」の文字だ。今は大仁(おおひと)温泉として知られているが、かつてここには大仁鉱山という大きな鉱山があった。館長が高校時代に訪山した時は既に閉山し、鉱山跡を利用したウエスタン(西部劇)と鉱山のテーマパークになっていた。
当時は知る人ぞ知る、かの有名な「大選鉱場」も建物は健在であった。この大仁の選鉱場と神子畑の選鉱場は産業遺産として残してほしかったなぁ。
テーマパークの一番奥に鉱物を展示している小さな小屋のようなものがあった。そこにあった中瀬の自然金と手稲の自然テルルは当時の館長には眩しかった。鉱石を売っているコーナーがあって、そこで「金鉱石」をお土産に買った。また、ズリ?も残っていたが、殆ど母岩ばかりであった。今となっては全て「昔話」だ。
バスは更に進み、湯ヶ島温泉へと達した。館長は20年以上前に湯ヶ島鉱山を訪れた。今はどうか判らないが、当時は事務所や坑道も健在であったが、あまり大した標本を採った記憶が無い。その時に石友のIhさんが濃紅銀鉱を見つけられ、たいへん羨ましかったものだ。しかし、湯ヶ島鉱山・・・館長にとってはたいへん響きの良い名前である。機会があればまた訪れたいものだ。
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そしてバスは今回の旅行の目玉であり、石川さゆりさんの「天城越え」でも唄われている、名曝「浄連の滝」に着いた。
この名も石マニアには「浄連鉱山」として知られているが、館長はまだ訪山したことがない。
滝も素晴しいが、館長は滝の周辺に発達する玄武岩の柱状節理に眼を奪われた。見事な柱状節理だった(写真右)。ただ、滝周辺の玄武岩にはポケットらしきものは見られず、沸石類は出ないようだ。
それから河津七滝、ループ橋を通って今夜の宿、大滝(おおだる)温泉に到着。久々の温泉を堪能した。 |
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翌日も快晴で暑い。この日は下田へ。車窓から寝姿山が見えてきた。「寝姿山」は昔は「万蔵山」といって、ラムスデル鉱の有名産地である。館長も30年くらい前に、当時唯一の関東の石友であったNfさんに案内して頂き訪れた。最近行ったという話を聞かないが、産地はどうなっているのだろうか?Nfさんもどうされているかな?
下田の街を散策していると遂に見つけた。鉱山関連や。縄地金山で使われていた石臼が道の傍らに置かれていた。(写真左)
下田を出発して「須崎」の標識が。須崎鉱山といえば何といってもカラベラス鉱ですな。館長も小さいのを持っているが某石人所有のものは実に素晴しかった。
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そして、伊豆半島の最南端、奥石廊崎で小休止。石廊崎といえば微細な霞石を含む玄武岩があったのではなかろうか?
バスは西伊豆を更に北上し、黄金崎を通過。黄金崎も昔、採集に行ったなぁ。
目的物はビーバー鉱。海岸べりに旧坑があった。残念ながらボウズであった バスは更に進んで宇久須の町へ。ここには宇久須鉱山という大きな珪石鉱山があった。明礬石で有名な鉱山で館長もかつて訪山した。
ここで初めて黄玉岩というものを見た。粉状の微細な黄玉の塊で、どうみても黄玉には見えない。また、この地の明礬石中には綺麗な硫黄が入っていた。「鷹の眼硫黄」と云えるような透明感のあるもので、今でも館長のコレクションに収まっている。
更に進むと土肥の町に入る。土肥といえば鉱山の町で、かつて綺麗な湯河原沸石も産した。
最初に眼に入ったのが、「天正金鉱」だ。小規模な観光坑道らしいが、館長は行ったことが無い。
その先にあるのが土肥金山で、ここは大きな観光鉱山だ。鉱山としても勿論たいへん有名な鉱山で、トラスコット石で知られる。館長がかつて訪れた時には和田標本の一部が展示されていた。今はどうだろうか。
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土肥の町から修善寺へ向う途中に清越鉱山跡がある。車窓からジッと眼をこらしていると、あった!鉱山施設の赤茶けた廃墟の屋根が見えた。懐かしい・・・。(写真右:写真の中央部にある筈・・・)
今は深い木々の間にヒッソリとたたずんでいるが、かつては河津(蓮台寺)、持越、土肥等と共に伊豆半島を代表する金銀鉱山であった。
館長は30年近く前に石友Tyさんと稼行中に訪山した。
事前にアポイントを取っての訪問であったが、鉱山の方にたいへん親切に対応して頂いた。一円玉大の厚手のピアス鉱の結晶、六角板状の安ピアス鉱、骸晶になった輝銀鉱、文字通りの針状の針銀鉱など今となっては絶対入手不可の貴重な標本を頂いた。
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思い出に耽りながらバスが修善寺に到着。ここで自由時間を過ごした後、バスは一路、大阪へと向った。時間が出来たら絶対「石の旅」に来よう!。やっぱり伊豆は石やで! |
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9月3日(金)
岩本のブック型標本 |
オークションで岩本鑛物販賣所のブック型標本を入手した。
2段60種の標本で、黒雲母が極端に小さい以外は欠品や容器の破損も無く、かなり状態が良い。デッドストックではないようなので大事に使われたのであろう。
少し前に前川合資会社(大阪)のブック型標本を入手したが、本品と瓜二つであった。どうやら岩本のOEMのようだ。
こう考えると東京のブック型標本は金石舎、金石舎から独立した長島乙吉翁、岩本鑛産物販賣所の三本あるようだ。
これに京都の益富先生(日本鑛物趣味之會)、島津製作所標本部(京都)、福岡の栗田鼎造氏(鑛物教育研究所)を加えた六つがブック型標本の主な供給源であったようだ。 |
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8月30日(月)
自然遊学館の特別展示「鉱山跡探訪」 |
一週間ちょっと前に、ネットで大阪の鉱物をチェックしていると、あるサイトにヒットした。大阪府貝塚市にある「貝塚市立自然遊学館」であった。特別展で「2010夏期特別展『「関西鉱物等探検』」という催しをやっているらしい。
ちょっと館長の家からは遠いが是非見てみたい、と思った。
しかし、なんと今月の30日までだ。土・日は既に名古屋行きが決まっていたし、それ以外は仕事のアポイントがギッシリで時間が無い。困った。
幸いなことに最終日の30日はアポイントが午後で午前中はフリーだ。
よし、スケジュール的にキツイがここしかない!・・・ということで急遽、半日休暇の申請を行ってスタンバイOKだ。
さて、30日になっていつもの出勤時間より随分早く家を出た。約1時間半ほどかかって「自然遊学館」に到着。初めて来たが、ちょっとした博物館だ。嬉しいことに入場料無料だ。早速、展示室に入る。
展示室には沢山の鉱物が並べられていた。
鉱物趣味を始めて三年のKjさんという方が廻られた関西の主として鉱山跡のパネル展示と採集品を展示されている。なかなか熱心に採集されているようだ。
館の所蔵標本も併せて展示されていた。地学専門の博物館ではないので一般的な標本が多いが、仏性寺鉱山の輝水鉛鉱や意外にも山崎のマックアルパイン石と手稲石、自然金の標本などがあった。
大阪府の鉱物もあり、地元貝塚市のドーソン石の他、秦野鉱山や青谷の鉱物が展示されていた。
時間が押しているので、ここは30分ほどの駆け足の見学に留めた。
折角ここまで来たので、大阪へ戻る途中の堺にある、館長のお気に入り「かん袋」へ寄ることにした。
「かん袋」は大阪では知る人ぞ知る名店で、「くるみ餅」が有名だ。
なんと、店名の「かん袋」の命名者は豊臣秀吉というほどの歴史のある店で、ここの「くるみ餅」の入った「かき氷」は館長の大好物である。
こんな暑い日にはこたえられない。ついでにヨメへの土産に「くるみ餅」を買って帰った。 |
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館長の大好物 くるみ餅のかき氷 |
外は普通のかき氷だが、中にくるみ餅が入っている。 |
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8月29日(日)
高師小僧のふるさとへ |
一夜明けて、今日は久々の採集だ。
折角、名古屋まで来たので、名古屋ショーのついでに少し足を伸ばして豊橋まで行くこととした。豊橋と云えば何といっても「高師小僧」の本場だ。その「原産地」である高師原へ行くこととした。
名古屋から名鉄に乗って約1時間。豊橋に着いた。今まで新幹線で通過したことは何度もあるが、降りたのは初めてだ。ここから豊鉄バスに乗って目的地へ向う。バス停には本日ご案内頂く地元のYtさん親子が待って下さっていた。
Ytさんは高師小僧のHPを開設されるほどの熱心な高師小僧ファンだ。館長とは以前からネットを通じてのお付き合いだ。
今回、館長が周辺の状況をお聴きした所、案内を買って出て頂いた。
感謝、感謝である。
さて、Ytさん親子の後をついていくと公園のような場所に出た。
そこには地層の剥ぎ取り標本が展示されている(写真上)。その周囲を探すと小さな高師小僧が落ちている(写真中)。最初は眼が慣れないので判りづらいが慣れてくると見つかりだす。但し、大半が1cm程度で大きなものは少ない。
更に周辺地域を探すとかなりの数が採集出来た。高師小僧はかなり広範囲に分布しているようだ。流石、「本場」である。最後に「天然記念物」指定地(写真下)を見学した後、Ytさん親子とお別れし、再び名古屋へ戻った。
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名古屋へ戻ったものの、まだ少し時間があるので、再び名古屋ショーの会場へ向う。昨日は殆ど標本を買わなかったので悔いのないように最後のチェックを行った。そして、まず新産地の藍鉄鉱を買った。値段もお手頃であったが、チャートの表面に細かな結晶が散らばっている。
そして、気になっていた若山鉱山の針ニッケル鉱を購入。針ニッケル鉱で標本全体が黄色味かかって見えるほどのリッチな標本だ。
また、新鉱物「苣木鉱・様似鉱・幌満鉱」の三種が入った標本を購入した。いずれも半額セールだったので、安く入手することができた。 |
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8月28日(土)
名古屋ミネラルショー |
8月恒例の名古屋ショーだ。最近仕事でも名古屋へ来ることはメッキリと少なくなったので久しぶりだ。
開場は10:00。ちょっと遅れての会場到着だったが、着いてビックリ。ズラッと行列が出来て、まだオープン直後の入場の真っ最中であった。しかも2階の会場から1階まで列が伸びて、入場制限もしていた。これはスゴイ。
やっと会場に入ると既に大勢の入場者で一杯だった。館長は名古屋ショーの最初期の頃から顔を出しているが、当時とは比べ物にならない人の多さだ。
とりあえず、館長の関係する益富地学会館、無名会、福岡石の会のブースへ。
益富ではFtさん、Itさん、無名会ではTyさん、Tkさん、福岡石の会ではTkさん達とご挨拶。まず、会場をサッと眺めることとした。
名古屋はアマチュアの出展が多いので、直近の採集品、個人コレクション放出品が多い。種類を増やしたい人には良いだろう。
館長がオッ!と思ったのが、恐らく初お目見えの中部地方で見つかった燐酸塩鉱物。まぁ、藍鉄鉱は定番としてもメッセル石とエオスフェル石にはビックリ。いずれも今まで雪入でしか見つかっていない珍品だ。
いつも稀産鉱物を出品しているブースでは若山鉱山のニッケル鉱物や入来鉱山の稀産銀鉱物などが秀逸。別のブースでは今年の飯田橋を賑わした江田島の紫水晶も出ていた。館長は見逃していたが、赤谷鉱山の自然砒の良品もあったそうだ。東京のコムロさんは東北地方の金属結晶鉱物を展示。いずれも見事なものだが、館長初見の産地も数点あった。
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また、オシガハエのツインの5cm程度のものを出品しているブースもあった。立派なものだが、ちょっと館長の好みから外れるので見送り。
他には黒平の晶洞から出た黄色味の強いトパーズも。また、あるブースでは個人(故人)コレクションの放出があり、渡辺鉱や都茂鉱がお手頃な価格で出ていた。種類集めに熱心なコレクターであったようだ。
