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館長の「石漬け」の日々をご紹介して参ります。鉱物採集に行ったこと、ミネラルショーや即売会に行ったこと、同好会の例会に参加したこと、館長の財産である石友の皆さんとの交流、普段の生活での何気ない鉱物との出会い、そして石にまつわるニュース的なことを書き綴って参ります。 |
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2007年12月29日(土)〜31日(月)
年末雑感 − 忘れたい2007年を終えるにあたって
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昨日28日が仕事納めで今日から正月休みだ。特に石の話題はないのだが、29日に”きしわだ自然資料館”学芸員のHさんが遠路お忙しい中、拙宅まで特別展の出展標本返却に来て頂いた。ついでに色々情報交換をさせて頂いた。
今回の特別展を機に泉州の鉱物を文献等で調べてみると案外面白い。来年度は地味ではあるが、泉州地方の大阪層群や和泉層群の鉱物を調べてみようと思う。何せ、ドーソン石やアルモヒドロカルサイトを出した地域だ、エッと思うものが出ないとも限らないし・・・。
また、返却された標本を整理する中で柏原市青谷の緑簾石結晶の表面に細かな無色針状の結晶が散在しているのに気が付いた。ギリギリ分析出来そうな量なので、来年はチャレンジしてみよう。
しかし、私の友人もご自身のHPに書いておられたが、館長にとっても2007年は公私共に決して良い年とは云えなかった。3月に全く予期せぬ「転勤」という強力なパンチをいきなり喰らった。仕事も気に入ってたし、関東での鉱物趣味も石友の皆さんのお陰で順調であっただけにそのショックは大きく珍しく体調を崩してしまい、点滴を受けながらの独りきりの引越し作業はホント辛かった。
関西へ帰ったら今度はサブプライムローンの余波を受けた株価の”大”下落だ。お陰でコレクション拡充ののシナリオが脆くも崩れた。おまけにコレクションのヒットも無いし、ホンマ最悪や!2008年はもうちょっとマシな年になってほしいわ。最悪と言わないまでも無いことにしたい年ではあった。
さて、本年も「鑛物趣味の博物館(鑛物趣味のページ)」をご愛顧頂き、誠に有難うございました。
サイトの中身を広げすぎたことなどでメンテが追いつかなくなり、この日記主体のサイトになってしまいました。サイトは創るより維持することがずっと難しいことを痛感しております。実現出来るかどうか微妙ではありますが、見直しを図りたいと思います。
当サイトももうすぐ30万アクセスとなります。この延べ約30万の方々のご期待に沿えるよう努力致します。訪れて頂いた皆様及びご家族のご健康ご多幸そして”石運”をお祈りし、来る2008年も宜しくお願い致します。 |
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2007年12月23日(日)
久々の”石の花”で二上山麓の鉱物を入手。
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久々に上洛した。今日はOaさんの恒例の”石の花”だ。今回は奈良県二上山の砂鉱中の鉱物や生野鉱山の鉱物など。前者は十字になった十字石(当たり前の様だが十字になったものは案外無いのだ)やサファイアの母岩付き、砂金の混ざったジルコン、藍晶石、ルビー(厳密に言えばピンクサファイア)、そして珍しいところで空晶石を入手した。空晶石はOaさんもたった1個だけ採集出来たそうで偶然採れたものだろう。生野鉱山の鉱物は館長の収集対象であるので、特に関心をもって見た。生野鉱、櫻井鉱、蒼鉛、濃紅銀鉱、黄錫鉱、褐錫鉱、コバルト華、石膏、鉄重石、ホタル石などが出品されていた。館長は方解石の群晶を購入した。陣笠状でパッと見は神岡のものにソックリだ。Oaさんから生野鉱山の思い出話も聞いた。生野鉱山はガードが堅く入れてもらえなかったとの事。そういえば館長の石友も昔、高校のクラブ活動で生野鉱山へ行ったら断られて明延鉱山へ案内されたことがあったそうだ。昔から標本市場に出ている生野鉱山の鉱物そのものも少ないようだ。他には珍しいところで福岡市早良炭坑の塩化アンモン石を入手した。マニアチックな標本だが、ルーペで見るとなかなか綺麗だ。これは鉱物種というより幻となった”産地”で購入したという面がある。
今日も多くの石友とお会いした。会場には京都のベテランコレクターTmさんやIhさん、期待の若手Kt嬢、滋賀県のAsさん、大阪鉱物研究会のOm研究員、最近大阪の鉱物にハマリ気味?の石友会のThさんも来られ、石談義に花が咲いた。
今回の館長の目的はもう一つ資料収集があった。数年後に迫った大阪石友会50周年記念事業の為の資料収集である。戦前の「我等の鉱物」から昭和40年代の地学研究まで一通り眺めた。記念事業関係以外にも鉱物趣味史の上からも興味深い記事が沢山あり、もう一回精査しようと思う。
結局、本日は朝から閉館時間まで遊ばせてもらった。会館の皆さんと石友に感謝。 |
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2007年12月22日(土)
残念ながら・・・
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今日は「きしわだ自然資料館」の催しで和泉市へ地学観察に行く予定であったが、降水確率が高く中止になってしまった。大阪層群の綺麗な火山灰層が観察出来る筈だったのだが・・・残念。またの機会に。 |
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2007年12月20日(木)
夕刊に雲根志が・・・!
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帰宅して新聞(夕刊)を何気なく読むと飛び込んできたのが「木内石亭」の文字。恐竜や大阪石、ダイヤモンドなど”石”が紙面を飾ることは最近ではそう珍しいことではないが、流石に「木内石亭」は珍しい。「勝手に関西 世界遺産」という企画でNo.148まできているようだ。良い眼の付け所だ。
内容は簡単に言うと木内石亭が「東海道名所図会」に”名所”として紹介されたことから始まり、石友との交流、雲根志の出版、そして亡くなるまでを纏めた内容である。石亭フリークの館長から見ると一寸「?」という部分はあるが、石亭や江戸時代の玩石趣味を初めて知る人向けには比較的うまく纏めてあると思う。 |
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2007年12月16日(日)
池袋ショー・益富地学会館スタッフの一日
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いよいよ関西へ帰る日だが、今日のメインは益富地学会館のお手伝いである。今回鉱物鑑定士試験の7・8・9級の講習会と試験があるのだが、その間益富地学会館のブースを担当することとなった。従って、午後はずっと会館のブースに居ることになるので、その前に、最後の買い物をすることにした。まだ売れていなかったので一昨日から目をつけていた珍しいノルベルグ石と希元素鉱物のフォーマン石を購入した。上田石と併せて今回3種入ったので当面の目標?の日本産900種までまた近づいた。種類集めはなかなか卒業出来ない。
昼前に会館のブースへ行くと京都から講師のOaさんが来られていた。
さて、ブース担当も結構忙しいのだ。単なる留守番ではなく商品を販売しなくてはいけない。今回は標本類が無かったのでだいぶ楽だった。標本があると一個一個丁寧に包まないといけない。数が纏まるとかなり時間がかかり、別のお客さんを待たせてしまう。標本について細かい解説を求められることもある。その点今回は皆さんが買っていかれるのは殆どがルーペと本だ。但し、ルーペの正しい使い方を知っている人は少なく、大半が「虫メガネ」のように考えておられる。それを一人ずつ使い方を指導していくのだ。やはり視野が広いので大きいタイプが良く売れる。
ブース担当をしていると色々な方が来られる。意外だったのは大阪の博物館のK先生が出張の途中寄って下さった。また、昨日勉強会でお会いしたOm先生や関鉱同のH会長、益富地学会館同好会のKt嬢が京都から、遥々九大の先生のお顔も見えた。その他色々な方々が声をかけて下さるので殆ど退屈しない。
夕刻、休日にも拘らず勤務先の同僚、Htさんが来てくれた。Htさんとは北関東地区の仕事でたいへんお世話になった。同じ関西人という事で親しくお付き合い頂いた。1時間程仕事のことや四方山話をして羽田空港経由空路神戸へと戻った。
夢のような楽しい三日間だった。明日から仕事かぁ・・・ちょっと気が重いな。 |
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2007年12月15日(土)
今日は充実の一日だ
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午前中は、ご招待を受けた東京都下にお住まいの同好のお宅へ。鉱物趣味歴50年のキャリアを誇る著名な超ベテラン鉱物コレクターである。初めてコレクションを拝見したが、中〜大型標本は展示ケースに綺麗に並べられ、質量共に素晴らしい。特にご専門の鉱山モノが充実しているが、圧巻は多数の標本棚に整然と収められた中〜小型標本だ。標本サイズはほぼ揃って、詳細なラベルが付いておりコレクションの条件は完備している。
標本の配列はDanaで、コレクター好みの単に珍しい標本や綺麗な標本だけでなくいろいろな産状を示す標本もコレクションされている。標本データは図書館のカード方式だ。鉱山地質の専門家という側面とベテランコレクターという側面の両方をもっておられる方ならではの素晴らしいコレクションだ。館長も標本管理には多少自信があったが、このコレクションには及ばない。たいへん勉強になった。本日はあまり時間が無かったので後ろ髪を引かれるようにお宅を後にした。また機会を頂いてゆっくりと拝見したいものだ。
次は表参道の青学会館で行われる地質学史懇話会の地学史勉強会(写真・下)に出席した。今回で4回目の出席となるが、今まではビジターとして参加させて頂いていた。今回から「地質学史懇話会」に正式に入会させて頂いた。勉強会にはいつもお世話になっている無名会の石友Hkさんの他Ym先生、Om先生、Yt先生、Sy先生等お馴染みの先生方が多数来られ、大森昌衛先生のお顔も見える。
今回のテーマは元地調の鈴木先生による「20世紀における造構運動論の展開」だ。19世紀前半の隆起説から後半の収縮説、20世紀以降の有名なプレートテクトニクス論と地球深部に及ぶプレートテクトニクス批判論等展開された。「鉱物屋」の館長にはかなり難しいテーマではあった。しかしこのあたりの話が理解出来ると鉱物ももっとよく判るんだろうなぁ。
勉強会終了後、皆さんにお別れして表参道から池袋に向った。今夜は関東鉱物同好会の忘年会だ。この忘年会は毎年池袋ショーの時に行われており館長は初参加となる。会場となったサンシャインシティー内のお店の本店がミシュランの二つ星となったそうだ。メニューは刺身、天ぷら、そしてメインは「しゃぶしゃぶ」であった。9名程の参加でTyさんやIgさん、Tsさんの他OさんやDさんもいらっしゃった。石関連の飲み会は楽しく、約2時間石談と料理で楽しませて頂いた。 |
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2007年12月14日(金)
今日から池袋ショー
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今日から年末恒例の池袋ショー(東京ミネラルショー)だ。
早朝、東京に到着、池袋のマクドナルドで2時間近く時間を潰す。
30分前に会場に着くともうかなりの行列が出来ていた。ノベルティーのカレンダーをもらう為に並び、無事ゲット。開場後すぐに大阪鉱物研究会のご意見番であるThさんのもとへ。挨拶を済ませ早速会場を廻る。
無名会のTyさんやTkさんのブース、TYさんやIgさん、Tsさんらの関鉱同のメンバーが中心になっているミネラルマーケットや小室宝飾(コムロ)さん、クリスタルワールドさん等日本産鉱物がありそうなブースを集中的に廻る。Tyさんでは巨大な串木野鉱山の方解石の蝶型双晶があった。ミネラルマーケットは昨年と同じく九州のHコレクションが多数出品されていた。
大型標本も多く流石の品揃えだ。コムロさんでは東北の金属鉱物が素晴らしい。特に尾去沢の菱マンが凄かったが1個は売れたとの事。
クリスタルワールドさんはすっかりお馴染みになった日本産鉱物の山積みになった標本だ。多数の標本の中から探すのだが、沢山の人だかりで中に入れなかった。
館長も何か買いたいのだがなかなか見つからない。その内、Haさんのブースを見落としているのに気が付いた。行くと、もうかなり売れていたのだが、運良く新鉱物・上田石が残っていた。花崗岩を何枚も切断してやっと見つけた標本との事だ。それから顔馴染みの大阪岸和田の群晶さんへ行くと今年は例年に比べて日本産鉱物が多かった。その中でポツンと置かれた黄鉄鉱の群晶に気が付いた。東北のものではないようだ。
Kt社長に「産地は?」と聞くと、返ってきた答えが「金平!」。これは買いだ。とにかく尾小屋鉱山関連の光り物が出ることはたいへん珍しい。群晶さんもこれがラスト1個とのことだった。
さて、今年の特別展は田上山と益富地学会館だ。前者は有名なN晶洞の鉱物が多数出品され、噂の日本最大級のトパーズ(写真・中)も展示された。6kgという超大物だ。色は褐色系で庇面式結晶が2個くっついたように見える。隣にはこれも初公開の大型のゲス板標本が展示されていた。雲母の結晶が実に見事。他には結晶面が均等に成長した理想形、しかも両錐の煙水晶や益富雲母などが展示されていた。益富地学会館のコーナーでは益富寿之助先生愛用のカメラやブック型標本、著作などを展示、益富先生の業績が紹介されていた。会館のコーナーには京都からFtさんとNa嬢が来られていた。
今日は昼休みを利用してかつての仕事仲間のKさんとN嬢が会場に立ち寄ってくれた。昼食をとりながら久々に思い出話に華が咲いた。今日は一日中会場をウロウロして終わった。結局入手したのは前出の2点だけだった。 |
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2007年12月8日(土)
河川敷の宴会と予定外の土器探し。早いもので石友会納会
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早いものでもう12月だ。館長にとって激動?の1年がまもなく終わる。今日は年末恒例の大阪石友会の納会である。今年の納会は木津川御幸橋での高師小僧採集だ。京阪電車の八幡市駅前に会員が集合し、一路木津川の河川敷に向う。心配された寒さもなく絶好の採集日和だ。超が付くほど”雨男”だった館長も最近はスッカリ雨男返上だ。
さて、本会の納会は”宴会”をしながらの石探しだ。関西圏以外の方には馴染みが薄いと思うが、木津川は関西では結構知られた高師小僧の産地である。木津川の河川敷はたいへん細かい白い砂で出来ている。まるで海辺に居るように感じる。因みにここから約1Km下流で宇治川、桂川と三川(さんせん)合流し、淀川となって大阪湾に注ぐ。
砂には小さな円礫も混じるが、礫と一緒にあまり大きくはないが「高師小僧」が落ちている。川流れの高師小僧なのだ。砂地を観察しながら歩いていると大きめの薄っぺらい石のようなものが所々で落ちている。なんとこれが古代の”土器片”だそうだ。元々館長も多少は興味のある世界なので、ひととき、高師小僧そっちのけで”土器片”探しを始めた。
当石友会には考古学の専門家であるMtさんがいらっしゃる。Mtさんにご指導いただきながら探すと須恵器片や土師器片、弥生式土器片らしいものも見つかった。この木津川流域には色々な時代の沢山の遺跡があって、そこから昔の遺物が木津川に流れ込んでいるそうだ。この河原だけでも古墳時代から鎌倉時代、室町時代、江戸時代まで見つかる。Ikさんはなんと古銭の宋銭を”採集”されたし、Khさんは昭和16年の十銭アルミ貨を”採集”された。館長は金目のものは拾えなかったが、土器の”採集”は生れて初めてなので一寸感動モノだった。
やがて昼食の用意が出来たので宴会タイムだ。各種のおつまみは勿論、メインディッシュの”うどんすき”や焼き鳥、焼き芋、フルーツまで用意され、至れり尽くせりの宴だ。石を拾って、美味に舌鼓をうって、同好と喋って、貴重な情報や標本を頂戴して・・・至福の時間はあっという間に過ぎた。
ここで一応、お開きなのであるが、対岸には更に高師小僧が多いとの事。まだ時間もあるので何人かの会員の方々とそちらに向うこととした。御幸橋まで一旦戻り凡そ30分かけて対岸に到着。ここの”砂浜”は更に広い。確かに先ほどの場所に比べて高師小僧は多いようだ。
また、高師小僧以外に館長にはある目的があったのだ。最初に書いたようにこの木津川が三川合流して大阪平野に入るのだが、千里丘陵の砂礫層の供給源はこの木津川と言われている。それを確かめたかったのである。千里丘陵で見られた”メノウ”や”ジャスパー”がここで見つかれば御の字なのだが、結局確実なものは見出せなかった。ただ、円礫などが千里の礫層中のものによく似ているのでやはり供給源というのは頷ける。16時頃現地解散して家路についた。さぁ、来週末から池袋ショーだ。 |
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写真上から
◆木津川の河原へ向う一行。とにかく広い。
◆高師小僧の産状。このように落ちている。
◆楽しいお食事会。 |
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2007年11月25日(日)
約40年ぶりの再訪・上井手旧坑と初めての多賀鉱山
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だいぶましになったがまだ風邪が癒えない。・・・というわけで体調はイマイチだが、今日は益富地学会館の巡検に参加した。
本日のターゲットは「マンガン」である。JR奈良線の玉水(たまみず)駅に総勢50人が集合。その中に”大阪石”の発見者である我が大阪鉱物研究会のOmさんのお顔もあった。久しぶりである。
他に石友会のThさんやTs君など。それ以外にはあまり知ったお顔は無いようだ。
今日のご案内は会館のFtさん、Na嬢、そして”満俺放浪記”で知られるマンガンといえばTmさんである。目的地は関西では有名な多賀鉱山ともう一ヶ所のマンガン旧坑(正式名不詳)である。
実は館長はマンガン鉱物が苦手である。理由は「堅い、難しい、(近畿では)結晶が少ない」である。しかし参加するにはそれなりの理由があるのだ。
玉水駅から一行は多賀鉱山を目指して進む。今日は秋晴れでしかも心配した寒さも和らいで爽やかだ。野外活動には絶好の一日だ。雨男の館長は最近数ヶ月天気に恵まれている。田園風景の中の平坦な道を約2Km進み、途中から南山城らしく竹林を通り谷筋の山道に入る。段々それらしい雰囲気が出てきた。その内、貯鉱場と思われる場所に到着した。多賀鉱山は戦前から戦後にかけて比較的盛大に採掘された鉱山で主要鉱石は「炭マン」である。確認されているマンガン鉱物はバラ輝石、菱マン、テフロ石、園石、アレガニー石、アラバンド鉱など豊富であるが、館長のターゲットはBe鉱物の「ヘルビン」だ。そのヘルビンを見つける為にはまず菱マンやバラ輝石を探さないといけない。マンガン鉱物の表面は酸化して真っ黒になっているので、黒い石を見つけて片っ端から割っていく。しかし結局ヘルビンは見つからず、50人居た採集者からも見つかったという声を聞かなかったので、やはりここではヘルビンは稀産鉱物のようだ。現場は比較的採集しやすい場所だが、木々が大きく育っているので薄暗く観察し辛いのが難点である。
昼食をはさんで13時半頃多賀鉱山を撤収して次の採集地へ向う。途中で「駒岩」という大きな岩(花崗岩)に馬の彫刻がされた場所があり、信仰の対象になっているそうだ。Tmさんによると、このあたりには昔有名な閃緑岩の採石場があって、昔の島津の組標本には入っていたとの事。そういえば、対岸に立派な石垣が見える。採石場のものだろうか?
