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館長の「石漬け」の日々をご紹介して参ります。鉱物採集に行ったこと、ミネラルショーや即売会に行ったこと、同好会の例会に参加したこと、館長の一生の財産である石友の皆さんとの交流、普段の生活での何気ない鉱物との出会い、そして石にまつわるニュース的なことを書き綴って参ります。 |
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2009年12月23日(水・祝)
今年最後の「石の花」
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本年最後の石のイベント「石の花」だ。本日の目玉は京都府大呂の稀元素鉱物である。館長は稀元素鉱物にはやや関心が薄いが、大呂の「ある鉱物」には昔からちょっとご執心である。これが今回出そうなのだ。
但し、館長は今年の秋、久々に驚愕の標本を入手したり、先日の池袋ショーでの待望の黄色い閃亜鉛鉱を入手したりで、財政は厳しい。
まぁ、他にも欲しい人はいるだろうから、先に取られたらその時は諦めもつくというものだ。
定刻の10時に開場。ワンテンポ遅れて会場に入ると、既に目玉品コーナーには熱心なマニアが数人張り付いていた。
「しゃーないな・・・」と遅ればせながら、目の前の角箱入りの標本を取り上げると、まさに館長のターゲットであった。
先に買われたら諦めが付く・・・と思っていたものを最初に手にした。当然ながら値段はお安くないが、これもこの石とのなにかの縁だ。
清水の舞台から今年三回目のジャンプである。
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さて、その石とはフルオセル石(Fluocerite-(Ce) (Ce,La)F3)である。本品はバストネス石の六角板状結晶も付いた佳品だ。
丁度、館長の師匠格であるYsさんが来られていたので見ていただいた。なかなかの良品とのコメントを頂き安堵。本鉱を含む石は大呂では1個見つかっただけで、それを数人で分けたそうだ。従って個体数が極端に少ない超稀産鉱物で、館長が実物を見るのも初めてだ。
当地のスター標本のトルトベイト石の影に隠れているが稀少性ではフルオセル石が圧倒する。他には大呂のジルコン、フェルグソン石、河辺石、パイロクス鉄石、蛭川の巨大な黒水晶が見事であった。
他にも欲しい標本があったが、次回残っていることを期待して、今日はこれで打ち止めだ。
今日は滋賀県のAsさんや京都のMtさんとThさんも来られ暫し談笑。今年の石関連はこれでお仕舞。来年は正月早々から始動の予定だ。 |
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12月22日(火)
「大地のささやき」
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何気なくテレビを見ていたら、目に飛び込んだのがこのCM。
著名な大分の麦焼酎メーカーのCMだ。鉱物を題材にしたCMで鉱物コレクターとしては実に嬉しいが、だいぶ前からリリースされていたようだ。
館長もこんな「鑛物研究所」が欲しい!CMの最後に映っているのは時代を感じさせる展示キャビネット。実に味がある。
既にYouTubeにも投稿されているので、ご覧になりたい方は「大地のささやき」と入力して下さい。 |
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12月20日(日)
第2回石ふしぎゼミ
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いよいよ今年も10日あまりとなった。早いものだ。それにしても急に寒くなった。今年は一度も風邪をひいていない館長も一昨日くらいからちょっとヤバくなってきた。
今日は第二回目の石ふしぎゼミである。館長も演者の一人、しかもトップバッターだけにちょっと心配でもある。
今回のテーマは「元祖!石マニア 木内石亭と珍蔵二十一種」である。日本最初(・・・と言っても良いだろう)の石マニアである木内石亭と彼の現存するコレクションである珍蔵二十一種(今は三菱マテリアル所蔵)についてご紹介した。早朝から来ていただいた方々に御礼を申し上げたい。
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テーマは他に、Nkさんの「滋賀県の花崗岩について」やThさんの「三重県菅島の鉱物」、Tmさんの「ヤコブス鉱という鉱物について」(写真)など。
16時すぎまで皆さんの講演を聴かせて頂いて、帰りは石友会の石仲間でもあるWyさんと会館近くにある播磨屋さんの「おかきバー」でコーヒーと”おかき”をいただきながら情報交換した。
Wyさんからは滋賀県の某鉱山で見つかったハイドロ(加水)ウッドワード石を頂戴した。本鉱は今まで別の銅の二次鉱物とずっと言われてきたものだ。 |
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12月12日(土)〜13日(日) 晴れ
東京ミネラルショー
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2009年のミネラルショーの締めくくりは東京ミネラルショー(池袋ショー)だ。会期は11日(金)からで、当初館長は有休をとって初日から参加する筈であった。しかし、極めて重要な仕事が入った為、2日目からの参加となった。残念ではあるが社命である。致し方ない・・・。
・・・ということで今年の成果は期待出来ないが、まず会場を一通り見て廻った。Kyさんのブースでは黒平の水晶やトパーズ、福井県産のアメジスト、河津鉱山の欽一石など国産の優良標本が多数出品されていた。欽一石は欲しかったが、ちょっと手が出なかった。
東京の小室宝飾さんのブースでは今回も東北を中心とした鉱山モノの逸品標本が多数展示されていた。その中に小さな手作りの木の台に1〜2cm程度の小型の標本が3点並べられているものに気が付いた。
昔、鉱山関係者が作ったものだそうだが、館長の探していた黄色の閃亜鉛鉱があった。黄色の閃亜鉛鉱といえば昔、某鉱山で「硫黄が出た!」と大騒ぎになったくらいの貴重品である。表面は少々ザラついているが、光にかざすと美しい黄色だ。
しかも横にはこれも小品ながらUSAのSweetHome鉱山産を彷彿させる菱マンガン鉱の結晶が付いている。尾去沢産でもかなりの濃色で、しかも透明感がある。これは買わないわけにはいかない。(写真一番下)
次に名古屋のLさんのブースに行った。ここも国産の標本が多数あった。特に眼をひいたのは中宇利の菱ニッケル鉱とジャンボ石の大きな標本だった。博物館級のサイズでたいへん立派なものだ。
ちょっと手が出ないので他の標本を眺めていると古びたラベルの付いた標本があった。標本自体は恵比寿鉱山の選鉱工程の砂状の鉄マンガン重石だったが、ラベルは戦前?の商工省(後の通産省、現在の経済産業省の前身)のラベル付きだ。これは標本よりもラベルが珍しいので購入した。
また傍らに館長の好きなブック型標本が何点か積んであった。いずれも見慣れたものであったが、一点だけ福岡の鉱物教育研究所の小型版があった。これは館長も所蔵していないので買っておくこととした。
館長がいつもお世話になっているブースでは日本新産鉱物のクレーベルスベルグ石とコカンド石があったが特に注意する人は居ないようだ。あまり出回らない標本だけに、システマティックコレクターは買っておくべきだろう。
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午後は国立科学博物館名誉研究員の加藤昭先生の特別講座を拝聴した。今回のテーマは「鉱物の存在から何が読み取れるか」と「鉱物系統分類の活用」であった。(写真2枚目)
12日は会社の同僚であるHさんが来てくれた。今日は会場では久々にGaさんや無名会のHkさん、Y2さん、K2さんとお会い出来た。
翌13日は館長が益富地学会館のお手伝いをする日である。昨年は鉱物鑑定士試験の補助をさせてもらったが、今年は会場内の益富地学会館コーナーの担当となった。隣りは京都の大江理工社さんとミネラルマーケットの面々だ。標本や書籍、小箱やルーペなどのコレクション用品の販売だったが、来客に波があり集中すると、てんてこ舞いになった。
本日の予定も終了し、夕刻ちょっと早めに会場を後にし、帰路についた。 |
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11月28日(土) 晴れ
今年の大阪石友会納会は広野へ
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2〜3日前から急に右腰が痛み出した。館長はギックリ腰を何回かやっているが、いずれも左腰である。右腰は初めてだ。あまりに痛いので勤務先の近くのクリニックへ行った。どうやら原因は「営業カバン」らしい。常に右手で持っているので、右腰に負担がかかり遂に腰が悲鳴を上げたようだ。なんとか石友会の納会に間に合わせないと・・・
そして、いよいよ納会の日だ。腰は無理をするとまだキリッと痛むが、何とか採集可能な状態までもっていけた。
今回は20名の参加でちょっと少なめだ。クルマに分乗して一路、亀岡へ。約1時間程で到着。採石場跡の麓にクルマを停め、鍋やコンロ、食材などを各自持って目的地を目指す。本日のメニューは鴨肉入りチャンコ鍋である。いつもながらKh会長の献身的な準備には頭が下がる。
さて、この広野はかつて花崗岩を採石していたのだが、採石を止めて久しい。紫水晶や煙水晶の他、近年になってミラー石やバベノ石、ゼントヘルバイト、カンポーグ石等の稀産鉱物が発見され、一躍脚光を浴びた。
今ではこのような鉱物を採集することはかなり難しいが、それでもここを訪れる採集者は絶えない。但し、石がムチャクチャ堅い上に巨岩だ。普通のピックハンマーでは、はね返されて全く手に負えない。しかも大岩が積み重なったところは浮き石も多く、油断するとたいへん危ない。大きな晶洞は望めないので、マメガマ狙いとなるが表面にあるガマは殆ど空っぽだ。
館長は今日は殆どハンマーを振らず、ちゃんこ鍋をご馳走になったり、Nm名誉会長やFtさん、Wyさん達と石友会の昔話に花を咲かせたりした。
今日はNm名誉会長から桐箱入りの純米大吟醸酒が差し入れられたが、これがメッチャ美味しかった。酒に弱く、酒の味の判らない館長が初めて酒が美味いと思った。また飲みたいが、普通の酒の10倍以上の値段だそうだ。こりゃちょっと無理やなぁ。
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広野の採石場跡遠景 |
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大きなガケ、大きな岩! |
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採集後はお楽しみの「万華鏡配布」 |
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また、Kh会長から先日の一泊採集会のお土産の算盤珠石を頂戴した。なかなかの良品であった。感謝。
宴もたけなわ、15時30分に全員下山し、お楽しみの「万華鏡頒布」である。今回の一等賞は、綺麗な煙水晶を採集されたOさんに決定。それにしてもOさんはこの前の奥矢根の見事な水晶といい、いつも良いものを採集される。たいしたものだと思う。館長は久美浜産の水晶のトッコを頂いた。
ここで解散となったが、館長の乗ったクルマのメンバーを途中にある大阪府豆粕の花崗岩石切場跡へご案内した。ここは京都側にある広野と同じような花崗岩であるが、出るものはかなり地味である。 |
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11月22日(日) 曇り
美しい”バラ輝石”を求めて −初訪山の釜塚鉱山へ−
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五十代以上のベテラン鉱物マニアに知られているのが六月社の「**の自然」シリーズだ。昔は今のようにガイド本も無く、情報も極めて少なかった。その中でこの「**の自然シリーズ」は貴重な情報源であった。
館長も少年時代この本を頼りに採集に行ったものだ。
中でも「京都の自然」は益富寿之助先生の他、荻原真一先生、京都地学会会長であった山崎外次先生など京都の錚々たるメンバーが執筆者に名を連ねていた。この「京都の自然」と「大阪の自然」は館長のバイブルであった。
その「京都の自然」には京都府南部、和束地方の鉱物のことが詳しく書かれ、この地方に沢山あったマンガン鉱山もいくつか紹介されていた。そのマンガン鉱山の一つに釜塚鉱山があった。
本日はその釜塚鉱山へ益富地学会館の巡検を行うこととなった。
当地では古くから濃紅色の美しいバラ輝石で知られ、出来れば採集したいがチョット無理かな・・・。
石友Thさん達に駅で拾ってもらって最初の集合場所へ。ここでまた2名合流し、集合場所へ向う。ここでバスで来たメンバーと合流した。本日の参加者は定員いっぱいの50名。マンガン採集では人は集まらない・・・というのは遠い昔の話となってしまった。
OさんやSさんなど石友会メンバーのお顔も見える。
そんな中、久しぶりに大阪のTaさんとお会いした。
大阪ショーでは時々お会いするが採集は何十年ぶりだろうか。
最初に蛭川村の採集でお会いした時、Taさんは大学生であったが、今は小学校の立派な教頭先生だ。
館長が大阪府の鉱物研究を進めてきた中でTaさんの存在は大きい。
南山城らしい茶畑や竹林の中、片道約3Kmのほぼ平坦な行程を一団が進む。12時頃に鉱山跡前に到着、小さな川を渡渉し対岸のズリに向う。マンガンの第一人者Tmさんから竪坑前で説明を受ける。
それにしても恐ろしい竪坑だ。落ちたら百年目だろうな。この竪坑はひ押し坑道で下の閉塞された水平坑道につながっているそうだ。そのすぐ向こうに水平坑道が見える。どうやって向こうへ行ったんだろうか。高所恐怖症の館長はこわいので遠巻きに眺めるだけだ。