他に館長はあるブースでツコ石に注目したが、諸般の事情により今回は見送り。見送ってばっかりやなー・・・。
それと最近見つかった群馬県産の自然金が注目を集めた。
母岩の表面に細かな水晶が覆い、その表面に小さなフレーク状の自然金が散らばるという標本で、なかなか見事であった。感じからすると朝日鉱山のものに似ているが、こちらの方が見事だと思う。
この産地はヤマヒルがたいへん多く、行った人の話では血まみれのたいへんな採集行であったそうだ。館長は絶対行けないな。
入口脇の特別展示は昨年に引き続き、名古屋の重鎮であった故中尾潮忍師のコレクションが展示されていた。中尾コレクションの中で、特に館長は丹生鉱山の辰砂に注目。今まで見てきたものと随分外観を異にするものだ。他には足尾の燐灰石は小品であるが、やや柱状に延びた感じで面白い。
会場では今回も多くの石友、同好とお会い出来た。Kyさん、Ohさん、Wyさんの滋賀県勢、石友会のKh会長、Nさん、Oさん、Uoさん、Tsさん、Igさん、Tyさんなど関鉱同のメンバー。会場を見て廻るのが精一杯でゆっくりとお話できなかったのが残念。 |
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8月7日(土)
「むらすずめ」の思いで |
仕事で岡山に来た。岡山駅で同僚2名と待ち合わせ、一路訪問先へ。訪問先は岡山県総社市内の企業である。総社市へ行ってほしい・・・との依頼を受けて、仕事よりも真っ先に頭に浮かんだのが「美袋(みなぎ)のリチウムペグマタイト」であった。石マニアの悲しい性である。
今回は残念ながら寄れそうにない。
仕事を順調に終えて、夕刻、岡山駅へ。ヨメには「今日は土産はないよ」と言ったものの、やはり土産を探してしまう。
岡山といえば「きびだんご」がたいへん有名であるが、今日は倉敷の銘菓「むらすずめ」にした。これには思い出がある。
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倉敷名物:むらすずめ |
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館長が初めて「むらすずめ」という言葉を聞いたのは今から20年以上前。場所は倉敷市西坂の三吉鉱山であった。
倉敷へ普通列車を使って、鉱物採集目的の一人旅をした。目的は冒頭述べた、総社市(当時は吉備郡)美袋のリチウムペグマタイト、砒銅ウラン鉱で知られる倉敷の三吉鉱山と、大原美術館で絵画鑑賞という、ごちゃ混ぜの採集旅行であった。
初日の美袋はある情報を元に行ったのだが場所が判らず、全くのボウズで「骨折り損のたびれもうけ」。その情報は「ガセネタ」であったようだ。踊らされた自分が悲しかった。倉敷市内の安宿で一泊して、翌朝早くに三吉鉱山跡へ。
こちらも殆どボウズであったが、なんとかズリまでは到達出来た。
ズリで石を探していると、地元のオジサンが来た。朝早くから人が居たので驚いたとのことだった。大阪から来たというと、「案内無しでよくここまで来たなぁ」と随分感心された。
オジサンと鉱山の話や世間話をしていると、そのうち遠くで「ポン!」という大きな音が聞こえた。館長がびっくりすると、オジサンはあれは田畑に来る雀を追い散らす為の空砲だと教えてくれた。
そして、「倉敷は雀が多いからなぁ。「むらすずめ」というくらいやから・・・」と言った。
その時は「むらすずめ」の意味が判らなかったし、問い返すほどの興味もなかった。その後、「むらすずめ」はお菓子の名前だと判った。・・・今日は無理やり鉱山にこじつけた日記である。 |
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8月11日(水)
懸案の不明鉱物 |
鉱物採集をやっている鉱物趣味人であれば、採集品の中にチョット気になる不明鉱物を持っている方も多いだろう。
館長の一番気になっていた不明標本が写真のもの。
大阪府豊能郡の花崗岩採石場跡で採集したものだ。酸化鉄で薄汚れた小さなペグマタイトの水晶の表面に0.5mmにも満たない白色から灰白色粒状の鉱物が散在している。
顕微鏡で見ると等軸晶系、はっきりとした斜方十二面体の結晶だ。
この形をとる鉱物はそう多くない。館長の知る限りでは柘榴石くらいなのだが、他の石人に聞くと「蛍石」もあるらしい。館長は見たことがないが・・・。 |
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結晶の表面は光沢が無く、一見カオリンのようだ。内部は淡緑色透明、どうやら表面はその変質物らしい。
館長はその形態と産状から、まず柘榴石を疑ったが、柘榴石は比較的風化に強く、仮に表面が変質(ペグマタイトに詳しい某石人に聞くと表面が変質する例はあるそうだ)したとしても、ここまでは考えにくい。多くの鑑定に長けたベテラン石人に見てもらったが判らない。試料が少ないので躊躇したが、遂にX線による分析を決断した。
そして本日、その分析結果が届いた。分析結果は、なんと「加水灰礬柘榴石」であった。
実は館長は真っ先にこの鉱物を疑ったのだ。しかし加水灰礬柘榴石は三重県菅島のような超塩基性岩やスカルンで出るのが通り相場。まさか、ペグマタイトから、しかも結晶は出ないだろうと判断し、候補から降ろした経緯があった。鉱物としてはそんなに珍しい種ではないが、大阪府初産であり、これは嬉しい。 |
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8月7日(土)
真夏の京都へ |
二日間の北陸出張を終えた翌日、真夏の京都へ。我ながら元気や!
北陸では金沢で今年初の猛暑日にぶつかり、翌日の福井でも猛暑。
かなり体力勝負の北陸出張であった。同行頂いた北陸担当のSyさん、おつかれさまでした。
また、石には直接関係ないが、金沢で嬉しくも凄いサプライズがあった。E大学で地球科学を専攻していた従弟のMm君と十数年ぶりに予期せぬ再会。これは心底、本当に驚いた!
閑話休題。本日は益富地学会館の運営委員会で上洛した。
流石に夏の京都は暑い!秋恒例の「京都ショー」(10月9日(土)〜10月11日(月・祝)が近づいてきたので、そろそろその話題も増えてきた。おっと!その前に今月の28日(土)〜29日(日)に夏の終り恒例の名古屋ショーがある。益富地学会館も出展しますので、そちらもよろしく。
さて、3Fで企画展示の金生山の方解石を見ていると石友から、大阪の某所で方解石のソコソコの結晶が出ているとの情報がもたらされた。これは大いに気になる。一度行ってみよう。 |
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8/7の益富地学会館3F展示室 |
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8月4日(水)
大きさ、博物館級 |
インターネットオークションで落札した標本が届いた。
オークションで単品の標本を入手するのは久しぶりだ。
オークションの鉱物標本は近年高騰する傾向にあり、館長の評価を大きく上回ることも珍しくなくなった。従って、近頃では余程欲しいものでない限り入札はしなくなった。
さて、今回の落札品は館長の大好きな「博物館級」標本。
最大径11.5cmもある灰礬柘榴石の単晶だ。このくらい大きくなると、本邦産ではまず完晶や綺麗な結晶はかなり難しい。本品は結晶面は数面あり、このくらいあればなんとか「結晶」といって差し支えないだろう。
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傍らに置いてあるのは10円玉 |
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他の趣味家はあまり関心を示さないのか館長一人の入札であった。
産地は福島県長久木。「矢塚」という名でも知られる有名産地だ。
館長も東京単身赴任中に無名会の例会で訪れた産地である。
その時は2cm程度の柘榴石は採集できたが、こんな大きなものにはお目にかかったことがない。今までの柘榴石の最大結晶標本は福島県石川山産鉄礬柘榴石の9.5pであったので自己最高記録更新である。 |
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8月1日(日)
ラベル鑑定 |
今日から8月。完全なシーズンオフである。暑くてとても外に出る気がしないので、久々に「鑛物趣味の博物館」のラベルコーナーの更新を行った。
今回アップしたラベルの中でどうしても特定できないのが写真のラベルだ。元々、館長が入手した長島乙吉先生の標本に付いていたもので、ラベルというよりは紙片に走り書きしたような感じだ。長島先生の直筆と思いたいが確信が無い。長島先生直筆のラベルは館長の知る限り、あまり現存していないようだ。
長島先生が金石舎退職後、独立して標本業を営んでおられる時も、ラベルを書いていたのは仕事仲間の石原忠正氏であったそうだ。
もし、長島乙吉先生の筆跡鑑定が出来る方が居られればお願いしたいのだが・・・。ちょっと無理か・・・。 |
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7月24日(土)
25年ぶりの明延鉱山 |
某文化センター主催のイベントに参加した。偶々ネットで見つけたのだが、「化石・天然石を探しに出かけよう」という日帰りのバスツアーだ。目的地はかつて本邦最大の錫鉱山であった兵庫県の明延鉱山である。ここで、坑道の見学と”未公開”のズリでの採集と心躍る内容だ。
実は館長は今を去る25年前、まだ明延鉱山稼行中に訪山したことがあった。その時は技師の方から説明を聴いたり、貯鉱場で鉄重石や錫石を採集したり、鉱山の方から自然蒼鉛の標本を頂いたりとたいへん盛り沢山な成果があった。あれから四半世紀、鉱山はどのように変わったのか・・・。
大阪市内の集合場所に着くと館長がどうも一番乗りであったようだ。参加者は少ないのかな?と思っていたが、集合時間が近づくにつれ、ドンドン人が集まってきた。
しかし、いつもの同好会の採集会や身内の採集とどうも様子が違う。なんと女性が大半を占める。男性も家族連れの人が殆どで、館長のように男性単独での参加はほんの数名だけであったようだ。
また、皆さんの服装が綺麗で、そのまま繁華街にいても違和感が無い。我々にとって当たり前の採集スタイルの人が皆無だ。
今日は知った顔が一人もいない。ちょっと場違いの場所に来た感じだ。
夏休み最初の土曜日ということもあって、途中で何度も渋滞に巻き込まれながら、明延鉱山跡に着いたのは4時間程経ったお昼頃であった。
「あけのべ自然学校」で昼食を済ませ、全員ヘルメットを着用して、いざ坑道へ。案内人の方の後について坑道に入る。坑内は年間を通して10℃〜14℃との事で、外の酷暑がウソのような快適さだ。チョット肌寒さを感じるくらいである。
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「探検坑道」は他の観光坑道と異なり、閉山時の状態がそのまま残されている。それが評価されて2007年に国の「近代化産業遺産」に認定されたのだ。坑内では当時使われていた機材、設備が当時のまま展示されており、鉱脈も見ることが出来る。
案内人の方の判りやすく熱のこもった解説は実に聴き応え、見応えがあり、鉱物趣味人は一度は訪れるべきであろう。
約1時間の坑内見学はあっと言う間に終り、次にズリでの鉱物採集に向う。この頃からちょっと雲行きが怪しくなってきた。昨日も雷雨だったそうだ。
ズリは現在、市で管理されており無断では入れない。今日は特別の許可のもとの採集である。管理人の方から説明と注意を受け、いよいよ採集を行う。遠くで雷鳴が聞こえ出した。「ヤバイなぁ・・・」
ズリは結構広く、また傾斜もそれほどではないので、このような初心者向けには適している。ズリは殆どが母岩で黄銅鉱や閃亜鉛鉱、そして孔雀石らしきものが多少見える程度でこれといったものは無さそうだ。途中から雷雨が激しくなり、落雷が怖いので、早めに採集を切り上げて避難した。全員早目に下山して、バスに乗り込み大阪へ向う。途中、宝塚トンネルで予想通りの渋滞にあい、大阪帰着は20時であった。「探検坑道」は、また機会があれば再訪したいと思う。 |