かつて鉱脈の露頭があり、コベリン等を産したという大きな砕石場跡の崖を横に見ながら、玉川北岸の旧坑に到着。実はここは今を去る40年近く前に従兄のFm君と訪れた思い出の場所なのだ。当時の目印の石垣はまだあった。緩い斜面を少し登るとズリらしき場所に出た。ここで石を割るわけだが、Tmさんによると石はかなり少なくなっているそうだ。館長はもう掘る元気はあまり無くなっていたので、皆さんが採集されるのを眺めていた。ここのターゲットはアラバンド鉱とのことだが、Omさんが良品を採集された。それと先日金屋鉱山で採集した鉱物の分析結果をFtさんから伺った。結果だディッカイトとの事。かなり質の良いものだそうだが、珍しいものを期待していただけにちょっとガッカリ。
帰途、美人の代名詞「小野小町」のお墓があった。「えっ?何で京都に小野小町のお墓が?」と不思議な気がするが、後でインターネットで調べたら、色々な資料で小野小町は井出町で亡くなったと記されており、かなり信憑性は高いそうだ。鉱物採集は時には石以外の意外な出会いもあるものだ。 |
写真上から
◆玉水駅に集結した50人
◆多賀鉱山での採集。溝や地面を掘って採集。
◆”玉川北岸旧坑”での採集。鉱石はかなり少ない。40年前は石も新鮮で沢山あったと記憶している。
◆小野小町のお墓
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2007年11月18日(日)
無名会採集会 晩秋の信濃路採集行
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風邪とここ数週間の原因不明の右腕の痛みという厳しいコンディションの中、無名会採集会に参加すべく池袋駅前に来た。
今回の採集会は今までと違って途中まで高速バスを使い、そこからレンタカーで目的地へ行くプランである。今回の目的地は沸石の産地として名高い「手塚沢山湖」だ。
池袋に早目に着いたので時間調整の為にマクドナルドでコーヒーを飲んでいると世話人のTyさんとHkさんが来られた。更にK2さんと昨日会ったばかりのY2さん親子そしてTkさんも来られ7名集まった。実はこの7名が今回の総勢である。
一行を乗せた高速バスは一路、埼玉県、群馬県を通って長野県へ。途中の富岡では以前仕事で来たお客様もあって懐かしい。独特の姿を見せる妙義山が眼前に迫り、二ヶ月前に西牧鉱山採集で来た”葱”と”蒟蒻”の名産地、下仁田町を通って館長初めて地、上田市へと到着した(写真下)。至る所に真田家の家紋である六文銭がある。
ここでレンタカーに乗り換え、Tkさんの運転で一路、沢山湖へ向う。沢山湖の産地はダムへ通じる道を作った時の岩塊が積み重なった所があって、そこが採集場所だ。沢山湖で採集・・・と云う事でてっきり湖畔で採集するのかな、と思っていたらちょっと違っていた。ここの目的物は中沸石がメインだが、魚眼石や他の沸石類、ガイロル石も産する。岩が比較的軟らかいので多少はマシだが、それでも大きな岩は普通のハンマーでは手におえない。岩が積み重なっているので落石や浮き石に用心して斜面を登り、石を割る。しかし、昔Kさんに貰ったような大きな中沸石はなかなか顔を出してくれない。
結局、中沸石の良品とまでは云わないが多少ましな標本とK2さんからおすそ分け頂いた魚眼石だけが成果であった。採集が終り、産地からクルマを停めた場所へ戻る途中の岩壁のそこら中に小さな沸石が見える。どうやらこの一帯には普遍的に沸石が含まれているようだ。帰りはほぼ定刻通りに池袋へ戻った。 |
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2007年11月17日(土)
巨大黄鉄鉱との遭遇、そして神奈川県博へ
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2ヵ月ぶりの上京だ。今日はまず小室宝飾さんの即売会へ。早朝6時過ぎに高速バスで東京駅に着いてスグに白山のお店へ。ところがすでに先客が何人も・・・。結局館長は6番目であった。因みに1番乗りは我が従兄のFm君であった。今回の展示会の目玉は秩父鉱山の車骨鉱の大物、豊羽鉱山の自然銀の大物、尾去沢鉱山の綺麗なアメジスト、深沢鉱山の外国産みたいなピカピカの黄鉄鉱、松峰鉱山の砒四面銅鉱大型標本・・・等々
どれも欲しいのはヤマヤマだが、只今金欠病の館長はそのようなスター標本を避けて渋めの路線だ。まず、大きさだけはビックリの一辺9cmの小坂鉱山産巨大黄鉄鉱。六面体結晶だが、残念ながら結晶面は三面のみ。但し、他の部分は人工的な割れではなくナチュラルだ。館長がこれより大きな邦産の黄鉄鉱を見たのは今まで日鉱記念館の日立鉱山産くらいだ。因みに館長の収集の基準の一つは「自分が今まで見たことのないような標本」である。ついで、深沢鉱山の安四面銅鉱を入手。いわゆる「Small Cabinet」(5p〜10cm)と言われるサイズだが結晶が沢山付いており個々の結晶は本鉱とすれば大きめである。もう一つは神岡鉱。こちらもSmall
Cabinetサイズで今まで見た中では母岩サイズはかなり大きい方だ。今回の成績は残念ながら自己評価55点で及第点(60点)は取れず。
さて、今回出品の標本で、ある意味皆さんの関心の高かったのが鉱山を守る「山神(さんじん)」様だ。鉱山に祭ってあった鉱山の守り神だが、ちゃんと木製の「社(やしろ)」の中に鉱石の「山神様」が鎮座している。たいへんな珍品で売り物ではあるが、流石にこれは恐れ多くて買えなかったなぁ。
今日は次の予定が迫っていた為あまり長居できず、次の目的地へ。次の目的地は鉱物観察会が行われている小田原の神奈川県立生命の星・地球博物館(県博)だ。
今回は造岩鉱物の観察である。新宿から小田急の急行で約2時間かかって漸く県博へ。会場には観察会の常連の方々が十数人居られ、Y2さんなど無名会の会員も数人居られた。2時間ちょっとの短い時間であったが色々な造岩鉱物を観察したり、加藤先生に質問させて頂いたりで良い勉強になった。
帰りは久々に神保町の古書店街をのぞいた。特にコレといったものには巡り会わなかったが、理工学書の充実しているM書店で岸和田(大阪)の地質図を入手出来た。以前きしわだ自然資料館で見たもので、館長未見の大阪府産鉱物も記載してあるなど興味深い点があり、買おうと思っていたものだ。風邪気味であったのでこれ以上の寄り道はせずに都内の定宿へと向う。明日は採集会だ。天気は良さそうだが、体調が心配だ・・・・。 |
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2007年11月3日(土)
近畿地方の鉱物・・・
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益富地学会館の運営委員会で上洛した。秋の京都は実に爽やかだ。ちょっと早めに京都へ着いたので、まず新京極のクリスタルワールドさんへ立ち寄った後、益富地学会館へ向かう。
委員会までの時間、図書室で古い文献を閲覧した。昭和7年の日本鑛物趣味の会の名簿を見つけた。長島乙吉、櫻井欽一、岩本庄太郎氏等鉱物趣味界の大御所だけでなく、伊藤貞市、原田準平、早坂一郎、高壮吉、岡本要八郎、木下亀城、木村健二郎、加藤武夫、大内幹人、槙山次郎、上治寅次郎、松下進諸先生のビッグネームがズラリ!。すごいメンバーだったんですな。
3階の展示室では神岡鉱山のアマチュア鉱物展示(写真右)の他、近畿地方の「県の鉱物」を展示。委員会の後、その「県鉱」展示を前にOaさん、Imさん、Tmさんという超ベテランコレクターと鉱物談義に花が咲いた。櫻井鉱や滋賀石が世に出た経緯や行者山の巨大錫石発見の背景など普段聞けない話が聞けてたいへん面白かった。
また、先日金屋鉱山で採集した鉱物を見てもらった。熱水変質を受けた流紋岩中に散在する白色の四角い斑晶であるが、感じは「セリサイト」のようであるとの事だ。ちょっと面白そうなのでX線でチェックしていただくこととなった。トンデモナイものが出たらいいのだが。 |
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2007年10月27日(土)
ミネラルワールドへようこそ2007
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今月23日から始まった「きしわだ自然資料館」の特別展「ミネラルワールドへようこそ2007」を見学した。
館長は「大阪の鉱物」のコーナーを担当させてもらった。また、新鉱物のコーナーでは標本展示を一部協力し、東京石や轟石、長島石、鈴木石、長島石、櫻井鉱、岡山石、滋賀石などのタイプロカリティー他を出品した。
今回の呼び物の一つが「大阪石」である。大阪石の発見者であるOmさん提供の標本が展示された。大阪石は亜鉛の硫酸塩鉱物で微量の銅を含む為、淡青色を呈する。ナミュー石(Zn4SO4(OH)6・4H2O)より水が1分子多いのだが、これがすぐに抜けるようだ。但し、湿度の多い場所に置くと元の大阪石へ戻るという至極不安定な鉱物である。
また、大阪石友会のKhさんは「金」に関する展示を受け持っておられた。こちらも「力」の入った展示である。
一通り展示を拝見したが、近年館長の知る限りここまで徹底して色々な角度から鉱物にスポットをあてた展示会は珍しいと思う。一般の鉱物は勿論、雪の結晶や生体鉱物まで展示されている。博物館のスタッフの方々の創意工夫、熱意と努力の結晶で、まさに「力作」であり、鉱物ファン必見だと思う。また、会期中、鉱物の観察会も企画されているようである。館長のフィールドの大阪府の産地でもあるので可能であれば行ってみようと思う。
ついでに2階の常設展示場を見たが、前回気が付かなかったものがあった。和泉層群から出た「ナノナビス」という二枚貝の化石なのだが、見事に黄鉄鉱化していた。これも鉱物には違いないので「大阪府鉱物誌」に記録しよう。 |
写真上から
◆会場の様子
◆館長の展示「大阪の鉱物」 |
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2007年10月21日(日)
丹波市山南町 金屋鉱山跡へ地学ハイキング
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いよいよ絶好の採集シーズンになった。特に今日は快晴の上、涼しくて心地よい。最高の採集日和である。
本日は「兵庫県立人と自然の博物館」(長いので以後は”ひと博”)の行事である。兵庫県丹波市山南町にある金屋鉱山跡と珍しい二次噴気孔を巡るコースである。採集というよりは「地学ハイキング」だ。
金屋鉱山はいわゆる「ろう石」を掘っていた鉱山であるが、館長の目的は「ろう石」だけでは面白くないので、「ろう石」の中に未知の鉱物を見つけることである。但し、「ろう石」といっても当地はパイロフィライトではなくカオリンだそうだ。
駅前に恐竜のモニュメントがあるJR福知山線の谷川駅に集合した。(写真1番目)今日は特に鉱物採集だけが目的ではないので、途中で篠山川の河岸段丘や麓屑面(ろくせつめん)を観察しながら一路金屋鉱山へ向かう。途中でご案内の”ひと博”の先山先生から「あれが金屋鉱山です」と説明を受けた。
その時の館長は「エッ?どれ?エッ!あれが鉱山?エッ!メッチャ遠いやん!あこまで行くのん?!・・・」と心の中で叫んだ。鉱山は遥か彼方の山の上に見えているのだ。(写真2番目)急に足取りが重くなったが進むしかないのでとにかく歩く。
途中で重要文化財の「十三塚」など見学しながら山道に入る。ひたすら登ってようやく目印の送電線鉄塔まで到達し小休止。ここまで来ると鉱山跡と同じレベルで目前に迫っている。(写真3番目)尾根道を進むと鉱山の崖の上に出て、今度は急な下りになる。下りは嬉しいが帰りは当然ながら登りになるので少々憂鬱。そして漸く鉱山跡の広場に出た。ここまでで駅から約2時間だ。よう歩いたわ・・・。
鉱山跡は三方が崖になった露天掘りだ。(写真4番目)
戦前から昭和50年代まで採掘されていたとの事で時代を感じさせるトラックやブルドーザーが放置されている。ここの鉱石は石英に混ざったカオリナイトであるが、粘土鉱物のカオリンを想像していると、アレッと思う外観だ。どう見ても不純な石英にしか見えない。外観も透明度の高いものから低いもの、色も白いものから黒っぽいものまで様々である。カオリンの含有度合いも違うようだ。透明度の高いものほどカオリンの含有度が高いそうである。ここの「ロウ石」は耐火煉瓦やタイル、陶磁器に使われていたそうだ。
採集に入る前に先山先生から説明があったが、この鉱山の見所はカオリナイトの崖もさることながら、カオリナイトの崖に貫入した見事な安山岩の岩脈が”名物”なのだ。松の木がだいぶ成長した為、昔のようには見えないが下から上に向かって岩脈が一直線に伸びているのは実に壮観である。これは一見の価値があると思う。(写真5番目 右端の黒っぽい部分が岩脈の一部)
先生の説明の後、昼食をとりながら採集を行う。今回の一行には鉱物マニアは殆ど居ないようでルーペ持参は案内の先生を除けば館長くらいであった。館長はルーペを除きながら、何か面白いものは無いか探す。ろう石を含む石英の小さな晶洞を丹念に探すと微細な結晶が見られた。明らかに水晶ではない、また当地で稀に見つかるという明礬石とも違うコロッとした無色の結晶だ。また、凝灰岩が熱水による変質を受けた岩石を割ると四角い輪郭をもった白い鉱物が散在した石を採集した。ルーペで観察すると内部は均質でなく如何にも変質物という感じである。長石が変質して粘土鉱物になった、いわゆる「仮晶」という感じだ。余り珍しいものではなさそうだ。また、折角だから「ロウ石」のサンプルを1個採集した。さて、ラベルに何て書こうかな。やはりカオリナイトと書くべきか・・・。
金屋鉱山での採集も終り、次の目的地に向かう。次は「二次噴気孔」だ。当然ながら下山は実に楽だ。十三塚まで戻り、噴気孔への道を進む。途中で道を外れ、川床に降りるとそこが現場だ。初めて見た噴気孔はちょっとした感動モノだった。川床の岩の表面に直径10cm位の球顆の様な円形の噴気孔が並んでいる。(写真6番目)大きさが揃っていて、しかも整然と並んでいるのだ。噴気孔は火山灰が固まった後、内部で溜まったガスが一気に噴き出した跡で噴気孔の中も同質の岩石(凝灰岩)で充填されている。断面は筒状になっているようだ。天然記念物クラスのもので、然るべき保護をしてもらいたいものだ。帰りの列車の時間の関係(1時間に1本)で噴気孔の観察を早々に切り上げ、谷川駅に戻った。列車を待つ間に、土産として丹波地方らしく「黒豆チーズケーキ」と「松茸と昆布の佃煮」を買い求め家路に着いた。天候にも恵まれ実に楽しい一日であった。 |
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2007年10月15日(月)
ニッポン近代化遺産
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先日、地学史勉強会のMLでYtさんから、あるテレビ番組の紹介を頂いた。今日がその放送日であった。
NHK教育テレビの「ニッポン近代化遺産」の第3回目で「閉ざされた銅の山、忘れられた島―別子銅山、四阪島」というテーマであった。
四国の山中にひっそりと眠る日本三大銅山の一つであり住友発祥の地、大鉱山・別子銅山の跡、瀬戸内海の無人島・四阪島に残された今でも稼動しそうな精錬所跡や住居、学校など時間が止まったような生活の跡などたいへん興味深く見せてもらった。
鉱物コレクターとしては、稼行時の別子銅山の採掘の貴重な映像はたいへん興味深かった。
なお、四阪島は酸化亜鉛の製造工場として今でも稼動しているそうだ。(但し、住民はゼロで従業員の皆さん船で通勤とのこと)精錬所跡は出来れば産業遺跡として保存してほしいと思う。
四阪島といえば「家ノ島、美濃島、明神島、鼠島、梶島」の5つの島の総称だそうだが、その内、明神島の含チタン・ファッサ輝石等鉱物が相当前に紹介されたことがあった。
※ファッサ輝石の名前は今では使われていない。 |
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2007年10月13日(土)
きしわだ自然資料館にて展示準備の一日 |
いよいよ「きしわだ自然資料館」の特別展(10/23〜12/24)が目前に迫ってきた。本日は標本のセッティングである。館長の担当は「大阪の鉱物」だ。
電車を4本乗り継いで、ようやく10時30頃資料館へ入ると既に学芸員のHsさんや鉱物担当のTsさんたちが準備作業真っ最中であった。会場の中心に据えられるモニュメント?も骨格はほぼ出来上がっていた。館長の「大阪の鉱物」展示も大阪自然史フェスティバル、益富地学会館に続いて3回目であるが、今回は少し展示方法に手を加えてみた。また、益富地学会館さんにも館長の用意できない標本の提供でご協力願った。
セッティングを前にして会場を一回り。神岡鉱山の大型水晶群晶や兵庫県家島諸島の大量の煙水晶、立派な市之川鉱山産の輝安鉱結晶、蛍石の群晶(古い寄贈品で産地は不明との事だが、館長は紀州鉱山産だと思った)などが既に並んでいた。そして、会場の隅っこに「組標本」が3個置いてあるのに気が付いた。「組標本・ブック型標本」コレクターの館長としては大いに気になるところだ。
スタッフの方に聞くと以前近隣の貝塚市の中学校から寄贈された標本との事であった。中身を拝見すると福岡の「鉱物教育研究所」製と大阪の「前川科学」製であった。恐らく戦前?、生徒の学習用に配布されたのであろう。昔は良い時代であったんだなぁ。
セッティングの方も約50点の標本を大阪府を南北に分けた2ケースに収めた。スタッフの方々の協力を得て順調に進み午後無事完了した。やはり2ケースに分けるとスペース的に余裕が出来、窮屈でない展示が出来た。ぜひ多くの鉱物ファンにご来場願いたいと思う。
帰途、大阪・梅田の阪急百貨店に立ち寄る。目的は「秋の北海道物産大会」だ。館長のお目当ては、前回の神戸そごうで売り切れて買えなかった六花亭の「マルセイバターサンド」と北菓楼の「開拓おかき」だ。両方とも人気商品だが、何とか買えて家族への面目が立ち、一安心。それにしてもこの催しはたいへんな人気だ。全てのコーナーに行列が出来ていた。 |
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2007年10月7日(日)
今日も京都ショー 砂川先生の講演を拝聴。
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二日目のメインは砂川一郎先生のご講演「水晶の結晶−”かたち”で解く謎」である。
10時30分開始であったので、ちょっと早いかな?と思って30分前に会場へ行くと既に沢山の方が席についておられあっという間に満席になった。先生のご講演は鉱物との出会いに始まり、ステノの面角安定の法則、高温石英と低温石英、右水晶と左水晶、天然水晶と合成水晶、日本式双晶の出来方、水晶の成長と広い範囲に及んだ。午後は場所を特別展会場に移し、先生との一問一答方式で、参加者の質問に答えておられた。