竪坑を恐る恐る見学した後、斜面のズリで思い思いに採集を始める。ここの鉱石はバラ輝石に繊維状の角閃石が絡んでいる為か、たいへん堅い。ちょっとやそっとでは割れない。皆さん苦労されているようだ。表面が真っ黒になるマンガン鉱物だけに館長の好きな表面採集も今日は封印だ。しかしなかなか美しいバラ輝石は現れない。
1個だけ細かなマンガン柘榴石の結晶の集合体を見つけた。
しかし、この石は泥質岩起源の非晶質の石墨を多量に含む為、真っ黒だ。結局、本日の採集品はこれ一点だけに終わった。
丁度採集が終わる頃に雨が降り出した。採集中に降り出していたら真っ黒になっただろう。
そういえば、今日は11月22日。「いい夫婦の日」だ。二日間採集に行かしてもらったし、帰りに土産を買って帰ろう。 |
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全員集合 |
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いざ!鉱山跡へ |
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恐ろしい竪坑 |
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ズリでの採集 |
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11月21日(土) 晴れ
久しぶりの北摂採集行 −銭原と北摂の旧坑へ−
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石友のThさんと久しぶりに大阪府北方の銭原と川浦鉱山を訪れた。銭原は厚板状のチタン鉄鉱が特に有名でかの櫻井標本にも収められている。
30年近く前に初めて訪れた時には既に「直閃石ペグマタイト」の露頭は無く、チタン鉄鉱は1個体だけ採集出来た。チタン鉄鉱は望み薄としても、これも立派な角閃石は見栄えのするものを採って帰りたい。
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薄暗い銭原の谷 |
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産地近くにクルマを停め、山中に入る。殆ど人が入っておらず、陽もあまりあたらないので昼なお暗く、一人ではちょっと来られない場所だ。斜面に転がる僅かな転石を叩くが、よく判らない緻密な岩石?ばかりで一向にチタン鉄鉱どころか角閃石も出てこない。「変やな?」と思ってちょっと移動するとポイントが違うことが判明。掘り出すと角閃石の大きな劈開片が顔を出した。比較的新鮮で大きなものを採集したが、ここのものは鉄普通角閃石と苦土普通角閃石の中間的なものらしい。劈開片の大きさは生駒山の斑レイ岩中のものを凌駕する。1個だけ結晶面と思われる面が一面現れた角閃石も採集した。
次に同好から情報を頂いた狩待峠付近の高温石英の新産地に向うも場所が判らず撤退。もう一ヶ所北摂の旧坑を廻るもこちらも殆どボウズであった。
この時期になると陽の落ちるのが早い。まだ16時になっていないというのに辺りは薄暗くなってきた。明日も採集予定があるので、ここは早目に切り上げ家路についた。 |
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11月14日(土)〜15日(日)
3年ぶりの「大阪自然史フェスティバル」 −交流の二日間−
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ほぼ一ヶ月ぶりの日記の更新である。更新をサボっていたわけではなくネタがないのである。全く空白の一ヶ月であった。その間、石の活動は益富地学会館の運営委員会くらいであった。
さて、約一月ぶりの更新は「大阪自然史フェスティバル」だ。
大阪自然史フェスティバルは2003年、2004年、2006年に続いて今回で4回目だ。
大阪とその周辺の自然愛好団体が多数出展し、普段の活動の成果を披露する催しだ。石の他に昆虫、魚類、鳥類、哺乳類、コウモリ、菌類、環境保全など実に多彩である。
館長は今回初出展となる益富地学会館の担当である。初日は主任研究員のFtさん、運営委員のAmさんだ。両側のブースは「大阪石友会」とよく知られた「日本野鳥の会」さんである。
会館ブースでは会館の概要と活動記録の掲示、そして「星砂」を実体顕微鏡で観察するイベントを行った。観察した人には星砂のサンプルをプレゼントする企画だ。星砂は現世の有孔虫の殻なので、厳密に言えば化石ではないし、当然”石”ではない。まぁ、今回はカンブリア紀から殆ど姿の変わらない、「生きた化石」ということで良いと思う。今回は出来るだけ多くの方々に益富地学会館を知ってもらって、来館頂くのが目的である。
さて、初日は生憎の雨天である。その為か午前中はなかなか客足が伸びない。午後になって雨もあがり、漸く人が増えてきた。
益富ブースの星砂観察も好評で、もう1台顕微鏡があってもよかったと思う。
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お隣の石友会は「アメジスト」がテーマである。館長も石友会の役員である為、隣のお客さんの入りも多いに気になる。
地学関係団体の出展は益富地学会館と石友会以外に数グループあった。神戸層群の化石を研究している「神戸の植物化石を考える会」さんで昔の思い出話をしたり、近年お付き合いの始まった「きしわだ自然資料館」さんや「池田・人と自然の会」さんへお邪魔したり、他の地学団体と名刺交換したりで親交を深めることができた。休憩時間を利用して博物館の展示標本を見に行った。館長イチ押しの当館の標本は安部城鉱山の四面銅鉱と水晶峠の緑水晶、二上山の大粒のザクロ石など。機会があれば皆さんもご覧頂きたい。
会場では石友会や益富地学会館の顔なじみのメンバーの他、自然史博物館のK先生やI先生、吹田地学会のH先生、「池田人と自然の会」のIさん、Mさん、先日旧坑調査でご一緒したコウモリ研究のUnさん、きしわだ自然資料館のH先生やW先生ともお会い出来た。普段なかなかお会い出来ない皆さん方と親交を深めることができた二日間であった。 |
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10月18日(日)
久々の北椿尾へ −孔雀の羽根状白雲母の採集−
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久々に奈良市郊外の北椿尾(きたつばお)に行くこととなった。
今回のメンバーはTh1さんとTh2さん、そして館長の3名だ。館長は今回で3回目の訪山となる。
北椿尾はかつて珪長石を掘っていた鉱山跡で、益富先生の「鉱物 やさしい鉱物学」にも載っている孔雀の羽を広げたような白雲母が有名で、柘榴石もかつて良品を産した。
また、たいへん少ないがモナズ石やコルンブ石もある。最も稀なのが亜鉛スピネルである。今回は亜鉛スピネルやモナズ石は期待していないが、白雲母の綺麗なものは採って帰りたいと思う。1回目は館長単独で来たのだが、この時はそこそこ成果はあった。2回目は殆どボウズであったので、3回目の今回はさて如何なりますか・・・。
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旧坑へ向う途中で石英や長石が散らばっている場所に遭遇した。台風で流されてきたようだ。白雲母は沢山あるが、柘榴石は少なく、あっても2〜3mm程度である。
次に旧坑へ向う。数年ぶりに来たので記憶も薄くなり、考えていた場所に旧坑は無かった。諦めて戻る途中で、遠目に白い石が散らばった細い山道をみつけ、進んでいくとあった!旧坑である。(写真)
中は真っ暗だが、かなり広い。ホールのようになっており、奥へ細い坑道が延びているようだが、薄気味悪いので入口周辺で写真撮影だけで我慢する。
北椿尾では一応、目的の孔雀の羽根状白雲母と細かい柘榴石、周囲にハロを生じた稀元素鉱物らしきものを採集した。少し時間があるので、帰りに55年前の古い資料を頼りに、生駒の鳴石探索に向うが、こちらは全くのボウズに終わった。 |
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10月10日(土)〜12日(月・祝)
京都ショー始まる!
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本日より秋恒例の京都ショーだ。館長は今回、三日間に亘ってスタッフとしてお手伝いすることになった。従って、原則、昼休み以外は会場の標本を見ることが出来ない。この点は残念だが、これもやむを得ない。
館長の持ち場は「会館コーナー」で委託標本や書籍、採集用具、コレクション用品の販売を受け持つ。リーダーは石友会の若手エースでもある大学生のIk君、その下に近江のスーパーマリオItさんと館長が付く。オッサン2名の面倒を見なければならない若いIk君に同情を禁じ得ない。
10時の開場時間となり早速熱心なファンが会館コーナーに来た。
休む暇のない忙しさだが、昔のように見るのもたいへんなくらいの混雑ではない。やはりリーマンショック以来の不景気なのかなぁ。
それでも流石に午前中いっぱいは超多忙である。Oaさんにもヘルプをお願いした。
午前中で大きなヤマは越えたので、交代で昼休みをとる。軽い食事をサッと済ませて会場を廻る。日本産鉱物の充実しているKさんでは硫酸鉛鉱付きの黄銅鉱があった。黄銅鉱は耳付き双晶である。
次にいつもお世話になっている眞鍋鉱物研究所へ。ここで大阪府大野池の高師小僧を入手。隣りの福岡石の会ブースでは今年上半期の話題の鉱物、福岡県初産の紫水晶が多数展示されていた。特に今回は同地の最高グレードの標本も展示。これは見るだけで我慢をした。(写真中)
初日は益富コーナーの売上も上々で無事に終り、夜は明日講演をされる元地質標本館館長(産総研)の豊遥秋先生を囲む懇親会が行われた。会には関西の有力コレクターが20名以上勢揃いした他、福岡石の会のZeoliteさんや無名会のTyさん、Tkさんも出席、約2時間に亘って楽しく歓談した。
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今回、豊先生より書籍のプレゼントがあり、参加者によるジャンケン大会となった。館長は広根(多田銀山など北摂地域)の地質報告が欲しい・・・しかし、ジャンケンやビンゴは徹底的に弱い。迷った挙句、エントリーした。この本には3名がエントリーしたが、なんと館長が勝ってしまった。嬉しいけど、これで今年の運を使い果たしたような気がする。
2日目に入り、標本の売れ行きも落ち着いた。標本よりも本やルーペなどが多くなった。昨日もそうだが、ここに立っていると様々な方とお会い出来る。今日はHキョージュも来られた。昼休みになり、また会場を廻る。館長が所属する大阪石友会のブースでは館長の委託標本も売ってもらっているのだが、どうも売れ行きが芳しくない。全体的にお客さんの財布の紐は堅そうだ。
3日目ともなると、益富コーナーでも、ブースにもかなり余裕が出てきたので特別展示のコーナーをのぞいた。今回のテーマは「レアアース」であった。様々なレアアースの鉱石や金属のサンプルが展示されていたが、展示品では奈良県芋山の巨大な褐簾石が見事であった。坂口鉱山近くの奈良県側に位置するが、昔はあんなものが出たんですな。
他には金の延べ棒と共に菱刈鉱山慶泉三号の立派な金鉱石が展示されていた。本日は金の専門家のIhさんご夫妻も立ち寄られた。
ところで一日中スタッフとして動いていることもあり、ここまで全く石を買っていない。
昼休みにようやく福岡石の会のブースで1個500円の石を買った。
「プロトドロマイト」とラベルに書かれていた。ハント石の産地で知られる長崎・樫山海岸の標本だ。しかし、この種名は鉱物の本にも載っていない。直訳すれば「苦灰石の原型」という意味不明の名前になる。帰ってネットで調べたらCaの多いドロマイトの亜種らしい。
他には滋賀県山崎山の赤水晶の上品を入手した。また、化石の本ではあるが堀治三朗さんの名著「神戸層群植物化石」が格安で売っていたので購入した。今は館長は化石からは離れたが、石に本格的に興味をもったのが、小学生の時に従兄からもらった神戸層群の葉っぱの化石であったのだ。
今回は3日間に亘ってお手伝いさせてもらったが、流石に疲れた。
しかしながら、仕事の疲れとは違う心地よい疲れであった。
また機会があれば、あまり戦力にはならないが、お手伝いさせてもらおう・・・と思う。 |
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9月28日(月)
仕事で羽曳野へ −羽曳野の鉱物第一号は見つかるか?−
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仕事で大阪府南部の羽曳野市(はびきの)の郊外に来た。
車窓からは二上山の優美な姿が見える。この辺りは大阪府南河内郡や奈良県香芝市と同様に、かつて金剛砂(細かい柘榴石)を研磨剤として採掘が行われていたそうだ。
お客様とのアポイントの時間まで余裕があるので採掘跡を探そうと周辺を歩き回った。
残念ながら周囲は一面のブドウ畑ばかりだ。もし、柘榴石の一粒でもあったら、初の羽曳野市産鉱物であったのに・・・。 |
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9月27日(日)
異業種?交流、久々の大阪鉱物研究会行事 −ダニにビクビク−
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池田市の自然研究グループのIkさんから五月山の旧坑へのお誘いを頂いた。今回はコウモリの観察が目的で、大阪のコウモリ研究グループのUnさんも参加された。三グループのコラボである。
我々大阪鉱物研究会は館長とTh1さんが参加した。場所はIkさんたちと館長で見つけた旧坑で恐らく本会のメンバー以外は知らない場所である。
足場の悪い急な斜面を息を切らしながら登って坑口前に到着。
早速、Unさんが斜坑になった坑内に入る。流石に洞窟作業は実に手馴れておられ、鉱物屋とはだいぶ違う。
暫くして戻ってこられるとコウモリを捕獲してこられた。ハクビシンの親子も居たそうだ。坑口でUnさんからレクチャーを受けていると、Ikさんがリュックの上を這っている「ダニ」を見つけられた。