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7月21日(水)
「弘法」で石探し |
弘法大師の命日にあたる21日は毎月、京都の東寺で大規模な骨董市「弘法」が催される。館長は今日、有休をとってヨメとその「弘法」見物に出かけた。
勿論、館長の目的は「石」だ。石友から偶に骨董市で「ブック型標本」を見かけると言われるのだが、元々、骨董好きであった館長は骨董市に度々顔を出すもブック型標本に一度もお目にかかっていない。ヨメとのデートを兼ねての淡い期待をもっての弘法見物である。
それにしても暑い・・・。暑いはずだ。今日の京都の最高気温は35℃である。まぁ、夏の京都は暑いのは当然、雨よりはマシと思って諦めよう。
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東寺に着くと、平日にもかかわらず、こんな暑さもものかわ、多くの人で賑わっている。書画骨董は勿論、古着、おもちゃ、古いレコード、食品などまさに玉石混交であるが、その中に遂にブック型標本を置いている店をみつけた。残念ながら古いものではなく昭和40年代後半のもので秩父地方の岩石や鉱物を集めたものだ。状態も比較的良好で欠品もない。箱に買った人のメモがあり、秩父のどこかに参拝した時に土産で購入したようだ。特別珍しいものではないが、状態と値段的にたいへん安かったので購入することとした。
他に岩塩やパワーストーン系の石を置いている店や外国産の輝安鉱や電気石を並べている店があった。
「弘法」を見物後、ニチカに寄ったり、京都の老舗コーヒー店でお茶したり、錦市場をブラブラしたりで、京での一日を満喫した。 |
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7月18日(日)
現代版 石の修行 |
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ようやく嫌な梅雨が明けたと思ったら、今度は酷暑が続く。
特に、この季節は山蛭やマムシ、ダニなど館長(・・・だけではないと思うが)のキライなものが山にいっぱいいるので、折角の三連休だが、フィールドに出ようという気が起こらない。
そこで、今日は石友のお宅に遊びにいくことにした。木内石亭の時代でいう所の「石の修行」である。江戸時代、石などをもって石友のもとへ行き、交流をはかることを「石の修行」といったのだ。
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石友のコレクションを拝見しながら石談で盛り上がっていると、六甲山周辺の産地の話になった。石友が数年前に六甲山地で鉱物調査中、崩壊した晶洞から偶然見つけたトパーズを見せてもらった。
六甲山のトパーズは噂では聞いていたが、実物は初見だ。
六甲山系のトパーズといえば船坂鉱山の幻のトパーズが知られるが、グライゼン中のもので米粒以下の大きさだ。しかし、石友採集のものはペグマタイトから出たもので全く様子が違う。1cmあまりの小ぶりな結晶だが、端正な庇面式結晶で透明度もなかなか良い。他の有名産地のものと比べても左程遜色が無い。
館長が余程欲しそうな顔をしているように見えたのだろうか(事実、メチャメチャ欲しかったが)、石友はトパーズにあまり興味がないそうで、なんと「Sさん(館長のこと)にあげるわ」という嬉しいお言葉。
大阪府の鉱物だけでなく、現在住まいする兵庫県の鉱物も収集対象である館長にとってこれは予期せぬ嬉しいプレゼントだ。これは間違いなく館長のプレミアムコレクションだ。石友に感謝、感謝。 |
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7月4日(日)
上洛ニ日目 今日は”石の花” |
昨日に引き続き上洛。本日はOaさんの「石の花」である。
テーマは「尾平・豊栄の鉱物」。
尾平鉱山産の電気石上の水晶群晶、オレンジ色のホタル石(これは館長所蔵のものと親戚らしい!?)や電気石、有名な球状の硫砒鉄鉱(これは貴重品!)、豊栄鉱山産のホタル石や日本式双晶、大分県の初見の産地の硫砒銅鉱、これも銘柄標本、大分県内ノ口鉱山の菱鉄鉱などが出品された。いずれも現在では採集はおろか標本店でもまず入手不可の逸品だ。
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しかし、館長はそれには目もくれず(勿論、最大の理由はフトコロ具合だが)、いつものように大阪府産の鉱物を探す。
運良く、平尾旧坑のラムスベック鉱を見つけ購入した。
ラムスベック鉱は既に持っており、館長自身でも採集したことがある。
それでも購入したのは、本品が平尾旧坑がブーム?となった時の標本ではなく、はるか以前、40年前の竪坑が存在した時の標本であったからだ。当時はラング石とされていたが、今回はその標本を採集された方も判り、館長が重視する標本のトレーサビリティーがとれた。
それともう一つ嬉しかったのは石友から大阪府の初見の産地のホタル石を頂いた。一個体だけの産出で、かなり無理をお願いしてしまったが、石友に感謝、感謝である。石の感じは三重県の石榑産によく似ている。 |
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7月3日(土)
上洛一日目 金生山の方解石を見る |
本日は益富地学会館の運営委員会で上洛。
丁度、3Fの企画展示コーナーの入れ替えがあったので、拝見することとした。
今回のテーマは「岐阜県金生山の方解石」で岐阜県在住のNさんのコレクションである。
金生山と云えば古生代ペルム紀の化石があまりにも有名であるが、方解石もよく知られている。犬牙状や釘頭状、基本形ではあるが、案外少ない菱面体結晶、双晶や鍾乳石など様々な標本が展示されていた。
さて、今日は大きな収穫があった。同好の方から大阪府千里丘陵の藍鉄鉱を頂いた。団塊状ではなく、粘土中に鉱染状で入っているもので、露頭の殆ど見られなくなった現在ではたいへんな貴重品である。感謝。 |
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6月30日(水)
加賀百万石・金沢城の鉛瓦 |
今日明日と北陸出張だ。北陸本線小松駅でピックしてもらって、小松、富山、金沢となかなか忙しいスケジュールであった。
本日の仕事も無事終り、今回の滞在地である金沢に戻った。
有名な香林坊や日本三名園の一つ兼六園を過ぎて、金沢城へ差し掛かった。
ここでちょっとクルマを停めてもらい、小休止をとって足早にあるものを見に行った。前から見たいと思っていた金沢城の「鉛瓦」である。 金沢城石川門(重文)の瓦には普通の「焼き物」瓦ではなく、金属の「鉛」瓦が使われているのだ。「鉛」を使う理由として、「美麗」とか「寒冷地対策」などあるそうだが、もう一つ、いざ戦が起こった時に鉛瓦を熔かして「弾薬」にするというもので、なるほどと思う。当時としては見事なアイデアだ。
同僚が「鉛なのに白いな?」と不思議そうに言うと、館長は「酸化しているからやろ・・・」と実に冷静な答え。帰宅してインターネットで調べたら、二酸化炭素を含んだ雨水により炭酸鉛となったものだそうだ。
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・・・ということは白鉛鉱か?・・・ということで「擬鉱物」ではあるが、鉱物との出会いとして記録しておこう。
館長がこの鉛瓦に関心を持っている理由は他にもある。
この原料の鉛が加賀の名山、倉谷鉱山で採れた鉛で作ったと云われていることである。方鉛鉱以外に毛鉱や車骨鉱も熔かされたのだろうな。
倉谷鉱山のような名山でも鉱物標本はたいへん少ない。この点は秋田県の太良鉱山に似ている。とにかく倉谷鉱山は櫻井欽一先生が鉱物に関心を持たれた頃には既に閉山していたというくらい古い鉱山なのだ。
一度訪山したいものだが、とんでもない山奥だそうだ。 |
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6月22日(火)
第19回 石鑑定大会 |
館長の最も(・・・と言っても過言ではない)好きなテレビ番組である「開運!なんでも鑑定団」の「石鑑定大会」がオンエアされた。
新宿ショーの時に予告されていたので、この日を楽しみに待っていた。
今回はどんな石が出るのだろうか・・・と興味深く観ていたが、鉱物としては尾太鉱山の菱マンガン鉱だけであった。グレードはテレビでみる限り、まずまずと云ったところだが、かなり大きなものであった。
鑑定士Hさんの評価も館長の評価とほぼイコールであった。
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特に大きな欠点は無いが、コレクターとして欲をいえば、もっと菱マンに厚みがあれば更に良かったと思う。他に日本列島の紋様石?は面白かった。
そういえば館長がこの番組に出させて頂いてからもう8年近くなる。この番組で周囲には相当この趣味が認知されたし、館長自身のステップアップにもなった。この素晴しい番組が末永く続くことを祈る。また出たくなってきた。 |
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6月13日(日)
因縁の産地で雨にたたられる |
本日の天気予報は雨。しかし朝起きると曇り空ながら雨が降っていない。やったー!雨男返上や!しかし、無情にも出発時刻が近づくにつれて雲行きが段々と怪しくなり、出発時刻になると遂に傘が必要なくらいの雨脚となった。
さて、今日は大阪石友会の総会を兼ねた採集会、つまり野外総会である。場所は兵庫県川西市国崎。いわゆる小路旧坑である。
この場所とは少々因縁がある。ここで初めて斜開銅鉱が見つかった時、この産地がなかなかオープンにならなかった。某石人に教えを請うたのだが、どうしても教えてくれない。結局、だいぶ後になって別の石人から教えてもらったのだが、その時は既に遅し・・・であった。
結局、この産地には「頼まれても行ってやるか!」との思いで一度も足を運んでいない。
そしてこの度の巡検である。「まー、もうエエか」ということで遂にこの地に来た。今は立派な公的な施設が建ち、その敷地内となり採集は勿論、無断の立ち入りも出来ない。
今回、施設側の特別の許可を頂いて入山したのだが、史跡指定を受ける為、サンプルの持ち帰りは出来ない。観察のみである。
愛鉱家としては残念であったのだが、結局、標本となりそうなものは見られず、まさに観察だけに終わった。
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這って入る程の小さな坑口 |
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雨中の採集 |
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ここは多田銀銅山の一部で旧坑やズリも残っている。歴史的にも貴重な場所で産業遺跡として、ぜひ史跡指定され永久保存されることを望む。
さて、雨脚は一向に弱まらず、二時間程の観察で、早目の下山となった。 |
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6月12日(土)
千早鉱山の鶏冠石を入手! |
益富地学会館の運営委員会で上洛した。そこで千早鉱山の鶏冠石と辰砂を入手した。鶏冠石はいかにも鶏冠石!というたいへん立派なものだ。館長は千早鉱山に二度行ったが、鶏冠石は採集出来ていない。辰砂も千早鉱山産としてはかなりの良品だ。近年の標本でないことは間違いないであろう。そしてもう一つプレゼントが・・・。石友から大阪府勝美鉱山のブロシャン銅鉱を頂いた。これは貴重品だ。 |
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6月10日(木)
久々の山陰出張 |
本日から一泊二日の山陰出張である。一日で鳥取から倉吉、米子、島根県の松江、更に雲南市という強行軍だ。
今回訪問する予定のお客様のうちの一社の住所を見て、館長はドキッとした。鳥取県倉吉市駄経寺。この地名を見てピン!ときた同好はなかなかデキルな。益富先生の「昭和雲根志」に出てくる「饅頭石」即ち「球状ギブス石」の産地だ。