第二会場に併設された益富地学会館の標本即売コーナーは昨日はたいへんな人だかりでゆっくり見られなかった。流石に本日は人も昨日ほど多くなくなったのでゆっくりと見せてもらった。昨日に引き続き、大阪府の鉱物を探したが、泉南のドーソン石くらいであった。
標本即売コーナーでこれまた1年ぶりに古くからの石友、Taさん親子にお会いした。昨日、Ysさんから聞いた待兼山の高師小僧産地の現状について聞いてみたが、現地は建物が建って採集どころではないようだ。
第二会場でYsさんから声をかけられ、Ysさんの標本ラベルコレクションを拝見した。綺麗に名刺等他の資料と共にアルバム2冊に整理されたもので、鉱物趣味史の極めて貴重な”史料”である。見せて頂いた中で、特に沢田伊三郎氏のラベル、一時期長島乙吉翁が運営していた「大和礦物会」のラベル、後に同和鉱業となる旧藤田組のラベルなど貴重な素晴らしいコレクションである。
奈良鉱物研究会のブースに行くと、石友会の会員でもあるThさんがいらっしゃった。丁度、二人連れの方が入会申し込みしており、館長もついでに入会させて頂いた。これで会員として籍を置く会は館長主宰の大阪鉱物研究会も含めて10を超えた。自分で言うのはなんだが、まるで「同好会マニア」だ。
また、会場ではTkさんから以前からご挨拶したかった著名なコレクターであるHtさんをご紹介頂いた。Tkさんに感謝である。
福岡石の会ブースには今日からWt副会長とSさん、Oさんが来られた。
結局本日は特に標本も買わず、午後、会場の「みやこメッセ」を後にしたが、帰りに同好のMtさんと会い、大阪府新産地の灰礬柘榴石を見せてもらった。標本は結晶ではなく、ホルンフェルス中に入った脈中の産状であった。 |
写真上から
◆砂川一郎先生のご講演
◆人気の益富地学会館の標本販売コーナー
◆特別展示会場で質問に答える砂川先生 |
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2007年10月6日(土)
今日から京都ショー ミュージアムサイズの石は重い
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本日から三日間京都ショーである。いつもこの時期は「京都学生祭典」と”きもの”の大きな展示会が重なるので会場の「みやこメッセ」周辺は見慣れた風景だ。
さて、館長は30分前に会場に到着したが、既に130人程の人が並んでいた。開会セレモニーの後、入場が始まり、まず館長の基地となる「福岡石の会」さんのブースへ。
既にHkさん、Oyさん、Atさんがスタンバイ。お隣はいつもの通り眞鍋鉱物研究所さんだ。勿論、大阪鉱物研究会のThご意見番もスタンバイ。とりあえず、荷物を置かせてもらって会場を見て廻る。最初に小室宝飾さんへ。尾去沢鉱山産の菱マンガン鉱や神岡鉱山産の閃亜鉛鉱と方鉛鉱が組み合わさった標本が秀逸であった。他に福島県石川山の柘榴石や緑柱石などの佳品が出品されていた。小室宝飾さんのブースで従兄のFm君にバッタリ会った。
余談だが、後で同好の方から「Sさん(館長のこと)とFmさんは従兄弟同士だったんですね!」と云われたが、実はFm君だけではないのだ。もう一人、母方の従弟(Fm君は父方)のMm君はE大学出身で著名な鉱物学者M先生門下である。親族に3人も鉱物好きがいる「ミネラルファミリー」だ。
会場を一通り見た後、福岡石の会ブースへ戻るが館長の首にかけたIDは眞鍋鉱物研究所さん。両方掛け持ちである。・・・といっても殆どお役にたっておらず申し訳ないなぁ・・・。
福岡石の会ブースは殆どが日本産鉱物だけに、それを目当てに来られる鉱物ファンも多い。その為、開場後すぐの時間帯は多くの鉱物ファンが来られ大混雑。館長も標本の包装役に回った。今回は佐賀県肥前町の弘三石やランタン石、ロッカ石など多数出品。他にパラ輝砒鉱や尾平鉱山の斧石、珪灰鉄鉱、山口県産の方解石の釘頭状結晶の大型群晶(これはオトクだった)、同じく大和鉱山の孔雀石、山口県産の館長初見の石墨、福岡県飛松の球状黄鉄鉱は人気が高かった。戸根鉱山の紅簾石はなかなか良かったが買うのを忘れてしまった。他に門司鉱山の柘榴石や同じく門司の梅花石もあった。
眞鍋鉱物研究所さんでは市之川の輝安鉱を出品。小品だが頭付きだ。手にとって見られる方は少なかったが、もう在庫も少なくなっており今買っておいた方が良いと思うが・・・。
やはり初日には多くの石友や同好が来られる。大阪石友会のNm名誉会長、Kh会長の他、Wyさん、Ftさん、Mtさん、Thさん、お世話になっている京都のKsさんも1年ぶりにお目にかかった。滋賀県のAsさんのお顔も見えた。暫くして大阪の産地に詳しいMtさんも来られ情報交換。今回京都では久々にホリミネラロジーの堀秀道さんにお会い出来た。ご子息と一緒にブースでお客さんの対応をされていた。無名会のTyさんも出展されていたのでご挨拶方々ブースにおじゃまする。また同じく無名会でお世話になっているタケダ鉱物標本さんのブースにもお邪魔する。楽しくお話させて頂いたが、商売の邪魔をしに行ったようで申し訳なかったなぁ。
さて、初日の館長の成果であるが、最大の成果は大阪府坂口鉱山産の長さ16.5pの褐簾石だ。長石に包まれたルーズな結晶だが、今では殆ど入手不可。それと同好の方から和泉砂岩中のシャモス石(Mgに富む)を頂いた。欲しかった標本だけに感謝感激。また、尾平鉱山スリバチクボの斧石群晶を入手した。個々の結晶は小さいが標本サイズはミュージアムサイズだ。お値段もびっくりするような超格安。重い標本なので逆に感謝された。以前スリバチクボへ行った時、殆ど採れなかったので嬉しかった。もう一つは肥前町満越のネオジムランタン石だ。これもミュージアムサイズで板状結晶が集合してなかなか見事。館長が今までもっていたものよりはるかに良い。とにかくミュージアムサイズが3点もあるので重いわ。
また今回の特別展は「石の英雄・水晶−大地の煌き」だ。
会員の標本を中心にスケールの大きな見事な水晶が集合した。富山県黒岳や長野県小川山、宮崎県板屋、山梨県乙女鉱山、竹森、バッタリなどの日本全国の名産地の逸品が集合した。
特に今回は結晶成長学の第一人者、東北大学名誉教授の砂川一郎先生のご講演もあり、明日が楽しみである。 |
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砂川一郎先生を囲む会
初日が閉会した後、Ihさんにお誘い頂いた「砂川一郎先生を囲む会」に出席させて頂く。
会場にはYsさんやOaさんなどかの有名な京都鉱研のメンバーや砂川先生と最もお付き合いの長いTyさんやTkさんの無名会メンバー、大江理工社のOi社長、京都のTKさん、Nsさんや福岡、名古屋、岡山から錚々たるメンバーが集まった。
砂川先生の愛弟子のIhさんの司会で始まり、乾杯の後、料理とお酒を頂きながら歓談に入る。館長の前の席にはいつもお世話になっているYsさんと無名会の大先輩Tyさんが居られ、隣には先日お世話になったばかりの福岡石の会のHkさんが居られ、実にいろいろなお話が伺えた。その後、Tmさんも来られ、喜和田鉱山にまつわる貴重なお話が伺えた。特に、Ysさんから伺った待兼山の高師小僧の構成鉱物のお話は実に意外でたいへん興味深かった。
宴もたけなわ、館長は砂川先生、Ysさんとの3ショット写真を撮ってもらったり、ご著書にサインを頂いたりで楽しい3時間を過ごさせて頂いた。
最後に砂川先生より学校時代の先生からもらった水晶から始まる鉱物との出会い、その後を決定づけた無名会入会、そして結晶成長学の第一人者となられる今日に至るまでのお話を結晶成長学の興味深いお話をまじえながらお話をされた。
21時頃お開きとなり、会場前で先生をお見送りした後、参加者は三々五々家路についた。 |
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写真上から
◆開場前の行列
◆会場内のにぎわい
◆特別展示会場
◆人気の「福岡石の会」のコーナー
◆砂川一郎先生を囲む会
◆挨拶をされる砂川先生 |
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2007年9月30日(日)
福岡石の旅 久々の福岡石の会室内例会参加
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今回の「福岡石の旅」の最終日は福岡石の会の室内例会である。野外例会は関西や関東からたまに参加していたが、室内例会は前回いつ出席したか覚えていないほど昔の話である。多分10年ぶり以上であろう。会場に着くと野外例会でご一緒させて頂いた九州の同好の方々も居られ久々の再会であった。
さて、例会は桑野会長のご挨拶、前回の採集会報告などの後、産総研・地質標本館の元館長、豊 遥秋(ぶんの みちあき)先生によるご講演が行なわれた。豊先生が11歳で鉱物趣味を始められ、故櫻井欽一先生との出会い、ずっと仕事で関わってこられた博物館のお仕事の話、先生が収集された鉱物コレクションを中国の博物館に寄贈されたお話、日本や中国その他の国々の大学、博物館事情等についてお話し頂いた。
収集したコレクションの行く末はコレクターであれば必ず直面する大問題である。館長も登録済標本だけで3,000点以上あり、かねてからの大きな関心事であったが今回大きなヒントを戴いた気がする。豊先生とは前日採集にもご一緒させていただいてご指導頂くなど極めて実り多く意義深い2日間であった。
「情報交換」では昨日探索した「宗像石」についての情報提供があった。実物を一度拝見したいものだ。昨日の採集品に1個でもあればいいのだが。玉手箱(標本頒布)も行なわれ、飛松の球状黄鉄鉱を頂戴した。九大の上原先生の説明では母岩にはモンモリロン石や斜プチロル沸石を含むとの解説があった。また、山田採石場の二次鉱物にはマックギネス石も含むそうだ。
例会の最後に標本業者さんによる標本即売会と京都ショーに向けた標本持寄り会が行なわれた。即売は眞鍋鉱物研究所さんで、我が大阪鉱物研究会のThご意見番が遥々大阪から来られた。Thご意見番もまさか福岡で館長と会うなど思ってもいなかったようで随分驚かれた。眞鍋鉱物研究所の自称「助手」でもある館長がセッティングをお手伝いした。Thご意見番とは近日、京都ショーでもお会いすることとなる。また、標本持寄り会では今回は館長も少々協力させて頂いた。
講演会や情報交換、即売会など中身の濃い例会を企画実行された会長以下役員・世話人の方々のご努力には頭が下がる。
帰りの時間が近づいてきたので、まだ例会の余韻覚めやらぬ会場を後ろ髪を引かれながら博多駅に向かった。
館長の福岡石の旅最後の"仕事"は家族への土産購入である。これは館長の家では福岡みやげの定番があって湖月堂の"栗饅頭"と稚加栄(ちかえ)の"辛子めんたい"である。まぁ二日間十分に遊ばせてもらったので家族への感謝?も込めて、熊本の"馬刺し"と宮崎の"地鶏の炭火焼"を奮発して館長の第二の故郷、福岡を後にした。これで夏休みも終わって一息・・・と思いきや来週はもう京都ショーだ。館長の石漬け生活はまだまだ続く。 |
◆桑野会長のご挨拶
◆豊先生のご講演「中国の博物館の現状」
◆眞鍋鉱物研究所の即売コーナー |
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2007年9月29日(土)
福岡石の旅 話題の鉱物は採れるか!?
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本日は久しぶりの九州での採集行である。福岡石の会の石友Hkさんのご案内で最初の採集場所、宗像市の河東鉱山へ向かう。原色鉱石図鑑に載っている方鉛鉱中の自然金は館長の憧れの鉱物だが、今日の目的は新鉱物「宗像石」だ。23日に日本鉱物学会で発表されたばかりの新鉱物だ。福岡県初の世界新産鉱物というだけでなく、本邦初の亜セレン酸塩鉱物ということで意義深く期待が高まる。
現地は山中の小規模なズリで有名鉱山だけに今まで多くの方が来ているらしく石が細かくなっている。今日はわりと涼しいが、事前に聞かされていたように「蚊」が多い場所だ。Hkさんが用意してくれた虫よけスプレーが有り難い。さて、宗像石は青鉛鉱に似るが形態が違うとのこと。青鉛鉱というよりは青針銅鉱に近いイメージのようだ。実体顕微鏡レベルの鉱物のようなので現地での確定は困難だ。とりあえず、それらしい標本を持ち帰って家でチェックすることとした。
続いて山田採石場へ。ここは先月福岡石の会で野外例会が行われた所であるが、館長は所用の為残念ながら参加出来なかったのでHkさんに無理を言って連れてきて頂いた。石の会例会の時は36℃という気温でたいへんだったとの事。今日は涼しく助かった。
程なく大きな採石場が見えてきた。「デカイなぁ!」これが館長の第一印象だ。これならクルマ横付けだろうな。・・・これが甘かった。入口には使われていない事務所があった。採石場の事務所と言えばプレハブというイメージがあるが、ここはたいへん立派な鉄筋コンクリート、オートロック、空調付き、ドアはガラスという建物だ。Hkさんと「博物館にいいなぁ・・・」と話す。
さて、崖に向かって歩くと、どういうわけか前方に「森」が立ちはだかった。
何とか森を抜けても岩だらけの急斜面が立ちはだかる。斜面を登りきったらまた急斜面を下って、また登る。登りきったらなんと採集場所と反対側の斜面だ。しかし、これが最短距離である。
ヒーヒー云いながら採集場所へたどり着いた。岩がゴロゴロしたまさにガレ場という雰囲気だ。当地のターゲットはデクロワゾー石だが異極鉱も小さいながら綺麗なものを産する。先ず見つけたのは緑簾石だ。輝緑凝灰岩と思われる岩石の中に太い脈が貫いている。緑簾石ではかなりの良品と思う。適当な大きさに割って採集した。黄色いデクロワゾー石は岩石の表面に結構あるようだ。しかし異極鉱はなかなか見つからない。その内、Hkさんが孔雀石など二次鉱物を沢山含む石を見つけられた。その中には異極鉱も入っておりおすそ分けを頂いた。
十分採集を楽しんで、山田採石場での採集を切り上げ次の産地へ向かう。
今日最後の訪問地は津屋崎海岸だ。実に良い景色だが、ここの礫を埋めるオレンジ色の束沸石は有名な標本だ。海岸近くにクルマを停め、砂浜を歩く。暫く歩くとHkさんが「ここが産地です」。「エッ!?ここが産地?」よく見ると崖が礫岩で出来ており、そこら中、オレンジ色だ。もっと小規模の露頭と思っていただけに実に意外である。日本にもスゴイ産地があるものだ。
ぜいたくだが塊では余り面白くないので結晶を探す。少し掘り込んでいくと束沸石の小結晶が見つかった。沢山採集しても仕方が無いので2個だけ採集して切り上げた。浜の小石にはメノウも含まれるそうだ。 |
写真上から
◆河東鉱山のズリ。蚊には悩まされた。
◆山田採石場全景。かなり大きな採石場だ。
◆採石場のガレ場。ここで目的物を探す。
◆津屋崎海岸。左手前が沸石産地。
◆赤い所が束沸石。礫岩の礫の膠結物質が束沸石という極めて珍しい産状だ。 |
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2007年9月28日(金)
本日、「家事都合」ニテ・・・
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福岡に来た。趣味とも仕事とも関係のない用事で。
赤坂で用事を昼頃済ませて、折角ここまで来たのであるからついでに近くの福岡市立少年科学文化会館に立ち寄った。以前にも紹介したが、ここには鉱物の展示がある。槙の川の大型の沸石標本や平尾台の方解石巨晶、長垂の鉱物、尾平鉱山の斧石、日之影町のザクロ石など大型の標本が多い。特に長垂の紫色のトパーズの入った標本は見ごたえがある。後で聞いたのだが、1Fには新着品のコーナーもあるとのこと。それを見落としたのは迂闊であった。また機会があれば来よう。
ついでに館長の博多グルメ?紀行
ハラもへったので福岡時代の行きつけの店へ。祇園町にあるお店で昼の定食の煮魚が抜群に美味しい。当日はカンパチを食した。
まぁ、九州は食べ物、特にサカナの旨さは飛びぬけているね。
腹ごしらえした後、もう一つの楽しみである西新(にしじん)の”蜂楽饅頭”へ。ここの”コバルトアイス”(写真下)も福岡時代からの好物である。淡いブルーのカキ氷で夏場だけのメニューであるが、実に美味しかった。満足。
さぁ、明日は久々の九州での鉱物採集だ! |
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2007年9月23日(日)
”石の花”と研磨作業初体験 |
今日は京のベテランコレクターOaさんによる「石の花」だ。
この催しもすっかりお馴染みになった。今回は滋賀県灰山の鉱物や山口県喜和田鉱山の鉱物が出品されるとの事で、益富地学会館へ行くと既に灰山の地元・滋賀県のAsさんも来られていた。
今日は早めに着いたので主任研究員のFtさんのご指導でオーソコーツァイトの研磨作業を行うことになった。実に根気が要る作業であった。出来上がったものは昨日分でご紹介した、きしわだ自然資料館の「ミネラルワールドへようこそ2007」で「大阪府産鉄電気石」としてお披露目するので、館長苦心の作を是非ご覧頂きたい。
さて、”石の花”の方は灰山のピータース石や燐銅鉱、ベゼリ石、白鉛鉱、緑鉛鉱、方解石などが多数出品された。また、喜和田鉱山産では母岩に埋まった灰重石結晶が見事であった。他に錫石や紫色のホタル石もあった。他の産地では燐灰石特集で、玄倉の燐灰石母岩付きや足尾鉱山のもの、文挟クレーのものがあった。小尾八幡のものもあった筈だが早々に売れてしまったようだ。流石銘柄標本だね。他には紀州鉱山の磁硫鉄鉱は立派であった。それと珍品の田原のフェナス石があった。長石の表面に付いたもので微細ではあるが、綺麗な柱状結晶をなしている。
館長は今日は迷った。まず、田原のホタル石のツインに眼を奪われた。ペグマタイトの上にチョコンと1pくらいのグリーンの結晶が載ったもので、たいへん姿の良い端正な標本だ。Oaさんによると田原ではツインは珍しく今まで2個体しか見ていないとの事。それともう一つは同じく田原の煙水晶の表面にシェリー酒色のトパーズが付いたものだ。トパーズは溶けている為、結晶はわからないが、欠けは無く透明度が高く綺麗だ。他の参加者からの評価も高かった標本だ。結局熟慮の末、トパーズを選んだ。 |
写真上から
◆”石の花”即売会風景。
◆館長が使わせて頂いた研磨用機材。 |
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2007年9月22日(土)
きしわだ自然資料館へ あらたな発見も |
”だんじり”で知られる大阪府岸和田市にある”きしわだ自然資料館”では「自然資料館平成19年度特別展「ミネラルワールドへようこそ2007」が10月23日から約2ヶ月に亘って開催される。この催しで館長は「大阪の鉱物」の展示を承った。今日はその打ち合わせで資料館を訪れた。
「大阪の鉱物」の展示は大阪自然史フェスティバル、益富地学会館についで3回目だが、今回は大阪府南部で行われるので、少し地域性を出した構成を考えている。乞うご期待!