「あっ、これがダニか!やっぱり居るんや。デカッ!気持ちワルッ!」こいつはズボンの裾から入って足をよじ登り太ももにカブリつくらしい。想像しただけで身震いがする。一旦、カブりつかれると一大事だ。
ヘタに取ってしまうとダニの体の一部が皮膚に残って、かなり往生するらしい。小型のクモくらいの大きさがある。鹿に付いてくるそうだが、そうすると山蛭が居ても不思議ではない。急に怖気づく自分が情けない。
尚、コウモリは保護獣なのであくまでも観察のみで、データを取るのが目的でキャッチアンドリリースである。
UnさんとMkさんが再度坑内に入られたので、館長とTh1さんは斜面で”本業”の鉱物採集だ。ここはどういうわけか鉱石鉱物や二次鉱物が全く見られず、貧弱な黄鉄鉱と磁硫鉄鉱、そして黄鉄鉱が分解したと思われる石膏くらいでマニアの喜びそうなものはない。試掘程度で終わったのかもしれない。但し、ここの石にはかなり細かい灰重石が含まれていることがある。前回既に細粒の灰重石を採集しているので本日は更にグレードアップを図って結晶を探すのが目的だ。
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結局、風化してボソボソになった石から0.5mmくらいの小さな灰重石の八面体結晶を見つけた。ミネラライトを使わないとドコにあるのかも判らないような代物であるが、大阪府産であり貴重なものには違いない。各グループとも所期の目的を達成したので全員で下山。
昼メシの後、次なる目的地の「磨き砂」の採掘坑跡を目指す。
ここは戦前、火山灰を採掘して磨き砂にしていたそうで、盛んに採掘され、坑口がいくつもあったそうだ。目的はその坑内に住み着いたコウモリの観察であるが、結局、年月が経って竹や草木が繁茂し、水平に掘られた坑口は見つからなかった。資料通りの坑道の陥没跡は確認出来た。鉱物採集の成果としては灰重石くらいであったが、コウモリの観察やあまり歓迎は出来ないが「ダニ」や「青大将」との遭遇、そしてこれも初めてみた「冬虫夏草」など楽しい一日であった。 |
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9月22日(日)
石の花へ
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シルバーウィークも今日を入れて後2日である。休日出勤したり、採集に行ったり、ヨメと映画でデートしたりと結構慌しい連休である。
映画はヨメの希望で「サブウェイ123激突」を観たが、退屈させない面白い映画だった。ジョントラボルタの変貌?ぶりにもビックリ。迫力のある映画で、やはり映画はスクリーンで観るものだと思う。
さて、今日はOaさんの「石の花」である。今回は釜石鉱山の標本と田原の稀産鉱物がテーマである。そういえば釜石の標本って少ないな。館長も釜石の標本は新鉱物・釜石石と緑簾石くらいだ。無いことはないがあまり派手な鉱物が出ないことも大きな理由だろう。言い方を変えれば玄人好みの渋い鉱山・・・ということだろうか。釜石鉱山のものでは磁鉄鉱や柘榴石が出品された。田原はカイノス石、エシキン石、フェナス石、ストークス石など。今回は見学中心となった。
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その中で昔、田原で産出したレクトライトの話は面白かった。これは粘土鉱物の一種で、館長も持っているがどうみてもマンガンモンモリロン石にしか見えない。珍しい鉱物ではあるが、当時河川工事で出現して河原が赤く染まるほどだったそうだ。これがたいへん貴重なものと判って現地へ行ったらすでに何も無い状態であったそうだ。蛍石と玉髄の隙間を充填しているような格好だったそうだ。
それと図書室の文献を眺めていて偶然、佐藤伝蔵先生と長島乙吉翁が写った写真を見つけた。まだ技師であった木下亀城先生も写っている。昭和2年の汎太平洋学術会議の長瀞巡検の一コマでフランスのラクロア博士夫妻も写っている貴重なものである。 |
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9月20日(土)
快晴のシルバーウィーク 岩ケ谷鉱山へ
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9月も後半に入り朝晩めっきりと涼しく秋らしくなってきた。
いよいよ鉱物採集のシーズン到来!・・・ということで久々の本格的な鉱物採集である。益富地学会館の採集会で兵庫県猪名川町の岩ケ谷鉱山へ来た。
この鉱山は比較的交通至便で、我が家からもそんなムチャクチャ時間がかからない。それもあってか今回は50名の参加で、申し込み人数はかなりの数に上ったとか・・・。
今日はいつものメンバー、案内人のMtさんの他運営委員のTh2さん、Amさん、そして石友会のTh1さんやWyさん、Kt嬢、Omさんの他はあまりお見かけしないメンバーが多い。そして今回久々に館長の師匠格である京都のYsさんも来られた。
バス停から徒歩約1.5Kmでズリに到着。館長は二度目の訪山であるが、もっとズリが大きかったようなイメージがある。かなりズリが急なのでMtさんとKさんがロープを何本も張って下さった。これは有りがたかった。参加者が思い思いにズリに張り付いて採集を始めた。
表面にはあまり青いものは見られず、母岩の熔結凝灰岩やホルンフェルスが多い。今回の目的鉱物はカレドニア石や緑鉛鉱、ビーバー石様鉱物である。鉛の二次鉱物である。
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採集前の説明 |
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急なズリでの採集 |
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いつもは表面採集一辺倒の館長もズリを掘って探すが、なかなか青いものが見つからない。その内、ズリの表面に隙間の多い石を見つけ、ルーペで覗くと淡緑色の鉱物が晶洞に入っていた。小さいが「ガマ立ち」の緑鉛鉱である。なかなかチャーミングな標本だ。ビーバー石様鉱物は沢山転がっているが、そうなると贅沢なもので、表面が汚れていなくて大きさが手頃で、しかも一面に付いているものが欲しくなる。これは採集の終盤でヤットコサ見つけた。
他には斑銅鉱や水亜鉛銅鉱も見られた。15:00頃に下山を始め道すがらYsさんやThさん達と楽しくお喋りしながらバス停まで戻り、天候にも恵まれた久々の採集は無事終わった。 |
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9月7日(月)〜8日(火)
遅い夏休み 夏の終りの飛騨路へ
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今日から遅い夏休みだ。昨年の夏は出雲路を旅行したが、今年は飛騨の合掌造りを見ようということになり飛騨路を選んだ。昨年はめのうやジャスパーで知られた玉造温泉や世界遺産の石見銀山など石と関係の深い場所が多かったし石との出会いもあった。今年はちょっと望み薄ではあるが偶然の石との出会いを期待して一路白川郷へ向かう。御一人様29,800円也のバスツアーである。
初日は途中のサービスエリアで飛騨トンネルの貫通石が飾ってあったくらいで石との巡り会いは無し。その晩は高山市内のホテルに宿泊したが、いつもは安値第一の3〜4000円くらいのホテルに泊っている館長にとって今回はちょっと贅沢すぎるなぁ。ヨメは大満足であったが。
2日目は朝から高山市内の散策だ。高山名物の古い町並みを抜けて、これまた高山名物の「朝市」へと向う。その古い町並みの一角に「飛騨民俗考古館」なる看板を見つけた。なにか「ピン!」とくるものがあり近づくと、展示品の解説の中にあった!「飛騨の魚眼石と紫水晶」の文字が・・・。「神岡鉱山の通称『ガマ』より産出」と書かれている。これは鉱物コレクターとしては見ないわけにはいかない。
しかし、まだ朝の8時過ぎということで他のお店同様閉まっている。
止む無く、朝市見物の後でまた戻ってくることとした。
朝市で土産物を買って戻ってくると考古館は開館していた。
出発時間まであまり余裕がないので、ヨメを待たせて受付で500円を支払い、古い民家を利用した館内へ急いで入る。しかし、土器や石器類や古民具ばかりで”鉱物”が一向に見当たらない。
急いで受付に戻り聞くとなんと展示替えで肝心の魚眼石やアメジストはお蔵入りとの事。ガックリや!。事情を話すと片隅に置かれていた石を見せてもらった。確かに神岡鉱山の所謂、杢地鉱即ち、ヘデンベルグ輝石と細かい水晶のトッコであった。残念ながら館長の興味をひくものではなかったが、折角なので記念に写真だけ撮らせてもらった。
高山を出発したバスは安房トンネルを通って長野県に入った。
昔は安房峠越えはバスにとっても難所であった。上高地に入り、焼岳の爆発で出来た大正池畔で降りて、大正池から梓川沿いに徒歩で河童橋に向う。とにかく今日は抜群の快晴で焼岳が美しい。穂高連峰もくっきり美しい。
ヨメに言わせると「アンタは雨男やから・・・。天気が良いのは晴女のワタシのお陰や!」だそうだ・・・。雨男は否定しないが・・・。添乗員さん曰く、滅多にない良い天気だそうだ。ヨカッタ。
穂高連峰は3,000m級の山々だがまるで手に届きそうなくらい近く見える。よくよく考えたら館長が立っているところが既に海抜1,500mだ。
梓川沿いに更に進むと足許に表面が緑っぽい岩が落ちている。拾い上げてみると一面に細かな緑簾石の結晶が付いていた。国立公園内なので採集はご法度だろうから、写真だけにおさめてそのまま進む。
途中で弁当を食べたりしながら河童橋に着いた。しかしすごい人出だ。梓川の透き通った美しさは昔も変わらない。また機会があれば訪れたい場所だ。 |
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考古館の解説と杢地鉱 |
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焼岳と大正池 |
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穂高連峰と梓川 |
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緑簾石が一面に付いた石 |
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9月3日(木)
京都ショーに向けて
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益富地学会館の運営委員会で上洛した。本日のメインテーマは勿論、来月に迫った京都ショー。今年の京都ショーは従来の地下1Fから1Fに変わった。それで会場がグーンと広くなった。
そして今回のテーマはレアアースだ。様々なレアアースに関する展示や元地質標本館(産総研)館長の豊(ぶんの)先生の講演も行われる。館長もスタッフとして三日間お手伝いすることとなった。 |
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9月3日(木)
金石舎のブック型標本
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久々にネットオークションで金石舎標本部のブック型標本を入手した。他にも関心のある人がいるらしく意外な高値となってしまった。
標本は2段組70種で各標本のサイズは若干大きめだ。戦前の組標本にある黒鉛や蛍石、褐鉄鉱等に見られるような中国や朝鮮半島の鉱物が全くない。恐らく明治末期から大正初め頃の標本であろう。標本に記載されている金石舎の所在地が小川町なので金石舎の初期のものではないようだ。 |
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8月29日(土)
名古屋ショーへ
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早いものでもう8月も終りだ。・・・ということで今日は夏の終りを飾る名古屋ショーである。名古屋ショーも今回で31回目だそうだ。
館長はいつ頃から参加し始めたか記憶が定かではないが、今の吹上ホールのその前の東山会館の更にその前の前くらいからだから結構古いと思う。会場も昔に比べ随分広くなり、来場者も増え、出展者も90者(社)に及ぶ規模だ。
さて、今回の特別展示は名古屋鉱物同好会の創設者である故中尾潮忍氏の田原産コレクションであった。館長は一度だけ益富地学会館(当時は日本地学研究会館)でお会いし、名刺を頂いた。残念ながら噂に聞く「ウィスキー壜サイズのトパーズ」は展示されていなかった。今回が第一回ということなので次回に期待しよう。
さて、なかなか買うものがなく、暫くは会場をウロウロしているだけであったが、日本産鉱物の多いブースをのぞくと白っぽい鉱物が眼に入った。取り上げてみると木浦エメリー550m坑のダイアスポアであった。欲しかった標本で値段も手頃なのでゲット。他には新鉱物・宗像石があったが予算の都合で今回は見送り。黒平の水晶や紫水晶、トパーズ、アマゾナイトも多数出品されていた。長島石、ロスコー雲母、エシキン石、ヘッス鉱、尾平の蛍石と錫石など実に多くの国産鉱物があった。乙女鉱山の母岩付きツインも良い標本であった。
益富地学会館のブースをのぞくとFtさんとItさんが居られた。
書籍や採集用具と共に田原の煙水晶や長石が並べられていた。
そこにあった大きなカリ長石のバベノ式双晶に眼を奪われた。
長さは17、8pはあり貫禄のある博物館級標本だ。表面も汚れておらず白く綺麗で、あまりペグマタイト鉱物に触手が伸びない館長もこれは欲しくなった。結局、大2枚が財布から出て行った。他に三重県の鉱物に特化した出品者があり、加太のカリ鉄パーガス閃石の参考品を購入。これで本日の購入は打ち止めとした。
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↑会場は大盛況 |
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↑中尾潮忍コレクション |
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↑UFOの忘れ物?