こりゃ採集できるかも・・・ということでハンマーこそ持てないが営業カバンに沢山採れた時の為にビニール袋をしのばせた。
話は変わるが、鳥取から倉吉に行く途中にあるのが「国宝・投入堂(なげいれどう)」である。「投入堂」はテレビや写真でご覧になった方もいらっしゃると思うが、標高470mの断崖絶壁に嵌め込まれるように建てられた「お堂」だ。大昔(平安時代)どうやってあんな所に建てられたのか不思議だ。
館長も以前から見たいと思っていただけに意外な収穫であった。
ただ、あまりにも遠いので道路から肉眼で何とか見える程度であった。携帯のカメラで撮ったが、残念ながら見えない。写真の一番奥の山の右側のてっぺん辺りにあるのだが・・・。
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さて、世界有数のラドン泉、三朝温泉を通って、ようやく倉吉市駄経寺に着いた。残念ながら下の写真のような風景で、露頭らしきものも確認できるような状況ではなかった。あの山の辺りにあるのだろうか?再訪の機会を待ちたい。 |
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6月3日(木)〜6日(日)
一泊四日の強行軍! 6月の新宿は熱い! |
いよいよ新宿ショー(東京国際ミネラルフェア)の日だ。早いもので今年で23回を数える。年々盛況になっていくが、館長は第一回目から参加している。当時は来場者も今ほど多くはなく、日本産鉱物を扱う業者さんも多かった。日本産鉱物もまだまだ良いものがあり、時々凄い「掘り出し物」もあった。里帰り標本は邦産コレクターにとっては垂涎モノであった。今回はどうか・・・。
さて、今回も高速バスを使った一泊四日(車中泊二日)の強行軍だ。往復のバス料金の合計が新幹線の片道に満たないので、コスト重視の館長はこの方式をやめるわけにはいかない。
4日の早朝、高速バスは新宿駅前に着いた。まだ6時半だ。
新宿ショーのオープンまでまだ3時間半もある。これからの時間潰しがキツイ。新宿駅周辺を散歩がてらウロウロした後、某ファーストフード店の開店を待って、お店で2時間半近くを2杯のコーヒーでもたせ、ようやく新宿ショーの時間となった。
ショー会場に入り、何はともあれ、館長が小学生の頃からお世話になっている眞鍋鉱物研究所さんへ。我が大阪石友会顧問でもあるThさんにご挨拶の後、いつものようにここをベースに会場内を廻る。
まず、いつも里帰り標本をもってくるUSAのK社へ。
市之川の輝安鉱、尾平のダンブリ石、産地不詳(Honsyuとある)の孔雀石。産地が判れば良い標本なのになぁ・・・惜しい。土呂久や尾平の斧石等々。
次に館長ともご縁の深い京都の益富地学会館のコーナーへ。
今回は主任研究員のFtさんの他に会館のHk女史も参加。人気の標本即売は木浦のラドロック石や山崎の自然金、マックアルパイン石など目に付いた。昔の標本であるが、先日採集に行った仏性寺の輝水鉛鉱もある。
そのお隣の京都のGさんの米SweetHome鉱山の母岩付き菱マンが素晴らしい。超一級品の真紅の透明結晶に国産一辺倒の館長もウットリ。価格もそれ相応であり、宝くじが当たったらぜひ買いたい逸品だ。
次に新宿ショー名物のノンプロコーナーへ。最近、ネットオークションで見かけるフローレンス石など館長の持っていない鉱物種も数種あったが、どうも近年、老眼が進んで、細かい鉱物の観察が辛くなった。鉱物種を増やしたいという欲望もあるが、ここはグッと押えてパス。
初日は九州の石友Hkさん、Us先生、Yt嬢、東京のHkさん、Tyさん、Igさんなど多数の石友にお会い出来た。いつもお顔だけ拝見していたKmさんとは初めて名刺交換させて頂いた。
シーボルト研究の第一人者で地質学史懇話会のOm先生も来られた。
夕刻には会社帰りの後輩Kh君が会場に来てくれた。彼も石にハマリつつあり、会場を案内した後、マクドで仕事や石の四方山話で盛り上がる。
さて翌5日。今日の午前中は飯田橋のミネラルマーケットだ。
開場30分前に会場に到着。10時30分のオープン直前にはかなりの行列が出来た。オープンと同時に夫々お目当ての場所に突進。
あっという間に会場は人でギッシリ。まさに「立錐の余地も無い」というのはこのような状態を言うのであろう。
今回の目玉は広島県江田島のアメジストだ。濃い紫水晶でなかなか立派なものだった。値段も立派であったが・・・。産地にこだわる館長はあまり触手が伸びない。懐具合が厳しいということもあるが。
他には新鉱物、苣木鉱や幌満鉱、桃井柘榴石なども出品されていた。
迷ったが、今回は見送った。十年前だったら買い漁っていただろう。
光竜の濃紅銀鉱も素晴らしかったなぁ。
会場では石友会の若手Kt嬢も関西より遠征してきていた。熱心さに脱帽。
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新宿ショー |
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新宿ショー |
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新宿ショー
特別展示「アンモナイトの世界」 |
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ミネラルマーケット(飯田橋) |
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ミネラルマーケット(飯田橋) |
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新宿ミーティング |
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結局、館長が購入したのは大分県夏木谷のベスブ石一個だけであった。九州の鉱物趣味界の重鎮Mさんの旧コレクションであったもので、テリはイマイチだが、握り拳を一回り小さくした程度の大きさの平行連晶だ。ベスブ石としては秩父鉱山産並みのデカさだ。
昼に仕事関連の友人と会う約束もあり、僅か一時間程で飯田橋を後に新宿ショー会場へ向った。友人と会った後、白山の小室宝飾(コムロ)さんへおじゃましたりと多忙な一日だ。
さて、この日の夜は鉱物趣味家の集い、「新宿ミーティング」である。
今年は10回目を迎え、久々に会場が「新宿三井クラブ」に戻り、一年ぶりに恒例の「オークション」も復活した。参加者も更に増えて今年は関東から九州まで二十数名に達した。益富地学会館でお世話になっているOaさんも初参加。石友GaさんやOnさんとも久しぶりだ。立食形式のパーティーで、やはりこちらの方が話が弾む。今回は新しいメンバーが多い。
お楽しみのオークションは珍しい産地の自然金、大粒の砂金のセット、新鉱物・桃井柘榴石、ピンク色が綺麗な櫻石母岩付きと分離品のセット、古典標本・毛赤銅鉱、大きなひすい輝石、新鮮な紅柱石、新産地の綺麗な柘榴石、珍しいフェナス石、貴重な書籍などが多数出品された。
館長は布賀産の布賀石に入札し運良く落札できた。三原鉱山の本鉱は保有しているが、原産地のものは持っていなかったので満足。紫色のスパー石とのコントラストも秀逸だ。
なごやかな雰囲気の中、約2時間の宴は終り散会となった。
館長の石友の皆さんはそのまま二次会へ。館長は今晩の夜行バスで帰らねばならず、後ろ髪をひかれる思いで東京を後にした。夢のような二日間であった。 |
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5月23日(日)
憧れの「輝水鉛鉱」を求めて −雨の仏性寺− |
本邦産の輝水鉛鉱といえば岐阜県平瀬鉱山のものが群を抜いているが、館長は京都府仏性寺鉱山のものが好きだ。石英脈の両盤から中央に向って輝水鉛鉱が晶出している様は実に味がある。
数年前に昔の当地の標本を交換で入手したが、輝水鉛鉱そのものはリッチであるものの、残念ながら片盤であった。
今回、益富地学会館の巡検で念願の仏性寺鉱山を訪山する機会を得た。この機会に念願の両盤の輝水鉛鉱を手に入れたいものだ。
出来れば輝水鉛鉱の結晶は1cmくらいはほしい。石英脈も3〜4cmはほしい・・・、全体の大きさは出来れば10pはほしい・・・と夢はふくらむ。
当日は予報通り朝から大雨だ。雨男の本領発揮となってしまったか。先が思いやられるなぁ。
福知山に入っても一向に雨は止む気配がない。鉱山の麓の廃校跡にバスを停め、装備を整えて雨の中、一行は山道を登る。
道の大半はコンクリート舗装されているので歩き易いが、勾配があるので結構きつい。30分程歩いて仏性寺鉱山のズリの最下部に到達。
まず、ここで石を割ることとなった。ズリには大量の石があり、割る石には事欠かない。しかし、輝水鉛鉱があまり見られない。あることにはあるが、殆ど標本にはならないような代物だ。
暫く雨と風に耐えながら採集を行った後、更に山道を進んでズリの上部に出た。ここから更にズリで埋った枯れ沢が上へと続いている。この上に坑口があるそうだが、かなりの長さのズリだ。
枯れ沢を石を叩きながら登っていく。この頃には雨は少し弱くなっていたが、目的の両盤の輝水鉛鉱どころか片盤の標本になりそうなものも殆ど無い。冒頭に述べた標本は超一級品標本だということがわかった。
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バスを降り、一路仏性寺鉱山跡へ |
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ズリの下部。鉱石は少ない。 |
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ズリの上段から更に谷を遡上 |
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その内、ようやく輝水鉛鉱の部分は貧弱だが、一応、両盤の標本が見つかった。「今日は納得いかない標本は持ち帰らないゾ!」と誓っていたが、まぁ折角だから「記念」ということで持ち帰るか。
標本業界に長くおられたKmさんは「40年前はもっとあったけどなぁ」と仰っていた。昔はあったのだろうなぁ。ちょっと来るのが遅かったか。他の参加者も良品を採集された方は殆どいないようであった。
【後日談】記念に持ち帰った輝水鉛鉱を整形しようと、割ったところ「水鉛華」が出てきた。
天気のせいにはしたくはないが、コンディションの良い時に再挑戦したいものだ。この山のどこかに貯鉱場があるかも知れないし・・・。
あまり成果のないまま、14時半頃出発し、途中で大江山の輝岩の露頭見学となった。しかし、あまりの雨と強風で館長は戦意喪失し、車中で待機することにした。
帰途、バスはおみやげ物屋さんで小休止。館長はここで、今流行りの「食べるラー油」を見つけて購入した。街中のスーパーではどこも品切れ状態だけに、案外これが本日の成果かもしれない。 |
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5月21日(金)
笏谷石 |
今日は久々の北陸出張で福井に来た。福井での仕事も終え、お客様から福井駅へ戻る途中、福井市民に親しまれている足羽(あすわ)山に差し掛かった。
「そうや!足羽山と云ったら笏谷石(しゃくたに石)や!」。
またまた石マニアの本性があらわれた。ビジネスマンから石マニアへの華麗な変身である。
笏谷石は帯緑色の凝灰岩の一種で石材として福井城の石垣や橋などの建造物から漬物石まで広く用いられ、足羽山の西側では露天掘りや坑道掘りで盛んに採掘されていた。その採掘は古墳時代にまで遡るからスゴイ。古いブック型標本にも収められている銘柄標本である。
これは鉱物コレクターの館長としても見逃せない。
大阪へ帰る特急列車の出発時間までまだ一時間以上あるので採石場跡でも見られたら・・・と足羽山に立ち寄ることとした。
情報を全くもっていなかったので、何人もの人に聞きながら、山中をウロウロ。
結局、採掘坑跡まで行きつけなかったが、露頭(露天掘り跡?)は確認出来た。帰宅してインターネットで確認したらなんと金山跡もあるようだ。これはまたプライベートでも行かないといけないなぁ。
関心はあるものの館長のコレクションアイテムではないので、露頭の観察と写真撮影だけして福井駅に向った。
帰りに福井駅近くで、北陸担当の同僚に教えてもらった「竹田の油揚げ」をヨメの土産に買って帰った。とにかくデカイ!