学芸員の方と展示品の打ち合わせや会場の下見をした後、久々に館内を見学した。この資料館のメイン展示は剥製の展示だ。ある剥製コレクターから市に寄贈されたものだが、何度見てもスゴイ。迫力満点である。もし、大阪へ来られることがあったら岸和田まで足をのばして頂きたい。一見の価値はあると思う。
鉱物の方は展示が替わっていて、大阪石友会や個人などからの寄贈品中心であった。また2階の常設展示では大阪府産の「こはく」があった。植物化石と共出するもので館長も機会があれば一度採集に行こうと思う。また、大阪石友会会員でもある”きしわだ自然友の会”のTsさんから大阪南部の鉱物について貴重な情報をご教示頂いた。意外な(館長にとって)場所からロードン石や満礬ザクロ石が見つかっているそうだ。
また、Tsさんから見せて頂いた「地質図幅『岸和田』及び説明書」によると大阪府からパンペリー石、モルデン沸石、斜プチロル沸石も見つかっているそうだ。これは初めて知った。一通り論文を読む必要があるようだ。 |
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2007年9月21日(金)
今日は何の日? 正解は「鉱山記念日」です。 |
ご存知の方はあまり居られないと思うが、今日は「鉱山記念日」である。残念ながら国民の祝日ではない。
なぜ、今日が鉱山記念日なのかというと1881年(明治14年)の今日、明治天皇が秋田県の院内銀山に行幸されたことにちなんでいる。尚、院内銀山のある雄勝町では「銀山まつり」が行われるそうである。鉱物ファンとしてはこの日を記憶しておきたい。 |
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2007年9月17日(月・祝)
益富地学会館北陸巡検 第2日目 典型的表面採集だ! |
菩提の玉髄・算盤玉石採集
巡検二日目。朝風呂はホンマ気持ちがいい。風呂場から見る柴山潟を中心とした景色は風情がある。天気も多少曇っているが雨は大丈夫そうだ。いよいよ雨男返上かな?
ホテルを出発したバスは一路、名刹・那谷寺を通って、今日午前中の訪問地である「菩提」へ向かう。菩提といえば墓地の造成工事中にメノウや玉髄の良品を産したことで知られるが、残念ながらそこは工事も終わって今は採集不可。今回の採集地はその近くの採石場?跡である。ここからは小さいながら玉髄が多産するそうだ。今までバスが通ったことのないような道を大型の観光バスが通っていく。地元の人々は一様に驚いているように見える。そりゃそうだろう。バスは現場近くに到着。
ヘルメットにリュックを担いでハンマーをぶら下げた怪しい一行は急な崖の脇を登っていく。程なく崖の上部の平らな場所に出る。ここが産地だ。足元を見ると至るところに丸い玉髄が顔を出している。ここの玉髄は流紋岩や流紋岩質凝灰岩の中に出るのだが、母岩が風化して軟らかくなっているので、拾うというよりは地面から抜くという感じだ。球状や米粒状のものが殆どだが、稀に「算盤玉石」も出る。Ftさんのお話では凡そ普通の玉髄200個に「算盤玉石」1個くらいの割合だそうだ。
一生懸命探すが、なかなか「算盤玉石」は見つからない。他の場所では玉髄以外の鉱物、セラドン石やモルデン沸石、輝沸石などを採集しているようだが、館長の関心は「算盤玉石」のみ・・・そうこうしているうちに、算盤玉ならぬ「猿のこしかけ」状のものを採集した。更に人が割った後を見ると「サンダーエッグ」と称してもよい球顆を見つけた。他には、これは珍品だと館長が勝手に思っているのだが、表面がセラドン石に覆われた「緑そろばん珠?」を採集した。その内、そろばん玉がいくつも集まって塊となった小松市松岡産の小型版に似たものも採集出来た。
序に玉髄の母岩付きも採集したが、分離したものが舎利石ならば、母岩付きは舎利母石というところか。「平成雲根志」があったら載せないといかんなぁ。時々小雨も降るが通り雨ですぐにやむ。まぁ、シャワーというところかな。2時間ばかり採集して下山。これこそ「算盤玉石」というものは採集出来なかったが、十分採集を楽しませてもらった。
福井県立恐竜博物館に驚く
このツアーの最後の目的地が福井県勝山市の福井県立恐竜博物館だ。館長は化石や恐竜には殆ど関心は無いが、たいへん立派な博物館で一見の価値はあるとのこと。そして実際に来てみると確かにすごい!立派過ぎる。銀色ドーム状の建物で入口が3階になっており、長〜いエスカレーターで一気にB1へ下る。とにかく恐竜骨格標本の数が半端ではない。恐竜標本のようにデカイものをこれだけ沢山展示したら、このくらいのスペースは必要だな。また、恐竜だけでなく化石標本の種類、数もすさまじい。化石総合博物館だ。また、窓越しに化石のクリーニング現場を見ることが出来る場所もある。連休ということもあるのだろうが、お客さんも多い。殆どが子供連れであるが、やはり恐竜は人気があるなぁ。売店でもグッズがすごく売れていた。
ところで館長の関心はやはり鉱物だ。広いドームの一角にはちゃんと鉱物展示のコーナーもあって沢山の鉱物が立体展示されている。館内はフラッシュ撮影禁止の為、ピンボケになったが写真のような感じである。殆どが外国産であるが、日本産鉱物も若干ある。館長の目に付いたところでは愛媛県市之川鉱山産の輝安鉱(目測20cmくらいの綺麗な単晶であるが、頭が不完全なのが残念)、地元赤谷鉱山の金平糖石こと自然砒、京都府法花寺野の満礬ざくろ石、福岡県八木山のクロムざくろ石、群馬県黒川鉱山のマンガン鉱石切断標本、岐阜県田原のペグマタイト標本である。外国産ではUSAの見事な自然金や世界最大級のアマゾナイトの結晶など素晴らしい。
館長としては折角の県立博物館であるので、もっと地元の標本を充実させて頂きたいと思う。福井県には赤谷の金平糖石の他、宮谷のブドウ石や遠敷のメノウ、面谷のホタル石、仙翁鉱山のモリブデン鉛鉱等々・・・色々な鉱物が産出しているし、水晶の触像研究で有名な市川新松先生も居られた。化石博物館だけに難しいとは思うが、是非お願いしたいね。3時間程見学した後、京都へ向けて出発し楽しい2日間は終わった。館長の遅い夏休みはまだこれで終わらない。 |
写真上から
◆菩提の玉髄産地を下から眺める。
◆菩提での採集風景。
◆恐竜博物館の入口。多くの観覧者で賑わっている。
◆鉱物展示。化石の博物館だが鉱物も充実。個人的には地元産も含めて国産標本を充実させてほしい。
◆恐竜がいっぱいの館内。館長は圧倒された。 |
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2007年9月16日(日)
益富地学会館北陸巡検 第1日目 懐かしき尾小屋鉱山へ |
本日より益富地学会館の北陸巡検である。しかしながらこの一週間で関東→仕事→沖縄→仕事→北陸である。それにしても我ながらよく体がもつものだ。さて、朝8時に京都駅の集合場所へ。しばらくして参加者が続々集まってくる。今回の参加者にはMtさん等石友会会員の顔もチラホラ。遠く関東や名古屋からの参加者もいるそうだ。ほぼ定刻に出発したバスは一路北陸路へ。石川県地方の天気予報は「曇りのち雨」だが、京都は良いお天気だ。この天気をそのまま北陸へ持っていきたいが・・・。
第一日目は北陸の超有名鉱山・尾小屋鉱山と尾小屋鉱山資料館である。尾小屋鉱山はなんと中学1年の鉱物採集以来40数年ぶりの訪山である。資料館は石友からも聞かされており、以前からぜひ行きたかった場所だ。
一行を乗せた観光バスは途中の多賀SAと女形谷(おながたに)PAへ立ち寄り、小松市内へ向かう。
尾小屋鉱山大谷坑(金平鉱山)へ
まず、最初に向かったのは金平(かなひら)鉱山だ。金平鉱山は尾小屋鉱山の支山で300年の歴史を有する尾小屋鉱山でも最後まで採掘が行われたヤマである。ここの目的物は褐色の緑鉛鉱とアメジストだ。現地へついてもまずまずの天気、これで「雨男」返上だな。しかし雨は降らないがメッチャ暑い!後で聞いたら36℃あったそうな。暑いはずや。水分補給は欠かせない。鉱物を産するズリは上下に二ヶ所あり、下のズリは青鉛鉱や白鉛鉱などの二次鉱物が多いとのこと。館長はここでは観察のみで殆ど採集せず、上部のズリへ向かう。汗でビッショリになりながら必死に急斜面を登る。ほんまキツイわ・・・。服はまるで水をかぶったような状態だ。やっとの思いで上のズリへ。
しかし、紫水晶はカケラも見つからない。また不思議なことに鉱石鉱物はあまり見かけない。ようやく眼がなれて、目的物の緑鉛鉱を採集出来た。大きめの母岩に付いているもので、色があまりに薄いので最初は紫石英かな?っと思ったくらいだ。結局、緑鉛鉱を3点ほど採集して終り。急なズリを下りる途中で黄色っぽい粉状のものが付いた標本を見つけた。なんだろうか?尾去沢石にしては色が余りにも黄色すぎる。ビーバー石だったらいいのになぁ(希望的観測)・・・。
一度は見たかった尾小屋鉱山資料館
金平鉱山跡を引き揚げて、次は館長のお楽しみ「尾小屋鉱山資料館」だ。入館するとそこには往年の尾小屋鉱山の大きなパネル写真と4種の主要鉱石、即ち方鉛鉱、閃亜鉛鉱、黄銅鉱、黄鉄鉱の大きなサンプルが飾られておりその前で館長さんより直々に説明を受ける。その後、各自自由に資料館の見学を行う。資料館には鉱山の歴史的な資料が沢山展示されているが、やはり鉱物コレクターである以上、興味があるのが標本だ。館長が特にいいなと思ったのは、重晶石の大きな板状結晶が花弁のように集合したもので、今まで見た重晶石では一番よかった。また、個々の結晶は小さいが、鼈甲亜鉛の群晶はお見事!それと尾小屋鉱山の定番、紫水晶は淡色で透明感には欠けるが、大きな結晶が数本集まったもので迫力十分だ。また館長も持っているが淡黄色透明の方解石もあった。(勿論館長所有のものより遥かにグレードは良いが・・・)
そこで、館長は40年来の疑問を解くべく館長さん(館長ばかりでややこしいがご容赦)に伺ってみた。
冒頭書いたように尾小屋鉱山は、まだ鉱物趣味を始めて間が無い中学1年の時に来たのだ。とにかく原色鉱石図鑑の鉱山一覧表以外に全く情報が無く、今思えば随分無謀な採集行である。北陸旅行のついでに小松駅からタクシーで尾小屋の町へ入り、尾小屋駅から徒歩で長いトンネルを抜けたらそこは一面のズリであったことを覚えている。そして帰りは尾小屋鉄道に乗ったのだ。(因みに館長は北恵那鉄道にも乗っている)その場所がどこか知りたかったのだ。キーワードは駅からそう遠くない長いトンネル。そして広大なズリ。
この質問に対して、館長さんからはたいへん明確に答えて頂いた。そのトンネルは実に800mの長いトンネル(第3トンネル?)で、出たところは選鉱場であったそうだ。当時は金平鉱山だけが稼行していたそうだ。ようやく長い間の疑問が解けた。
資料館の外には旧坑道や煙道などを利用した「マインロード」という施設がある。いわゆる「観光坑道」というヤツで坑道を体験出来る。内部には斜坑や竪坑もあり、なかなか面白かった。中は涼しくて快適そのものだ。外の酷暑が信じられないくらいだ。
金平鉱山赤目坑へ
資料館の見学が終り、本日最後の採集場所、金平鉱山赤目坑に向かう。ここは重晶石が採集出来るとのことで、先程資料館で見学させてもらった、あの重晶石が頭に浮かぶ。先程ではないが、また斜面を登りズリに到達。確かに重晶石はあるが残念ながら小さい。館長は小さいものを2,3個取って本日は終了。ただ、不思議なことに鉱石鉱物は殆ど見当たらない。徹底的に選鉱したのだろうか。
今宵の宿 片山津温泉へ
さて、陽もだいぶ傾き、撤収の時間となった。バスは一路、本日の宿泊先である片山津温泉に向かう。次の楽しみは温泉だ。部屋に入って荷物をといた後、早速温泉に入った。そういえば、温泉は久しぶりやなぁ・・・目の前は柴山潟が広がり絶景でたいへん心地よい。夕食も能登牛の他、北陸らしく”カニ”や”甘えび”もついており大満足。たいへんコストパフォーマンスの高い旅である。主催者のご苦労に感謝感謝である。その日は皆さんお疲れの様子で採集旅行に付物の深夜までの情報交換も無く、早々と床についた。明日も晴れたらエエのになぁ。 |
写真上から
◆金平鉱山(尾小屋鉱山大谷坑)のズリ。ここでは青鉛鉱や白鉛鉱などの二次鉱物が採れる。このズリの更に上には紫水晶や緑鉛鉱を産するズリがある。
◆尾小屋鉱山資料館。館長さん直々のご説明。
◆見事な重晶石。館長垂涎の逸品だ。
◆館内で標本に見入る参加者。
◆マインロード(観光坑道)の入口。中は涼しくて快適だ。
◆金平鉱山赤目坑のズリ。小型の重晶石を採集。 |
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2007年9月11日(火)〜13日(木)
沖縄の旅へ!はたして石との出会いはあるか!? |
館長の勤務先は特に決まった夏休みが無く(即ち、カレンダー通り)、それぞれの都合に合わせて各自で休みをとるシステムである。その為、今年は9月中旬と少々遅めの夏休みとなった。 そこで、二泊三日のプランで妻と沖縄本島を旅することとした。館長は沖縄は2回目であるが、前回は100%仕事であったので、純粋な旅行は初めてだ。今回この日記を書く為に「一日、最低1回は石と接すること」を目標とした。
ところで沖縄の鉱物といってもあまり思いつかない。
一昔前に新聞紙上で騒がれた煙を発する謎の”沖縄石”か西表島産、本邦最南端の「鳴石」、更には読谷飛行場跡で産した「マンガンノジュール」くらいだ。さて、今回は石に巡りあえるか?
初日、雨が心配されたが那覇はまずまずのお天気だ。今回の旅行の大きな目的である、妻の買い物でDFSへ行った後、ひとまずホテルへチェックインした。オーシャンビューでなかなか眺めの良い部屋だ。それと驚いたのが沖縄のタクシー料金の安さ。なんと初乗り450円!だ。
いっぷくした後、那覇一番の繁華街である国際通りへ向かう。土産物屋さんや沖縄料理店が多い。目的の「石屋」さんを探すがなかなか見つからない。ようやく、パワーストーン等を扱っているお店を発見。ロードクロサイトやハウ石などのタンブルが置いてあるキレイ系の石屋さんだ。まぁ、とりあえず「石」と接したことには違いないのでパス。
二日目は観光バスで中部を目指す。途中、渋滞にあいながらも、人気の「美ら海水族館」などを巡り、景勝地・万座毛へ。
ここで「琉球石灰岩」を見学する。すごい崖で高所恐怖症の館長にはちょっとキツい。しかし、侵食された地形と東シナ海の水平線は見事だ。鉱物ではないが有名な「琉球石灰岩」と遭遇して今日もパス。また、車窓からかなり大きな砕石場が見えた。相当な規模だ。どんな石を採石しているのだろうか?石灰岩かなぁ?
最終日は同じく観光バスで守礼門、首里城や南部戦跡を巡る。今日の石との出会いは玉泉洞だ。全長5,000mあるそうで、その内、890mが公開されている。右に写真を載せた鍾乳石がたいへん見事であった。まるでシャンデリアだ!