左端の光っている金属がそうらしい。 |
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今回も無名会と福岡石の会が参加。無名会からはTyさんとTkさんが参加、福岡石の会はTさんとWt先生が遠路参加された。福岡石の会では最近、工事現場で見つかった紫水晶が出品されていた。絶産標本なので水晶コレクターは買っておきたい標本だ。
会場をウロウロしていると大阪のYさんのブースで変わったものを見つけた。なんとUFOの残していったものだそうだ。”UFO−HLA”(UFO Hot Landing Artifacts)といってアメリカでは人気のある標本?でコレクターズアイテムだそうだ。国内でも売れたとか・・・。
話題性満点ではあるが、館長のコレクションの対象からは外れるのでパスした。
会場では明日、鉱物鑑定士試験があるのでWyさんやThさん、Oさんらの鑑定士の面々、奈良鉱物のMamaちゃんと大阪府の鉱物仲間のThさん、大阪石友会のKh会長やNさん、関鉱同のHy会長、Tyさん、Igさん、Tsさん、Uoさん達多数の石友にお会い出来た。 |
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8月15日(土)
アズキ火山灰層の観察と吹田の鉱物?
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館長の勤務先にはいわゆる「盆休み」というものが無い。
各自「夏休み」という名目で有休消化をするのだが、館長は12日から土・日含めて5連休とした。今日はこの連休唯一の石を楽しむ日だ。
吹田市立博物館主催で吹田地学会による大阪層群の火山灰層と海成粘土層の観察会だ。勿論、館長は大阪層群に関心を持っているが、今日はそれだけではない。
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大阪モノレールの万博記念公園駅に集合。今日の参加者は約10名である。吹田地学会会長であるA先生とH先生のご案内で露頭に向う。開発の進んだ千里丘陵では大阪層群の火山灰層や海成粘土層の露頭はたいへん貴重になった。露頭は普段は立ち入ることが出来ない(外からは観察出来る)が、今日は博物館行事でもあり管理者の特別のお取り計らいで露頭に触れての観察と研究用サンプルの採取が許された。
写真中央の横に伸びる細い脈周辺がアズキ火山灰層で遠く九州から飛んできたものだ。その上下の地層がMa3(第3海成粘土層)であり、海成粘土層と火山灰が混じっている箇所もあり、境界ははっきりしない。
さて、館長のお目当ては火山灰もさることながら海成粘土層の表面に生成した硫黄である。火山に縁の無い大阪府で確実に硫黄が認められるのは、このような海成粘土層だけであろう。その粘土層すら極めて貴重になったので、粘土の表面に薄く刷毛で刷いたような貧弱な硫黄(薄汚れた茶色か黄色か判らないような色はどう見ても硫黄に見えない)も貴重品だ。館長はH先生のご指導で所期の目的の硫黄を採集出来た。吹田市産鉱物標本第一号である。因みにこの場所がアズキ火山灰層のタイプロカリティーに最も近い場所で、実際のタイプロカリティーは今の「太陽の塔」辺りだそうだ。 |
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8月8日(土)
第二回 石のフリーマーケット ”鉱物の骨董屋”再び!
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本日は石のフリーマーケットだ。今回も館長は出品者として参加した。但し、売れそうなものがあまり無く早くもボウズの気配がする。
前回同様、滋賀の石友Wyさんとの共同出品であるが、今回は我がグループに強力な援軍が加わった。福岡の石友Zeoliteさんの石も出るのだが、スタッフとしてZeoliteさんのご令嬢であるHm嬢が加わった。
また、今回から滋賀のAsさんも出展、主にお得意の二次鉱物を出品。大阪府産鉱物の同志であるMtさんはマニア向けの標本を出品されていた。Hm嬢は話題の福岡県産紫水晶など九州の鉱物を出品。紫水晶は工事現場で極めて短期間の産出であったこともあり人気が集まった。他に尾平の斧石、戸根のアルデンヌ石など人気があった。また、化石専門の出品もあり神戸産ヒトデ化石や温泉町海上の昆虫化石は質量ともに見事であった。また奈良のSさんは近年産出の水晶峠の水晶を大量に出品されていた。
さて、館長は今回大量の大阪府産鉱物を入手出来た。いずれも聞いたことのない産地ばかりで、これからの大阪府産鉱物研究に大いにモチベーションが上がった。
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大阪府産鉱物以外ではこれは初見であるが、館長も名前すら知らなかったアンリターミア石(Henritermierite)を入手した。加藤先生の「鉱物種一覧2005.9」でも本邦未産となっており最近の産出であろうか。
午後になると会場も落ち着き、各所で石談義が始まった。「鉱物の骨董屋」を自認する館長のブースではベテランのOaさんやFtさん、館長を中心に昔話を盛り込んで大いに盛り上がった。単に石の売り買いだけでなく、こういったお話で盛り上がるのもこの催しの特徴である。
帰りは河原町までOaさんとご一緒させて頂き、石の話をいろいろ聴かせて頂いた。途中、京の台所「錦市場」でOaさんお勧めの「錦むらさき」の南京豆をヨメの土産に購入。元々ナッツ大好きで味にうるさいヨメからも久々に、「おいしい・・・」とのことで合格点をもらった。
家族の土産を買って帰って評価されて、「合格や!」と言われ安堵するのもちょっと腑に落ちないが、一日石で遊ばせてもらっていることを考えれば、まぁ、エエかと思う今日この頃である。 |
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8月2日(日)
久々の組標本
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久々にブック型標本をネットオークションで入手した。鉱物教育研究所製60種というのは写真ですぐに判った。木製の共箱に入っているようだ。
木箱バージョンというのは初めて見たので、早速落札したが、実物を見ると木箱は後で入れたもののようでちょっと残念。ただ、中身の本来の紙箱と共箱が余りにもピッタリ合いすぎているのは不思議だ。特注かもしれない。
そして、本日はもう1個落札した。大阪の稲垣製作所製のもので昭和5年頃の標本だ。稲垣製作所のものは1個所有しているが、今回のものは箱が2列に分れ、片側1段10種、片側30種2段計70種という変わったものだ。あまり見たことのない型なのでたいへん楽しみである。 |
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8月1日(土)
まだまだ捨てたものではない
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早いものでもう8月だ。遂に館長も定年まで3年を切った。歳は取りたくないが定年は待ち遠しい。実に複雑な心境である。
一応、見かけは歳より若く見られるが、体は正直だ。特に眼の衰えが気になる。元々、眼は良い方で、若い時から視力は1.5位だった。
しかし、パソコン作業のやり過ぎ?で近視になったのと加齢による老眼で焦点の合う範囲が狭いのだ。微細な鉱物だと眼を近づけると焦点が合わないし、離すと当然見えない。実にもどかしい。
若い頃は行者山で0.5mm位の毒鉄鉱の結晶が立った状態で拾えたのだ。
さて、大阪府千早鉱山で採集した辰砂を含む石英の破面に0.1mmあるかないかのキラッと光る微点に気が付き、自然水銀を疑った。
それで本日の益富地学会館の運営委員会で上洛した際、鑑定士のFtさんに顕微鏡でチェックしてもらい、恐らく自然水銀との答えを頂いた。館長の眼もまだまだ捨てたものではない・・・と思いたい。
因みに千早鉱山の自然水銀は産出報告はあるものの、館長の知る限り一例だけである。またこの標本は当地に一般的に見られる岩石に薄く鉱染状に含まれるものではなく、締まった固い石英に辰砂の顕微鏡レベルではあるが極めて微細な結晶が散らばる、当地としては一級品標本である。 |
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CCD顕微鏡の画像 |
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7月29日(水)
営業マン、山に入る −40年ぶりの眉山−
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今日は仕事で徳島へ来た。午前中の商談も終り、丁度ランチタイムになった。次の訪問場所の下見も兼ねて、午後アポイントのお客様の近くまで来たが、見上げると映画のタイトルにもなった徳島市のシンボル眉山(びざん)はすぐ目の前だ。(写真上)
眉山は高校卒業後、大学受験に失敗して浪人生活を迎えるにあたって親友と四国旅行に来て以来だ。ざっと40年ぶりである。懐かしい。 そんな郷愁もあって、折角なので昼休みを使って眉山の有名な紅簾片岩を見にいくこととした。
急げば現場までそんなに時間がかからないので、行って帰って1時間以内になんとか済ませられる。
コンビニで昼食を仕入れて足早に山中に入る。お寺の裏山で比較的山道が整備されているが、急な階段や坂道が多く結構シンドイ。
おまけに革靴は実に歩き難いしよく滑る。しばらく山道を登ると道の横に大きな紅簾片岩の岩が鎮座している。
表面は黒くなっていて紅簾片岩とイメージが全く違う。(写真中)知らないと通り過ぎてしまうかもしれない。
しかし、岩の裏に廻って僅かに出ている破面を見ると紅簾石や石英、雲母の何層にも積み重なった層が褶曲していて実に美しい。(写真下)
採集は出来ないが見るだけでも価値がある。それと眉山といえば銘柄標本中の白眉、ルチル(金紅石)を忘れてはならない。石英中の立派な結晶は櫻井標本のものが有名だし、館長自慢のV字型双晶もある。石英の中に出たようだが、今では幻の鉱物だ。但し、眉山の山中にはかなり大きな石英塊が転がっているのが見られるし、神社の石灯篭の上部にはもの凄く大きな石英が鎮座している。きっとこんな大きな石英脈がこの眉山のどこかにあって、その中にルチルは眠っているのだろう。
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今日は全く丸腰の完全な営業マンスタイルだし、時間的制約もあるので観察と写真撮影だけで我慢し足早にその場を後にした。
しかし、営業マンスタイルのオッサンが誰もいない山中に一人で入っていく姿はあまりにも似つかわしくない。
一般人にはどのように映ったのであろうか?「ひょっとして・・・」と通報されなくてよかった。
やはり山に入るにはそれなりのスタイルが必要ですな。再度、石を目的にゆっくりと来たい場所である。 |
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7月12日(日)
奥矢根銀山を訪ねて
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館長にとって未知の奥矢根銀山へ石友会の例会で訪山した。この奥矢根銀山は先日の帝釈鉱山同様、同好には全くと言ってよい程知られていない。
しかし、この銀山は明治13年の「博物館列品目録」にその名が出てくる”由緒”ある鉱山なのだ。大正時代に採掘したとの説もあるが、少なくとも明治時代にはあったわけだ。この鉱山跡は石友会会員のMtさんが苦労の末、再発見されたもので、Mtさんの努力に脱帽である。今回は例会を2回に分けた為、12名というたいへん手頃な人数である。二週に亘り、両方の案内役を引き受けられたKh会長とNさんに感謝である。
現地はマムシがいるそうなので要注意だ。マムシと共に館長の大キライな”ヤマヒル”や”ダニ”は事前情報では居ないらしいが、鹿がいるらしいので、やはり油断は出来ない。
鉱山跡はかなり大きかったようで、随所に石垣がある。昔は行き交う坑夫たちでさぞかし活気があったのだろう。道のはっきりしない雑木林を20分ほど歩いてズリの下部に到着。やや急なズリを登りきると平坦になっており、その奥に割りと大きな坑口がある。入口は半分ほど埋まっていた。
ここの石はあまり珍しいものは無く、方鉛鉱や閃亜鉛鉱であった。銀は多分方鉛鉱の中に含まれているのだろう。面白いことにここの母岩は花崗岩ばっかりだ。しかも長石はピンク色である。花崗岩中の石英脈に出来た鉱床だろうか、それとも気成鉱床であろうか。今まで見た鉱床とは明らかに違うヤマだ。
写真上:奥矢根銀山のズリ。殆ど花崗岩だ。
写真下:大きな坑口。規模の大きかったことが窺える。 |
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7月5日(日)
石の花へ
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Oaさんの「石の花」である。今回の目玉は蛭川村の蛍石である。館長はどうも蛍石は苦手なので(尾平を除いて)、蛍石以外の鉱物を探していた。今回は見当たらず、見学だけにしようと思ったら、1個の蛍石が眼にとまった。綺麗な緑色の蛍石だ。セットもので18,000円也。躊躇していたが、同じくこの標本に眼をつけたWyさんと分けることにした。本日は結局これだけ。最近買わなくなったよなぁー。
当日は大阪の石友Thさんも来られていたので、大阪府の鉱物探索の秋以降の計画について意見交換をする。Thさんがとんでもない情報を持ってこられたので、その探索をすることとなった。ちょっと”雲を掴む”ような話だが、鉱物探索はまさに夢とロマンの世界である。 |
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7月4日(土)
益富地学会館へ
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益富地学会館の運営委員会で上洛した。丁度、アマチュア展示が展示替えされていた。前回に引き続きIhさんの日本産新鉱物の展示である。前回は人名であったが、今回は地名に因んだ新鉱物が展示されていた。 |
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6月24日(水)
本邦鑛物学の原点に立つ!