因みに福井県は油揚げの消費量全国一だそうだ。
「ケンミンショー」でも紹介されたそうで、カレーにも入るそうだ。
ヨメに頼んでカレーに入れてもらおうかな。 |
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5月15日(土)〜16日(日)
祝!奈良鉱物研究会創立十周年・初夏の伊賀路・伊勢路採集行 |
二日間のハードな山口〜福岡出張を終えて休む暇もなく、その翌日からの採集行である。奈良鉱物研究会の十周年記念は一泊2日の鉱物採集行となった。目的地は三重県の加太(かぶと)と菅島だ。三重県での鉱物採集は近年無く、恐らく三十年ぶりくらいだ。
京都の集合場所には15名が集まり、クルマ3台に分乗して一路初夏の伊賀路へ。それにしても良い天気である。
最初の訪問地は現在は亀山市になった「関の山」の語源で知られる関町にある加太の採石場跡である。加太は今を去る三十年前、ここで柱石が見つかりマニアの間でちょっとしたブームとなった頃、ヨメと採集に来た思い出の地であった。この話をヨメにしたのだが、全く覚えておらずガクッとした。
その後、加太はマニアの間でも殆ど話題に上らなくなったが、近年、日本新産鉱物のカリ鉄パーガス閃石が見つかり一躍第二次ブームとなった。カリ鉄パーガス閃石は昨年の名古屋ショーで入手したが黒いゴマのような感じで何ともパッとしない石だ。
加太の採石場は殆どが花崗岩だが一部にスカルンの脈があり、その転石から目的の鉱物を探すのだ。館長のターゲットは昔、塊しか採集出来なかった柱石の結晶と無色透明のザクロ石だ。今日は石友会メンバーなど知った顔が多いだけに和気藹々とした採集会だ。
柱石の結晶は隙間の多い石に出るとのことで、そのような石を探すがなかなか見つからない。最初に良品をゲットされたTh1さんに刺激され、ようやくモチベーションが上ってきた。
終盤になって隙間に数o大の柱石の入った石を見つけることができたが、長野県川端下のものと比べるとかなり小さい。しかし西日本では柱石はかなり珍しいのでコレクションに加えよう。
加太での採集を終え、一路、宿泊先の松阪市内へ向う。
松阪市内に入ると、流石に「松阪牛」の本場だけに市内には食欲をそそられる看板が多い。食べたいが高いやろうなぁ・・・懐具合が厳しいので諦める。
昔、贅沢な大名旅行をした時に三重県のある有名な温泉で松阪牛を食べたことがある。
噂で聞いていた、箸で簡単にスッと切れる柔らかさ・・・口の中で溶けるような食感・・・当然、味も絶品。いまだに忘れられない。もう一回食べたいが今の財政状態では無理やろなぁ・・・。
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関町加太の採石場跡 |
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航空写真でみる菅島の採石場。デカイ!
(Yahoo地図より) |
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船から見た菅島 |
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翌朝、今回の採集会のメインである伊勢湾に浮かぶ菅島へ向う。
菅島は鉱物マニアには有名な産地で「菅島苦鉄質岩体」と称される蛇紋岩化した橄欖岩や角閃岩が広く分布している。
とにかく大きな採石場である。産出鉱物は56種に及ぶ。
事務所に挨拶に向った後、採集ポイントへ向う。あまりにも広いので案内人なしではどこで採集してよいか判らないだろう。
Th2さんに、かつてニッケル鉱物が出た場所(今は埋ってしまって絶産)などポイントを数ヶ所案内して頂いた。
かつて加水柘榴石と呼ばれたヒブシュ石は沢山ありペクトライトも見られる。ただ、白っぽい鉱物ばかりで鑑定が難しい。
今回の館長のターゲットは無色透明の柘榴石と紫色の透輝石だ。
柘榴石はこれというものは採集出来なかったが、紫色の透輝石は採集出来た。淡紫石繊維状で、どうみても透輝石には見えない。鉱物は実に不思議だ。透輝石を含む岩塊はあるが、なかなかうまく割れず、標本として綺麗なものが採集しにくい。
今日はお天気が良いがカンカン照りではなく適度に風も吹いて絶好の採集日和であった。皆さんそれなりに収穫はあったようで15時には採集を切り上げ、島を離れた。 |
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5月9日(日)
フリーマーケットは大盛況! |
久々の益富地学会館でのフリーマーケットだ。今回も館長は石友Wyさんと協同で出店した。
このフリーマーケットは単に標本を売り買いするだけではなく、出品者と購入者とのコミュニーケーションの場である。特に出品者は経験豊富な人が多いので絶好の勉強の場であろう。
今回は連休直後で財布の紐も堅くなり人出が心配であったが、オープンを待つ人の数も多い。館長は一回目から参加させてもらっているが、人出は今回が一番ではないだろうか。
「石の骨董屋」を自認する館長は自分のコレクションから古典標本や銘柄標本を中心に出品したが、あまり売れ行きが良くない。特に館長の好きな「光り物=金属鉱物」が売れない。
「こりゃ、出展料も出ないなぁ・・・」。オープン直後からなかなか売れない。ある程度予想されたことではあったが、現実は厳しい。
結局、なんとか5〜6点売れてボウズは免れたが・・・。
買って頂いた方々に感謝。
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お昼になり客足も少し落ち着いたので、他の売り場を見て廻った。
その中で稀産鉱物が多く出品しているところがあって、あるものを見つけてしまった。今日は売ることに徹して、何も買わないつもりで来たが・・・。
新鉱物「松原石」Matsubaraite Sr4TiTi2Ti2[O4|Si2O7]2
であった。これは館長には「目の毒」や・・・。
誘惑に負けて、ちょっとお高いが買ってしまった。結局購入はこの一点だけで終わった。
帰りに京都の先輩コレクターのお宅におじゃまし、コレクションを見せて頂いたり、石談に花を咲かせたりと楽しい時間を過ごさせて頂いた。 |
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5月5日(水)
ゴールデンウィーク その3 大阪・北摂 石巡り |
長いゴールデンウィークも最終日。今日は連休唯一の鉱物採集であるが、日増しに暑くなってきた。館長の大嫌いなマムシや山ヒル、ダニも活動が活発化してくる嫌な季節になってきた。シーズンオフも眼の前のこの時期、今月は既に三回の採集が決まっている。
さて、今日の目的地は大阪北摂の花崗岩採石場跡と旧坑である。
今日ご一緒頂くThさんと共にまず京都の石友のお店へ向う。ここで産地情報を仕入れ、いざ目的地へ。
大阪府豊能郡にある初訪山の採石場跡である。京都府広野の採石場跡同様に巨岩がゴロゴロしている。花崗岩は広野や豆粕に比べると雲母がやや多く粒も粗く、石質は異なるようだ。浮き石や今にも落ちそうな巨岩が累々と重なっている。一個でも落ちてきたら一巻の終りである。
恐怖と足場の悪さと戦いながら苦労の末、急斜面を登りきると朽ち果てた事務所?跡などが放置された平坦な場所に辿り着いた。ここから上に向って、更に谷を埋めるように巨岩が連なる。
流石にこれ以上登りきる体力と度胸が無い。広野に比べるとガマが圧倒的に少ない。約二時間粘ったが、殆どボウズに近い状態で撤収となった。
次に能勢鉱山跡へ向う。大阪府で記録に残る最古の鉱山は能勢銅山と言われており、この能勢鉱山と同一か否か興味深い。
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急斜面に累々と積み重なった巨岩塊。落石と浮石でかなり恐ろしい。 |
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分厚く頑丈なコンクリートで閉塞された能勢鉱山の坑口 |
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能勢鉱山の旧坑は山腹に二つ並んでいるが、共に分厚いコンクリートの板で閉塞されており中は全く判らない。
坑口下の斜面には若干のズリやカラミが残っている。簡単な精錬も行われたようだ。
他の北摂の旧坑同様、ズリには殆ど鉱石鉱物は見られず貧弱な黄鉄鉱くらいしか確認できなかった。
粘ってもコレといったものが採れそうにないのでここは早々に撤退した。 |
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5月3日(月)
ゴールデンウィーク その2 思い出の地へタイムスリップ |
ゴールデンウィーク三日目はヨメとのデートである。
目的地は大阪府北部の豊中市にある服部緑地公園だ。
この公園に隣接する街の2DKの賃貸マンションで我が夫婦は新婚生活のスタートを切った思い出の地である。その当時の新婚夫婦も今や二人の年齢を足すと110歳だ・・・。
三十年近くたち、ゴールデンウィークを利用して、その地がどのように変貌したか見に行こうということになったのだ。
勿論、館長には、この日記に書くような別の思惑もあるのだ。
大阪府以外の方には服部緑地公園・・・といってもピンと来られない方も多いだろう。財団法人大阪府公園協会さんのホームページには以下の通り紹介されている。
『「日本の都市公園100選」にも選ばれている服部緑地は、甲子園球場の約33倍という府内でも有数の規模を誇ります。千里丘陵の西側に位置し、ゆるやかな起伏に富んだ園内には、竹やぶや松林のほか、10数個の池が点在。日本民家集落博物館、野外音楽堂、陸上競技場、乗馬センター、テニスコート、ウォーターランドなど多彩な施設がそろい、北大阪地域のスポーツ・レクリエーションの拠点となっています。』
雰囲気的には横浜市の「こどもの国」がイメージとして近いかな。
とにかく都心から30分ちょっとの所にこのような場所があるのだ。
因みに、この辺りは大阪でも有数の転勤族のメッカで、館長が居た頃でも街の4割の住人が東京の方と云われたものである。
広大な公園など自然が沢山残っている上に都市部へのアクセスが抜群に良い。大阪の中心、梅田(大阪駅)まで電車一本で15分で着いてしまうのだ。しかもお店や買い物も便利で生活がし易い。
館長も老後は緑地公園で・・・と常々思うくらいだ。
追記すると緑地公園駅のある北大阪急行は初乗りたった80円という本邦最安値の鉄道だ。※但し、新大阪、梅田やなんばなど大阪市営地下鉄など他社線に接続すると当然ながら料金はポン!と上る。
・・・とまぁ、服部緑地公園のPRはこのくらいにして先に進む。
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30年前と殆ど変わらない緑地公園の街並み。
大阪の中心から15分。広大な緑地を控えているとは思えない佇まい。館長第二の故郷だ。 |
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さて、この服部緑地で藍鉄鉱がかつて出たという噂を耳にした。
大阪層群でも藍鉄鉱が出る可能性があるのはかなり深部のMa1とMa2の間と言われている。大阪層群の研究者に聴いても、服部緑地での産出には否定的な見解であった。
ただ、「噂」にしても確認はしたい・・・と前から思っていたので、ヨメとのデートではあるが、ついでに路頭を探すこととした。
館長が住まいしている頃には自然の露頭は見られたが、三十年たっても幸いに露頭はちゃんと残っていた。
ヨメを待たせて10分ばかり地面を這いずり廻ったが、藍鉄鉱らしきものは無かった。散歩している人や近くで弁当を広げている家族連れも多く、ちょっと恥ずかしかったが・・・。
その代わり、赤い玉髄らしきものを見つけることが出来た。
かなり小粒でがあるが、以前行った千里丘陵の玉髄産地のものにちょっと似ていたので、ひょっとしたらその延長部分かもしれない。
まぁ、あまり大したものではないが、館長にとっては貴重品だ。
昔住んでいたマンションも健在だったし、当時通ったお店もあった。しばし三十年前にタイムスリップ。懐かしさ一杯の一日だった。 |
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5月1日(土)
ゴールデンウィーク その1 益富地学会館へ |
益富地学会館の運営委員会で上洛したが、特記事項は無し。 |
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4月24日(土)〜26日(月)
大阪ショー |
我国の4大ミネラルフェア(・・・と館長が勝手に命名した)の今年一番手である大阪ショー(石ふしぎ大発見展)が開幕した。今回、館長は三日の内、二日間をスタッフとしてお手伝いさせてもらった。
初日、一時間前に会場入りすると既に長い行列が出来ていた。後で聞いたら、なんと1000人くらいの人が並んだとか・・・!!