結局何とか3日間石と接することが出来た。また、予想に反して比較的好天に恵まれ良い夏休みとなった。
もう一つの目的である「食」の方も、沖縄そば、ソーキそば、グルクン(県魚)の唐揚、ゴーヤのリング揚げ、海ぶどう、ドゥル天、オリオンビール、ゴーヤチャンプル、ラフテー、パパイアの漬物、沖縄ぜんざい(かき氷)、泡盛(の入ったカクテル)、ミミガー、サータアンダギー、サトウキビソフト、ブルーシールのアイスクリーム、ちんすこう(これは土産物屋の試食)、ジューシー(かやくごはん 空弁)、タコライス(これも空弁)・・・等々と満喫した。しかし、館長の夏休みはまだまだこれからなのである。
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写真上から
◆国際通りでみつけた石屋さん
◆万座毛の琉球石灰岩
◆車窓から大きな砕石場
◆玉泉洞の見事な槍のような鍾乳石
◆昼ごはんはソーキそば
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2007年9月10日(月)
遂に日本でダイアモンド発見!但し・・・ |
ついに、ダイヤモンドが日本で発見された!・・・といっても1μmであるが日本鉱物学史上の大発見には違いない。今まで、もし日本でダイヤモンドが見つかるとしたら、千葉県の嶺岡山だとか四国の変成岩中だとか、更には九州地方で漂砂鉱床で中国大陸から流れてきている可能性があるのでは・・・等と諸説様々であった。
このたびの発見は四国ではあるが、新聞によると岩石にレーザー光を当てて組成を分析中、たまたま見つかったそうだ。鉱物に閉じ込められた二酸化炭素の泡の壁の部分にあったそうだ。是非、館長もこの国産ダイヤモンドの標本が欲しいがちょっと無理かも・・・。 |
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2007年9月9日(日)
二日目は櫻井先生宅で無名会例会 |
今日は無名会の例会であるが、午前中時間があるので、白山の小室宝飾さんへおじゃますることとした。小室社長がいらっしゃったので1時間程、石のお話で遊ばせて頂いた。
そして午後は神田須田町の櫻井先生のお宅へ。会場へ着くと既に相当数の会員の方が居られた。当日はなんと38名の参加があったそうだ。全会員の約半数が集まった格好だ。館長は加藤昭先生のお隣に座らせて頂いたので、例の豆粕の不明鉱物を見て頂いた。
さて、例年9月の例会は櫻井先生のご命日近くに、櫻井先生のご自宅で行われ、夏休みの採集談が披露される。館長は豆粕のペグマタイト観察のお話をさせて頂いた。発表には標本の頒布がセットになっているものもあって、Mさんの大奈良のアルデンヌ石の発表では貴重なアルデンヌ石を頂戴した。
また、Hyさんの発表では「めのう」が頒布されたりと、皆さん夫々に工夫されている。館長も来年はナンカ考えなアカンなぁ。
石友Hkさんは某図書館に保管されている木村兼葭堂のコレクションのお話をされた。兼葭堂のコレクションは大阪市立自然史博物館にあるが、別の場所にこれだけのものがあるとは意外であった。
夏休みの採集談が終わった後、恒例の標本頒布である。今回は15点程提供されたが、徳島県眉山のピッケリング石や喜和田の灰重石、日立の菫青石、中国の滑石などが頒布された。盛会の内に17時頃にお開きとなったが、その後、館長はTyさん、Tkさん、Hkさん、昨日お世話になったY2さんそしてHyさん、Tnさんと近所の中華料理店で会食をさせて頂いた。石談に花が咲いたが館長は飛行機の時間が迫ってきたので一足お先に失礼した。また、次回の例会が楽しみである。 |
写真上:櫻井欽一先生による「無名會々場」
写真下:無名会の模様 |
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2007年9月8日(土)
上州路採集行 日本で二ヶ所の鶏冠石鉱山へ |
大型台風9号が過ぎ去った直後の関東への採集行である。直前までバスの運休が懸念されたが、遅れることなくなんとか無事に東京へ着いた。
東京駅にはご案内頂く石友のY2さんに来ていただいた。
西ノ牧鉱山跡へ
さて、今日の目的地は群馬県の西ノ牧鉱山だ。西ノ牧鉱山といえば美しい鶏冠石と若林鉱で鉱物ファンにはよく知られている。
前者は既に良品は望み薄という噂だし、後者は元々稀産鉱物である。ただ、私としては自分のもっている標本の産地は見ておきたいのである。特に日本でたった二ヶ所しかなかった鶏冠石の鉱山であり、鶏冠石は花火の原料として採掘された。これは鉱物コレクターとしては是非見ておきたい。
クルマは途中で関越道が台風の影響で通行止めとなり、またそれによる渋滞で予定より遅れて到着した。クルマを停め、渡河の為、装備を整えて山中に入る。行く手をイバラにじゃまされてなかなか進めない。しかもこの暑さだ。かなりヘバリがきたが、水分を補給しながら、なんとか目的地の鉱山跡に着いた。鉱山跡は直射日光もなくむしろ涼しかった。これは助かった。
コンクリートで閉塞された坑口からは台風の影響であろうか、多量の水が流れている。坑口前に広がるズリ又は貯鉱場と思われる場所は台風の影響で大量の泥をかぶっており、石がよく見えず、たいへん採集効率が悪い。それでも鶏冠石はあちらこちらに落ちており、思っていたよりも沢山ある。しかし良品はなかなか無い。若林鉱は灰色の堅い石英の晶洞に入っているとのことだが、その石英がよく判らない。結局、館長は5cmほどの鶏冠石が表面にベタっと派手に付いた標本(結晶は無し)と輝安鉱の放射状結晶のついた標本を採集した。即売会で売っている標本はかなりの良品であることも判った。これも一応の成果である。Y2さんは石英中に晶洞を有し、鶏冠石の結晶の付いている良品を採集された。結局1時間程で採集を切り上げ、まだ、ランチは済ませていなかったので、Y2さんお奨めの食堂でラーメンを食べた。太麺のしょうゆラーメンであったが、オーソドックスな感じで美味しくいただいた。遅めの食事も終り、まだ少し時間があるので、近くの鉱山跡へ寄ることとした。
中丸鉱山跡へ
キャリアのある鉱物ファンならばご存知かと思うが、かつて地学研究誌上で故岡本要八郎先生と故櫻井欽一先生がコレクターの資格審査として「あなたはお持ちですか?」を発表された。その中に中丸鉱山産の安四面銅鉱があった。館長も小さなものを持っているが、是非その産地を見たかった。鉱山跡の産地は谷に沿って、ズリが落ちており谷の上の方に坑口があるそうだ。Y2さんによると、やはり台風の影響でかなり水量が多いそうだ。ここは先程の西ノ牧鉱山とは逆に水で石が入れ替わっていたようだ。量は多くないが、岩石の表面に点々と輝安鉱付着した石が転がっている。その内、Y2さんが閃亜鉛鉱を採集されたが、双晶をなしていた。館長はなかなか眼がなれなかったが、終盤、岩石の中に輝安鉱の細脈が走っているものを見つけた。脈に沿って割ってみると黄安華を伴って輝安鉱の細かい結晶がちりばめられた良品であった。更に輝安鉱の結晶塊が採集出来た。石の裏側一面に重晶石が付いている。この標本が採集できたので、一応「ボウズ」は回避できた。但し、目的の安四面銅鉱は全く見られなかった。やはり銘柄標本、「中丸鉱山の安四面銅鉱」は幻の鉱物のようである。 |
写真上から、
@西ノ牧鉱山の坑口、A坑口前の平坦な場所で鉱物採集、
B中丸鉱山の谷。ここで石を叩く。輝安鉱が多い気がする。この日は台風の影響で水量が多い、C中丸鉱山のある山。 |
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2007年9月1日(土)
益富地学会館へ |
今日は益富地学会館の運営委員会の日だ。会館に着くと既にTmさんやNkさんが来られていた。大阪鉱物研究会のメンバーで「大阪石」の発見者Omさんも来られていたので早速、臨時例会?だ。大阪府の鉱物について情報交換を行った。話題は大阪のマンガン鉱山で見つかった緑マンガン鉱の話だ。以前、バスタム石も見つかっているらしいのでまた行ってみたいなぁ。
委員会の方は京都ショーや巡検の候補地について意見交換。巡検地はなんとか決まったが、多人数で公共交通機関が使えて、安全な場所で、そこそこ楽しめて成果が見込める・・・っていう場所は難しいですなぁ。
終了後、会館2階の図書室で文献の探索に入った。今日見つけたものは生野鉱物館の「展示鉱物鉱石一覧表」である。昭和49年に発行されたもので、個々の標本について詳しく書かれている。これを読んでいると生野鉱物館の素晴らしい標本の数々が眼に浮かんでくる。 |
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2007年8月25日(土)
猛暑の8月の〆は名古屋ショーで
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記録的な猛暑もあって鉱物趣味の活動が殆ど出来なかった8月において館長にとって唯一のイベントが名古屋ショーである。
名古屋ショーは名古屋鉱物同好会の主催でアマチュアの出品が多いというのが特徴だ。日本産鉱物の充実ぶりでは今や飯田橋のミネラルマーケットと双璧であろう。年々スケールが大きくなっていくように思える。出展ブースは136ブースに上る。
さて、館長は今日はリッチに「のぞみ」で出陣である。「こだま」や「高速バス」で行けばもっと安く行けるのだが、時間的に適当なものが無い。
さて、会場の「吹上ホール」に約45分前に着くと既に10人程の方が並んでいた。暫くして続々と人が入ってくる。その中に我が従兄のFm君の姿も。オープン前にはエレベーターホールは開場を待つ客の行列で溢れかえっていた。
定刻となり会場へ。まず、何はともあれ石友のKyさんのもとへ。田原のベリルの母岩付きがあり、「いいなぁ・・・」と思ったが予算無く見送り。他にオシガハエの立派な斧石大型標本やN晶洞産の大型トパーズがあった。その横には岡山のTmさんのブースがあって紫スパー石等布賀産の数々の鉱物やオシガハエのダトー石を出品されていた。更にその横には館長も会員である福岡石の会のブースがあり遥々福岡からTさんが来られていた。隣には信州のItさんのお顔も見える。新鉱物を中心に出品。石友のUoさんは秩父の結晶鉱物を出品されていた。
次に館長がいつもお世話になっている「小室宝飾」さんへ。やっぱり一番目をひくのが尾去沢の菱マンガン鉱である透明感のある濃いピンクの大きな群晶にしばし見とれていた。値段は”時価”とのこと。さぁ、誰の手に渡るのだろうか?館長は福島県北須釜の金緑石を購入。緑柱石ではなく紅柱石中に微細な粒で入るという変わった産状だが、日本鉱物誌にも記載されているれっきとした「銘柄標本」だ。他に東北地方の結晶金属鉱物の充実は流石である。
続いて、お馴染み「ミネラルマーケットさん」のブースへ。Tyさん、Igさん、Tsさんの関鉱同のお三方にご挨拶。宮田又鉱山の鉱物で作った花瓶など面白いものがあった。ここでは館長のもう一つのコレクションである「ブック型標本」をゲット。珍しい「又新社」のブック型標本である。恐らく明治末期のものと思う。
次に東京の無名会のブースへ向かう。ここには無名会の会員有志が出品した標本が並んでいる。日本各地の自然金や稀産鉱物などバラエティーに富んでいる。その横には茨城から「タケダ鉱物標本」さんのブースがあり、特に稲倉石鉱山の菱マンガン鉱は逸品だ。Tyさんもモロッコや屋久島の鉱物標本を出品されていた。
今回、益富地学会館の鉱物鑑定士試験が行われるとあって会館の主任研究員のFtさんや学芸員のNa嬢もいらっしゃった。さて、名古屋は東京と関西の間に位置するだけに関東や関西の有力コレクターの顔も見える。大先輩のYsさんも京都から来られて、館長が見逃していたHさん出品の山梨県上佐野の大きなクロム透輝石を勧めて頂いた。4pオーバーの巨晶・・・しかも双晶である。流石Ysさんだ。
結局今回入手したのはこの3品だけであった。しかしいつもながら石友の皆さんとの交流は楽しい。結局クローズの17時まで遊ばせて頂いた。帰りに石友の皆さんと夕食を共にし、また石の話題で盛り上がった。今日の土産は名古屋名物の手羽先であった。 |
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2007年8月10日(金)
日経より |
本日は石と全く関係ない用事で福岡行きである。新幹線に乗っていると前の座席に座っている人の新聞が目に入った。日経の「文化」面だが、「諏訪鉄山」という文字が見えた。おぉ、これは読まないわけにはいかない。
内容は諏訪鉄山近くに住まいを移された筆者が、家の近くで古い石垣の存在などふとしたことから鉄山の存在を知り、その歴史に興味を持たれて調査の上、冊子まで出された・・・という記事である。館長は近くまで旅行で行ったことはあるが、現地までは行かなかった。鉱山跡近くに櫻井欽一先生の別荘があり、珍しいコニンク石等が見つかっていることから鉱物マニアにはよく知られた鉱山であるが、案外その歴史を知っている人はいないだろう。機会があればその冊子を一度拝読してみたいものだ。 |
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2007年7月29日(日)
茨城へ 南部標本との再会
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さて、翌日は茨城である。今回の目的は茨城県立自然博物館の南部鉱物標本の見学である。最寄の駅で茨城の石友、Tkさんの出迎えを受けた。
南部標本は三菱系の鉱山に長く勤められた故南部秀樹氏のコレクションで大型の立派な鉱山モノの標本が多い事で有名であるが、恐らく日本三大コレクションに続くコレクションであろう。館長は昔、コレクションが博物館に入る前に拝見したことがあるが、巨大な三角銅やハガキのような大きさの高取鉱山の鉄マンガン重石、和田標本に匹敵する輝安鉱などそのスケールと美しさに度肝を抜かれたことがある。南部氏はスケッチの能力にもたいへん優れ、多くの鉱石のスケッチは精緻を極めている。フリーハンドで直線が描けたなどの逸話が残っている。南部氏は三菱における選鉱所設計の第一人者であり、有名な尾平鉱山の大選鉱所も南部氏によるものだそうだ。
博物館は自然豊かな中にあり、鉱物のスペースも他の自然科学系博物館に比べゆとりを感じられた。丁度夏休みであるので館内は子供連れで大盛況である。妙見山の畳2枚程はあるペグマタイト塊を一面磨いたものでリチア雲母やリチア電気石が観察出来るようになっている。学芸員も鉱物担当の方が居られ、地学関連にもかなり力が入っている。
さて、南部標本であるが、展示物の中で館長が一番素晴らしいと思ったのは、高取の水晶の群晶にトパーズがポツポツと入った標本だ。水晶が緑泥石でコーティングされている為、緑の水晶と白いトパーズでコントラストは抜群。他に槙の川のダトー石(ボットリオ石)や遊泉寺鉱山の紫水晶、尾平の菱鉄鉱、手稲の重晶石など見事であった。また機会があれば是非訪れたいと思う。ご案内頂いたTkさんに感謝。
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2007年7月28日(土)
東京へ 小室宝飾さんの即売会へ参戦!
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早朝、高速バスは東京駅に到着した。今日から2日間の関東遠征である。お目当ては小室宝飾さんの即売会だ。今回も国産逸品標本の数々が出品されるようだ。東京駅近くでさっと朝食を済ませ白山のお店へ向かう。10時の開店までまだ2時間あったが、既に10人近くの人が並んでいた。先頭の人は何と2時から並んでいるそうだ。こりゃ勝ち目は無いな・・・。遥々大阪から我が従兄のFm君の顔も見える。雑談しながら、他の人のお目当てのものを探る。まさに神経戦だね。
さて、いよいよ即売会のスタートだ。今回の目玉標本は花岡鉱山の大きな石膏の結晶、河辺のトルトベイト石(大路ではない)、まるでインド産のような神岡鉱山の巨大な魚眼石、同じく神岡の美しい紫水晶、見事な須崎鉱山のシルバニア鉱、大谷鉱山の自然金、西沢鉱山の淡紅銀鉱、河津鉱山の古い鉱物標本、石川山の巨大な水晶や石榴石など目白押しだ。
館長はまず第一希望の神岡鉱山の超大型魚眼石(高さなんと5.5p。神岡鉱山にお勤めであったFm君の師匠Kさんもこんな大きなものは見た事が無いと仰っていたのでホントに凄いもんなんだろう。下の写真。)、石川山の大きな石榴石(9pはある大物だが、表面がザラザラであまり綺麗ではないので人気がイマイチだった。)、そして、運良く西沢鉱山の淡紅銀鉱を確保。西沢のものはかなり古い標本で、一面に淡紅銀鉱が付いてすごくリッチだ。しかも裏面にはビッシリ黄粉銀鉱の結晶が付いている。
お目当てのものは一応入手出来たので、落ち着いて一般の標本を探す。今回は元鉱山会社にお勤めであった方の標本が放出された。"古い"といっても半端な古さでは無い。なんと大正9年と書いてある。生野鉱山の褐錫鉱をまず入手。当時はまだ褐錫鉱は無かったので「黄錫鉱」と書いてある。殆ど褐錫鉱から成ると言っても良い程の素晴らしい標本であった。他に明延鉱山の安四面銅鉱の大きめの標本もゲット。結晶は見られないが立派な"鉱石"だ。河津鉱山の孔雀石があった。針状結晶が集合して塊となったものでなかなかリッチな標本である。館長はあまり興味が無かったので買わなかったが人形峠鉱山の昭和30年代のウラン鉱石が大量に出品されていた。また、珍しいところで小鴨鉱山のコフィン石があった。稀元素鉱物マニアにはたまらないだろうな。
トルトベイト石やシルバニア鉱は逃したものの、館長としては納得のいく成果であった。79点といったところかなぁ。また次回が楽しみである。
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2007年7月21日(土)
大阪市立自然史博物館の高標本 |
所用で大阪のミナミまで行ったのでチョット足を伸ばして、長居公園の大阪市立自然史博物館へ立ち寄った。大阪石友会の総会では先月行ったばかりだが、標本展示を見るのは久々だ。鉱物展示は他の博物館と比べるとまずまずのスペースだ。日本産の鉱物もそこそこあって、尾平の斧石の群晶や田原の晶洞標本はなかなか立派だった。
館長の”好物”である大阪府の鉱物も小さいながら別にスペースが設けられていて、千早鉱山の辰砂や銭原のチタン鉄鉱、青谷のザクロ石など”定番”の鉱物が展示されていた。更なる充実を望む。
さて、この博物館には高壮吉先生のコレクションがあって、その一部が展示されていた。安部城鉱山の四面銅鉱が展示されており、なかなかの良品であった。 |
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2007年7月8日(日)
バースデーは”石の花” |
今日は館長の誕生日である。そういえば去年の誕生日も即売会だったなぁ。今は60歳定年制が定着し、更には65歳まで雇用延長・・・という流れであるが、昔は館長の年齢が定年であった。月日の経つのは早いものである。定年まで後5年を切った。定年したら思い切り、鉱物を楽しむぞ!
さて二日続けて益富地学会館へ来たのはワケがあるのだ。
すっかりお馴染みになった京都の超ベテランコレクターOaさんの標本即売会「石の花」である。前回は同好会の採集会と重なった為、久々の参加である。今回はまずOaさんのご専門のエリアである田原と行者山である。田原産では見事な庇面式のトパーズや触像の夥しいトパーズ、小さいが綺麗な「ねじれ水晶」、蛍石が出色であった。行者山産ではOaさんの思い出の錫石が出品された。結晶もみられるズシリと重いほぼムクの錫石だ。他にはビューダン石や大谷鉱山の大きめの水晶もあった。田原と行者山以外では稲倉石鉱山の菱マンガン鉱(鍾乳状だが長さがあるので見栄えがする)、尾平鉱山ハジカミのピンク蛍石、豊羽鉱山の磁硫鉄鉱(小品だが綺麗な六角板状)、珍しい所で東郷鉱山のカルノー石やオパールもあった。館長は明延鉱山の自然銀を購入した。Oaさんが昔、鉱山でもらったものだそうだが、30年以上前の標本で年月が経ってすっかり黒くなってしまったようだ。明延鉱山の本鉱は案外珍しいと思う。
会場には昨日のメンバーTmさん、Ihさん、Omさんの他、滋賀県からAsさんやKyさんも来られた。オープン早々は黒山の人だかりであった。また秋にも開催予定との事。楽しみである。
会場では大阪石の発見者であるOmさんが来られていたので館長のサンプルを見てもらったところ目出度く「大阪石」であった。今日も鑑定に長けた有力コレクターに昨日の豆粕の不明鉱物を見てもらったが、「?」であった。今度は東京へ持っていくか・・・。 |
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2007年7月7日(土)
不明鉱物を持って益富地学会館へ |
益富地学会館の運営委員会で上洛した。会館にはFtさん、Tmさん、Nkさん、Omさん、Ihさん、Itさん等関西鉱物趣味界の錚々たるメンバーが集結、会館の催し等について話し合った。
委員会に先立って7/1に能勢で採集した不明鉱物を複数の方に見てもらった。残念ながら「?」であった。結晶は明瞭な斜方12面体を示す。色は白濁して光沢は無い。この形はザクロ石しか思いつかないが、どうみてもザクロ石とは思えない。
会館3階では丁度、アマチュア展示として「京都府中部・兵庫県中部の鉱物」が催されており見学させてもらった。 |
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2007年7月1日(日)
能勢のペグマタイト観察 |
5月以来の鉱物採集である。阪急川西能勢口駅で大阪鉱物研究会のNyさんと合流し一路宝塚へ向かう。久々の旧坑探索会である。ズリの痕跡は確認出来たもののこちらは結局失敗に終わった。
次に大阪府豊能郡にある花崗岩採石場跡に向かう。大阪府では有名な産地で、2回目の訪山であるが、前回は時間的に遅かった為に十分な観察が出来なかった。採石場は止めて久しくしかも元々晶洞が小さい上に少ないので大きな結晶鉱物は無い。丁場跡の捨石の中から1p弱の小さな水晶の付いたペグマタイト片とこの産地の特産鉱物である鉄アクチノ閃石、水晶に付いた不明鉱物(白色の微細なころっとした結晶。何かなぁ?)を採集した。珍しいものだったらいいのだが。
ところで、この能勢の花崗岩ペグマタイトには少々思い出があって、小学生の頃、校庭の隅に「岩石園」なるものが出来た。
当時から鉱物マニアだった館長は休み時間に岩石園へ行くのが楽しみであった。そこに能勢の花崗岩ペグマタイトがあり小さな煙水晶が付いていたのだ。あれから40年以上経って、あの石はどうなったのかなぁ。一度見に行きたいものだ。 |
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昼なお暗い丁場跡 |
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2007年6月30日(土)
入手!日本石譜の写本?