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本日から三日間の北陸出張である。土地勘の無い悲しさで「地獄のロード」になってしまった。本来は石以外のことは書かないのがこの日記の趣旨ではあるが、全く無関係でもないので記録しておきたい。
出張第一日目は福井県小浜市。小浜市と鉱物学の関係をサッと言えるのは相当の鉱物マニアであろう。小浜市は本邦鉱物学の開祖、和田維四郎の生誕の地である。小浜藩の貢進生として上京することから本邦鉱物学は始まる。また、小浜といえば遠敷のメノウである。館長はアポイントまでの間、街を廻って和田維四郎と遠敷のメノウに関するものを探したが、全く眼にすることが出来なかった。
次回、小浜へ来る(いつになるか判らないが)時までに和田維四郎の生家の場所くらい調べておこう。他に福井県といえば水晶蝕像研究の市川新松が思い浮かぶ。その後、石川、富山と続くが、石との接点は全く無かった。 |
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6月13日(土)
第1回石ふしぎゼミ
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益富地学会館の新しい試みが「石ふしぎゼミ」である。今日はその1回目。数人の演者がそれぞれ自分で選んだテーマを20分(質問時間5分を入れて)講演をするのだ。聴く方も聴きたいテーマを聴くという趣向。
館長もお話をすることとなった。館長のテーマはライフワークの”大阪府の鉱物”に関連して「生駒山地の鉱物 昔と今」ということとした。
困ったのは14時という時間だ。聴く方が一番眠くなる時間である。
館長の話が子守唄にならなければいいのだが。
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事前の見込みでは30名くらいの参加と見込んでいたのが何と50名超。会場がいっぱいになった。嬉しい悲鳴であろう。皆さんのお話は旬の産地情報から鉱物採集のノウハウ、鉱物採集の安全管理、ガイガーカウンターの製作、中世の鉱物論、思い出話と実に多彩だ。
館長もいつもながらの地味で採集に役立たない話でお耳汚しをさせてもらったが、大ベテランのYkさんに補足頂いた。その補足の中で何と大阪府のS山で辰砂を採集されたとの事。あまりにも意外で、これには館長もビックリ。
「もう40年前で忘れたわ」と仰るが何とか思い出して頂きたいものだ。また秋からのテーマが一つ増えた。 |
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6月11日(木)
出張。美祢にて。
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2日間の中国地方への出張である。新山口(小郡)を起点に宇部、美祢、広島、福山、笠岡、倉敷、岡山と中身の濃い内容だ。
その美祢に着いた。美祢と言えば、鉱物ファンにとっては長登鉱山や山上鉱山だが、美祢は石灰岩の採掘でも知られている。
丁度、石灰岩の鉱山とプラントに遭遇したので記念にパチリ!どこへ行っても石は忘れられない。 |
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6月6日(土)
鉱物コレクターの1年で一番忙しい日だ
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今日はまず、10時30分から恒例のミネラルマーケットだ。以前であれば館長も一番乗りを目指したのだが、最近はそんな気力は無くなった。・・・というかそこまでして欲しい石が無いというのが実際の所。
オープン30分前に会場へ。ロビーで行列を作る訳だから、あっという間に人でごった返してしまう。
そこで登場するのがかの有名な「コミケの列さばき」だ。息子に聞いても見事らしい。まぁ、いくら人が多いといっても一日あたり十数万人も集まるコミケとは比べるべくもないし、大半がオジサンの集団なので、コミケスタッフとしては楽勝であったかもしれない。
さて、定刻になり一斉に会場に入る。会場は二部屋あり、夫々がお目当ての場所へ向う。館長は何はともあれ滋賀県の石友Kyさんのところへ。ここでは黒平の鉱物が揃っていた。館長は水晶コレクターではないが、黒平産の透明度の高い煙水晶を購入した。テリは不足するが、なかなか姿の良い標本だ。結局、この煙水晶が今回の館長購入の最高価格であった。それでも数千円だ。本音を言えば借金してでも・・・という標本に巡り会いたい。あっという間に会場は既に満員状態だ。 次に岡山のTmさんのもとへ。流石に新鉱物が充実している。
種類集めは卒業した(・・・といつも言ってるが)つもりだが、やはり新鉱物、新産鉱物、稀産鉱物を見るとそうも言っておられない。
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ミネラルマーケットも大盛況 |
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年に一度のお楽しみ 新宿ミーティング |
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まずは島根県銅ケ丸鉱山のハイドロウッドワード石だ。更にバナジン酸塩鉱物のネオジムウェークフィールド石を購入した。いずれも予算の関係で参考品程度ではあるが。それと面白いものを見つけた。ダイヤモンドが発見された(ものと同じ種類の)玄武岩だ。勿論、ダイヤモンドが入っているかどうかは全く判らない。「ダイヤモンド」とラベルは付けられないが面白い標本なので購入した。
午後は会社の後輩であるNr嬢とHtさんを夫々新宿ショーにご案内する。昨日のKh君といい、仕事を離れてもこのような形でお付き合いできるのは素晴らしいことだと思う。営業冥利に尽きる。
夜からこれまた恒例の新宿ミーティングに参加した。今回は常連の方が数名欠席されたが、それでもGaさん、Y2さんなど半年ぶりにお会いする方もおられ懐かしかった。今回は残念ながら恒例のオークションは行われなかったが、それでもあちらこちらで石談に花が咲き2時間はあっという間に過ぎてお開きとなった。館長は今年は1日早く、これから帰阪するので皆さんとお別れして会場を後にした。 |
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6月5日(金)
今年も新宿ショー
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今日から新宿ショーだ。またまた高速バスで早朝の東京着。東京駅のマクドで朝メシを済ませてイザ新宿へ。しかし、会場はウィークデーの金曜日だというのに人が多い。まぁ、館長も休んで来ているので大きな顔では言えないが・・・。
とりあえず、会場を一回りすることとした。まず見つけたのが新産鉱物の木浦鉱山産ピクロファーマコライトだ。砒酸塩鉱物だが、なかなかの良品でまずゲット。最近話題の木浦鉱山のスコロド石もあったが、細かくて触手が伸びない。
次に国産鉱物の多いノンプロコーナーへ向う。特に欲しいものは見当たらないが、一つだけ京都府精華町の藍鉄鉱があった。最近某鉱物関係の情報誌に掲載されたものだ。値段的に安いという気はしなかったが、この手の標本はあまり市場に出ないので買っておこう。結局初日に買ったのはこの2点だけであった。
常連の外国の業者さんが里帰り標本を数点展示していた。その中で孔雀石は古い標本らしくムクに近い標本でなかなかの良品だった。但し、産地が「Honsyu、Japan」(日本、本州)ではちょっと買えない。産地は恐らく・・・という察しはつくがラベルには書けないのでここは見送った。実に惜しい!
その後は館長が子供の頃からお世話になっている眞鍋鉱物研究所さんをベースに一日ウロウロ。
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会場は大盛況 |
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館長が一番ビックリしたスケルトンの方鉛鉱 |
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特別展は「石の文化史 世界・日本の偉人・・・鉱物との意外な関係」であった。ゲーテやモーツァルト、宮澤賢治など偉人たちと鉱物のつながりを表す展示であった。その中でやはり館長が関心のあるのは、和田維四郎氏である。今回、欧州で入手された和田標本の鉱物とラベルが展示されていたが、館長所有のものと同じであった。同じ経路を辿った標本であったようだ。
今回、会場で見た標本で館長が最も印象に残ったのが右の写真のブルガリア産の方鉛鉱だ。一見して変わっていることが判るだろう。立方体結晶の中身が無いのだ。骨組みだけの正に「スケルトン」である。実に不思議な標本だ。それにしても鉱物界は不思議な世界だ。
さて、今回も多くの石友とお会い出来た。福岡のZeoliteさんからは福岡県初産の石を頂いた。また、石友会の若手会員Kt嬢の姿も。夕刻には会社の後輩、Kh君が会社の帰りに寄ってくれた。 |
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5月31日(日)
朝帰り、即、石友会総会へ
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早朝、高速バスで東京から大阪へ戻ったが、今日は午後から石友会の年1回の総会である。我ながら元気だ、と思う。やはり道楽はエネルギーの源泉だ。
総会には26名の参加があったが、新入会員で若手のHk君が入会してくれたのは嬉しい。石友会期待の若手Ak君の紹介という点がまた嬉しいね。十代から二十代の会員が少しずつではあるが増えている。石友会も創立当時は眞鍋鶴松先生というカリスマがいたが、実動部隊には十代から二十代の若手も多かった。これからも若手の発掘を頑張ろう。
活動報告や会計報告、予算承認などの総会議事の後、館長は個人活動報告をしたが「山ヒル」の写真はインパクトがあったかな?