ここは不況とは無縁なのだろうか。
また、お客さんも多いが業者さんも多い。昔のショーにはこんなに業者さんはいなかった。石の趣味が多様化して、それだけマーケットサイズが拡大したということだろうか。
今回の館長の担当は「益富コーナー」。ここで採集用具やコレクション用品、書籍類を販売するのだ。リーダーは標本業界で長く勤められ、今尚現役のKmさん、そして助っ人として大先輩コレクターのOaさんという両重鎮とご一緒させて頂くこととなった。
ルーペなどの用具の使い方を説明したり、本の内容を説明したり、いろんな質問に答えたり・・・と結構忙しい。初日は昨年以上にお客さんが多く、当コーナーは好調だった。
昼休みを利用してサッと会場を眺めた。館長の目的の日本産鉱物は年々少なくなっている。
そんな中、館長が関心をもった日本産鉱物は埼玉県長瀞産ドロマイト中の自然金(山金)、乙女の日本式双晶、八丈島のサンストーン、尾平鉱山の蛍石、新潟県間瀬鉱山の犬牙状方解石群晶、旧長島標本の稀元素鉱物であった。
館長は大阪府豊中市産の高師小僧を入手した。この高師小僧は昭和33年(1958年)に採集されたもので、まだ館長が6歳、石集めを始める4年前の石だ。当時は千里丘陵は開発されておらず、竹林の多い手つかずの自然が残っていたのだろう。他には日本産新鉱物を一種入手した。相変わらず「新鉱物」には弱いなぁ。今回も会場では多くの同好の方々とお会いできた。これもショーの大きな楽しみの一つである。 |
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4月21日(水)
更新情報 |
久々に「鑛物趣味の博物館」の更新を行った。標本ラベルを数点追加。特に先輩コレクターに頂いた戦前の「藤田組」(後の同和鉱業、現在のDOWAホールディングス)のラベルはたいへん貴重なものである。
また、探していた島津製作所標本部のブック型標本108種を入手した。以前、入手したものが散々であったので今回は期待したが、二点ほど欠品していたし箱の表面のラベルも剥がれていた。完品にはいつ会えることやら・・・。 |
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4月10日(土)
但馬採集行 −大阪石友会例会− |
本日は大阪石友会の野外例会。場所は兵庫県朝来市のの新井(にい)鉱山とその近くのアメジストの新産地巡りである。
新井鉱山の鉱物は多種に亘り、細かく鑑定の難しいものも多い。
そこで今回は強力な援軍をお願いした。
新井鉱山に詳しい「Hキョージュ」ことHtさんと館長の師匠であるYsさんだ。お二方とも鉱物キャリア50年超の大々ベテランである。
途中の「道の駅」でお二方と合流、総勢二十数名のメンバーが新井鉱山跡に集まった。
新井鉱山は1960年頃まで銀、銅、鉛、亜鉛を目的に稼行された鉱山だ。自然銀や二次鉱物がよく知られ、近年では本邦二例目のローウォルフェ石(Wroewolfeite Cu4[(OH)6|SO4]・2H2O)がTmさんとHtさんにより報告されている。
「ヨシッ!館長も頑張って探そう!・・・」と言いたいところだが、今回はこの採集会をマネジメントする側なので、事故無く楽しく成功裡に終わらせなくてはならない。自分の採集は二の次、三の次である。
鉱山跡のズリでHtさんの実物標本を使った説明の後、ズリで三々五々採集を始める。長年にわたり多くの人が訪れている為、表面には良いものは殆ど無い。それでも表面採集でちょっとマシな緑鉛鉱を拾った。深緑色で神岡鉱山のものに似たタイプだ。他には小さなローウォルフェ石も拾えた。
参加者は自然銀やローウォルフェ石、ブロシャン銅鉱、白鉛鉱、毛赤銅鉱など各種の二次鉱物など採集出来て全員が何らかの成果を得た様子だ。皆さん楽しそうに採集されているので、ここは予定時間を超過して次の場所へ向う。
次の産地はここからそんなに時間のかからない場所だ。
本会会員のKさん発見の場所で、山から鉄砲水で運ばれてきた大量の石が雑木林に溜まっている。この石の中に紫石英が脈状に含まれており、ポケットには小さな紫水晶の結晶も見られる。
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↑ 新井鉱山跡での採集 |
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↑ アメジストを探す |
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↑ 但馬鉄山での採集
雲母鉄鉱を採集 |
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ここでベテランYsさんとHtさんは、一目見るなり、これらの石が近くの大乗鉱山(金銀鉱山)のものと見抜かれた。流石だ!。
これを聞いて館長は紫水晶ではなく「銀黒」探しに方向転換した。
しかし残念ながら、どれも銀黒みたいな顔をした「ニタリ」であった。Ysさんは1cm程の紫水晶の単晶をゲットされていた。またまた流石!である。
ここで、Ysさんにもう一ヶ所産地をご案内頂くことになった。
「雲母鉄鉱」がなんぼでもある産地だそうで、「但馬鉄山」というそうだ。
戦時中に採掘された鉱山のようだ。熱水交代鉱染鉱床で鉱石は殆どが雲母鉄鉱だ。たしかに雲母鉄鉱いくらでもあるが、標本になりそうな粒の大きなものはそう簡単には見つからない。
ここで興味深いのは団塊状の雲母鉄鉱だ。
まるで「目玉石」のように母岩の中に入っている。
これは面白い!館長は「目玉石」の分離したものと母岩付きのものを採集した。
さて、本日の採集会も無事終り、最後にお楽しみの万華鏡配布を行い現地解散となった。
ご指導頂いたHキョージュ、Ys師匠に心から御礼申し上げます。
さぁ、次は大阪ショーだ。 |
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4月3日(土)
ブック型標本を解き明かす |
運営委員会で益富地学会館へ行った。
丁度、今日は展示説明会の日で、Oaさんの「四国の鉱物について」のお話があり、館長も拝聴させて頂いた。(写真)
それとこの日の目的は運営委員会以外にもう一つ。
館長所有の組標本の内、多磨屋商店製のものがある。古いものではなく、恐らく昭和30年代前半のものと推定されるが、蓋の裏面に貼られたリストがガリ版刷りの手書きである。
明治時代でもブック型標本のリストは既に印刷されていたので、標本の立派さと比べてもアンバランスである。
そこで、その「筆跡鑑定」を標本業界に長く勤めておられたKさんにお願いしようと思った次第である。N社のOEMと推定したのであるが、残念ながら違った。 |
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3月20日(土)〜21日(日)
岡山県備中地方採集行 −スカルン巡り− |
益富地学会館の一泊採集会が岡山県備中地方で催された。山宝鉱山や高温スカルンの布賀、三原鉱山という興味深い内容なので、館長も参加させてもらった。
集合時間は京都駅に朝8時。早やっ!今朝は4時半起きだ。
参加者が続々と集まって来るが、今回は顔なじみも多い。これは楽しそうだ。ただ懸念はお天気だ。予報は「大荒れ」。
ヨメには「流石、雨男や」と言われた。山宝〜布賀のコースは過去に3回来ているが、内2回が大雨だった。何とか今回は晴れてイーブンにもっていきたいが・・・。幸い今日はなんとかお天気がもちそうだ。この二日間このままで行ってくれェー・・・。
途中で交通事故渋滞に2回も遭遇して、ようやく山宝鉱山の下にある藤井鉱物化石館前に到着。対岸に渡り、急な山道を登って、ズリの上段に到着、早速、採集を始める。ズリは急斜面だけに細心の注意を払いながら石を探し始める。最初に柘榴石や磁鉄鉱を含むスカルン塊を割るといきなり何と2cmに及ぶシャープな柘榴石の結晶が現れた。残念ながら片面欠損であるがテリのある綺麗な結晶にほぼ満足。
他には灰重石や鉄ヘスチング閃石のまずまずの標本と1cm程の磁鉄鉱のシャープな結晶を採集した。今回は今までの山宝鉱山採集では一番の成果となった。出来れば紫色のホタル石が欲しかった。
翌朝、黄砂で少し霞がかかったようにみえるが、幸い雨もあがった。ホテルを出発したバスは一路、布賀へ向う。
布賀鉱山の直下にバスは停まり、ここから徒歩3.5Km、ひたすら登りだ。道は幸い舗装されているし、途中の露頭を観察したり、皆さんとお喋りしながら登ったので、そんなにしんどくは無かった。
布賀では各種の珍しい高温スカルンの鉱物を産した場所を観察したが、採集はたいへん難しかった。結局、斑銅鉱や輝銅鉱を混えた石や緑色の不明鉱物を採集しただけで終わった。我々が標本店やミネラルショーで目にする標本が実に安いことが判った。
一行は次に最終訪問地の三原鉱山へ向う。館長は20年以上前に訪山しているが短時間であった為か、殆ど記憶に残っていない。
ここも高温スカルンであり布賀石やスコート石、ゲーレン石などが見つかっている。最初に高温スカルン鉱物のあるズリで採集を行うが、何が何かまったく判らない。師匠のYmさん曰く「布賀石の色はバニラアイスクリームにそっくりや」とのご指導だが、これは難しい。
高温スカルンは諦めて、キューバ鉱を探す。当地のキューバ鉱は木下亀城先生の原色鉱石図鑑にも載っている銘柄標本だ。但し、黄銅鉱と密に混じっていてよく区別がつかない。キューバ鉱らしきものを数個採集した。三原鉱山も「ボウズ」に近い結果であった。
・・・という事で、石の成果はイマイチであったが、また新たな同好の方々との交流が広がったことは大きな成果だ。
楽しかった採集を終えて一路、京都へ向う。帰りの車中ではまた石談義に花が咲いた。やはり三連休だけに高速道路はメチャ混みだ。
途中のサービスエリアでお土産に「おかやまロール」を購入した。
なんとロールケーキに岡山名物の「きびだんご」や「桃」などが入っている岡山名産てんこ盛りの一品だ。
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藤井鉱物化石館に到着
一番右端の人物が館主の藤井さん |
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山宝鉱山での採集
かなりの急斜面だ |
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高温スカルン露頭での観察 |
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三原鉱山での採集
館長は「ボウズ」であった。残念! |
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今回のお土産は「おかやまロール」 |
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3月17日(水)
街角の水晶に水晶パワーをもらう |
本日は出張で、ある地方都市に来た。お客様とのアポイントの時間まで結構時間があるので、館長はある場所へ向う。以前この街に来た時に、あるハンコ屋さんのショーウィンドウで偶然、水晶の置物を見つけたのだ。その時は時間が無く、ちょっと眺めるくらいしかできなかった。
その後、随分気になっていたのだが、ようやく「再会」の時が来た。
前と変わらず、ショーウィンドウにその水晶は鎮座していた。
薄緑色の独特の先細りの水晶は一見して山梨県水晶峠のトッコと判った。やはり水晶峠の水晶はこの手のものに限るなぁ。
写真撮影の許可を頂こうとお店にご挨拶に入った。
ご夫婦で営業されもう数代続く由緒あるハンコ屋さんだそうだ。
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ちょっとご挨拶のつもりが「石談義」ならぬ「印材談義」になり、お茶までご馳走になった。
たいへん親切に対応して頂き、このトッコのいわれ等をお聞きした。
このトッコは昭和20年代後半から30年代半ば頃に他県の業者さんを通じてこのお店に来たそうだ。見事なトッコだが、惜しむらくは水晶の頭部が欠損しているものが多い。コレクターとしては、実に残念・・・!!