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大阪・天満橋で「古書ブックフェア」という大きな古本市があったので、妻との映画鑑賞(ダイハード4。主演のブルース・ウィリスといいビリー・ブランクスといいメッチャタフだね。館長とあんまり歳が変わらないのに・・・)のついでに石関連の本を探しに行った。かなりの規模の催しであったが、石関係は小葉田淳氏の「日本鉱山史の研究」や久米武夫氏の「寶石学」など数冊で時間の都合もあって結局何も購入せずに会場を後にした。
自宅へ戻るとオークションで落札した商品が到着していた。
江戸時代の石の本らしい和本だ。オークションサイトの写真からある有名な本の写本とみたが図星だった。内容が木村兼葭堂の「日本石譜」に酷似していた、というか殆ど同じである。列挙された石の名前から配列、石友のリストまで。
但しよく見ると内容的に「日本石譜>この本」であった。日本石譜をオリジナルとしたのは間違いないだろうが、省略されている部分もある。石友の項を見てもオリジナルよりかなり少ないものの木内石亭(木内小半と書かれているが通常は「小繁」なので転記ミスか?)や天満本教寺(雑華庵石雄?)などの有名人が出てくる。 |
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木内石亭の名前も見られる |
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2007年6月18日(月)
出た! 大阪石! |
Yahooの画面を開けたら、急に飛び込んできたのが「青い輝き「大阪石」 新鉱物認定 国内で100番目」の文字。産経新聞の記事のようだ。「おっ、遂に出たか!」。大阪府産の世界新鉱物については我々大阪の鉱物を研究するものにとっての悲願であり、しかも発見者が我が「大阪鉱物研究会」のOm主席研究員である。念願の「大阪石」の名前がつき、しかも国内100番目というオマケ付き。感慨ひとしおである。
この「大阪石」は大阪北部箕面市にあった平尾旧坑(正式な名前は判らないようだ)で見つかったもので、当初はウッドワード石と呼ばれていたが研究の結果、新鉱物であることが判った。但し、水分を失いやすく不安定な鉱物でもある。
因みに今日は「朝日新聞」でも「『地質資産』で地球を学ぼう」という記事が大きく出ていた。「ジオパーク(地質公園)」という世界的なネットワークがあるそうだ。また、日本の地質百選として生野鉱山跡や神岡鉱山跡、恐山の金鉱床などが挙げられていた。今日は鉱物が新聞紙上を賑わした日だ。 |
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2007年6月17日(日)
久々の上洛 |
ファイナンシャルプランナー(FP)の研修会が京都市内で開催されたので約2ヵ月ぶりの上洛となった。FP研修会は午前中で終わり、このまま真直ぐ帰るのももったいないので新京極のクリスタルワールドさんへおじゃました。お店で居合わせた同好の方と大阪近辺の鉱山について情報交換(・・・というか情報をもらってばっかりだったが)をした。最近、能勢近辺でズリを見つけたとの事。また、茨木鉱山というのもあるそうだ。まだまだ館長の知らないことが一杯あるなぁ・・・。
さて、お店の標本は新着品では人形峠鉱山の人形石が何点かあった。興味深いのはカルノー石を伴っているとのことであった。 |
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2007年6月10日(日)
大阪石友会総会。50周年へ向かってスタート! |
今日は大阪石友会の総会である。会場はいつもの長居公園の大阪市立自然史博物館。天気はイマイチだがなんとか雨に降られずに会場へ着いた。本日の参加者は22名で全会員の約1/3である。行事報告や会計承認などの総会議事が進行して館長のプレゼンの番となった。5月に行った関東の博物館巡りの成果をパワーポイントでご披露した。
また、石友会は今年で創立44年を迎える。少し早めであるが、50周年記念事業の検討を会長より仰せつかった。突然のご指名で少し躊躇したがお受けした。無名会や日本地学研究会でも櫻井先生や益富先生のお顔を知らない会員も増えてきた。同様に我が石友会でも眞鍋鶴松先生や黎明期の石友会を知らない会員が大半となった。私たちの責務は石友会の理念と歴史を未来に引き継ぐ事である。未来に向けての50周年でありたいと思う。
さて総会の大きな行事が年間最優秀標本(庭山賞)の選考である。会員自慢の標本が多数出品されたが、小学生会員Ts君の標本(トパーズ)に決定した。おめでとう!(上の写真:ノミネート標本を審査する会員の皆さん)
最後に恒例の標本頒布「万華鏡頒布」が始まった。会員が持ち寄った標本の数々をジャンケンで順番を決めて頒布した。ペグマタイトの大きな標本や珪灰石、透緑閃石、藍晶石、ジャスパーなど多数出品された。館長は岐阜県揖斐市産の”さざれ石”をもらった。国歌「君が代」に歌われている正真正銘、”原産地”の”さざれ石”だ。岩石名としては「石灰角礫岩」である。他に大阪府高槻市岩戸坂鉱山の黄銅鉱と奈良県柳生の水晶を頂戴した。(下の写真:「万華鏡頒布」の標本) |
大阪石友会会員募集中! |
http://osaka.cool.ne.jp/sekiyuukai/ |
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2007年6月3日(日)
また来年が楽しみだ! |
名残惜しいが、いよいよ今日は東京を立つ日である。もう出品物も一通り見たし、愛鉱家の方々ともお会いしてきたので、今日はあまり会場内を動かず馴染みのお店のお手伝い中心であった。新宿ミーティングでご一緒した福岡石の会のHkさんも今日九州へ帰られるとのことで、大阪鉱物研究会のThご意見番と3人で鉱物談義に花を咲かせた。午後、一足先に帰られるHkさんと再会を約束してお別れし、館長も最後に会場を一回りした。途中、ある石友から秘蔵の標本を見せられヨダレを流しながら会場を後にした。
羽田空港で家族への土産を買って空路、神戸へと戻った。また来年の新宿が楽しみだ。 |
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2007年6月2日(土)
ミネラルマーケット、新宿ショー、新宿ミーティングと楽しくも多忙な一日だ。 |
2日目はミネラルマーケットだ。飯田橋駅で降りて会場へ向かう。今年は会場が1階へ移動、しかも部屋がAとBの二部屋に分かれている。既に行列が出来ており30名程の方が並んでいた。相変わらずすごい人気だ。知っている顔もチラホラ。石友のY2さんとご一緒し談笑しながらいろいろ情報交換。
定刻の10時30分になり続々と会場へ入る。このような即売会は最初のポジショニングで勝負がつく。館長は先ず石友Kyさんのもとへ。昨年も宮崎県尾小八重の斧石を買ったが、今年は見事なダトー石の結晶があった。結晶は完全ではないが母岩の上にコロッとした白い端整な結晶が乗った姿の良い標本だ。ちょっと今の館長のフトコロには厳しいが、ダトー石の大きな結晶は珍しく購入した。会場では昨日お会いできなかった無名会のHkさんやTyさん、遥々九州のTさん、信州のItさん、水晶コレクターのTさん、IgさんやUoさん等関鉱同の面々・・・
標本の方では山ノ尾のベリルがあった。欲しかったが予算が合わず断念。無名会のHさんの所へ行くと福島県合戸の紅石英があった。色の濃さでは本邦でもトップクラスの濃さだろう。採集に行ってもあまり大きいものは採れないとの事。お買い得価格であったので購入させてもらった。とにかく人がいっぱいでなかなかゆっくりと標本が選べない。他に1.5pオーバーはある巨大なベニト石や、尾平・豊栄の大きな蛍石、黒平のトパーズ、デカい乙女の日本式双晶、東京石、多摩石、横鶴の輝蒼鉛鉱などが印象に残った。
お昼は会社の同僚であるHtさん夫妻が遠路熊谷から来られた。Htさんには東京勤務時にたいへんお世話になった。2年半の単身赴任生活が極楽であったのは関東在住の同僚の皆さんと石友の皆さんの支えがあったことを改めて感謝。
午後になり、ミネラルマーケットでご一緒したY2さんが新宿ショーへ移動してこられた。そこでY2さんからプレゼントを頂いた。Y2さんが甲武信鉱山近くで晶洞を開けて採集された水晶の群晶であった。有り難く頂戴した。館長も一度くらい晶洞を開けてみたいものだ。
さて、今日のもう一つのお楽しみは愛鉱家の親睦会、「新宿ミーティング」だ。今年で6回目を数える。思い起こせば、第1回は新宿の歓楽街にある飲み屋でTyさん、Hkさん、Tkさん、Gaさん、館長の5人の飲み会で始まった。第2回目から会場を三井ビルに移し徐々に規模を大きくしてきた。今年は会場の都合で新宿ショー会場横のレストランで行なった。出席者もなんと33名の多くを数え、首都圏のメンバーの他、関西、名古屋、岡山、九州と全国各地から鉱物愛好家が集まった。新メンバーの紹介を含めた歓談が続き、宴もたけなわとなった処で、いよいよ恒例の「オークション」が始まった。今年も多数の標本の提供があり、新鉱物の上田石や神岡鉱、砂金、自然金、市之川の輝安鉱、尾去沢の赤銅鉱結晶、貴重な文献類が多数出品された。楽しい時間はどんどん過ぎてあっという間にお開きとなった。幹事の皆さん、おつかれさまでした。 |
写真上から2枚はミネラルマーケット風景。すごい熱気であった。3枚目は新宿ミーティング、4枚目は新宿ミーティング恒例のオークション出展品。 |
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2007年6月1日(金)
さぁ!今日から新宿ショー |
今日から至福の3日間だ。前日の深夜、館長を乗せた高速バスは大阪を出発。今回は贅沢にも「プレミアムドリーム号」だ。
開場30分前に会場のセンチュリーハイアットに到着した。見慣れた風景だが、もう長い行列が出来ていた。
開場時間となって、何はともあれ先ず大阪の眞鍋鉱物研究所さんのブースへ。Thさんに挨拶して、とりあえず会場をひと回り。平日の金曜日だというのに人が多いなぁ。まぁ、館長も有休を取って来ているのでエラそうなことは言えないが・・・。
まず、いつも良質の里帰り標本を持ってくるUSAのK社へ。今年は頭付きの市之川の輝安鉱が3本出ていた。コンディションも良く、大きさも手ごろで値段もまずまずだが、館長は既に3本持っており、ここはパス。次いで、京都の益富地学会館のブースへ。お馴染みのFtさんにご挨拶。図書類や標本小箱と共に今回も国産鉱物を出品されていた。尾平の斧石の良品や多田鉱山のカレドニア石、明延鉱山の輪状錫鉱やモルデン沸石、沼野石等々関西以西の鉱物がメイン。ここで館長は大身谷鉱山のアージェントパイライトを見つけた。銀黒の中に入っているらしい。以前から欲しかった標本だ。それとマンガン鉱物のケリー石も購入。両方とも肉眼では見えないが、また2種類増えた。種類集めは卒業したつもりだが、持っていない種類を見つけるとやはり触手が動く。
次にUSAのメンフィスから来られているお馴染みのマクニールさんへ。相変わらずディスプレイが美しい。昨年の京都ショーで巨大な土呂久鉱山産の斧石をゲットさせてもらったが今回は里帰り品は無かった。大江理工社さんでは水晶山の希元素鉱物を出品。黒雲母にサンドイッチされたお馴染みの標本の他、タレン石が出品されていた。その後、クリスタルワールドさんへ。Yh社長がいらっしゃったのでご挨拶。今回は海外の標本がメインのようだ。次にノンプロコーナーへ。買おうかどうか迷うものもあったが、明日のイベントに備えた。
会場では今年も多くの石友にお会い出来た。海外勤務から戻られたGaさん、福岡石の会でお世話になっているHkさん、北九州の大先輩コレクターMsさん、大阪石友会のMtさん、希元素鉱物コレクターのSkさん、地学史勉強会でお世話になっているOm先生など多くの方々にお目にかかった。
昼休みには最近、石にハマリ気味の友人のKyさんとNrさんが駆けつけてくれた。ランチをご一緒した後、会場を案内した。
さて、今年の特別展示はオパールだ。オーストラリア産の見事なオパールが沢山出品されていた。流石にブラックオパールは綺麗だ。定番の貝オパールの他ベレムナイトのオパール、ムール貝のオパール、骨の化石オパールなど実に不思議で見事だ。また、別のコーナーでは一級品が展示販売され、国産では松代鉱山の霰石と稲倉石鉱山の菱マンガン鉱があった。面白かったのは靴が石膏の結晶に覆われたもの。どうしてこんなのが出来たのだろうか?鉱物は不思議だね。 |
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2007年5月27日(日)
吹田市立博物館で大阪層群の勉強 |
インターネットで大阪府の地質関連サイトを調べていたら、偶然ヒットしたのが「吹田地学会」と「吹田市立博物館」。恥ずかしながら大阪府の鉱物をライフワークにしている館長が知らなかった。そして今日、吹田市立博物館で講演会「地質時代の吹田の風景」があるのだ。これは行かずばなるまい。
JR東海道線の岸辺駅で下車し、ここから徒歩20分。ちょっと良い運動だ。今回の転勤で内勤になってから運動不足の館長には丁度良いかな?名神高速道路を挟む紫金山公園に博物館はあった。自然に恵まれた良い環境だ。14時の講演会まで若干時間があるので館内をさっと眺める。自然科学系ではなくどちらかと云えば古代の遺物を中心とした歴史博物館のようだ。定刻となり講演会を前に講師の紹介があったが、京都地学会時代からの古いお付き合いのArさんが紹介された。
講演会は千里丘陵に分布する大阪層群、特に火山灰層のお話が中心である。万博の前は粘土層がよく露出しており、館長も大きなドブ貝の化石を採集したことがあった。
火山灰層はアズキやピンク、カスリ、八丁池等いろいろな名称で呼ばれいくつも発見されている。アズキ火山灰層とピンク火山灰層は時代を決める「鍵層」として使われ重要だそうだ。またアズキ・ピンク火山灰層のモトはなんと九州、大分県の猪牟田カルデラだそうである。スゴイ距離を飛んでくるもんだ。普段、鉱物ばかり追いかけて地質が不勉強の館長には新鮮である。
休憩時間中にArさんにご挨拶したが、予期せぬ館長の出現にArさんも少々驚かれていた。しばし千里丘陵の鉱物談義を行ったが、Arさんから吹田地学会にお誘い頂いた。
講演は会員のAhさんとHtさんの後、Arさんがトリをつとめられた。Arさんのお話の中で特に興味深かったのは吹田の「金山」のお話だ。これは伝説だが、吹田に金山があったとの話。吹田は更新世〜鮮新世の大阪層群と完新世の沖積層で出来ており、どうみても「金」とは縁が薄い。しかし大阪層群の元は木津川の土砂だそうだ。その木津川に注ぐ和束川で砂金が見つかっている。ひょっとしたら「柴金」の可能性もあって、あながち伝説として片付けられないかもしれないなぁ。大阪層群からは実際にメノウやオパール、ジャスパーも見つかっており、遠くから運ばれてきたのは間違いない。夢がある話だね。
2時間程で講演会は終わり、Arさんにご挨拶の後、同館で開催中の特別展「吹田の景観を掘り起こす2」を見る。なんといっても目玉はマチカネワニの実物化石だ。残念ながら全身ではなく頭部だけだが、そのデカさが判る。因みにこのマチカネワニを発見されたのは当時、大阪石友会会員のOさんとHさんだ。このマチカネワニは大阪石友会の誇りでもある。 |
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2007年5月13日(日)
関東・石の旅 3日目 新装なった国立科学博物館へ |
最終日は、まず某標本店へ昨日注文した標本を受け取りに行った。流石に昨日で売れ筋の標本は大方売れており、残り福を探すこととなった。その中で神岡鉱山の珍しい標本を見つけた。カンフィールド鉱やマチルダ鉱、ホカール鉱(黄錫銀鉱)等の珍しい鉱物が密に混じった標本だ。個々の鉱物種は区別出来ないが鉱山で分析したもので出所、モノは確かとの事。これを購入した。
標本店を後にしていよいよ今回の石の旅の最終である国立科学博物館(以降、科博)へ向かう。科博では4月から新しく日本館がオープンし、櫻井標本を中心とした鉱物標本が展示されている。
JR上野駅で降りて上野公園へ。好天に恵まれた日曜日の為人出もスゴク多い。科博へ着いて早速日本館へ。
鉱物と隕石の展示室があり、鉱物標本は壁面のショーケースに立体的に展示されている。最近は平面展示ではなく、このような展示スタイルが多い。室内の照明は暗く、標本が浮き上がるようにディスプレイされている。鉱物は光に敏感なものが多いので、この方が標本の為には良いのだろう。
標本室の入口周辺には尾平鉱山の斧石や松代鉱山の霰石大型標本が展示してあるが、その中に館長が日本一と評価している素晴らしい日本式双晶が置かれている。大きさ、透明度、バランス共最高の逸品である。大きさでは和田標本に譲るが、美しさでは科博のものだろう。(真ん中の写真の入口左側の標本)
展示室に入ってすぐ右に隕石のコーナーがある。隕石では田上隕鉄、白萩隕鉄など名品が多い。
さて、鉱物では櫻井標本にも載っている大平鉱山産の自然金、欽一石(粒が小さいのでよく見えないのが残念)、恋路の紫色の霰石、木浦のスコロド石(結晶が大きい)、渡辺鉱や福島県産のチタン石(巨大!)が印象に残った。大阪府銭原産のチタン鉄鉱もあった。但し、以前科博に展示されていた朝日鉱山の霜柱のような自然金(これは見事だった)が展示されていないのは残念だった。これには再会したかった。 |
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2007年5月12日(土)
関東・石の旅 2日目 無名会例会で日立鉱山へ |
今回の例会の目的地は日立製作所や日産自動車、ジャパンエナジーの礎となった日立鉱山である。
早朝、秋葉原駅近くの集合場所へ向かう。まもなく世話人のTyさんが来られた。その後、今日の案内役でかつて日立鉱山に勤務されていたK2さん、無名会会員のHさんやTさん、Aさん、Y2さん親子も来られた。今回は21名の参加との事でマイクロバスはほぼ満席状態である。恒例の櫻井家からの差し入れを頂いた後、バスは一路、日立市へ。途中、友部SAで休憩を取り、日立市内でもう一人の案内役である地元のSyさんと合流。バスは更に大規模な日立鉱山跡をみながら目的地に進む。
車窓から黒い大きな斜面が見える。「ズリ」かな?と思ったが、K2さんによると"カラミ"との事であった。以前からカラミは珪酸分と聞いていたが、K2さんの説明によると鉱物的にはカンラン石、特に鉄分が多く鉄カンラン石に相当するとの事であった。
これは実に興味深い。
10時頃にズリに到着、ここで館長には大事な"仕事"があるのだ。携帯電話を取り出し電話をかける。アンテナが一本も立っていない!かろうじて相手が出たがなかなか話が通じない。実はこれは某標本店への電話である。山から即売会に参加というわけである。残念ながら一番欲しかった標本は逃したが、尾平鉱山ハジカミのピンクほたる石はゲット出来た。
さて、話を採集に戻そう。このズリではTyさんが学生の頃、まだ日立鉱山が稼行中の頃(40年以上前)、大きな転石から大型の菫青石結晶を見つけられたとの事。館長も菫青石を探すがなかなか見つからない。鉱石もキースラガーでこれといった珍しい鉱物はない。結局、岩石観察に終わった格好である。しかし、日本を代表する日立鉱山に立てたことは意義深い。
ズリでの採集後、事前にSyさんたちが見つけてくれていた直閃石の標本を"採集"する。繊維状のなかなか立派なものだ。また、露頭へ行けなかった為、採集は叶わなかったが、有名な硬緑泥石を分けていただいた。これもSyさん達が事前に採集しておいて頂いたものだ。Syさん、K2さん、Tyさんのご配慮に感謝。本鉱はかつて「オットレ石」と言われたものだ。
12時頃に採集地を出発して次の目的地である日鉱記念館へと向かう。同館には久原房之助氏の時代からのいろいろな資料が展示されているが、館長の目的は鉱物展示だ。
記念館には日立鉱山の鉱石や鉱物が展示されており原色鉱石図鑑に載っている褶曲したキースラガーの標本や日立鉱山近くの諏訪鉱山(かつてテルル鉱物も産した)の見事な自然金、巨大な黄鉄鉱結晶が展示されていた。
その後、K2さんのご案内で昔のコンプレッサ室にある「鉱石標本室」へ向かう。標本室には多数の日本鉱業系鉱山の鉱石がガラスケースで多数展示されている。こうやって見ると日本鉱業の鉱山が実に多かったことが判る。多田鉱山、豊羽鉱山、岩美鉱山、尾小屋鉱山、大谷鉱山、釈迦内鉱山・・・実に豪華な顔ぶれだ。特に素晴らしかった標本は豊羽鉱山の自然銀だ。これは今まで見た内で一番立派だ。 |
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2007年5月11日(金)
関東・石の旅 1日目 地質標本館へ |
今日から3日間石の旅である。高速バスで早朝、東京駅着。腹ごしらえを済ませて、また高速バスに乗り一路”つくば”へ。目的は一度は見たかった旧地質調査所(地調・現産業技術総合研究所)の地質標本館だ。そこには有名な今吉コレクションの他、岡本コレクションや木下コレクションもあるのだ。
約1時間で標本館前のバス停に着く。そこから構内を5分程歩いて地質標本館に到着。入口で荒川鉱山の水晶群晶と明延鉱山の鉱石の巨大な標本がお出迎え。入館料は有り難いことに無料だ。受付を済ませ、鉱物化石の展示室へ向かう。展示室の壁面には鉱物が中央部には化石標本が展示されている。館長が興味をもった鉱物は鵜峠鉱山産の石膏(長さなんと73p。まさに日本刀だ。)鹿折鉱山産自然金(いわゆる明治時代に産した”モンスター”立派な標本だが、拡大した写真ばかり見てきたので、大きなモノなのにそれ程大きさを感じないのが残念だった。) 大玖鉱山産緑鉛鉱(木下標本。原色鉱石図鑑にも載っている。現物初見の館長憧れの一品だ。雨に濡れた苔のように綺麗。他産地の本鉱と比べても素晴らしい) 土呂久鉱山産ダンブリ石(木下標本。昔はこんなのが出たんですなぁ。ダンブリ石のトッコだ。実に立派な標本。資料館のHPに載っているのでご覧あれ) 斧石(ハジカミ谷の群晶。サイズも大きく迫力がある) 田口鉱山のパイマン(5cmはあろうかというズングリした単結晶。最大級の結晶だろう) ハジカミのピンク蛍石は母岩付きで色が濃くて綺麗だった。
標本館で多くの鉱物を堪能した後、つくばセンター駅へ移動。つくばエクスプレスで石友のお店を訪問。夕刻まで鉱物標本を見ながら鉱物談義に花を咲かせた。 |
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2007年5月5日(土)
連休後半戦は名古屋で! 第1回中部国際ミネラル博へ |
いざ、中部国際ミネラル博へ
昨年某サイトで、2007年に名古屋で大規模なミネラルショーが企画されているという話が載っていた。そのことはすっかり失念していたが、先日の大阪ショーで石友から5月5日に名古屋でミネラルショーがあるらしい、という話を耳にし思い出した。
それからインターネットを検索しまくってようやく情報を掴んだのは開催直前の連休の谷間の事だった。イベントの内容はよく判らなかったが、とにかく名古屋へ行くこととした。
そして本日、名古屋へ行ってきた。会場(吹上ホール)の入り口で先着順?のプレゼントの石(中身は小さな水晶球だった)をもらって会場に入った。かなり広い体育館のような建物だった。早速各ブースを見て回ったが、マニア向けの標本店はあまり見当たらず美石屋さん、貴石屋さん、パワーストーン屋さんが殆どであった。
その中で普段から懇意にしてもらっている大阪の鉱物商Yさんや神戸の化石商Tさんのブースを見つけた。Yさんでは中国産の鉱物がメインであったが特に錫石は圧巻であった。大人の握りこぶし大の巨晶だ。また、このような大きな標本の他に綺麗な結晶をサムネイルケースに収めて多数展示されていた。Yさんのセンスの良さが窺える。他に昔、Yさんご自身で採集された土呂久のダンブリ石もあった。
Tさんは地元金生山の化石が充実。化石コレクターでもあった館長もビックリの逸品揃い。流石地元の石だけに皆さんの関心も高かったようだ。鉱物関連では有名な瑞浪市釜戸の虫入りコハクがあったそうだ。早々と売れてしまったそうだが、見ておきたかったなぁ。ちょっと残念。国産の虫入りコハクは貴重だ。
会場を廻っていると、初めて聞く名前の店がありテーブルの上に数点の国産鉱物があった。薬研山のコランダム、明延鉱山の鉄重石、軽井沢鉱山のウルツ鉱、平瀬鉱山の輝水鉛鉱、妙見山のリチア電気石などが置いてあった。そこに「金鉱 日本産」と書かれた石があった。産地はどこ?と聞くと「恐山」らしいとのこと。確かに以前、恐山の金鉱床が話題に上ったこともあったなぁ。恐山産とするとある意味、珍品ではあるな。他の業者さんでは新宿ショーや池袋ショーなどで見かけるHさんやM社やH社、T社も出店されていた。
他にはイベントとしてチャリティーオークションが企画されているようだ。オークション対象品が展示されていたがオパールや大型アンモナイトなどで館長の関心をひくものは無かった。
今日の昼メシは折角名古屋へ来たのであるから味噌カツ丼を食した。まだ帰りのバスまで時間があったので、もう一ヶ所行くこととした。
ついでに名古屋大学博物館へ
中部国際ミネラル博の検索をしていると名古屋大学博物館の企画展がヒットした。名古屋へ行くことは年1回くらいしかないのでついでに行くこととした。地下鉄名古屋大学駅からすぐの所にその博物館はあった。企画展のテーマは「地球は玉手箱 誕生石の魅力」であった。誕生石の原石をはじめとして沢山の鉱物が展示してあったが、日本産鉱物は苗木の煙水晶のみで、殆どは外国産の鉱物であった。
常設展の方も鉱物は殆ど無かったが、館長が興味をもったのは南アフリカのプラチナ鉱石であるパイロキシナイトの展示だった。この岩石から世界のプラチナの1/2、クロムの1/3が出るそうだ。すごいね。ただ残念ながらプラチナの鉱物は微細で見えないそうだが、どんな状態で入っているのだろうか?