お楽しみの「万華鏡」は今回はかなりのボリュームだ。館長も今回はチョット多目に協力させてもらった。頂いた方はFtさんご提供の大阪府青谷の方解石だ。昔は一抱えもあるようなものが転がっていたが、今となっては貴重品である。Ftさんに感謝である。 |
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石友会総会風景 |
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5月30日(土)
東京での多忙な一日
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昨晩大阪を発った高速バスは予定より10分程早く、東京駅日本橋口に到着した。今日はコムロさんの即売会である。
いつも徹夜組もいる人気の即売会だが、今回の目玉は福井県で明治から昭和まで三代続いたKコレクションである。流石に時代を感じさせる標本が多い。やはり古い標本は質は勿論、何ともいえない味があって良い。
今回は8時までに行けば抽選にエントリー出来るようになった。館長は7時30分頃に行ったが既に10人程のメンバーが居た。ほぼいつもの面子だ。エントリーのリミットである8時には20人程の人が並んだ。その中には館長の従兄のFm君や京都のYk君、Fm君の師匠である(・・・という事は館長にとっては大師匠)のTmさん、関鉱同のUoさんのお顔も見える。 |
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コムロ宝飾さんにて |
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さぁ、くじ引きだ。あみだ籤だが、あみだといいビンゴといい館長は全く弱い。聴くと周りの人たちはみんな弱いとおっしゃる。1番、2番・・・と次々に名前が呼ばれるが、館長は一向に呼ばれない。
やっぱり籤運が無いんやなー・・・と思った時、10番目くらいに漸く呼ばれた。館長の希望したものは概ね残っていたが、迷った挙句、太良鉱山の方鉛鉱を選んだ。これで予算オーバーとなってしまった。他には大分県内ノ口鉱山のマニアには知られた花弁状の菱鉄鉱、生野鉱山の輝銀鉱を入手した。いずれも明治時代の標本で、特に輝銀鉱については昔は銀黒状のものは悉く輝銀鉱にしていたようなのでラベルは「?」であるが・・・。
即売会が一段落したら、次は「つくばエクスプレス」で茨城へ。
標本店を営む石友、Tkさんのお店のHPのバージョンアップ作業を行うのが目的だ。何とか目標時間内に作業を終えた。我ながらスッキリとしたHPだ。これで益々商売繁盛と行きたいものだ。
作業終了後、Tkさんと石談に華を咲かせ、また都内へ戻る。今度は関東鉱物同好会の総会である。総会では関鉱同のメンバーと久しぶりの再会であった。 |
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5月28日(木)
倉敷にて
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今日は仕事で岡山へ来た。午前中、倉敷の得意先への営業活動、午後から岡山で大事な打ち合わせである。倉敷での仕事が順調に終り、岡山移動まで少々時間が余った。そこで昼休みを利用して岡山のYさんから以前伺っていた倉敷市立自然史博物館へ立ち寄ることとした。
丁度、岡山大学名誉教授の草地功先生が寄贈された鉱物・岩石・化石標本200点の特別展示が行われているのだ。
鉱物では山宝鉱山の磁鉄鉱は1〜2cmの結晶が大きめの磁鉄鉱の一面に群生しているもので大変立派であった。また加茂鉱山の煙水晶は岡山トップクラスという大きさもさることながら産地も珍しい。岡山の鉱物ではないが山形県五十川のソーダ沸石は迫力満点であった。もっとゆっくり拝見したかったが、アポイントの時間が迫ってきたので館を後にした。 |
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5月9日(土)
石のフリーマーケット
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益富地学会館で第1回の「石のフリーマーケット」が開催された。館長は石友のWyさんと協同で出品させてもらった。
この催しは単に石を売り買いするだけではなく出品者(ほぼ全員がベテランコレクター)と参加者それぞれの交流が目的の一つであったので、特に初心者の方には標本が増えると共に知識を高める良い機会になったのではと思う。
また、フリーマーケットなのでミネラルショーの様な数万円の高価なものは少なく、お小遣い程度で買えるものが大半だ。そこから掘り出し物を見つけるのも醍醐味だろう。
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販売も一息ついたので、他の出品物を見て廻った。当然ながら良品はあらかた売れていたが、それでも館長初見の大阪府産水晶と枚方市産の高師小僧、館長未所有のミクサ石(日光鉱山産)などを入手できた。いずれもフリーマーケットというだけに格安のお値段だ。
また、石友から豊能鉱山のバスタム石を頂いた。大阪府では数個体しか見つかっていない稀産品だけに、これは嬉しかった。無理を聞いてもらった石友に感謝、感謝である。
沢山の方に来場頂き、第1回石のフリーマーケットは成功裡に終了した。購入頂いた方、有難うございました。出品者の皆さん、お疲れ様でした。
益富地学会館同好会や日本地学研究会の会員であれば、出品出来るので余剰の標本や処分したい標本があれば気軽にご参加願いたい。
今回は出品が少なかった化石も大歓迎。またフリーマーケットでの購入は一般の方も大歓迎。一日、会館で遊んで頂きたい。
第二回は8月の予定ですので多数のご出品、ご参加をお待ちしています。お問い合わせは益富地学会館まで。 |
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5月2日(土)
歓迎会
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今日は益富地学会館の運営委員会であったが委員会終了後、この度会館の研究員に就任されたItさんの歓迎会が催された。館長も参加させて頂いた。23名の出席であったが、和やかな雰囲気の中で約2時間の宴はお開き。Itさんの益々のご活躍とご健勝を心からお祈り致します。
帰宅すると大阪ショーでご一緒させて頂いて、終了後四国遠征に行かれたTkさんからメールが来ていた。なかなかの成果があったようで、K2さんが市之川で3p程の輝安鉱結晶母岩付き!を採集されたとのこと。流石!と思うと共に羨ましいなぁ・・・ |
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4月27日(月)
大阪ショー最終日
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会社から有給休暇をもらって3日目も参加した。
平日ではあるが結構、入場者はあったように思う。館長は今日は特に買うものもないので石友会のブースで店番をしたり、馴染みの店でウロウロしたり、石友とお喋りしたり、会場をブラブラしたり。
今日も多くの石友の方々とお会いした。東京からは無名会のK2さんとHtさんが来阪された。大阪ショーが終わったらTyさん、Tkさんと四国遠征をされるそうだ。うらやましい・・・
九州からは福岡石の会のWt先生が来阪された。
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石友会ブースに置いてもらった館長の石は半分以上が売れ残ってしまい少々残念。大和水銀の辰砂と神岡鉱山の魚眼石は早々に売れた。買って頂いた方に感謝。いずれもかなりの良品であったのでオトクであったと思う。尚、5月に益富地学会館で行われる「石のフリーマーケット」にも出品しますのでお楽しみに・・・。
さて、今日は最終日なので16時に終了。石友会ブースの撤収を手伝って、馴染みの業者さんにご挨拶した後、石友会メンバーとOMMビル内で「反省会」を行った。帰りに天満橋駅で館長好物の「ポンパドウル」のパンを買って帰った。4月の石の行事はこれで終り。
さぁ、5月から6月は石の行事が目白押しだ。 |
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4月26日(日)
神戸の鉱山 帝釈鉱山へ
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昔、神戸市内で最も盛んに銅を目的に稼行された鉱山である帝釈鉱山(廃坑)へ兵庫県立人と自然の博物館(ひと博)の行事で行く機会を得た。
館長の周囲では、かつて石友のIkさんが訪山したことがあるが、コレといったものが無いとの評価であった。他の関西の石友からもこの鉱山の名前を聞いたことがない(みんな知らない?)超マイナーな鉱山である。
西宮から新神戸駅、谷上駅経由で神戸電鉄の箕谷(みのたに)駅に集合。更にここからバスに乗って衝原(つくはら)でクルマ組と合流、ざっと20名程の参加者だ。参加者の中には大阪石友会のMさんのお顔が見えるが、後は知らない人ばかりだ。鉱物マニアは殆どいないようだ。
因みに、ここ衝原には室町時代後期に建てられた日本最古の民家「箱木千年家」がある。訪れる時間が無いので遠くからの写真撮影だけで我慢した。
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さて、この行事は「春の石めぐり」というだけあって鉱山で石を叩くだけが目的ではない。ハイキングをしながら途中の色々な地質現象を見学して行くのだ。
まず、有馬層群の凝灰岩を見学した後、有馬層群を不整合に覆う神戸層群を見る。更に断層で神戸層群に乗りかかった格好の有馬層群を観察した。
帝釈鉱山はこの有馬層群中に胚胎している鉱床を昭和30年代まで採掘したのだそうだ。
鉱物マニアの欲しがる珍しい鉱物は全くと言って良い程無く、見つかる鉱物も黄銅鉱と黄鉄鉱くらいであった。青や緑の二次鉱物は殆ど見られない。
館長は銅藍らしきものを1個と銅アロフェンらしきものを採集した程度であった。参加者の中には紫石英を採集した方も居たようだ。
本日は採集の成果は殆ど無かったが念願の貴重な神戸の鉱山跡を訪れ、様々な地質現象を直接見られたことは良かったと思う。ご案内頂いた「ひと博」の先生方に感謝したい。 |
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4月25日(土)
今日から「大阪ショー」
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日本のミネラルショーの2009年の幕開けは大阪ショーである。
大阪ショーの会場である天満橋(OMMビル)は館長の生まれ故郷に近い。多少距離はあるが徒歩圏内と言って差し支えない。
さて、初日は雨模様であったが、オープン前から長い行列が出来ていた。館長の所属する大阪石友会も出店しており、ブースを手伝いながらのショー参加である。人出も多いが会場が広めなのでゆったりと石を見られる。
まず、無名会の大先輩であるTyさんのブースで神奈川県丹沢ザレノ沢の珪灰石とモンチセリ橄欖石、ベスブ石の混じった石を入手した。ここの珪灰石はいわゆる卓状結晶と言われる珍しいもので絶産ということもあってなかなかの珍品である。
他に初日の成果は滋賀県雄琴の「鳴石」だ。これもなかなかの珍品である。振るとよく音がする。更に今まで入手の機会のなかった広島県南生口鉱山のラベンダー石も目出度くゲット。
最近は標本を買うことも少なくなったが、今日は後述の正長石も含めてマズマズの成果であった。
本日の成果bPは大阪府長谷の正長石だろう。見事な母岩付きカルルスバット式双晶である。結晶の下部は母岩に埋もれているので正確なサイズは判らないが2cm以上は優にあるだろう。厚みもあって母岩とのバランスも良い。大阪府産鉱物であるので本来であれば館長自ら採集したいところであるが、まずヨシとしよう。
今日も多くの石人にお会い出来た。鉱物趣味の大先輩であるYsさん、Htさん、青谷の発見者である元石友会のYkさん。たいへん久しぶりなのは京都のYk君。十年以上は会っていないよな。
石友会のブースにも会員を始め、たいへん多くの方々が立ち寄って下さった。感謝である。さて、明日は採集だ。 |
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4月18日(土)
朱を求めて大阪府最高峰・金剛山麓へ! |
大阪府と奈良県に跨る金剛山中にある千早水銀鉱山跡へ向った。
館長は今回で二度目の訪山となる。鉱山跡と言っても台風や大水などで既にズリは流出している。総延長数kmあったと言われる坑道も判らない。その名残のズリ石が谷間に転石として転がっている。(写真上)
千早鉱山は太平洋戦争中、国策により採算度外視で水銀を掘っていた鉱山で、大昔は楠正成公の資金源といった説もあるが定かではない。
採算度外視というだけあって、たいへんな貧鉱である。大和水銀鉱山やイトムカ鉱山の真赤な辰砂を念頭に置くとまずボウズだろう。
母岩をほんのり染めている程度のモノだが、実際に掘ったのはもうちょっとマシなものだったのかもしれないが。
今日は石友Thさんをご案内したのだが、数年ぶりにも拘らず、迷うことなくズリ石が落ちているポイントに到着した。
この鉱山跡では辰砂の他、黒辰砂や鶏冠石も見つかっている。また極く稀に自然水銀もあったそうだ。館長の今日のターゲットは自然水銀である。幸いここ数日雨が降っていなかったので水量も少なめで助かった。
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ここの水銀鉱(辰砂)は超貧鉱の上に石を割ってもなかなか出てこない。石を割り続ける体力もさることながら、いつ出るとも判らないものをひたすら探し続ける根気が必要だ。欲だけ一人前で体力も根気も乏しくなった館長にはちょっと不向きな産地ではあるが・・・
そうこうする内にThさんが漸く1ブロック見つけられた。比較的広がりの大きい辰砂で案内人としては一安心。採集も終盤にかかってようやく館長も1個体発見。母岩がしまっている上、黒辰砂らしきものも伴っておりGoodである。後は持ち帰って双眼顕微鏡でのぞき、銀色の玉が見つかったらメッチャ嬉しいのだが・・・そうは問屋が卸さない。
今日は次の目的がある上、いつ出るともしれない超貧鉱探しにも少々飽きたので早めに下山した。
次に向ったのは「千早赤阪村立郷土資料館」だ(写真下)。
資料館の脇に正成公の生誕の場所がある。正成公は我が大阪府が生んだヒーローである。・・・といっても歴史の勉強をしに来たのではない。ここには戦後すぐにGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が撮影した鉱山の写真や、ある方が寄贈された千早鉱山の標本や資料があると以前伺っていたので見学に来た次第である。残念ながら本日は学芸員の方不在で見せて頂けなっかた。またいつの日かの再訪を願って館を後にした。 |
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4月12日(日)
日蘭国際親善
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今年は長崎県平戸にオランダ商館が開設され、また日本とオランダで正式に通商が始まって満400年となるそうで、その記念イベントが行われている。その一つ、昔の江戸参府※を再現しようとオランダと日本のウォーキング愛好者が各地で交流しながら平戸から東京まで約1,000Kmを歩く「江戸参府ビッグウォーク2009」が今、行われている。
※江戸参府(えどさんぷ)・・・江戸時代、日本貿易を許可されたオランダ商館長(カピタン)が将軍への拝謁、献上するために江戸へ上った。随行員の中にシーボルト等がいたことで知られる。
そのオランダ人のウォーカー3人の内の一人Jackさんが鉱物コレクターと言う事で協力依頼が舞い込み、縁あって館長が日本の砿物趣味を紹介する大役を仰せ付かった。日本の砿物趣味の中心である益富地学会館と鉱物のデパート、クリスタルワールドさんをご案内することとした。会館では館の展示をたどたどしい単語の羅列と言った方がよい超ブロークンイングリッシュで館長が説明した。理解いただけたかな?
3Fの案内をされていた館のスタッフであるYtさんと偶々会館へ来ていたお母さんと娘さんのNちゃんに日蘭友好にご協力頂いた。お三方に感謝である。
会館で1時間半ほど見学や交流をした後、烏丸通りを南下し、クリスタルワールドさんにお邪魔した。
Yh社長が英語ペラペラなのでたいへん助かった。またまた感謝、感謝である。新京極のお店では館長が日本産鉱物標本の説明をした。
Jackさんはここでマイクロマウント愛好者らしく二上山のザクロ石(金剛砂)と山口県川尻の沸石類を購入された。
・・・ということで館長生れて初めての国際親善は何とか無事に終了した。しかし、鉱物学用語や地質用語を英語で説明するのは難しいなぁ・・・と実感した一日であった。 |
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4月11日(土)
久々の岡山県山宝鉱山へ ズリの直登はキツイ!