しかし貴重なものには違いないので、これからも大切に伝えて頂きたいものだ。
その水晶パワーの効果か、本日の目的の重要な商談も成功裡に終わった。ご親切にして頂いたご主人と奥様に感謝申し上げます。 |
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3月14日(日)
兵庫⇒京都⇒大阪 駆け足の一日 |
今日は10時から京都で「石の花」、13時から大阪で石友会の例会と多忙な一日である。
今回の「石の花」は岡山県布賀の鉱物と人形峠鉱山及び東郷鉱山のウラン鉱物がメイン。前者は布賀鉱山で逸見石の大晶洞が発見される前の、”第一次”ブームの頃のもので紫色のスパー石や五水灰硼石が初めて見つかった頃のものだ。人形峠鉱山や東郷鉱山産は燐灰ウラン鉱や人形石など。他に大呂の稀元素鉱物もあった。
今回の目玉標本は田原ではたいへん珍しい方解石の群晶に覆われたトパーズだ。写真(上から二枚目)のように方解石の標本としてもかなり立派な標本だ。田原でもこのような方解石は少なかったのだろう。標本の底の部分に淡酒黄色透明のトパーズが見える。
館長は今回、奈良県芋山の鉄礬柘榴石を購入した。
大阪・奈良府県境から若干奈良県側に入ったあたりの珪長石鉱山跡に産したもので何と50年前の石だ。殆ど知られていないがかなり珍しい産地の標本である。Oaさんが採集されたもので、その時の状況も伺うことが出来た。
時間がタイトなので、僅か30分の滞在で、後ろ髪を引かれながら、益富地学会館を後にした館長は一路、大阪の長居公園へ向う。
今日はお天気に恵まれ、例会会場の大阪市立自然史博物館のある長居公園は様々なスポーツを楽しむ人や芝生で弁当を広げる家族連れ、散歩を楽しむ人などたいへん多くの人々で賑わっている。
もう既に早咲きの「河津桜」が満開だ。あまりの綺麗さに写真を一枚。(上から三枚目の写真)
石友会の例会会場に着くと既にK会長他数名の会員が来られていた。
今日の例会は初の試みで次回採集会の事前勉強会である。
I副会長と館長が講師となって産出鉱物の解説や実験をまじえての実物を見ながらの学習となった。
参加者が少ないのでは・・・と懸念したが、20名以上の会員が集まり盛況であった。4月の採集会は賑やかになりそうだ。
本日の例会はいつもよりちょっと早めに終了したので、帰りに石友のThさんとお茶しながら、石談に花を咲かせた。 |
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3月6日(土)
文部省訓令第三号 |
益富地学会館の運営委員会で上洛した。
ちょっと早めに着いたので新装なった図書室で資料漁りを行う。
地質学関係の文献をひも解いていると、地学教育に関して書かれた頁を発見。以前から探していた明治時代の「文部省訓令第三号」の内容がようやく判った。長島乙吉先生が金石舎でブック型標本を製作している時に、この「文部省訓令第三号」によってたいへん忙しくなったと書かれていて、興味があったのだ。
それと、先日、山越工作所のブック型標本を入手した。
欠品もあってコンディションはイマイチであったが、珍しいものには違いない。山越は明治から第二次世界大戦後まで続いていたのだが、この標本は明治の、しかも金石舎のOEMと見た。 |
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2月27日(土)
祝!開店 石友訪問 |
京都の石友Mtさんが自宅近くで鉱物のお店をオープンされたので訪問した。Mtさんは知る人ぞ知る幻の鉱物産地を見つける名人で、また採集のうまさも名人級だ。
綺麗な店内には一般の標本屋さんと違って、ご自身で採集されたマニア向けの”採りたて”の石が多くを占める。まさに「マニア御用達」のお店だ。ご自身の採集なので各標本に対する情報が驚くほど多いのが特徴だ。全国各地の標本があり、Mtさんの行動範囲の広さがよく判る。館長は初見の珍しい産地の標本を数点購入した。
新しい石屋さんの誕生を祝うとともに、益々のご発展をお祈りしたい。 |
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2月20日(土)
博物館見学講座 大阪市立自然史博物館
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本日は益富地学会館の博物館見学講座で大阪・長居の大阪市立自然史博物館へ来た。今回は館長は運営委員としてお手伝いする立場である。益富地学会館では年に数回、関西のいろいろな博物館で見学講座を行っている。
今回は大阪石友会でもお世話になっている地史研究室のK先生にご案内をお願いした。館長と当館のお付き合いは古く、この館の前身である大阪の靭(うつぼ)公園にあった大阪市立自然科学博物館当時、昭和40年、館長がまだ中学1年の頃に遡る。まだ、石集めを始めて間の無い館長は市之川鉱山の輝安鉱や黄鉄鉱の大晶、綺麗な鷹の眼硫黄に心を奪われた。現在の石集めの方向性はその時に見た標本の影響を色濃く受けている。因みに当館は東京の科博に次いで日本第二位の規模を誇る。
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ロビーでK先生とご挨拶の後、早速バックヤードを見学させて頂く。動物標本製作の苦労話をお聴きしたが、特にゾウやキリンのような大型動物はたいへんなようだ。また動植物標本の保存や虫害に対する備えも鉱物と比較できないほど難しいそうだ。
K先生から展示の概要をお聴きした後、参加者は夫々自由に展示を見学することなった。館長は2階にある鉱物展示を案内した。
当館は広く動物界、植物界、古生物など自然科学全体を対象としている為、鉱物の数は特別多いわけではないが、逸品鉱物標本が少なからず展示されている。特に高標本の一部である青森県安部城鉱山の安四面銅鉱、館長初見の岐阜県谷汲のホタル石、小型だが美しい長島標本の福島県石川山産コルンブ石結晶、大分県尾平鉱山の錫石(イシガネ。これも高標本であろう)、水晶峠の緑水晶トッコなどは目玉標本といって差し支えないであろう。 |
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2月14日(日)
お幸せに・・・ |
この日記でも既に書いたが、館長の石友Thさんがこの度目出度くゴールインされた。お相手はこちらも鉱物ファンのTtさん。
今日は奈良鉱物研究会や大阪石友会、そして新婦のお友達も集まっての結婚祝賀パーティーだ。館長にもお声をかけて頂いた。
場所は奈良鉱物研究会の事務局でもある加茂駅前のフローライト。
しかも館長に友人代表のスピーチの大役まで回ってきた。
新婦のお友達は初めて見る「石マニア」達にどのような感想をもたれたのか知りたいものだ。
お二人の末永いお幸せをお祈りいたします。 |
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2月4日(木)
花岡鑛物標本
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名古屋の花岡鑛物標本のブック型標本をようやく入手した。
相当数のブック型標本を見てきて花岡クラスのものを初見というのは、やはり花岡のものは少ないということだろう。
初代冨士三郎氏の頃のものか二代目の頃のものかは判らないが、流石に中部地方のものが多い。箱の破損も少なく幸い欠品はなかったが、中身は「番号札」もとれ、バラバラになっており鑑定しながら、照合するのに一苦労であった。やはり、こういったものは古典派鉱物コレクターの出番だな。
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それと山口県の「防長鑛業鑛物研究所」という初見の組標本を入手したが、5セットで1,000円という超格安の値段であった。
それもそのはず、恐ろしく状態が悪い。箱は外も中も壊れて、石は欠品だらけでバラバラ。まさに超ジャンク品である。
一番マシな箱を修繕して少しは格好がついたが、中身の石は5セット分合わせても全部揃わない。まぁ、それを承知で購入したのだが・・・。 |
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1月24日(日)
益富地学会館交流会へ。 ここから1年が始まる。
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館長の鉱物趣味の一年はこの交流会から始まるといっても過言ではない。京都地学会新春総会の頃から東京勤務時代も九州勤務時代もずっと欠かさず参加している。
今年は昨年に続いて標本を売る側に立った。館長一人では力不足なので福岡の石友Hkさん、滋賀のWyさんに声をかけて三人で1ブースを担当した。売る方はなかなか難しかった。まぁ、標本購入代など今日一日にかかるコストがなんとか回収できたかな?というレベルであった。購入頂いた皆さんに感謝。
さて、買う方であるが、殆どブースに張り付いていたので、皆さんの出品物をじっくりと見る余裕がなかったのが実際のところであった。
それでも岡山県伊茂岡鉱山のウイチヘン鉱に伴う擬板チタン石(意外な所で意外なものが出るものです)を入手。他にはこれは珍しい産地の滋賀県三雲の鉄礬柘榴石母岩付き結晶(館長の先輩コレクターから購入したが、以前からたいへん大事にされていた標本であった)を購入した。他に石友から大阪府石堂鉱山産の輝コバルト鉱を頂いた。
石堂鉱山は今年ぜひ行きたい産地である。
講演会に先立って、鉱物鑑定士の紹介があり、館長もお世話になっている関東のTyさん、Syさん、Ytさんが一級鉱物鑑定士として紹介された。
講演会は加藤先生の「鉱物の化学組成式の一つの見方」、Kmさんの「水晶のモルフォロジー(形)についての話題、松原先生の日本の新産鉱物・新鉱物(2009)であった。日本産新鉱物、新産鉱物は昨年は少なかったようだが、それでも新鉱物は亜鉛ビーバー石、桃井柘榴石、千葉県産の名称未公表鉱物の3種あったそうだ。特に千葉県産のものは千葉県初の新鉱物であり、有機物を含む珪酸鉱物ということでたいへん興味深い。交流会は盛会のうちに16:30頃散会した。
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夕刻からは有志が集まって京都在住の鉱物趣味界の重鎮、TmさんとTkさんの還暦祝賀会が催された。館長にも声をかけて頂き出席させて頂いた。
場所は由緒ある聖護院門跡にある聖護院御殿荘である。たいへん格式ある所だ。祝賀会には関西だけでなく関東、岡山、東北など全国からの研究者や鉱物趣味家二十数名の参加で標本抽選会などもあり、たいへん盛り上がった。
ここで久しぶりにOaさんにお会い出来た。ぜひまた大阪の産地を一緒に巡りたいものだ。