個人的な希望としては苗木・蛭川のペグマタイト鉱物や神岡の結晶鉱物など中部地方の鉱物を展示して頂きたいね。あと、鉱物と関係は少しあるが、国産初の電子顕微鏡は興味深かった。 帰りは安くあげる為に名神ハイウエイバスを使った。連休中の渋滞を心配したが多少の遅れで大阪駅に到着した。 |
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写真上から
・第1回中部国際ミネラル博会場入口
・会場内各ブース
・オークション品展示
・名古屋大学博物館
・企画展「地球は玉手箱 誕生石の魅力」 |
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2007年5月3日(木・祝)
石友のご厚意に感謝! |
ゴールデンウィークも後半戦に入った。家族と食事に出かけ、帰ってみると宅配便が届いていた。「ハテ?オークションで落札した記憶は無いんやけどなぁ・・・」。
送り主は九州の石友Zさんであった。箱を開けてみると本が沢山。地質関係の文献が沢山入っていた。
吉村豊文先生の日本のマンガン鉱床補遺、高壮吉鉱物標本等々。前者はあまりにも有名であるが、後者は高標本のガイド本で、写真は残念ながらモノクロだが、これを見ていると、かつて高標本を見て度肝を抜いた時の事が思い出された。この本はかつて神田の本屋で頼んだことはあるが、その時は入手が難しいと言われた。
いずれも昔から読みたかったもので、まず入手不可能なものばかりでただただ驚くばかりだ。このような貴重な文献をお送り戴いたZさんに心から感謝申し上げたい。もつべきものは石友である。 |
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2007年4月30日(月・祝)
最終日も大阪ショー! |
最終日の今日も多くの石友に会場でお会い出来た。大阪石友会のN名誉会長、和泉鉱物化石研究会のTsさん、ベテランコレクターで青谷スカルンの発見者Ykさん、我が大阪鉱物研究会のOm主席研究員、大阪石友会のKt副会長ご夫妻、幹事のWyさんやFcさんなどの方々が来られ、館長を見つけてお声がけ頂いた。はるばる東京からMfさんのお顔が見えたのにはビックリ。
結局、今回は標本の購入は無かったが、これも特に今回に限った事ではない。日本産の銘柄標本に拘らなければ良い標本も多数あったと思う。今やショー参加の目的は標本の入手より石友の皆さん方との交流がメインとなっている。
今日は最後に撤収作業のお手伝いをした。楽しかった会場も終了と同時に戦場に変わる。準備には相当の時間が掛けられるが、撤収作業はまさに時間との勝負だ。撤収作業も一段落し、無名会のメンバーと再会を約し、関西の業者さんたちに挨拶して会場を後にした。さぁ、次は無名会の例会で上京だ。 |
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2007年4月29日(日)
今日も大阪ショー! |
今日も大阪ショーである。昨日で大体出品物は見終わっていたので今日はM鉱物研究所とK標本開発、T鉱物標本、ミネラルTさんの各ブースで店番をしたり、おしゃべりをしたりで1日を過ごした。
石友の方々も殆ど初日に来ていたので、今日は大阪石友会のIk副会長、Thさん、そして古い付き合いの大阪のTaさん親子とお会いした。
総じて日本産の鉱物はかなり少なくなってきた。特に大阪ショーに限ったことではないが、ジュエリー系やパワーストーンの石が益々多くなってきたような気がする。これも時代の流れか。 |
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2007年4月28日(土)
今日から大阪ショー! |
いよいよ大阪ショーが始まる。この大阪ショーの会場である天満橋は館長の生まれ故郷に近く、毎年ここへ来るのが楽しみである。
今回はちょっとゆっくりめの参戦であるが、開場30分前に地下鉄・天満橋駅に到着。駅で大阪石友会のFcさん(幹事)とバッタリお会いした。そこでFcさんから思いがけないプレゼントがあった。大阪府寝屋川市産の高師小僧を頂いた。以前から館長が欲しがっていたのを覚えて下さっていた。感謝、感謝。
この高師小僧は今から40年前にFcさんと共通の知人であったKsさん(故人)が発見したもので、当時、新聞でも紹介された。産地は宅地となり既に消滅し幻の鉱物となって久しい。今回、資料も頂いて詳しい産地が判ったのも大きな成果だ。
さて、会場前には既に相当長い行列が出来ていた。やはりゴールデンウィークの初日だね。今年は会場が広くなってたいへん見やすくなった。
入場後、まず東京のK社さんのブースへ向かう。最近入手された豊羽鉱山の自然銀や東北の鉱山モノなどを出品されていた。次に無名会でお世話になっているTkさんとTyさんのブースへ。急な転勤でご両人にちゃんとご挨拶出来ていなかったのであらためて帰任のご挨拶を行った。Tyさんでは早崎の錫石が秀逸であった。Tkさんでは力を入れられている国産の水晶は流石の品揃え。館長も注目していた水晶峠のトッコは目出度くお嫁入りしたそうだ。いつもアメリカから来られているHmさんのブースには市ノ川の輝安鉱があったそうだが既に売れていた。見たかったなぁ。昔から大阪で活躍されてきたGsさんのブースには青谷のザクロ石の母岩の大きめのものがあった。
次に館長のホームグランド?の眞鍋鉱物研究所さんへ。我が大阪鉱物研究会のご意見番でもあるThさんから鉱物趣味史の歴史的な資料を数点頂いた。特に島津製作所標本部の戦前のラベルは貴重品だ。
例によって眞鍋さんのブースを基点として会場をグルグル回ることにした。今回のトピックス的なものとして今年の正月に田上山で大きな晶洞が見つかったそうで、その水晶がO社さんに出展されていた。大きなものは36cmあったそうだ。まだまだ見つかるもんやね。
特別展では「これも石?!オモシロ石ワールド(平成版雲根誌)」と題して木内石亭の雲根志の石が取り上げられていた。特に写真展示が充実しており石亭ファンの館長としては大いに参考になった。
会場では大阪石友会のKh会長やWy幹事、Hさん、滋賀県のAsさんや京都の超ベテランコレクターYsさん、Tkさんとは久々の再会である。ビカイチの国際派Kkさんとはコレクション談義に花が咲いた。今回は関東勢や九州勢が少なかったのはちょっと寂しかった。
それと余談であるが、数人の方から、この日記を楽しみにしているという有り難いコメントを頂いた。この言葉を励みに頑張ろう。結局、終了時間の17時まで会場で遊ばせてもらった。 |
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2007年4月20日(金)
職場の歓迎会のついでに石探し |
今日は勤務先の歓迎会である。館長は歓迎?される側の一人である。場所は神戸三宮。スタートが遅めであったので三宮で時間をつぶさないといけない。行きつけの古書店やPCショップをうろついた後、前から話しに聞いていたクリスタルワールドさんのお店へおじゃました。場所は神戸国際会館の中である。神戸国際会館はベンチャーズのコンサートなどで来たことはあるがB1の専門店街は初めてであった。その一角にお店はあった。流石にオシャレな場所だけに水晶などのキレイ系が中心であり館長お目当ての日本産鉱物は殆ど見当たらなかった。 |
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2007年4月10日(火)
館長、またまたまたアウトドア雑誌「FENEK」に登場! |
しばらくご無沙汰していたが、久しぶりに三推社さん(発行 講談社)のアウトドア&クルマの雑誌「FENEK」に登場した。
「趣味の鉱物 貴重な石探し」というテーマで一般の方向けに約1ページ半書かせてもらった。
基本的に鉱物超ビギナーや野山で偶々鉱物に出会った一般の方を対象にしているのであまりマニアチックな小難しい事は書けない。アウトドアライフの中での思いがけない鉱物との出会いを想定しているので、鉱物マニアの計画的な採集行動と基本的に異なるのだ。当然ターゲットや採集方法(表面採集&丸腰・素手)も異なる。この拙文で鉱物に少しでも興味を持ってくれる人が増えて頂ければ嬉しいのだが。
因みに左側のページの下で黒曜石と写っているオジサンは館長とは別人の方ですので念のため。(勿論、館長もオジサンではあるが・・・) |
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2007年4月7日(土)
久々の上洛で予期せぬ成果あり |
所用で京都の益富地学会館におじゃました。そこで我大阪鉱物研究会のOm主任研究員と久しぶりに会った。館長は横浜、Om研究員は岡山から夫々関西へ戻ってきたのである。漸く本研究会の全メンバーが関西に揃った。本格活動の再開は近い!