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大阪石友会の一泊野外例会で久々に岡山の山宝鉱山を訪山した。
山宝鉱山は今回で3回目の訪山であるが、前2回がいずれも大雨で今回やっと晴天での採集となった。しかし、今日は夏みたいに暑い!うまく行かんもんですなぁ・・・
皆さんは一泊採集であるが、館長は翌日に予定がある為、1日目だけの参加である。
朝、6時過ぎに川西市内でKh会長、Nkさんと合流、先遣隊として一路、山宝鉱山へと向う。今回の訪山は採集だけが目的ではなく、館長にとってはもう一つ目的があるのだ。
高速料金1,000円の余波を懸念したが、ほぼ予定通り山宝鉱山近くに到着した。ここで主として岡山県の鉱物や化石を展示している「藤井鉱物化石館」を訪れる(写真上)。館主の藤井さんにご案内頂き館内を見せて頂く。館長は20年ぶりの訪問である。館内には山宝鉱山最盛期の標本や布賀の新鉱物などが多数展示されている。
館長がどうしても再会したかったのが山宝鉱山の磁鉄鉱の群晶だ。ソフトボールを大きくしたくらいのほぼ球形の標本で表面が特有の湾曲面をもった磁鉄鉱の1p程の結晶でイガイガ状に覆われている。館長垂涎の逸品である。
藤井鉱物化石館を見学させて頂いた後、いよいよ川向こうの山宝鉱山へ向う。下段のズリは山の中腹にある旧坑レベルから一気に山裾まで急勾配で流れ落ちている。館長、Khさん、NKさんの先遣隊3人はこのズリを直登することとした。急勾配の為、一歩上がって半歩落ちるの連続だ(写真中)。
また落石にも気を使わねばならずかなり神経が磨り減る。
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これといった石が見つからないまま鉄の扉で閉鎖された坑口前まで登りついた(写真下)。暫くすると今回お世話頂いた岡山のYさんに引率された本隊が到着し坑口前で合流した。本隊は鉱山道を登ってきたようだ。
ここからYさんのご案内で更に上段のズリへ向う。上段は古いズリで下段のズリに比べてずっと鉱石が多い。磁鉄鉱の他、ザクロ石や灰鉄輝石といったスカルン鉱物も見られる。結局、鉄ヘスチング閃石の参考品程度のものを採集したにとどまった。
一通り山宝鉱山での採集が終り、ここから明日訪山する小泉鉱山へ全員で下見しにいくこととなった。館長は明日は所用で参加できないので、せめて鉱山跡だけでも見ておきたい。
小泉鉱山は位置的に山宝鉱山の裏側にあたる。現地は木々が少なく、赤っぽい荒涼たる風景で日本離れしている。
ここは硫砒鉄鉱をひ押しして採掘していたそうで、ベイルドン石が見つかっているそうだ。見るだけでも一見の価値はあるが、館長も採集したい・・・!!
後ろ髪を引かれる思いで現地を後にして途中、津山駅で降ろして頂き、高速バスで帰阪した。 |
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4月4日(土)
陣容拡大
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益富地学会館の運営委員会で上洛した。今期から運営委員が大増強された。館長の石友KyさんやMtさんも加わり強力なサポート陣となった。
イベントも「石のフリーマーケット」、「鉱物基礎講座」、「石ふしぎゼミ」が新しく加わった。
フリーマーケットはWyさんと館長が”言いだしっぺ”で館長が命名者、基礎講座は館長がFtさんに世間話の中で提案したことが発端、ゼミは第1回目に館長が登場・・・と何らかの格好で全部に係っている。責任重大やなぁ。 |
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3月30日(月)
初めての伊予路、愛媛県西条市・・・と言えば |
鉱物ファンなら市之川鉱山という答えが返ってくるだろう。
館長は今日、出張でここ伊予西条に降り立った。日帰り出張なので、残念ながら世界の市之川鉱山へ行く時間は無いし、あいにく月曜日なので輝安鉱が鎮座している西条市立郷土博物館も本日は休館日だ。
実に残念な出張であるが、今回は愛媛へ来たことに意義がある。
以前、日記に書いた?と思うが、47都道府県で館長がまだ足を踏み入れたことのない2県のうちの一つが愛媛県だ。さぁ、これで残すはあと1県のみ。只、これがチョット難関だ。(遠い!)
まぁ、第二の人生の楽しみに残しておこう。
折角来たのだから、伊予西条駅から市之川の方面に向って記念撮影!次はビジネスバッグをリュックに変えて、必ず戻るぞ! |
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3月28日(土)
好天に恵まれ、大阪府南部で鉱物採集 |
本日は石友のThさんを光明池へご案内した。30年ぶりの大規模な水抜きももうあとわずか・・・。事前の情報でもだいぶ水位が上がっているとの事であったが、来てビックリ!もう殆ど満水状態ではないかと思うほどであった。当然ながら長靴程度ではとても岸伝いにはポイントへは行けない。仕方が無いのでThさんには申しわけなかったが、僅かに残った岸辺で鬼板(褐鉄鉱が板状に固まったもの、いわば板状の高師小僧)の採集を行った。やはり高師小僧の産出は局部的のようだ。
以前、ここへご案内頂いた方から別の場所にも高師小僧があるということ言われたのを思い出したので、ダメモトでそちらへ向う。
幸い、そこでは高師小僧を含む層がまだ水面の上に出ていた。採集だけではなく垂直の状態で高師小僧の産出状態を直接見ることが出来た。鳴石らしいものも採集出来たことは成果であった。
丁度、散歩に来ておられた地元の方とお話する機会があり、満水時にはこの露頭も水面下だそうだ。最後のチャンスかもしれなかった訳でラッキーであったと言えるだろう。次の水抜きの頃は館長は90歳近いなぁ・・・。
光明池に別れを告げて次の場所へ向う。二上山麓の柘榴石(金剛砂)採集であるが、今日は館長の秘密のポイントにご案内した。人が来た様子は無いが、数年ぶりに来てみると金剛砂はすっかり無くなっており環境は激変していた。もう一ヶ所のポイントではなんとか採集出来たのでThさんにも一応ご満足いただけたかと思う。 |
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3月21日(土)
西宮市貝類館を訪問 |
館長の地元に近い西宮の浜にある「西宮市貝類館」を訪れた。
マリナパークという「億ション」や有名な「西宮ヨットハーバー」などもある海岸にある新興住宅街だ。広々して気持ちが良い。
貝類館の建物はヨットの帆をイメージした綺麗な建物で安藤忠雄氏の設計によるものだそうだ。櫻井欽一先生の貝類の先生でもあり、我国を代表する貝類学者であった黒田徳米博士(1886−1987)の遺されたコレクションがメインコレクションである。化石の展示もあった。
・・・といっても館長が貝類のコレクションを始めたわけではない。当館の研究員であるOkさんは元大阪石友会の創立会員なのでご挨拶にお邪魔したのだ。ご研究されている貝の話や昔の石友会の逸話も聞けてたいへん楽しかった。 |
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3月20日(金・祝)
鉱物調査 |
待ちに待った三連休だが、昨日から雨が降り続いている。しかし、家を出る頃には止んでくれた。先週のマンガン鉱山調査といい、イザという時に雨が上がってくれる。「心がけがエエからや!」と言いたいところだが・・・あまり自信は無い。
石友のOさんと待ち合わせ、近畿の某産地に向ったが今日は産出地点の確認だけに終わる。下山後、Oさんとランチをしながら情報交換させて頂く。 |
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3月14日(土)
雨の中、北摂のマンガン鉱床へ |
天気予報では前日には雨があがって、今日は曇り空の筈だが雨脚は一向に弱まらない。ヨメには「流石!雨男!」と言われたが、ホンマにそうかもしれないなぁ・・・
しかし、本日の採集は雨天決行である。ターゲットは北摂のマンガン鉱山の小和田鉱山跡と豊能鉱山跡である。産出鉱物もよく似ているが前者は京都府寄り、後者は兵庫県寄りで結構距離は離れている。
能勢のショッピングセンターで石友のThさん、本日の案内人でもあるMtさん親子と合流し、一路、小和田鉱山へと向う。
小和田鉱山は館長初訪山であるが、以前から関心をもっていた鉱山である。鉱山跡を偲ばせるものは崩落した坑口や石垣だけだが規模は思っていた以上に大きく、ロードン石やテフロ石、ギラ鉱(アフテンスク鉱?)などが見られた。
幸いなことに途中で雨もやみ、陽も射してきた。小和田鉱山での採集を終えた後、もう一ヶ所の豊能鉱山へ向う。豊能鉱山は二回目の訪山であるが、近年、幻であった緑マンの再発見や大阪府初産のバスタム石が見つかっており今回再挑戦となった。鉱山跡はかなり広く、割る石も多いが、岩石が多くマンガンを含む石は案外少ない。
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結局、緑マンもバスタム石も見つからなかったが、Mtさんがアラバンド鉱の良品を発見、館長とThさんがお裾分けを頂いた。雪もちらつきだした為、15時半頃には下山を開始、現地でTmさん親子と別れた。案内頂いたTmさん親子に感謝!館長は川西市内でThさんとお別れし、帰宅するのであったが、今日はもう一つ大事なことがあったのだ。
そう!3月14日は「ホワイトデー」なのだ。デパートのチョコレート売り場でベルギーのちょっと高目のチョコを買った。
重たそうな(マンガン鉱で本当に重たかった!)リュックを担いでゴム長を持ったオッサンが高級チョコを買う姿は店員さんにはどのように映ったのであろうか・・・。 |
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3月8日(日)
石の花 |
昨日に引き続いて益富地学会館へ。今日はOaさんの「石の花」だ。今回の特集はは館長の好物の”錫石”。行者山”全盛期”の綺麗な結晶やズシリと重い標本、一世風靡した繁恵坑の礫錫の大きなものなど多数。いずれも今では入手困難な昔の標本だ。他には田上新免の五連晶美晶、宮崎県鹿川の美晶、山口県喜和田の双晶などが出品された。他にも足尾の燐灰石や藍鉄鉱単晶、様似の自然水銀などの銘柄標本もあった。
その中で館長イチオシは別子鉱山の安四面銅鉱だ。キースラガーの表面に光輝に富む結晶が付いている。”アンシメン”大好きの館長はこの別子のものが最も美しいと思っている。但し、流石に高価な標本だけに皆さんの触手が伸びるところまでは行かないようだ。
さて、館長も「何か無いかなぁ・・・」と見ていると眼に飛び込んだのが岐阜県恵比寿鉱山のランタンモナズ石だ。モナズ石は比較的産出の多い鉱物だが、La>Ceの本鉱はかなり稀なもので、本邦では恵比寿鉱山だけで見つかっている。これはゲットした。因みに同じモナズ石の仲間でNdに富むものもあるそうだ |
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2月7日(土)
上洛 |
益富地学会館の運営委員会で上洛。今月末の瀬戸内地学巡検は人気が高く、三日間で満席となったそうだ。館長も行きたかったなぁ・・・。
運営委員会では平成21年度の活動計画を審議したが、かなり盛り沢山の内容だ。新しい試みもあり、皆さんお楽しみに・・・ |
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2月28日(土)
再び”光明池”へ |
昨年に引き続き和泉市の光明池を訪れた。今回は岸和田市の「きしわだ自然資料館」の調査に同行させて頂いた。調査団の目的は大阪層群中の第四期の化石研究であるが、館長は化石の方はサッパリで何か鉱物らしきものは無いかなぁ・・・という目的?であった。
光明池は灌漑用の人工池で普段は満々と水を湛えているのだが、昨年より30年ぶりの水抜きがあり、地層の観察が出来るようになったのだ。しかし昨年に比べるとかなり水位は上がっており残された時間は少なくなってきた。館長はもっぱら高師小僧の採集が中心であり、前回に比べると眼が慣れてきたのかマシなものが採集出来た。
途中から館長の石友でもあり資料館の専門員でもあるTsさんが合流され、しばし石談に花が咲いた。今日は天候にも恵まれ楽しい一日となった。 |
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館長採集の高師小僧 |
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2月22日(日)
久々の石友会室内例会 |
石友会の室内例会が大阪長居の自然史博物館で行われた。
お昼前に役員会を済ませ、13時から例会が始まった。本日の参加者は21名。
春の一泊採集や個人活動の報告が行われ、館長は50周年記念誌の進捗状況など報告した。そして最後はお楽しみの「万華鏡配布」である。
僚会では既に行われているが、今回から提供者により標本の説明を行うこととした。館長は参考品程度であるが、恐山のハウエル鉱や足尾鉱山の曲面黄鉄鉱、日立鉱山の菫青石、福岡県山田の異極鉱などを提供した。頂き物は京都府柿花の桜石だ。今回のものは母岩の風化がやや進んでいるものの、それとともに桜石本体の雲母化も進み、ほんのりピンク色に染まった名前の通りの桜石である。 |
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例会のお楽しみ・万華鏡頒布 |