約2時間半の宴のあと、還暦の「赤いちゃんちゃんこ」を着て、記念品の大ハンマーを持ったお二人を中心に記念撮影した後、お開きとなった。 |
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1月19日(火)
最近入手した組標本
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先日購入したブック型標本が届いた。金石舎の明治30年代後半のものだ。100年以上前のものだけに欠品も数点あった。ただ、この時期のものとしては箱の状態が良い。骨董の世界では100年経ったものをアンティークと称するらしい。まさに今回のものはアンティーク標本だ。
実は館長は同じものを既にもっているのだが、箱の身と蓋が離れてしまっており、かなり状態が悪い。今回のものは箱を買った、といって過言ではない。
それともう一点木箱入りの、石も大きめの立派な組標本を入手した。中味は兵庫県産の鉱物を集めた組標本で、鉱山モノである。
中瀬鉱山の銀安四面銅鉱や明延の錫石まで入っている。
製造販売元を示すようなものは全く無いが、僅かに残ったシールから中学校に教材用としてあったものが廃棄されたようだ。これの小型版は以前から保有していたが昭和30年代前半、今から50年以上前のものだ。
この頃は兵庫県下の鉱山も多数健在でこのような標本にも事欠かなかったのだろう。古き佳き時代だ。 |
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1月17日(日)
サプライズ連発の大阪石友会室内例会
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久しぶりの室内例会だ。開始30分前に大阪市立自然史博物館の会議室へ着くとまだ誰も来ていない。会議室の入口でウロウロしていると見た事のある人が・・・。
以前、北摂の廃坑へご一緒したコウモリ屋さんのUnさんだ。
今日は「ナニワホネホネ団」の集会があるそうだ。
そういえば今日はいろんなサークルの集会が多いなぁ。どちらも新年になって活動を再開したようだ。
定刻近くなって会員も相当集まった。総勢24名である。
本日の例会はいつもと違って外部から講師を招き、特別講演を企画した。益富地学会館のItさんに講演をお願いしたのだ。
講演のテーマは「長島乙吉・弘三親子と長島鉱物コレクション」だ。
あまり・・・というか殆ど知られていないが、大阪市立自然史博物館と長島親子は実は浅からぬ縁があるのだ。Itさんの講演は長島親子の人となり、その業績、関りのあった人々、更には親子に縁のある新鉱物など実に興味深く幅広い内容であった。館長も組標本コレクターとして長島乙吉翁には以前より関心がある。予定の一時間はアッという間に過ぎた。長時間に亘って講演頂いたItさんに感謝申し上げます。
この特別講演は予告無しのサプライズ企画(・・・というか例会直前に決まったので予告しようが無かったが)であったが、本日はもう一つ目出度いサプライズが。石友会会員で、館長の石友であるThさんがこの度、目出度くご結婚され、そのご新婦を紹介されたのだ。実は奥様も鉱物ファンである。お二人の末永い御幸せをお祈り致します。
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特別講演
「長島乙吉・弘三親子と
長島鉱物コレクション」 |
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万華鏡頒布
今回は量も多く、出席した人はラッキー |
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それと館長にとってもう一つ嬉しいサプライズはあった。
大阪在住の石友Omさんから大阪府産水晶のトッコを頂いたのだ。
北摂の古生層を貫く石英脈から採集されたもので、館長が現地を訪れた頃には時すでに遅く、工事で石英脈は無くなって数ミリ大の小さな水晶が数本拾えただけであった。C軸方向に長い、格好の良い結晶である。
大阪府産水晶でこれだけスタイルの良いトッコはたいへん稀だ。
Omさんのご厚意に深く感謝申し上げます。
例会では参加者全員の今年の抱負、会員の活動報告の後、次回の採集地を決め、最後はお楽しみの「万華鏡」頒布である。今回は有志から多種多様な標本が提供され、盛況のうちに例会は無事終了した。
もう来週は益富地学会館の新春交流会だ。一年は早いなぁ。 |
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1月11日(月・祝))
となりの人間国宝さん
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今日は予定が無く、館長が部屋(館長は研究室と言ってるが家族はガラクタ部屋という)でくつろいでいると、ヨメから声がかかった。「テレビで”菊花石”をやっているデエ!」。すぐにテレビをつけるとそれは見慣れた関西ローカルの番組であった。
『毎回とある駅から出発して、その駅の周辺をブラブラしながらのんびり散策。たくさんの人々との出会いのなかで、特に印象に残った方を「となりの人間国宝さん」に認定します』という内容の番組である。大阪のある街で鉄工所経営(・・・だったかな)の傍ら、菊花石に魅せられた方が菊花石の資料館を作っているという、実にロマン溢れる館長の好きな話だ。この辺りは、館長も仕事でたまに行くので、今度探してみよう。それにしても菊花石は綺麗やなぁ。 |
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1月10日(日)
夢か、現(うつつ)か、幻か・・・
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かつて大阪万博が開催された千里丘陵の一部に大阪層群又は神戸層群の一部と言われる砂礫層があって、電気石を含むオーソコーツァイト(正珪岩)や玉髄などを産した。今はその場所に大規模なマンション群が建ち、大きな崖は消滅し昔の面影は全く無くなった。産地の「幻化」である。
しかし、館長はどうしても諦めきれない。そこで、この地域に詳しい古くからの石友であるTaさんのお手を煩わせて別の砂礫層の露頭を探そう!ということになった。2010年新春最初の採集である。
最寄の駅で待ち合わせ、久々に現地へ向う。あまりの変貌ぶりにビックリ。想像を超えて、完全に都市化していた。
昔の産地跡は諦めて、砂礫層がどこかへ続いているのでは?と推測されるあたりを探すこととした。
探すこと約2時間。ようやく露頭の名残を見つけた。残念ながら昔のようなオーソコーツァイトや玉髄礫は見つからないが間違いなく玉髄を産した砂礫層の延長であろう。(写真上)
そして、地面をなぞるように観察しているとキラッと光るものがあった。よく見るとなんと水晶だった。大きさは1p弱で極めて小さなものだが紛れも無く無色透明の水晶である。遥か遠くから長い時間をかけて砂や礫と一緒に運ばれてきたためか微妙に川ズレしているが結晶はハッキリと判る。
Taさんもたいへん驚いていた。思わず館長の口から「メッチャ、嬉しいわぁ・・・」と歓喜の言葉が出た。大阪府産の水晶というだけで珍しいが、その上、岩石が露出していない大阪のベッドタウン豊中市産である。まさに「夢か現か幻か」だ。こうなったら大きさや種の希少性は問題ではない。(写真中)
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一般の鉱物ファンから見れば、見つけても無視されそうなものだが、館長にとってはスゴイ大発見だ。
しかもオマケとして奇石珍石の「くいちがい石」も砂礫層から見つけた。(写真下)
付近の住宅街の中の空地で小さな赤色系の玉髄も1個体だけだが発見。こりゃ、正月から縁起がエエわ!元旦の御御籤があたりそうな予感がするな。
その後、Taさん宅にお邪魔しコレクションの数々を拝見しながら石談に花を咲かせた。
突然の訪問にも心温まる歓待をして頂いたTaさんご家族に感謝申し上げます。 |
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1月9日(土)
2010年度 活動開始
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2010年のスタートは益富地学会館の運営委員会と新年会である。
その前に同好から意外なものを提供された。
なんと大阪府産の藍鉄鉱だ。大阪府では超珍品だが、大阪層群の専門家の方によると産出するとすれば第一海成粘土層と第二海成粘土層の間の厚い淡水性の粘土層と言われているだけに相当深い場所のものだろう。
現在では地表ではまず見られないものだ。この標本も下水道工事中に偶然見つかったもので、採りに行って採れるものではない。
運営委員会の後、益富地学会館の理事の方々や各委員など多くの会館関係者が集まって新年会が催された。
館長のテーブルにはIhさん、奈良鉱物でお世話になっているThさん、Ohさん、石友会のKt嬢、大阪府産鉱物研究の同志であるMtさんなどが居られ、また、途中からWyさんやImさんも加わって楽しいひと時を過ごした。 |
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1月1日(金・祝)
謹賀新年
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皆様、あけましておめでとうございます。
旧年中は「鑛物趣味の博物館」及び「鑛物趣味の博物館館長の鉱物日記」をご愛顧頂き誠に有難うございました。
当サイトも12年目に入り、日記も足掛け6年になりました。
近頃では、日記を楽しみにしています・・・という有り難いお話をよく耳にするようになりました。
更新が滞ると催促も頂きます。嬉しいかぎりです。
今年も皆様の期待を裏切らないような”旬”の話題を提供して参りたいと思います。
さて、昨年の私の鉱物趣味を振り返ってみますといくつかのトピックスがございました。
まず、初めて「地学研究」に寄稿したこと、益富地学会館の「石ふしぎゼミ」に二度にわたり演者として参加したこと、私の研究テーマであります「鉱物趣味史」に関連して益富地学会館にて組標本の展示を行ったことです。
従来の蒐集一辺倒の鉱物趣味から変化してきたようです。
これからも鉱物コレクションが中心であることに変わりはありませんが、更に鉱物趣味の幅を広げていきたいと思います。そして夢の実現にむけて少しでも前進できるように努めて参ります。
最後になりましたが当博物館のお客様、同好の皆様及びそのご家族のご健康、ご多幸、そして石運をお祈り申し上げます。本年も何卒よろしくお願い致します。 |
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