さて、益富地学会館ではアマチュア展示で滋賀県のAsさんのコレクション展示が行われていたので見学させて頂く。煙水晶の大晶や長石の綺麗な群晶、青色の濃い緑柱石、大きな緑柱石(母岩が大きいので迫力十分)、灰山の各種鉱物など見所が沢山あった。更にマンガン鉱物で余りにも有名なTmさんのコレクションも展示されていた。
写真上Asさんの滋賀県の鉱物展示。写真下はTmさんのマンガン鉱物のコレクション展示。
折角京都へ来たのであるから、帰途、クリスタルワールドさんの河原町本店へ立ち寄った。Yh社長が居られたので帰任のご挨拶を行う。その後同社の新京極のお店へ向かう。スタッフのMさんによって日本産鉱物の整理が進み随分見やすくなった。そこで何と大阪府産の鉱物を3点も見つけた。いずれも能勢町産の煙水晶(これは初めて聞いた産地だ。小品であっても案外大阪府産の水晶は貴重品だ)、珪灰石(工事現場の産だけに短期間で一時的に産したものだろう)、ブロシャン銅鉱(七星鉱山産)で、いずれも地味だが大阪府産鉱物コレクターには有り難い。気分良く帰りに妻の好物である定番の「千枚漬」と新京極名物の「ロンドン焼」を買って帰宅した。 |
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2007年3月31日(土)
「マニアの叫び」に出演。豪華な共演陣?。 |
午前1時という殆どの人が就寝中の深夜のオンエアであり、しかもマニアックな番組、おまけに関東ローカルとなると見た方は少ないと思うが、館長が「マニアの叫び」というテレビ番組に出た。別に叫んだ覚えは無いんですがね。
実は「マニアの叫び」は今回が最終回であり、ボツとなったマニアの特集版であった。収録場所は昨年の池袋ショー会場。館長が番組制作会社のスタッフを会場で案内して回った時の様子が映し出された。まぁ、この時はまだボツになるとは思っていなかったのだが・・・。館長だけでは面白くないので居合わせた大阪のM鉱物研究所のThさん(我が大阪鉱物研究会のご意見番でもある)、同じく大阪のG社の名物社長Ktさん、我国地学標本界の重鎮である東京のN社のTy社長、石友でもあるT鉱物標本のTkさん、益富地学会館の学芸員Na嬢という豪華メンバーに”友情出演”願った。
後日、関東在住の会社の同僚、Htさんのご厚意で録画したDVDを送ってもらった。内容についての詳しいコメントは差し控えるが、流石、超?深夜帯の番組ですなぁ。ちょっと考えさせられたわ・・・ |
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2007年3月25日(日)
長年の念願叶い、日本三大鉱物の産地「福島県石川山」へ |
古くから「我国の鉱物三大産地というのは磐城の石川、美濃の苗木、近江の田上山これなり・・・」と云われている。厳密に言えば「日本三大ペグマタイト鉱物の産地」が正しいのであろう。
今回の上京のメインイベントはその「日本三大鉱物の産地」の筆頭、福島県石川山の訪山だ。今から40年程前、館長が中学生の頃、「学研の科学」の石川山特集を見て以来、ずっと行きたかったのだが、関西の館長には途方も無く遠かった。関東へ転勤してもやはり遠いことに変わりはなかった。「学研の科学」の中で中学生が切羽で天井から大きな水晶を抜き取っている写真は館長に強烈な印象を与えた。未だにその写真が頭の中から離れない。どうしても行きたいなぁ・・・と思っていた。
そこへ救いの手を差し伸べてくれたのが東京の石友のOnさんだ。Onさんのご厚意で石川山へ連れて行って頂けることとなった。石友は有り難い。感謝。
前夜からの生憎の雨の中、Onさんのクルマは一路、磐城路へ。3時間程で最初の目的地、「石川町立歴史民俗資料館」に到着。この頃、雨も漸くあがり、天は味方をしてくれたようだ。
資料館には石川町の往年の一級品の標本が多数展示されているとのこと。館内に入るといきなり超巨大な水晶がお出迎え。長石もとにかくデカい。他に柘榴石や緑柱石の巨晶のオンパレードであった。とにかくサイズが日本離れしている。もうひとつの石川を象徴するコルンブ石やモナズ石などの希元素鉱物も多数展示してあった。
他に櫻井欽一先生が昔、大橋川で採集、寄贈された大粒の砂金も展示されていた。石川町ではペグマタイト中から自然金が見つかっており、砂金のソースとも考えられる。同様に苗木や田上山でも砂金が見つかっている。
資料館を見学した後、坑道や露頭が保存されている観音山旧坑へ向かう。残念ながら坑道はクローズで中へ入れなかった。坑道周辺には長珪石鉱床の露頭も保存されている。また露頭の前にはズリが散らばっており、以前子供さんがここで透明な緑柱石を拾ったそうだ。それは資料館に展示されていた。館長も二匹目の「柳の下の泥鰌」を狙ったが、そんな簡単に見つかる筈はないよなぁ。現地には露頭も残されており長珪石鉱床の様子がよくわかる。
見学主体であった観音山旧坑の次は、いよいよ本格的な採集だ。金緑石やプッチャー石等の珍しい鉱物の産出で知られる和久鉱山跡へ向かう。和久鉱山跡は長珪石採掘の最晩期まで採掘された鉱山で、草木や表土で見えにくくなっているもののまだズリが残っており、掘ると土砂に混じって鉄電気石や白雲母などが顔を出す。電気石は残念ながらアタマが欠けているが光沢のある綺麗な結晶が見つかる。白雲母も他産地に比べると結晶面も認められる立派な標本だ。柘榴石も2cm程の結晶集合体を1個採集出来た。
次に黒江鉱山跡へ向かった。ここもズリが残っており白雲母の六角板状の結晶と柘榴石の小さな母岩付き標本を採集した。残念ながら目的の緑柱石は見つけることが出来なかった。
和久、黒江、いずれの鉱山でも参考品程度のものしか採集出来なかったが、まだ産地としては現役であろう。
今まで、標本店や博物館でしか見られなかった大産地・石川山の鉱物に直接触れられ、また産地を見ることが出来たのは大きな収穫であった。
そして次に、戦時中に日本の原子爆弾開発の為に希元素鉱物を採掘した跡を見学した。Onさんによると相当埋まってしまっているとの事、何とか保存できないものだろうか。
最後に地元の鉱物コレクターのお宅を訪問し、コレクションを拝見したり鉱物談義に花を咲かせた。
念願叶い実に楽しく思い出に残る、密度の濃い一日を過ごさせて頂いたOnさんに心から感謝申し上げたい。 |
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写真:上から
・石川町立民俗資料館。立派な標本が展示されている。
・観音山旧坑の坑口前にて。残念ながら入坑出来ず。
・観音山旧坑の露頭とズリ。ここで子供が透明のベリルを採集 した。
・和久鉱山のズリ。珍しいものは無かったがそれなりに楽しめる産地だ。
・終戦直前に原爆開発の為、理化学研究所により採掘された場所。歴史の証人だ。
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2007年3月24日(土)
転勤後初の上京。地学史勉強会に出席。 |
今日は渋谷で行われる「地学史勉強会」に出席する為上京することとなった。出発は初めての神戸空港だ。これから神戸空港を使うことが多くなるなぁ。三宮から割とアクセスは良い。
神戸空港から空路1時間程で羽田空港へ。勉強会までまだ時間があるので新装なった小室宝飾さんへ向かう。従来より広さが2倍になっており、日本産鉱物の充実ぶりは流石だ。
その後、渋谷近くの勉強会会場へ向かう。今日の勉強会の話題は1年前に逝去された今井 功先生だ。今井先生と言えば館長にとってはなんといっても「雲根誌」だ。残念ながら館長は今井先生とは面識が無いが、御著書を通じてその偉大さが良くわかる。今井先生の業績やご著書について講演があり、出席者の皆さんからは思い出話がいろいろ披露された。館長は先生についての思い出話は無いので、鉱物コレクターの立場からご著書についての思いをお話をした。
終了後、レストランで懇親会が催され、いつもの鉱物マニアとは違う方々と楽しいお話が出来た。また無名会のHkさんとも久しぶりにお会いし、二次会で石談に花を咲かせた。
さぁ、明日はいよいよ石川山だ。しかし、天気予報は無情にも「雨」である。天は味方をしてくれないのか。 |
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2007年3月11日(日)
久々の大阪石友会野外例会。多田銀山ジャリ池採集会。 |
石友会の野外例会に参加した。天気予報は”雨”だ。ところがこの雨男にも天が味方して雨はあがってくれた。
集合場所のJR川西池田駅に着くと、既にKh会長やIk副会長、Wy幹事など多数の会員が来られていた。ここからクルマ数台に分乗して一路猪名川町へ。クルマ30分+徒歩30分程で目的地の通称「ジャリ池」に着いた。
「ジャリ池」は正式には多田鉱山石金ひで、以前カレドニア石が発見され一躍注目を浴びた。自然歩道に面してズリがあり、またズリが大きいので人数が多い同好会の野外例会にはピッタリの場所である。途中で某中学校のクラブ活動の生徒達も加わり、ズリは大賑わいとなった。産出鉱物は割合単純で青鉛鉱が殆どで自然銀の産出もある。
石友会例会の特筆すべき点は現地で宴会が始まるのだ。
寒いかも・・・とのKh会長のご配慮で今日は何と「うどんすき」だ。もちろん、食材や調理道具持込である。美味しい「うどんすき」をいただきながら存分にハンマーを振るう。なんとも豪華な採集会だ。この伝統は大事にしたいね。皆さん夫々に成果はあったようだ。 |
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大阪石友会会員募集中! |
http://osaka.cool.ne.jp/sekiyuukai/ |
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2007年3月10日(土)
転勤前に関西へ一時帰宅。目的は勿論「鉱物」だ。 |
引越しの為に関西へ一時帰省・・・ではなく、やはり鉱物を目的に帰省した。益富地学会館で行われる展示説明会に参加した。今回のテーマは「行者山の鉱物」。主任研究員のFtさんが実物の標本を回覧しながら産地について説明された。特に印象深かったのはベルトラン石だ。行者山の本鉱は昨年急逝された石友会前会長の故宮本淳一さんの発見によるものだ。回覧された標本も宮本さん自身の採集によるもので、これを見つけた宮本さんのフィールド能力の高さにあらためて感心させられた。館長も昔、このベルトラン石を血眼になって探し、ようやく1個体(大きめの石英の晶洞中に長方形板状の結晶が散在した佳品)採集出来た時の喜びは格別であった。
また、昔、日本鑛物趣味の会によって製作されたブック型標本が展示されていた。この標本は比企博士のご子孫によって保管されていたもので、コンディションは極上品であった。 |
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2007年3月1日(金)
ついに単身赴任生活に終止符! |
単身赴任の身として、いつかこの日が来るのは判っていたが、ついにこの日が来てしまった。思いもかけぬ人事異動である。結局東京勤務は2年半で終わった。無名会への再入会、関東鉱物同好会への入会などの諸活動を通して多くの石友を得、コレクションも充実した。短い期間ではあったが、実に密度の濃い2年半であった。石友の皆さんに心からお礼申し上げたい。これからホームが関西へ移るわけであるが、折角出来たご縁である。ダブルフランチャイズで関東でも積極的に活動を続けたいと思う。
それと館長にとって悲しい知らせがもたらされた。大阪石友会の創設者である故眞鍋鶴松先生のご長男亨(とおる)さんが亡くなられた。享年64歳であった。頻繁にお付き合いさせて頂いた訳ではないが、お世話になった事も多かった。出会いは館長が中学生当時に遡る。標本だけでなく木工も本業としておられ、最近では介護関連製品にも注力されていた。まだまだ一線で活躍して頂きたかっただけに実に残念でならない。丁度、別件で関西に帰っていたので告別式に参列し、お別れをしてきた。告別式には故人と縁の深い大阪石友会よりKh会長とIK副会長が参列された。
そこで約20年ぶりに昔の石友、Knさんにお会いした。Knさんは大阪石友会の元会員で今は鉱物から離れておられるが、館長よりも前から大阪府の鉱物に関心をもたれ、積極的に産地開拓・再発見に努力したこられた方である。
館長も以前から再会したいと願っていた。きっと、亨さんが引き合わせて下さったのだと思う。感謝すると共にご冥福をお祈り申し上げます。
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2007年2月2日(金)
オークションで落札!上野製作所のブック型標本 |
先日オークションで落札したブック型標本が到着した。オークションで落札したブック型標本は相当な数になった。さて、今回入手したのは京都に昔あった上野製作所製の標本である。
上野製作所と聞いて判る同好は相当のマニアですな。上野製作所は大正時代、京都に出来た標本会社で一時は島津製作所の強力なライバルにまで成長したのだ。この上野製作所が鉱物趣味史上で重要な位置を占める理由の一つが、故益富寿之助先生が一時働いていたということである。
我国の主たる標本会社のブック型標本は大方集まったが、島津製作所標本部のものが入手出来ない。ネットで見たこともあり、かなりの数が出ている筈だが入手出来ない。どなたか譲って頂けませんかねぇ。 |
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2007年1月31日(水)
♪甲斐の山々、陽に映えて・・・♪ 甲斐の国の水晶パワー に脱帽! |
都内での得意先との打ち合わせが予定よりかなり早く終わってしまった為、次のアポイントの地である甲府に随分早く着いてしまった。アポイントの時間まで3時間近くある。
他に営業する場所ば無いので、さて時間調整をどうするか・・・
その前に、まず腹ごしらえだ。前から食べたかった甲斐の郷土料理「ほうとう」を食することとした。メイン食材の南瓜(カボチャ)のほか野菜が沢山入っており、実に素朴な料理だ。大分の郷土料理”だんご汁”に近いかな。思っていた以上にボリュームがあり美味しくいただけて満足。しかしまだ約束の時間まで2時間以上ある。こういう時は時計の進み方が遅いように感じる。
街中を歩いていると電柱に「山梨宝石博物館」の看板が・・・。「そうや、コレを見よう!何で気づかんかったやろ!」
しかし、博物館まで行ってみると無情にも本日は休館日であった。ガックリ・・・。(写真@)
「よし、この際、ダメモトで山梨大学へ行ってみるか」。山梨大学には有名な水晶展示室がある。石友から事前のアポイントが必要と聞いていたので急な見学は断られるかもしれないが、とにかく電話番号を調べて都合を聞いてみた。幸運にも特別にOKの返事をもらい、山梨大学へ急ぐ。学生で賑わう学内に入り、ご担当者に案内頂いて水晶展示室へ入る。そこにはコレクター垂涎の水晶の逸品がズラリと展示されていた。(写真A)
このコレクションは1920年(大正9年)甲府市の薬種商、百瀬康吉氏より寄贈されたものが中心となっている。山梨県における水晶採掘の全盛期のもので、サイズが大きい上にトッコが多く美しい。恐らく国内最上級の水晶コレクションであろう。
まず、迎えてくれるのが1メートル近い大水晶(写真C)だ。残念ながら錐面が研磨されているがスゴイ迫力で見事だ。流石に日本式双晶は多い。その中でも館長イチオシは写真Bのもの。普通、ツインは他の普通の水晶に比べてかなり大きくなるがこれはほぼ同一サイズの単晶が付いている。草入り水晶もすごかった。結晶の上部は緑色の草が入っているが、下部は大げさに言えばブラジルのルチル入り水晶の様な色調の茶色っぽい草が入っている。これも超逸品だ。(写真D)他に水晶峠や乙女鉱山の貴重なトッコ、山梨産ではないが雨塚山の見事な紫水晶のトッコ、増富産の松茸水晶のトッコは見事だ。
水晶製品も充実している。どうやって研磨したのだろうか、見事な水晶製の容器、噂に聞いていた水晶で出来た眼鏡、そしてかつて「なんでも鑑定団」にも出品された水晶製の印材など見事な水晶製品がいっぱいあった。特に館長が見たかった富士山風のインクルージョンの入った印材を見ることが出来た。楽しい時間はアッという間に過ぎ、帰りに学内にある旧水晶館を外から見せて頂いた。(写真C)今はもう使われていないが、昭和2年に作られた実にレトロな雰囲気の建物だ。鉄筋コンクリート製のしっかりした造りである。
思いがけない水晶パワーをもらって甲府での仕事の方も思いのほか順調に進み、すっかり暗くなった甲斐路を後にした。 |
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写真の解説
@残念ながら休館日であった宝石博物館
A水晶展示室の内部。肖像画は百瀬康吉氏
B見事な日本式双晶と水晶の単晶
C旧水晶館のレトロな佇まい。
D展示室のシンボルと言える大水晶。
E見事な草入り水晶。 |
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※水晶展示室は公開されていますが、事前のアポイントが必要です。アポ無し見学はご遠慮しましょう。 |
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2007年1月28日(日)
1月恒例 益富地学会館の交流会に参加 |
京都地学会新春総会以来、30年近く、年の初めはこの交流会だ。関西を中心とした全国の多くの同好の方々と再会できる場である。10時から会場がオープンし多くの同好が来場した。やはりミネラルフェアと明らかに”客層”が違う。出展者はアマチュアやセミプロも多く、自らの採集品の出品が多い。館長の目に止まったのは宮崎県尾小八重の日本式双晶が付いた斧石群晶だ。斧石は表面がガサガサしており、あまり綺麗といえないが、双晶が緑色の草入り水晶なのだ。予想外の出費となったがゲット。日本産の古典標本を販売していた所で多田鉱山の黄銅鉱を購入。方解石に埋没した多田鉱山では珍しい”結晶”タイプだ。今回入手したのはこの2点だけであった。
この交流会での楽しみは石友との交流だ。関東でいつもお世話になっている無名会や関東鉱物同好会、鉱物同志会のメンバーの他、大阪石友会のKtさんやWyさん、Thさんは久しぶりだ。久しぶりといえば我が大阪鉱物研究会のOm研究員だ。今春から関西へ戻ってこられるとの事であるが、館長はいつ帰れるのか判らない。Om研究員のこれからの一層の活躍に期待したい。Om研究員と臨時の例会を開催した。その他京都のベテランコレクターYsさん、Ksさん、Tkさん、交流会の司会もされたIk嬢や滋賀県のAsさんにも久しぶりにお会い出来た。福岡石の会でお世話になっているHkさんやIsさん、Tさんのお顔も見えた。
それと今回館長にはもうひとつの目的があった。昔、入手した愛知県産の”ヘルビン”だ。どうも色が濃すぎるのが以前から気になっていた。交流会に持参し、多くのベテランコレクターに見て頂いたが、皆さん「?」という返事であった。結局、益富地学会館のFtさんに託した。結果が楽しみである。また、今回からポスター発表会も始まり、皆さんの研究成果の発表があった。
さて、交流会のお楽しみは加藤昭先生と松原聰先生の講演である。加藤先生のご講演は「鉱物の化学式をどう読むか」である。化学式を読むことを通じて似た鉱物発見の経緯等を解説頂いた。松原先生はお馴染みの日本産新鉱物・新産鉱物のお話である。2006年は苣木鉱や沼野石などが記載されたが、一方、命名法の新定義によって「新潟石」の名前が変わってしまったそうだ。反面、その新定義によって「上田石」の名が生まれたそうだ。とにかく新鉱物・新産鉱物共に微細なものが多いようだ。
関東へ帰る時間が迫ってきた為、後ろ髪を引かれながら、一足先に会場を後にした。石友との交流を中心とした楽しい一日は終わった。 |
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2007年1月21日(日)
今日は無名会の新年会 |
今日は無名会恒例の新年会である。標本頒布は秩父鉱山大黒坑近くの露頭でかつて採集された自然金や有名産地である常盤仏崎のドロマイト中の鉱物等約10点である。特に秩父鉱山の自然金はスカルン中に産するもので空隙に微細ではあるが結晶も見られる良品であった。仏崎は木下亀城先生の「続原色鉱石図鑑」にも標本が載っている銘柄産地である。ご提供者によるとドロマイトだけでなく金属も稼行されていたそうだ。
1時間程標本頒布が行われた後、新年会に入り多くの同好の方々と鉱物談義に花が咲いた。 |
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2007年1月14日(日)
鉱物同志会例会は恒例のバザーだ。 |
新年のお楽しみは鉱物同志会のバザーだ。開始1時間前に四ツ谷にある上智大学内の会場に着いたが、既に例会の会場は満席状態で、すごい熱気だ。館長は69番目の受付であったが、最終的に96名もの参加があった。別室での一時間程の標本の内覧の後、3グループに別れジャンケンで順序を決めた。館長のグループは3順目の入場となったが、内覧で目をつけていた標本は残念ながら売れてしまい、結局残っていた福岡県二ノ岳産のストロンチウム方解石(市場では案外良い値段だ)と茨城県長谷鉱山の真珠雲母(この産地は持っていなかった)を購入した。
グループ別の購入が二順終わった後、フリーの購入となり全員がどどっと別室に入った。「残り福」を求めて一心不乱に標本を探す。館長は岡山県新美川鉱山のカレドニア石や埼玉県二ノ宮の中宇利石などを購入した。標本はたいへん安価で6点買っても千円ちょっとであった。バザーと同時に行われたオークションは1件応札したが、残念ながら落札出来なかった。因みにオークションにはマンガンパイロスマライトの結晶や湯河原沸石、緑水晶などが出品された。 |
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2007年1月8日(月・祝)
櫻井鉱物標本観察会へ。新鉱物・白水雲母とご対面も。 |
10日続いた正月休暇の締めは神奈川県博の櫻井鉱物観察会である。横浜市青少年センターから神奈川県博へ移管された標本の後編である。
会場へ着くと既に何人もの方が観察中であった。無名会のTyさんやHyさん、Kkさんがいらっしゃった。館長は今日は顕微鏡持参である。さて、どれを観察しようかと迷って、一個取り出すと何とラベルには田口鉱山産の「白水雲母」の文字が・・・。前から見たかった標本で意外な出会いであった。元々のラベルには「マンガン黒雲母」と書かれていた。当時はマンガン黒雲母と思われていたようだ。但し、顕微鏡で観察するとかなり淡色であった。さて、マンガン黒雲母で思い出すのは野田玉川産であるが、こっちも白水雲母の可能性有りとの事。但し、法花寺野のマンガン金雲母は白水雲母では無いそうだ。因みに白水雲母は「しろうずうんも」である。一度、田口鉱山の石をチェックしてみよう。
他に滋賀県花園の鉄かんらん石や京都府日光寺峠のモルデン沸石、田上山の脈性トパーズがあった。いずれも京都の標本屋さんらしい選択だ。石川山の微斜長石単晶は立派なものであった。この標本が作られた頃はまだ石川の珪長石鉱山も健在でこのような標本は珍しくなかったのだろう。
丁度手元に生野鉱山の古い”不明標本”があったので加藤先生に見て頂いた。これはある同好から戴いた標本で中心部に赤い○で囲まれた粒状の鉱物があるが、同好も判らないとの事であった。結果は濃紅銀鉱であった。他、先生から福地沸石の話や邦産のパイロープなどについてご教示頂いた。 |
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2007年1月7日(日)
小室宝飾さんへ |
長めの休暇もいよいよ明日まで。午後は小室宝飾さんへ行くこととした。正月割引セールである。小室社長や店のスタッフの方々と新年の挨拶の後、標本を拝見する。
この日は妙見山のセシウム緑柱石のやや大きめのものを購入した。緑柱石というもののペグマタイト中に白い平らな面が見られるだけで、どう見ても緑柱石には見えない。館長だったら長石と間違って採集してこないかもしれない。緑柱石はこのようにアルカリ金属が入るとどういうわけか結晶しにくくなるそうだ。原因は判らないが不思議である。鉱物は奥が深いなぁ。 |
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2007年1月3日(水)
謹賀新年 今年の「石始め」は京都から |
正月も三日目ともなると、そろそろ石の虫が動き出した。そこで東寺のガラクタ市(骨董市)見物を兼ねて、年中無休のクリスタルワールドさんの本店へ遊びに行くこととした。やっぱりというか阪急電車の京都線は初詣客でメチャ混みであった。まるで東京のラッシュアワーみたいだ。京都駅からぶらぶらと散歩がてら東寺まで歩く。東寺の骨董市といえば、どうしても毎月21日(弘法大師の命日)の市が余りにも有名であるが、毎月1日(正月は三が日まであるそうだ)の「ガラクタ市」もよく知られているそうだ。「石」を探したが、残念ながらブラジル産のアメジストと南米産と思われる黄鉄鉱くらいで手にとろうと思うものは無かった。一度くらいブック型標本や古いラベルの付いた日本産鉱物と出会いたいものだ。後者はちょっと無理かな・・・
早々に東寺を引き揚げ、地下鉄に乗って三条河原町のクリスタルワールドさんに向かう。丁度本店にY社長が居られたので新年の挨拶を行う。流石、三条商店街は寺町京極と新京極へ繋がるメインストリートだけに正月客が多い。Y社長が新京極の店へ行かれるとの事で同行。新京極店もお客さんが多い。二階は日本産鉱物が集まっているが、担当のMさんによってかなり整理が進み、見やすくなっていた。 |
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