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2月15日(日)
2009年初採集は長谷で |
今年最初の採集は奈良鉱物研究会の例会(新年会)だ。
場所は昨年末の大阪石友会納会と同じく大阪府でも殆ど兵庫県境に近い大阪府能勢の長谷である。昔は「寒天」が名産品であったほどの寒冷の地だ。従来、奈良鉱物の新年会は京都の「フローライト」で昼食の後、近場の産地を廻るのが常であったが、今年は"大阪石友会流"の山中での鍋パーティーとなった。
本日は "鍋奉行"として石友会のKh会長とNkさんが特別参加だ。
他には兵庫県下の某中学校の理科クラブの生徒数人が本会の会員でもある先生の引率のもと、クラブ活動の一環でで参加し総勢33名の本会始まって以来の大型例会となった。
朝、館長達のグループは兵庫県川西市内某所に集合した。
集まったメンバーには奈良鉱物の理事であるTh1さんを始め、Wyさん、Niさん、Kt嬢、Ym嬢、Ak君など大阪石友会メンバーも多い。途中のショッピングセンターで別の場所から出発したグループや中学生グループと合流し、長谷には11時過ぎに到着した。一昨日すごい雨が降ったのでコンディションを心配したが、地面も乾いて上々であった。只、今日は気温が高い。とてもセーターは着ていられない。
産地に着くと既に”鍋奉行”お二方は準備の真っ最中、いつもながらこの献身的且つ用意周到な準備、プロ顔負けの手際の良さ、料理の旨さには頭が下がる。感謝、感謝である。
採集の様子は昨年の石友会納会とほぼ同じなので割愛するが、凝灰岩(以前は石英斑岩と言われていた)中の正長石や高温石英の斑晶の採集である。館長はいつもながらお喋りばかりである。不幸にして館長のお喋りの相手をさせられた方々にはお詫び申し上げる。
参加者の中には3cmという大物を採集された方も居られた。
心づくしの鍋を堪能しつつ和気あいあいの中で、15時頃には下山を始めて帰途につき、17時には無事集合場所に到着した。
さぁ、また明日から仕事や!今週は長いなぁ・・・。 |
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風化した凝灰岩から分離結晶の採集 |
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名鍋奉行!の特別参加 |
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2月8日(日)
石友来訪 |
今日は久方ぶりに石友を拙宅にお迎えした。この度目出度く2級鑑定士の認定を受けられたWyさんだ。滋賀県より京都、大阪2府を越えての遠路お越し頂いた。約3時間、館長秘蔵?のコレクションを見て頂いたり、石談に花を咲かせたりと楽しい時間を過ごさせて頂いた。遠路お疲れ様でした! |
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1月27日(火)
ペグマタイト誌より 笠取鉱山 |
Tmさん編集のペグマタイト誌が届いた。その中に京都府笠取鉱山の記事があったので興味深く拝読した。
笠取鉱山は宇治茶で有名な京都府南部の宇治にあり、かつて重晶石を採掘した鉱山だ。坑内でみられた「山真珠」と呼ばれた綺麗なアロフェンの話である。
館長はこの「山真珠」には縁が無かったが、大昔、笠取鉱山を訪山したことがあった。
恐らく中学生〜高校生時分だったと思う。中学校の理科室にあった実験用鉱物にこの笠取鉱山の重晶石があって、標本の整理をしたご褒美に先生から1個頂いた。木下亀城先生の「続原色鉱石図鑑」に載っていたり、ベテランマニアの話によく出てくる名著、六月社の「京都の自然」に笠取鉱山が紹介されていたこともあり現地へ行ってみた。
当時、鉱山は既に閉山状態であったが、まだ廃墟となった事務所が残っており、その横には沢山のボーリングコアが箱に入って積まれていた。また、貯鉱場のように重晶石が散らばっている場所があって数個採集して帰った思い出がある。その頃は結晶しているものを探すというような考えも働かず何でも良いから持って帰ったのだ。
北海道や東北の鉱山モノのような立派な結晶ではなく、何の変哲もない灰色の塊であった。ペグマタイト誌によれば西日本唯一の貴重な重晶石の鉱山であったそうだ。採集もそうだが、もっといろいろ鉱山の周りやら産状やら観察すべきだったと今となっては大いに後悔している。 |
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鉱山稼行時の坑口と貯鉱場の貴重な写真 |
「わが国の工業原料鉱物」(地質調査所編集 実業広報社刊 昭和40年)より |
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1月26日(月)
所究研學科物鑛 ? |
組標本を1個入手した。小型のもので蓋の文字は珍しく右から左に書かれている。表面には生野鉱山の写真があしらわれている。年代ははっきりと判らない。恐らく戦前のものと思うが、少々疑問の点もあるので更なる調査が必要だ。
収められている標本は20種で長石、雲母、方解石など一般的なものばかりで鉱物名と用途が書かれ産地の記載もない。廉価なものと思われるので、生徒の教材で配られた可能性もある。脱脂綿の敷き方が特徴的で、数社にのみ見られるやり方なので、OEMなのかもしれない。
発売元は「鑛物科學研究所」と読むのだが大阪の業者のようだ。
コレクターにはお馴染の現代の「鉱物科学研究所さん」とは違う。
明治から昭和初期(戦前)にかけて金石舎や長島乙吉先生など数軒の大手標本商がマーケットシェアの多くを占めていた東京に比べて、大手の少ない大阪は記録に残っていない中小の標本商がひしめき合っていたようだ。この東西の違いは興味深い。 |
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1月25日(日)
新年恒例!益富地学会館「石を楽しむ新春交流会」 |
日曜日だというのに早朝5:00起きである。今日は新年恒例の益富地学会館の新春交流会であるが、9時までに京都の「みやこメッセ」に行かねばならない。阪急、大阪市営地下鉄、京阪と乗り継いで約2時間、ちょっとした旅行だ。
普段であればもっと遅くてよいのだが、今日は"標本出展者"としての参加である。少々考えがあって標本の整理をしており、初めて即売に参加することとなった。
会場には1時間以上前に着いたが、既に数人の方が来られ、会場の設営が始まっていた。館長も設営を手伝い、終わると店開きの準備だ。「全然売れんかったらちょっとカッコつかんなぁ・・・」と心配しながら標本を並べる。結構マニアックであまりマニアが欲しがらないような標本ばかりだ。
10時になっていよいよ開場。館長のお隣はマンガンのTmさん、反対側の隣には無名会のTkさんとTyさんのお二人が陣取られている。
参加者が増えるに従って標本の方はボチボチ売れ出して、一応本日の目標は達成した。但し、館長が売れてほしかった標本はあまり売れず、痛し痒しという感じだ。今回は店の「看板標本」として尾平鉱山の硫砒鉄鉱柱状結晶群(水晶付き!)や同じく尾平ハジカミ谷のピンクとグリーンの蛍石、豊栄鉱山の日本式双晶も並べた。皆さんの評価は高かったもののやはり高価なのか売れなかった。
一方、購入の方だが、神奈川県丹沢ザレノ沢のモンチセリ橄欖石をまず購入した。約2cmの立派な結晶集合体だ。橄欖石グループでは比較的稀な鉱物で、この産地は戦前に山崩れで偶然見つかり、当時櫻井欽一先生達が通われたそうだ。この標本はまだ産地が健在であった昭和30年頃に採集されたもので現在では産地も幻化しているそうだ。
それと布賀で見つかった新産鉱物ザレシ石を購入させてもらった。CaとYを含むCuの砒酸塩鉱物だ。
大阪府産の鉱物は今回も少なく、豊能鉱山のガラクス石(マンガンスピネル)を購入した。今回はこの3点で終了した。
会場には本日も多くの石友が来られた。大阪石友会のメンバーも多く、館長同様出店されていたKh会長の他Kt副会長ご夫妻、館長の売上に協力頂いたWyさんとOhさん、そしてKt嬢、Yh嬢など多数、更に奈良鉱物研究会のMamaちゃんやTh1さん、Th2さん。岸和田のTsさんとは和泉の鉱物で情報交換させて頂いた。また採集にご一緒させて下さい!
遠方からの参加は東京の無名会のK2さん、Syさん、鉱物同志会のYtさん、また遠路福岡から石の会のHkさんとWt先生も来られた。
館長の"店"に松原先生が来られたので、以前、福岡県河東鉱山で採集した標本を鑑定頂いたが、残念ながら宗像石の可能性は低いとの事で少々残念。
"店"は一応13時で店じまいとなり加藤昭先生や松原聰先生の講演を拝聴する。交流会は17時頃に終了し、急いで店仕舞いした後、会場の撤収作業を手伝い「みやこメッセ」を後にする。
しかし今日はこれで終わらない。この後、場所を移して有志による懇親会が催された。昨年は都合で参加できなかったので館長は今回初参加である。今回は石友のOmさんの「櫻井賞受賞記念祝賀会」でもあり、主賓であるOmさんOaさんご夫妻、Ysさん、Tmさん、Oaさん、Ftさん、Htさん、Nkさん、Thさん、Ihさん、Kyさん、Tkさんなど関西の主だった鉱物趣味家の他、遥々九州、岡山や関東からも参加され30名という賑やかな会になった。館長としては6月の新宿ミーティングと共に楽しみが増えた。
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↑ 即売会風景 |
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↑ 新鉱物などの展示 |
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↑ 講演会 |
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↑ 懇親会の開宴前 |
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櫻井賞受賞のOmさんと奥様、幹事の皆さん
おつかれさまでした! |
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懇親会のお楽しみはお酒と石の話だけではない。イベントとしてビンゴゲームが用意されている。参加者が持ち寄った自慢の標本をビンゴで獲得していくという趣向だが、甲武信鉱山の灰重石や金平鉱山の紫水晶等なかなか立派な標本が多い。館長のはどうみても他と比べて見劣りするのでちょっと恥ずかしい。
館長はビンゴに弱く、今まで良い思いをしていないだけにリーチすらなかなか出来ない。ようやく10番目くらいに目出度く「ビンゴ!」となり、商品を選ばせて頂いた。獲得したのはStさんご提供の京都府仏性寺鉱山の輝水鉛鉱だ。輝水鉛鉱では平瀬鉱山共々銘柄標本で前から欲しかった標本だけに嬉しい。20時頃に中締めがあり、館長は京都から遠方ということもあり、一足先に失礼させて頂いた。
最後に館長の標本をお買い求め頂いた皆様に心より感謝申し上げます。また次回出店の節は宜しくお願い致します。 |
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1月10日(土)
2009年鉱物趣味のスタート |
いよいよ2009年の鉱物趣味のスタートである。今日は今年初の運営委員会と会館の新年会で上洛した。ちょっと早めに着いたが丁度3Fで展示説明会があったので拝聴した。今月から展示の始まったHaさんの「すとーんずグルメ紀行」の解説である。いろいろな形状の石を食べ物に見立てた楽しい企画である。串だんごや杏仁豆腐、キャラメル、和菓子、アイスキャンデーなど実に美味しそうな石であった。
月例の運営委員会の後、夕刻より新京極近くのお店で理事や各委員会の委員、会館関係者の方々が多数集まり新年会が始まった。鍋料理をメインとしたコースで同好の方々との石談で時間があっという間に過ぎた。
宴の中締めの中でOaさんから大阪石友会や奈良鉱物研究会でもご一緒している滋賀のWyさんが目出度く初の2級鉱物鑑定士に認定されたことがご披露された。おめでとうございます。 |
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1月1日(木・祝)
謹賀新年 |
皆様、あけましておめでとうございます。
早いものでこの日記を始めて足掛け5年目に入りました。最近では、「楽しみにしています」との嬉しいお言葉や更新をサボると同好の方から催促を頂くなど、私にとって遣り甲斐のある活動になっております。
おおもとのホームページの方は更新もとんとご無沙汰しています。ネタが無いわけではないのですが・・・。HP維持の難しさを痛感しています。 |
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昨年から考えていたのですが、出来れば今年、サイトのリニューアルを行おうと考えております。元々はコアな日本産鉱物マニア向けに出発したのですが、コンテンツの拡大と共にポリシーがぼやけて参りました。
そこで思い切って原点に戻そうと思います。コンテンツを大幅に減らして日本産鉱物のコレクター向け精選標本の掲載とこの日記を柱としたサイトに特化しようかと思っています。日記のブログ化も検討課題の一つです。
最後になりましたが、2009年が読者の皆様方や鉱物を愛する皆様にとって素晴らしい年となりますことをお祈り申し上げます。
それでは日記に戻ります。 |
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